cry
小さな家のリビングの窓から朝日を見上げる。
「なんだろうなぁ…」
オリビアが小さく呟くと後から腰の辺りを急に抱きしめられた。
「なにが?」
その優しい声に思わずオリビアは微笑みながら振り返る。
「おはようラビ、なんでもないよ」
「窓から何か見えたの??」
ラビエルドはオリビアの体に巻きついたまま不思議そうにしながら笑顔を見せた。子供特有の無邪気な顔だ。
そっとラビエルドの髪に指を絡めながらオリビアは肩をすくめた。
「なんだかちょっと今日は違う事が起きる気がするの」
「違う事…? 誰かに視てもらう?」
ラビエルドも首を傾げる。
二人とも能力者ではあってもサキヨミではない。村に関わる大きな事であれば誰かにサキヨミをしてもらったほうがいい。特にお館様の予感ならば。
「ううん。いいの」
オリビアは首を振る。
「どうして?」
「なんか、村の事ではないと思うしそんなに悪いことではない気がするし。それに何でもサキヨミして知ってると人生楽しくないわ」
ラビエルドはちょっと不満そうに見上げていたが小さく言った。
「その言葉キフィが聞いたら怒りそうだよ」
「あ、本当ね。これはここだけの話にしてね?」
「じゃあ、今日の朝ごはんはスクランブルエッグにしてくれる?」
可愛い交換条件にオリビアは笑顔を広げる。
「わかった。ホワイトソースも付けてあげる」
二人はちょっと豪華な朝食を作るためにキッチンに向かった。
二人で朝食を済ませた。
いつもならシンがやってきて3人で食べるのだが、今日はラビエルドの希望で先に済ませることにしたのだ。シンはよく寝過ごす事が多いから。
シンも最近は能力の事で疲れきっているから無理に起こさなくてもよいと判断していたのだ。
昨日のシンの様子からも休ませてあげたかった。
ラビエルドを学校に送り出して自身も館のほうへ仕事をしにいく。
シンの部屋へは寄らずに取り合えず早急に終わらせる事務処理をこなす。
シンは軍にいた時に報告書を大量に扱っていたようで村のあやふやだった資料整理の方法を統一化してくれていた。そのことで前より随分と仕事がスムーズになった気がする。
シンが来た事、それだけでこの館の雰囲気もオリビアの生活も大きく変わったのだ。
一段落付けてオリビアは立ち上がる。
そろそろシンにも起きてもらわなくてはいけない。太陽は真上に来ていてそろそろ昼食を取る時間になっている。
二階の執務室から出るとオリビアは家族で暮らしていたリビングのある部屋を通り過ぎて一番奥へ向かう。
そこは決して大きすぎない部屋で、沢山ある部屋の中からシンが『狭くて落ち着く』と住むことを希望した部屋だった。
シンの部屋をノックする。
「シン?」
何度扉を叩いても沈黙が返ってくるばかりでシンが出てくる気配が無かった。
「シン、あけるよ?」
ドアノブを回すと扉は鍵でつかえることなくするりと開いた。シンの部屋に足を踏み入れながらがらんとした部屋の中を見回す。
窓際にあったベッドに横たわるシンを見つけてる。ちょっと安心しながらベッドに近づいた。
「シン、いい加減起きないともうお昼に…」
かけていた言葉は不自然に途切れてしまう。それはそこにいるのはいつものシンではなかったから。
シンの体はちゃんとベッドに入り眠っているようだったが、その顔はまるで蝋で作られた人形のように生気を感じさせない。
異様に青白い肌の色にオリビアは息を呑む。
「シ、シン…?」
そっと頬に触れる。
それは昨日、自分に触れてくれた彼の温かさは微塵も感じさせない冷たさだった。
――シンデイルヨウダ。
自分の心の奥底で沸き起こった考えにオリビアはベッドから離れる。
「い、嫌だ。どうしよう…」
誰かに助けを求めなくてはと思うのに体が動かない。
また誰かを失うという事をオリビアは絶対したくなかった。そのためには誰かを呼ばなくてはいけない。
「どうしたの?」
動かない体を無理矢理動かそうとしていた時、涼やかな声が聞こえる。
振り返るとそこにはラビエルドと彼の幼馴染ココが立っていた。
「シンが…」
オリビアの尋常じゃない様子に二人はシンを覗き込む。
「シン、起きて!」
ココがシンを揺するが伏せられた瞼は微動だにしない。
強張った顔でラビエルドは振り返る。
「ココ、オリーとここにいてくれる? 僕、サイモンさん呼んでくるから!」
二人とも怯えているにもかかわらず強い意志で頷きあう。
「わかった! 早く帰ってきてね?」
「うん!」
ラビエルドが出て行くのを見てしゃがみ込んだオリビアにココがそっと近づく。同じ目線の高さに屈んでくれてたココがオリビアをぎゅっと抱きしめてくれる。
「オリビア、だいじょうぶだよ。だってサイモン先生が来るんだから」
オリビアもそのココのぬくもりにココの体を抱きすくめる。シンの冷たすぎる体を思い返さないくらいにココでいっぱいになるように。
「…ビア、オリビア?」
自分を呼ぶ声にハッとオリビアは顔を上げる。
自分の思考がしばらく止まっていた事に気付く。窓の外が少しオレンジ色をしていた。
自分はいつの間にか座らされた椅子に座っていた。シンの部屋には椅子はないから誰かが持ってきたのだろう。ぼんやり思考していると肩を叩かれる。
「オリビア大丈夫か?」
「・・・あ、はい」
自分の肩を叩いたのは医師のサイモンでその隣りには不安気に自分を見る親友のマキもいた。
「あの、シンは・・・」
サイモンの肩越しに見えるシンの体にオリビアは不安を滲ませて聞いた。
「大丈夫だろう」
「でも、あんなに冷たくなって」
サイモンも振り返りながら言葉を紡ぐ。ラビとココもベッドの縁で彼を覗き込んでいる。
「多分…仮死状態に近いんだろうな。冬眠するみたいに体温が落ちてる。心音は少ないけど呼吸はしているし、シンが自分で起きるまで待つしかねぇだろうな」
「仮死…」
「シンは、自分から引き篭もってるんじゃないか…?」
「どうして…」
サイモンの言葉が良くわからずにオリビアが首を傾げる。
「能力者にたまにいるんだが…原因は本人じゃないとわからないだろう。特にこいつは特殊すぎて読めない」
しばらく考えていたオリビアが言葉を溢す。
「…シン、近頃…疲れてたんだ」
「疲れてた?」
マキが尋ねる。
オリビアが人に対して語ったように見えなかったからだ。
「能力が…シンを乗っ取ってしまうかもしれないと。ずっと押さえ込んできた彼の中に在るコエたちが自分に取って代わるかも知れないと」
オリビアの顔から血の気が失せていく。
「どうしよう、私のせいかもしれない。どうしよう」
「どうしてオリーのせいになっちゃうの?」
ラビエルドがオリビアに近づく。
「私が、シンに記憶と向き合うように言ったの。そしたら、シンはどうにかしてみるって」
オリビアは自分が簡単に言ってしまった言葉に後悔をしていた。
ずっと苦しんできたシンをなんて軽い言葉で押してしまったんだろう。握り締める両手のひらに力が入りすぎて爪が食い込む。
「私っ、シンをアトヨミする。そうすれば彼がそうなってるか分かるでしょう?! 私が見ることが出来れば!」
シンの額に手のひらを伸ばそうとしたオリビアはサイモンに乱暴に遮られた。
「やめろっ! このシンが籠もるくらいなんだ、他人のお前が見たって引き込まれて心身共に死にそうになるだけだ! シンを逆に心配させたいのか?!」
サイモンの剣幕にオリビアは力なく首を振る。
「違う…」
「オリビア、お前は悪くない。・・・コレはシンが自分で選んだんだ」
サイモンがオリビアの力の入る手を引くと開かせる。後ろにいたマキもタイミングよく消毒液を差し出す。傷口を治療をしながらサイモンは続ける。
「シンが記憶と…能力と向き合ってんならそれを待つしかないんだ。能力ときちんと向き合えたらシンは戻ってくるはずだ」
「戻ってくるかな…」
「あぁ、来るさ。帰ってくるべきあったかいところがここにあるんだからな。オリビア、お前ぇさんはシンが起きた時に心配されないようにしっかりしておくんだ」
「はい…」
くるくると自分の手のひらに巻かれる包帯を見ながらオリビアは力なく答えた。