answer
あの後、家で昼食を済ませてオリビアとシンは館の二階リビングに来ていた。
いつも食後の休憩はここで過ごす事が多くなっていた。
昔、オリビアの家族が使っていた部屋だ。居心地がいい。
それはシンに村の話し合いで与えられた部屋が館の二階奥になったからかもしれない。
村の大人たちはずっと小さな家で三人が暮らすことに反対のようだった。オリビアは平気といったが誰も譲ってくれなかった。
シンは後々、自身で村のどこかに部屋を借りると言っていた。
そんな事はしなくてもいいのに。
オリビアはしばらくシンと先程と同じように隣り合ってソファに座っていた。シンから聞かされた言葉についてもう一度考えてみたのだ。
「あの…」
オリビアはゆっくりと口を開いた。
「なに?」
シンがいつもの穏やかな顔で答える。
人に話す事でシンの中で何かが変わったのかもしれない。
彼にとっては一大事な事、自分が軽はずみな事言えないのは分かっている。
アドロアに関する事を繰り返し訴える記憶、それは何かをシンに知らせたいと思っているのではないだろうか?
彼の中にいる別の人格にあたる記憶は彼にわかって欲しいのでは?
自分の憶測でしかないが、彼の苦しみを自分が少しでもやわらげられたら良いと思う。
「私、思うんだけど…シンの中にある記憶は、シンに何か伝えたいんじゃないかな?」
上手く思っている事が言えないがシンに告げる。
「記憶が僕に、伝えたい?」
シンは眉を上げる。
「うん…その人はシンに何かをわかって欲しいんだと思う」
「僕を乗っ取るのではなく?」
「うん」
シンはオリビアの手を見つめる。
自分が思うことを言ってみただけで何も確証はない。シンの顔をみて不安になる。
シンは怒ってしまうだろうか。
「そういう、考え方もあるね。僕ももう少し考えてみようかな」
オリビアはその言葉を聞いて詰めていた息をはいた。
シンが以前にくらべ大人びておだやかに笑うのを見て、オリビアは嬉しくなる。
別に意図的にそうしたのではなく素直に彼は笑ってくれたのだから。
口元がつい緩んで今、自分はふにゃっとした顔で笑い返しているのではないだろうか。
そういえば最初の頃に比べてシンへのイメージが変わってきた。
いつもドジで幼さの僅かに残る可愛らしさばかり目に付いていたのに時折ハッとするくらい綺麗に大人の顔で笑う。
もとは悪くないのだ、思わず見惚れてしまったりする。
なんだか頬など熱くなってないだろうか。
そんな事を考えて思わず俯く。
「オリビア」
名前を呼ばれると肩にシンの手が伸びてきて彼のほうに引かれる。
頬にシンの髪が触れる。シンの肩に顔がついている。
身体がすっぽりとシンの腕の中に納まっていた。その角ばった身体に認識する。細く見えてもオリビアとは違う、シンは男の人だ。
心臓がありえない速さで鼓動を打っている。
シンの手が背中に回る。さらにシンの腕に力が入った気がして触れられた場所から熱を持って今や耳まで熱くなっている。シンの熱も感じる。
「え…と」
どうしたら良いのか分からずに硬直する。
突き放すべきなのか、どうする事が一番なのか頭が回らない。
「シン…」
この状況を作り出したシンへの精一杯の恨めしさを込めて名前を呼ぶ。少し動揺で擦れたことなんて気にしない。どうにかしなくては…。
そこでやっとシンはオリビアを解放した。そっと身体が離れていく。ある程度距離が離れ一瞬目が合うとシンは俯く。
「くっ…」
シンが我慢ならないといった感じで小刻みに肩を揺らす。口元を押さえて笑うのを我慢しているようだった。
「シン」
オリビアはシンを睨んだ。かなり恥ずかしい思いをしたのに!
笑いながら涙目でシンは答える。
「ご、ごめん。そんなに驚くとは思わなくて」
ひとしきり笑い、それが治まると、シンは先程の事などなんでもないことのようにオリビアを見つめた。
「ありがとう。オリビアのおかげでどうにかしていけそうだ」
その顔はいつも見せる頼りない顔じゃなくて、何でも出来そうな大人の顔だった。
※ ※ ※
正直、オリビアに自分が本当のことを話すことで何かが壊れてしまう気がしていた。
昼食後、ソファになんとなくまた一緒に座った時、不安げにオリビアは口を開いた。
「私、思うんだけど…シンの中にある記憶は、シンに何か伝えたいんじゃないかな?」
それが、オリビアがくれた回答はただ怯えるようにしていた自分が思いにもよらなかった事。
自分はそれなりの対価を彼らから貰っている、いつかそれは取り戻されるものばかりと思っていた。
でも、彼女は違うという。
この自分に彼らが何かを伝えたいと…。
そんな風に考えてもいいのだろうか、自身に都合がよい解釈にならないだろうか?
でも、オリビアの真摯な顔を見ればそう考えて彼らの『伝えたいもの』を感じるべきと言うのも一理あると思えてくる。
シンが怒るとでも思ったのだろうか、オリビアは怯えるようにシンを窺っていた。こんなにも自分の言葉に彼女は考えてくれたのだな、嬉しくなる。
「そういう、考え方もあるね。僕ももう少し考えてみようかな」
告げると心底安心したように息を吐いた。
その様子に純粋なオリビアを感じて微笑んでしまう。
さらに頬を緩めるオリビアが警戒心も全く抱かずこちらを見上げる姿は、可愛い。
ずっと自分の中に隠れていた感情がそっと姿を見せる。
ダキシメタイ。この腕の中に閉じ込めたい。
「オリビア」
名前を呼ばれたことでちょっと首をかしげたオリビアの肩に手を掛けて引き寄せる。
あっさりとシンの手の中に納まったオリビアは戸惑っているようだった。
状況が良く分からず抵抗しない事を知りつつ背中に両手を回した。途端、一瞬にして彼女は柔らかいその身を硬直させた。
肩にあるオリビアの金色の髪から甘い香りがする。
心が落ち着いていくのを感じた。
目を瞑る。
オリビアが一緒に居ればどうにかなるのかもしれない。いや、自分はどうにかしていける。
出会った頃からきっとそう。
「シン…」
戸惑いを滲ませた声は少し擦れていた。
もう、解放してやらなくてはいけないのか。
自分勝手な事を数秒めぐらせて自分がオリビアにした腕の囲いを放す。オリビアの身体から感じていた熱は離れていく。
名残惜しくてオリビアの顔を捉えると、信じられないくらい真っ赤な顔。しっかり絡んでしまった目線、その目の縁はやはり無防備にうるんでいる。
「くっ…」
その様子が自分への認識を感じさせられて思わず笑いが漏れそうになる。
口を押さえて俯いてみたが、オリビアも笑われている事を感じたのか名前を恨めしそうに呼ばれる。
「シン」
睨まれているのに、本当にしみじみ感じる。この自分はあの悪友キフィの妹であるオリビアのことが愛おしいと思っているのだ。
それはとても面白い事である。
ただでさえ笑えていたのに変なツボに入ってしまい笑いが止まらなくなる。
オリビアの顔が更に剣呑になる。
「ご、ごめん。そんなに驚くとは思わなくて」
笑いがやっと治まりオリビアに思いを告げる。
じっと彼女を見つめる。
「ありがとう。オリビアのおかげでどうにかしていけそうだ」
こうやってオリビアと話したり、触れたり(了解なしで)する事が出来るのは自分の意思があるから。それを奪われるわけにも乱されるわけにもいかない。
とりあえず奪われる前に、何が言いたいのか記憶に問いただそうじゃないか。(どうするかは別として)
ありがとう、オリビア。思いを込めて笑いかけるとオリビアの頬は再び自分のために緩められた。
夕刻。
村の仕事の手伝いを終えて自室に戻ると、シンはベッドに仰向けになる。
「さて、と…」
ゆっくり目を閉じ、自分に繰り返し与えられる記憶のフィードバックを自ら内側へと誘い込んだ。
何もないのに体の上にずしりと圧力がかかる。
条件反射で、もがこうとした意識を落ち着かせる。
意識の渦は抵抗しないシンを再びあっさりと飲み込んでしまった。