breakfast
前作「弱虫のてのひら」から少し成長したはずのシンの話。
しかし、独立した話として更新しますのでこちらだけでもお付き合い頂けると嬉しいです。
マム=レム王国の端、誰も近寄らないような国境の森の奥の奥。
信じられない所に突如現れる塀それは東西に距離をとり村が出来ていた。その村こそ能力者が沢山いるという有名な幻のプレセハイドの村だった。
村の外見からは想像できないほど中の区画整理は進んでおり、正方形の村は真ん中の正方形の広場からそれぞれ放射線状に道が伸びている。
その広場の一辺、立派な建物の裏にある古めかしい小屋、そこから気が抜けた声が聞こえた。
「おいしぃい~♪ やっぱりオリビアの料理はおいしい!」
心底幸せそうにシンは食卓並べられた食事を口に運んでいく。
こげ茶色の髪と年齢のわりには大きい薄紫の瞳。きっとにぎやかな街中を歩けば端整なつくりの顔だが幼く見せる要素が多い上に、頬とスプーンをもつ右手には大きなガーゼが貼り付けられていてさながら子供。
それがシン・ナカムラだった。
16歳、あと少しで17歳。
その横にすわって呆れてそれを見るのは本物の子供、ラビエルド・クレイ。五歳。
ため息をついてフォークに刺さっていたハムを口に含んだ。自他共に認める、金髪に碧眼可愛らしい少年だ。
「ありがとう」
お褒めの言葉にお礼を言って自分の分のスープを口に含んだのはオリビア・クレイ、この家の主でありこの村の長「お館様」である。
褐色の瞳と日に焼けた金髪の毛が整った顔によく似合っていた。同じ美人でもシンと同じ年齢なのに人にあたえる印象は真逆で大人だった。
「それに今日の野菜はオクトさんちの畑のだよね」
「そんな事も分かるの?」
「うん、オクトさんって野菜育てるときに他のところと違う肥料を使っていて、野菜が凄く喜ぶんだ。凄く丁寧な人だね」
にっこり笑ったシンは本当に幸せそうだ。
この少年がまさかこの国の軍に所属し特殊な能力、コエケシ(記憶消し)で国の闇に葬った情報を頭に詰め込んでいた、と話されてもきっと信じてもらえないだろう。
彼は国家機密をその頭脳に記憶し保有し続ける。
脱走したからといってその記憶はなくならないのだ。
彼は何かしらの記憶を食べて生きている。それは物質ではなく人々のコエを糧にする。沢山の人の思い出をその手にかけ後悔に苛まれていた彼が今は幸せそうに食事するのは他でもない、オリビアのおかげだ。
彼女の手は植物に潜む成長過程を浮き上がらせてシンに読ませることが出来るのだ。
「あ、そういえば今日はどうするの?」
「仕事?」
「うん。シンはサイモンさんの診療の手伝いをするの?」
オリビアにいわれて今まさに口に入れようとしていたにんじんを止める。
「いや、昨日のうちに施術方法は伝えておいたから大丈夫」
にっこり笑っておいしそうににんじんを食べ始めたシンは、誰がなんと言おうとも『ドジ』だった。彼が医療技術の知識者でも、畑仕事が得意でも、誰も知らないような計算術が解けたとしても!
「実際にするのはサイモン医師だしぃ何も無いよ。何か手伝う事がある?」
この村の病院を運営するサイモンに急病の患者に対する施術を指示しておいた。
ただ、治療を施したり調合する事に関しては何故か触らせてもらえないなぁと暢気にシンは感じていた。
「うん、手伝いと言うか…おばあちゃんに会いに行くの」
「本当のおばあちゃん?」
オリビアは首を振った。
「この村の長老様だよ…能力は持っていない人だけど凄く知識のある方だから、今日はお話を聞きに行く予定」
「面白そうだな、僕もいっていいの?」
「うん、会わせておいた方がいいと思うし」
※ ※ ※
オリビアの提案に乗ったシンは朝食を終えると彼女と一緒に広場を歩いた。
たいして大きすぎる村ではないのに放射線状に伸びた主要な道以外の小路は複雑に入り組んでいて、初めて通る道は何か目印を見つけながらではないと戻れなくなっていた。シンはこの道にかなり悩まされた。よく迷子になってしまい村人に道を聞く羽目になる。
ただ歩くと増築を繰り返し膨れ上がった家々をカバーするように道が出来ていると感じるだろう。
しかし、秩序ある村の中でそれは無秩序を作り上げている。何かあったときに、天然の迷路は彼らを守るだろう。全てはこの村の高い塀と同じだ。建物さえも敵を惑わす要塞。
ある時は人がぎりぎり通るのが精一杯の道を抜けたりしながらくねくねと歩き村の中で西にあたる壁が見えてきた。
ここは村の正門とは真逆にある。
「まだかかるの?」
「ううん、もうついたよ」
通ってきた道が分からなくなってきていたのでシンは安心した。
オリビアが立ったのは少し色が落ちた年季の入った扉が有る家だった。玄関の所に小さな木の板が立てかけてある。そこには元々は綺麗な細工があったことを思わせる文字が浮かんでいた。
『アドロア』
どういう意味があるのだろう。
シンの目線に気付いてオリビアが教えてくれた。
「おばあちゃん、裁縫が得意で洋服作ってくれてたの。アドロアおばあちゃんの洋服店っていう意味」
「へぇ、看板なんだね」
「うん。名前があれば村人は何してる家か知ってるからね」
話しながらもオリビアは扉の横を鳴らした。
少し時間が空いてひょこっと女の子が顔を出した。まだ7歳くらいの彼女はオリビアとシンをみとめると大きく扉を開いた。
「おはよう、フローレット。おばあちゃんは起きてるかな?」
「おはよぉ。おばあちゃん待ってるよ」
少しシンを気にしながらはにかんだフローレットは部屋の奥を指差した。
「お邪魔します」
オリビアはここに通うことに慣れてるのかそのまま、すたすたと入っていく。
シンはその後ろを追いかける。フローレットと目が合いシンはにっこり微笑みかけた。一気にフローレットの顔が耳まで赤くなる。
彼女とは病院の手伝いのときに隣りの学校とつながる庭で会った事がある。いつも恥ずかしそうに隠れている子だ。
玄関から進むと間口は小さいが二階に生活スペースがあるらしく大きな階段があった。しかし階段の隣りに扉がありそこにオリビアが入っていく。
「おばあちゃん、おはよう」
オリビアは本当の孫のようにして声をかけている。
シンは少し遅れて部屋に踏み入れた。
安楽椅子に座っていた老女にオリビアは歩み寄っていた。彼女こそアドロアさんだろう。もう既に八十年は生きていそうだった。
本当は赤毛の髪はほとんど白に近いそれをひとつにまとめている。足の上には暖かそうなキルトのひざ掛けがのっていた。
「おはようございます。あと、お邪魔してます…」
シンはオリビアの近くまで行くとアドロアに挨拶した。
「おばあちゃん、この村に新しく来たシン・ナカムラだよ。歳は私と同じなの、今日は一緒に話を聞いていくからね」
「はじめまして、よろしくお願いします」
紹介されたシンをアドロアのビロード色の瞳が見上げる。
急に言いようの無い既視感を覚える。普段から沢山の記憶を持つシンにはよくある事だが、今日は一段と強く感じるのだ。
でもなにか触れていけない物に近づいてしまったような感覚もある。
「はい、よろしくね」
ゆっくりと返された言葉はどこまでも優しい。
生きてきた年月をきちんと刻み込んだ顔がじっとシンを見つめた後、そっとアドロアの手のひらが上がった。
自分の手を要求されている事に気付きアドロアの手のひらをシンは、そっと両手で包んだ。
「―――!?」
その瞬間にシンは自身がガクンと揺らされるのを感じた。
いけない、と精一杯のブレーキをかけたが間に合わない。急速にシンの意識が突如内部で生じた渦の中に引きずられていく。
嫌だ、僕は行きたくないんだ。知りたくないんだ、やめてくれ。
※残酷な表現ありを選んでますが、念のためになるともいます。