memory
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見たことも無いような景色が目の前に現れる。
焼け野原の中立ち尽くす。あらゆる建物が壊されて今まさに焼け落ちたかのように黒く煤がついている。
戦場…? そう、僕が見た事もないような酷いもの。
身体から血のにおいがする。
服や手のひらにそれは呪いのように染み付いている。シンはそれが自分の血じゃないこと知っていた。急に現れたモノであるに関らず、だ。
そっとその場を離れて歩き始める。
その目指す先が本当に行きたかった場所とは正反対であることを踏みしめながら。
“あの丘へはもういけない”
後悔、怯え、恐怖が自分の中で渦巻く。それは自分の心とは別の所から無理矢理に捻じ込まれていく。
“こんなつもりじゃなかった”
響いた言霊にシンは頭を抱える。
切なく響いた感情に乗っ取られそうになる。
ドンドン注がれる辛すぎる感情に知らず言葉が漏れていた。
『ごめんなさい。ごめんなさい』
頭がおかしくなりそうだ。
『助けて…誰か』
《シン!》
急に響いた声にシンは、ハッと空を見上げた。
ぐいっ! と身体が再び強い力で引かれるのを感じる。
「シン?」
オリビアの心配そうな声で意識が浮上してくる。
よかった。戻ってくることが出来たのだ。
そっと瞼を上げた。
「あ、起きた。大丈夫?」
「あぁ、大丈夫だよ」
どうやらオリビアの家のようだった。寝かされていたソファから起き上がりながら答えるがオリビアに押し返される。
「急に倒れたんだよ。体調悪かったの? それとも何か嫌なことあった?」
あまりにも不安げに聞いてくるオリビア。
「いや、そういうことじゃ…」
「じゃあ、なんで泣いてるのよ」
「え?」
言われて頬を触ってみると涙が指先についた。
「寝ながら泣いてた。連れて帰ってくるの大変だったんだよ。おばあちゃんの家の男の人に手伝ってもらってさ」
「ごめん」
シンは自身が本当に嫌になるのを感じた。
久しぶりに記憶に引きずられたのだ。ここまで強く引かれたのが初めてで油断していた自分に腹が立つ。ちゃんと前兆の警鐘は鳴っていたのに。
謝りながらも冴えない顔のシンにオリビアが顔を近づける。
「何かあったのね?」
何も喋る気分じゃなかったけれど、オリビアは納得するような言い訳を考える余裕がない。沈黙したシンの頬をオリビアはおもむろにつねった。
「いっ…」
「話したほうが楽になる事だってあるんだよ」
ちょっと怒ったようにいうとつまんでいた指を離す。
シンは頬を押さえつつじっと呆けてオリビアを見つめた。
随分長い間シンはオリビアを見つめ、オリビアの居心地が段々悪くなった頃に擦れた声で呟いた。
「話したほうが…?」
「そうだよ」
オリビアは頷いた。
ああ、そうなのかもしれない。
“人に話す”それはシンにとって今までできなかった事だった。
沢山の記憶を人から奪いながらそれを人に譲る事も口外する事も許されない。それがシンには堅く定められたルールだった。
今、それは存在しないのだ。オリビアに話しても誰も見咎めたりしない。
でも本当に、それでいいのだろうか?
「…時期が来たら、話すよ。オリビア」
シンは沈黙を破るといつもの柔らかい声で囁くように言った。
目を薄っすら細めたその顔には先程までの神経質な怯えは存在しない。無理矢理聞き出すことが出来る内容では無い様でオリビアは頷いた。
「ただ。僕が…また倒れたり深く眠ってしまったら、起こしてくれるかなぁ?」
「眠ったら?」
「うん、僕はこれからあまり寝ないから。しばらく仕事増やしても大丈夫だよ」
彼はゆっくりと口角を上げた。
※ ※ ※
一度あけてしまった記憶の扉は自分の意思に反しそう簡単に閉じてくれないものだった。
ふとした瞬間、それはシンの中を支配し自力でそこから抜け出す事を模索するしかない。
夜中、それはオリビアに渡された村の収穫高の書類をまとめていた時だった。
不意に意識が飛びかけた瞬間、机にあった花瓶の花が二重に見えた。今現実に見えているものが揺らぎその後ろに見たことがないはずの風景が濃く現れ始める。
「あ…やめ…」
また自分の奥へ侵食を始めたモノにシンは飲み込まれていく。
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花瓶の中にあった一輪の白い花、それを自分が大切に抱えている。一抱えもあるそれは綺麗に花束にしてあった。
なんだか恥ずかしいような、それでいて彼女と会える事が凄く凄くうれしい。
町のなかを歩きいつも待ち合わせる丘へ向かう。
今日は仕事がやっと休みだった。
この町にやってきたのは軍に入り配属されて3年目のときだった。王都生まれの自分は自然豊かな町に心奪われた。綺麗な空気に笑顔が溢れる町、そして彼女。純粋な心を映すその瞳に自分は魅せられたのだ。
休みのたびに人目を忍ぶようにして丘で逢瀬を重ねていた。そして今日は彼女にこの花を渡し、気持ちを伝えるのだ。
あぁ、彼女はなんと答えてくれるだろう。
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自分の記憶ではないのにその人になったようだ…
なんとか、現に戻ってきたシンは沢山の冷や汗をかいている自分を感じて笑った。
“どうして”なんて考えるまでも無いのかもしれない。それはシンがコエケシだからだ。それ以上でもそれ以下でもないのだろう。
でも考えずには居られない。
今、不意をついてやってくる彼らのコエは何かを自分に伝えたいのだろうか、それとも…
シンはまた眠ったりしないように思考する。
それが自分を貶める事でも。