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三話 言付け

 (おおよ)八日振(ようかぶ)りに自分の意思で体を動かしたからなのもあったのだろう。ある程度造りを理解している筈なのに、全く知らない扇堂家の屋敷内。自分がいま何処にいるのかさえ分からない不安だってあったはずだ。

 ほんの少し時間を置いて、落ち着いて考えてみれば何となく。まぁ、生きていれば一度や二度そんな経験があっても何ら可笑しくないのかもしれないと思えて、きて。

 何も泣いてしまうような事でもなかったじゃないか、と。それ以外の理由から逃げるように、一度目を(つむ)る。少なからず自覚を抱きつつも、どんなきっかけであっても向かい合う覚悟はまだ無く。

「……、」

 どこか他人事(ひとごと)のように目を逸らし、それから弥代は彼を見た。

 先ほどまで弥代が身に纏っていた湿(しめ)り気を帯びた夜着を、何の躊躇もなく水を張った桶にくゆらせては、手で揉み込むようにして彼はそれを洗っていた。

 自分のものではない、自分が汚したわけでもない物を、嫌な表情一つ浮かべることなく。どちらかといえばこの状況を楽しんでいるようにさえ、そんな風に弥代の目には映った。

 物好きなお節介で、世話焼きのただのお人好しのような男。

 あれはいつだったか、損な役回りを自ら率先(そっせん)して買う、(とく)になり()ないと分かっていても構いはしない。人当たりの良さそうな笑みを浮かべて、相手が誰であろうと大差なく接するその振る舞いが見ているだけでも得意ではなく。邪険に扱う事さえあったような気もするが、今はそんな風には感じない。自分が蚊帳(かや)の外ではないから、だろうか?

 彼のお節介を直接享受(きょうじゅ)する、それに甘んじている立場になって初めて、思っていたよりも悪い物でないじゃないかと、そんな事を考えてしまう。

 だから、

「慣れてるね、随分と。」

 少しでも見てしまいそうになる、それに蓋をする。

 無意識に、それを何重にも重ねていく。

 

 どこから持ってきたのかも分からない、似た肌触りの夜着に袖を(とお)して暫く経つ弥代は、縁側に浅く腰掛けて、ぶらりぶらりと軽く足を揺らしながら、やっと自分の意思で相良に声を掛けてみた。

「そう、ですね。伽々里(彼女)がやって来てからは任せっきりになる事が多かったですが、それまでは私が(こな)してばかりでしたので、体が覚えている……身に()みついているのでしょうね、きっと。」

「飯だけは駄目駄目だって、前に愚痴ってたよ?」

「足元にも及びませんね、それは。」

 彼の口振りは軽く。

 しかし軽いのは何も口振りだけでなく行動にもやはり反映されていた。先も、そうであった。

 転んだまま床に突っ伏した、突然の出来事に思考が働かずに茫然と。そこから自分の意思で何も行動を起こせずにいる、(なか)ば放心状態の弥代の手を取って立ち上がらせ、軽く手を引いたのは紛れもない、相良()だ。

 それから数言(すうこと)、言葉を()わす内に、彼が自分の様子を見る為に夜半(やはん)、弥代のいる部屋を目指していた事を弥代は聞かされた。

「朝の内に屋敷(此方)まで足は運んでいたのですが、少々話が長引いてしまいまして。

 寝ている、と女中の方々には止められはしましたが、こうしてお話が出来て、御顔を見る事が出来て良かったです。」

「ふーん……、」

 八日(ようか)が経つ。

 此度(こたび)扇堂家の屋敷へと、扇堂家の当主に話があると呼び出しを受け、わざわざ足を運ぶ事となったという相良だが、どの様な話が行われたのかに関しては一切触れる事なく、弥代の調子を気遣う言葉が選ばれた様に感じる話し方であった。

 昼時の戸鞠からの言葉があったものだから、いつあの日の事を追求するような言葉が飛んでくるものかと、やはり肝を冷やしていたが、また幾度か言葉を(まじ)える内に、相手にそのような気は恐らくないだろう事を弥代は察する。察したかった、だけかもしれないが。

 極力、思い出さないように(つと)めている、自分がいる。

 思い出しそうとすればそれで歯止めを失い、今回に限った話ではなく、今まで溜めに溜め込んできたモノも一気に吐き出してしまいそうに感じれて。

 平生(へいぜい)を、どうにか(よそお)おうとする。

 これまでとはどこか違う、息苦しさに襲われる。

 (うしろ)めたさや後悔で、いつまでもウジウジと前に進めなくなってしまった時の感覚とは、根本から何もかも違うような。

 吐き出さないように、思い(とど)めて封をして。内に溜め込んで、何か必死に(よそお)おうとするかのような。

「終わりましたよ。」

 いつの間にか彼は目の前に立っていた。

 湿った夜着を洗うのに使っていた筈の桶も、もうその場にはなく。裾を捲った腕にまだ濡れたままのそれを掛けて、何食わぬ顔で弥代の前に立つ。

「…………ぁあ、」

 厚みのある硝子板越しの、自分と似たような深い赤を持つ瞳が、どうしてか今になって細まる。

 自分が寝るのに過ごしていた広間の、一日中開け放たれたままの縁側に浅く腰掛け、向かいの建物の屋根までの間に広がる夜空。そこに浮かぶ欠けた月と、思わず交互に彼を見てしまう。

「……何だよ、相良さん?」

 随分とまあ、言いたい事だらけで言葉を詰まらせているような顔だ。止めてくれと言ったところでそのお喋りな口を普段閉ざすような事がない、自分の知識をひけらかす事が多い彼だからこそ、言葉にしないその姿勢に違和感を覚える。

「言いてぇ事あんなら、言ってくれなきゃ分からねぇよ。」

 弥代は相良ほど頭はキレない。身の回りでも相良以上に弁の立つ地頭が良い相手は知らない。何人かそうかもしれないと浮かぶ相手はいても、彼の様に直接関わったこともなければ、関わった時間があまりにも短い。

 相良と直接関わりを持つようになったのだって言ってしまえば最近の話ではあるが、この男は自分よりも多くの事を知っている。そんなのは分かりきった話だ。

 弥代が分からないことを、相良は知っている。自分よりも頭のキレる相手の言わんとしている事を汲むなんて事は弥代だけじゃない、誰だってきっと出来ない事だ。

「俺、そんな頭良くねぇからさ。」

 ポツリ、一言。

 (こぼ)れ出た、無意識に出た言葉に、しかし直ぐに一緒になって浮かぶものがあって。

 しまった、と思った時にはもう遅い。いつの間にかしっかり閉めていた筈の蓋が、触れてもいないのに不運にも開いてしまっていて。

 ポタリ、ポタリと着替えてからまだ半刻も経っていない筈の夜着を、その裾を濡らす。

 抑えようと、止めようと目元を手で覆っても意味はない。頬を伝い落ちる事がなくなっただけで、袖先をただ濡らすだけ。ただ目の前の彼に泣き顔を見られずに済むというだけ、で。

「弥代さん、」

 上背のある彼が、縁側に腰掛ける弥代に声を掛けるとなればそれは上から声が降ってくるはずなのに、その声はどうしてだか俯く、弥代の頭部よりも少し低い場所からくぐもったように聞こえてきた。

 ぽんぽん、と背中に回った腕が弥代を軽く叩く。

 その感覚を味わうのは今日で二度目だ。

 似ているとかではない。そのまま背を(さす)る掌の、そこから伝わってくる温もりが全く同じように感じれて。

「今宵は、どうぞ好きなだけ泣いてください。」

 なんだかそれは、いつ見たのかまでは覚えてはいないがこの里で見掛けた、中々泣き止まない赤子を抱き(かか)えて、寝付くまで辛抱強くあやしている親の姿にどことなく似ていて。

「誰も咎めたりはしません。」 

 強く握りしめた掌を、一本一本優しく解かれる。

「今、この時ばかりは……どうか、」

 厚みのある、温もりの途絶える事のないそこに爪を立てて。

 弥代は、ただ泣いた。






 蒙霧升降(ふかききりまとう)風知草(かぜちぐさ) 三話






 おはようございます、と(ほが)らかに声を掛けてくる男の表情には、昨晩の自分が見せた醜態に対する物は微塵も感じれない。

 じゃぁ廊下や着ていた夜着を濡らしてしまった事も、それら全て引っくるめて全部が全部、夢であったんじゃないか?と自分都合のいい事を考えながら上体を起こしてみると、一晩袖を通していたというのに夜着はあまり汗臭くなかった。

「……えっと、」

 昨日の事を思い出す。

 寝起きに直ぐに巴月(はづき)が動いてから、水の張った桶が持ってこられ着ていた服を剥かれ、と。その段階で手早く新しい着替えが用意されており、夜半(やはん)に掻いたであろう汗は全身隅々まで(ぬぐ)われた。

 八日間、目を覚さない時にも日に一度は必ず女中の誰かしらが弥代の体を拭いて、着替えを済ませてと。最低二人でそれをしていたのだと若葉の口から聞かされていたものだから、もしかして今日はそれをもうされたから体がベタベタしないし、夜着も汗臭くないんじゃないだろうか、なんて。

 そういう事にしておこうなんて考えながら、自分の脇に控えている相良とチラリ目を合わせれば、

「喉は乾いておりませんか?」

 一見すると急須(きゅうす)のような形をしたそれを、両手に緩く掲げられる。

 それは、遠回しながらも昨晩あったのは夢でも何でもないぞ、と言われてもいないのに釘を刺されているような気がして。

「……とりあえず、(かわや)に行きてぇんだけど。」

 二度目は勘弁だ。



 なんか長屋みてぇだな、と弥代はそんな事を考えた。

 二、三個同じ造りの物が横に並んだ、一番手前の右端から出てきて戸を閉めて、まじまじと簡素な小屋を見つめる。簡素とは言っても長屋横丁の奥に位置しているオンボロと比較してしまえば立派なモノだ。

 扇堂家の屋敷には十や二十ではなく、その十倍以上の者が働いているとかなんとか。前に雪那がウロ覚え混じりにそんな事を言っていた気がしたが、はたしてこの数でいざという時は足りるのか?などと余計な事を考えてしまう。

 ともあれ、別に限界というわけではなかったが微妙に溜まっていた尿意に無事別れを告げて、弥代はそれでやっと相良が用意していた水に口をつけた。

 急須なんてモノは茶を注ぐのに使うのが当たり前だと思っていたものだから、こんな風につかう事があるなんて知らなかったと何となしに弥代が(こぼ)せば、どうしてだか一瞬だけ相良は可哀想な物を見るような顔をしたが、直ぐに穏やかな表情に戻っていた。

 渡されて自分で口を付けて飲んだ、その細い飲み口を見つめながら、まぁこれしか思い至る物はないんだけどな、と知れず間違えた事を言ったのだろう予測が立つ。

「…………。」

 空になったソレを相良に戻す。

 そうして肩を並べて、中庭から廊下へと上がった。


「私もあまり屋敷の西側の構造には明るくないのですが、暫く弥代さんが過ごしてらっしゃるあの()は、女中の方々が集まられて食事をしたり、人数が多いですので招集があった際に使われる場所、だそうですよ。」

「へぇ……?」

 女中だけで確か二百人はくだらない。普段は八畳程の決して広くはない部屋に多くて十二人が雑魚寝をするようにして過ごしているという女中連中だが、夏場はそれが耐えられずに風通しのいい広間に、隣の者を気にせずに心置きなく寝る事が出来る日があるのだとか。

「……、」

 丁度今が夏場であるとか、陽が沈んだって夜通し蒸し暑さを覚えるような季節だな、とか。個人的なそういうのもあった上での昨日の自分への態度もあったのではないかと、そんな事を考えながら弥代は小さく(かぶり)を振るった。考えるだけきっと意味はない。

「それで……、えっと何だっけ?神鳴(かみなり)さんと(つぐみ)さんが来るんだっけ?」

「えぇ、そうです。弥代さんが目を覚されたらと、昨日仰っておりまして。明け方にお伝えした所、なるべく早くお話をされたいとの事でしたので。

 先ずは部屋に戻られましたら、身なりを少々整えましょうか?」

「う……うん?」

 疑問を抱くべきなのか、そのまま享受するべきなのか難しいところである。

 今の自分はどういうわけか相良に世話を焼かれている、面倒を見られているといった状況に違いないのだろうが、あまりにも違和感がない。

 討伐屋の主人である春原に対し世話を焼いている時よりも、その表情はにこやかなもので。それが今は春原ではなく自分に向けられているというだけなのだろうが、どうして急に彼は自分に対してそんな事をするようになったのかまるで検討がつかない。

(ツッコんだ方が、良いのか?)

 水をくれたのもそうだし、厠の場所へと案内してくれたのもそう。中庭に降りるのに草履を持ってきたのだって、厠から出てきて水で軽く手を濡らした弥代に乾いた手拭いを渡してきたのだって、全部が全部間違いなくそうだ。

 昨晩の事を事細かに覚えているわけではないし、泣き始めて彼の肩口に縋りついて以降は曖昧だ。もしかしたら自分が覚えてないだけで彼に何かそういうアレを頼むような事があったのかもしれない、と。

 誰かに世話を焼かれた事があまりこれまでないものだから少々鬱陶しく感じつつも、彼はきっと春原に接する同様に善意か何かで自分に接してくれているのだろうと、そう片を付けて。

 そういえば春原と館林もあの日あの場にいた事を思い出して、何となく相良にその事を弥代は(たず)ねてみた。

「では、古峯のお二人との約束が終わりましたら、様子を見に行きましょう。」

「……うん。」

 自分はそれほど喋っていないような気がした。






 薄手の着流しを纏う。

 植物から作られたという生地は裏地もなく、肌触りも()い為に夏場は重宝(ちょうほう)されるという。

 そんな事ぐらい流石の弥代だって知ってはいるが、里で呉服屋で触れさせてもらった反物(たんもの)、そこから仕立ててもらった物と、用意されて今袖を通した物では何だか質がまるで違う。

 思えば雪那の誘いであったが、屋敷が贔屓にしているという呉服屋が弥代の要望に沿って仕立ててくれた品は造りが頑丈であったし、ちょっとやそっとで穴が空いてしまうという事もなかった。

上布(じょうふ)の着物でしょう。」

 着流しとなると丈が余り、引き摺ってしまう事が常の弥代であるが、まるで自分の為に(あつら)えられたかのようにピッタリだ。

 それでも帯を腰に巻けば、それで(くるぶし)の出っ張りが覗く程度で。いつの間にか背後に立っていた相良の手には、着流しとは対照的な、随分と濃ゆい色をした羽織が掛けられていて、それを弥代の肩にふわりと羽織らせた。

「よく、お似合いで。」

「…………。」

 枕元に小さく折り畳まれていた、やはり所々(ほつ)れたり見栄えのよろしくない赤い髪結紐を手に取る。

 昨晩よりは十分に動かしやすくなった体で、慣れた手つきで伸びた襟足を首の丁度真ん中らへんで一つに結ぶ。

「気に(さわ)りましたか?」

「別に……構いやしねぇよ、そんな事。」

 気を引き締めるようと強く、結び目の上からキツく絞る。

 部屋に戻ってきてからだろう、先ほどまであったゆとりが途端に感じられなくなる。何故だろう、なんてそんなの理由は分かりきっていて。畳の上に腰を下ろすのに、いつも通りの胡座(あぐら)はどうにも居心地が悪く、横目に見る相良がするのと同じに膝を折る。

「慣れない事はしない方が賢明ですよ。」

 そうだ、慣れない事をしたって意味はない。そんなの一々言われなくたって分かっている。でもこの場で彼を真似るのはきっと……、

「お出ましですよ。」

 耳打ちをされる。

 傾いていた背を正して、廊下に繋がる襖の方へ目線を送るも、だが一向に襖は開く気配はない。

「こ……()ねぇじゃん?」

「弥代さん、違います。後ろですよ、後ろ。」

「う、後ろぉ?」

 しっかりと肩を叩かれて振り向くように促されて、弥代は後ろを向いた。と言っても、後ろには開け放たれた襖と縁側。外には庭が広がっているぐらいで。

 揶揄(からか)ってるのか?と口を開こうとした弥代だが、だがその言葉が出てくることはなかった。

 それは誰もいなかった筈の中庭に、空から降り立つ存在がいたからだ。



「ど…………っ、」

 どんな(あらわ)れ方してんだよ、というツッコミは飲み込んだ。口を突いて出てしまわぬようにしっかりと飲み干して、頑張って構えた筈の心構えが大きく崩れてしまったかのように肩の力が抜ける。

 弥代が動けずにいる一方で、相良は立ち上がり縁側の方へ移動し、中庭に姿を見せた二人を招き入れようとしていた。

「お加減はいかがでしょうか、弥代様?」

「……邪魔をする。」

「それでは私はお茶を用意しましょう。」

 部屋に上がってくるなり二人は好きに動くし、自分の側にいた男は一旦席を外すと言って、茶の用意に部屋を出る。

 お前がそこから出るのかよっ⁉︎なんて、言いたかったのをどうにか我慢して、兄の手を借りながら自分の目の前にやって来た鶫の、柔らかい手に触れる。

「別に……大した怪我じゃないから大丈夫だよ鶫さん。」

八日(ようか)もの間、目を覚まされなったというのにですか?」

「それは……、」

 だが、どう返したものか。

 昨日自分の容態を見てくれた伽々里から言葉を預かったのだという相良曰く、目立った傷が残っているという事もなく、元来の怪我の治りの早さがあってから塞がっているので気にする必要はないとの事。

 弥代の意識が戻らない間も日に一度、必ず具合を()に訪れていた彼女からは、二日目の段階で傷は見当たらなくなっていたから問題はないと言われたそうだ。

 伽々里(彼女)の立場や、古峯の二人もまた人ならざる存在、大きく(くく)ってしまえば自分と同じ存在だというのに、聞かされていないのか?と疑問を抱くのだが、宣告通り茶の用意をして部屋へと戻ってきた相良の口から答えが出てくる。

「御二方は伽々里(彼女)の事があまりお好きではないようでして。」

「大いなる御方であるのは存じておりますが、母という存在は私共(わたくしども)兄妹にはそれほど必要な存在ではない(ゆえ)。」

(おれ)には鶫がいれば、それだけで構わない。」

「……いや、どういうわけだよ?」

 流石にこれはツッコまずにはいられなかった。

 弥代の知る伽々里という女は薬師であり、人ではなく本当は白い蛇の姿をした存在で、本来妖や人ならざる存在を退治するような生業(なりわい)をしている春原討伐屋に身を置き、母の様に振る舞うというだけの存在であり、神鳴の言葉の意味を理解するのは元より至難の(わざ)である事を理解しているから諦めているとして、鶫の方から出てきた“大いなる御方”という、その言葉が意味する処が全く理解できない。

「まぁ、その話はまた(いず)れ時間のある時にしましょうか。」

 置いてけぼりを喰らう。

 彼女と親密な関係であると疑う余地がまるでないような男が彼女の真の正体を知らぬわけがない。古峯のふたりの口振りで後になって知らぬなど通るわけもなく。であればこの場において彼女の正体を知らぬのは弥代だけとなるのだが、(いず)れなどと言われてしまえばそれでこの話は一旦(しま)いにするべきなのだろう。弥代は素直にその言葉に従う姿勢を見せた。



「それでは、本題に移りましょう。」

 コトリ、盆を置く。

 向かい合うようにして二人ずつが腰を()える。といっても半歩程弥代の後ろに下がる形の相良だが、話を切り出すのも相良自身であった。

「よろしいのですか、相良殿?

 先もお伝えしました通り、これより続きを聞かれるという事は無関係を装う事は難しくなりますが?」

「承知の上です。

 お聞かせ願えますか、鶫様。」

「それでは……、」

 コホン、咳払いを一つ。

 そうして古峯の(ぬえ)は弥代を見据え、口を開いた。


「先ず初めに、弥代様。

 此度(こたび)の件に関しまして、お姉様について私共(わたくしども)兄妹は謝る事が出来ません。あれらは全て、これまで彼女が冒してきた罪により罰せられただけに過ぎませぬ。亡き今におかれましても、お姉様のされた事に対して、それらを容認してしまう様な事は、あってはならぬのです。」

「…………は?」

 相良は裾を引いた。

 無意識であろう、腰が浮きそうになる弥代の裾を強く引く。羽織だけでなく、下の着流しそのものを掴むように、強く。

「弥代さん、」

「いや……っ、な……?は?何言って……?」

 声は震えている。顔を見ずとも非道い有様であるのだろう。昨日、扇堂杷勿(はな)を交えての場で、妹君の口から語られたあの晩の詳細にもあった、弥代の様子というものを思い出してしまう。

 裾を引くぐらいでこれは収まってくれはしないかもしれないと、考えを改めた相良の動きは早いものであった。迷うことなく、弥代の左肩に膝を掛けて、その体を前に倒す。抵抗がなかったわけではない、当然あった。しかし冷静さの欠けた、正常に頭の働かなくなった相手の行動などあまりに単純で、まだ内側の骨が完治したわけではない相良であってもそれを制する事は容易であった。

「弥代さん、落ち着きさない。」

「落ち、着く……?こんな……っ、こんなの落ち着いてられるかっ‼︎なっ、何で死んだ奴の事を、身内の事をそんな風に言われなきゃいけねぇんだよっ⁉︎」

 発せられる言葉が次第に、怒気を含んでいくのが分かる。が、止める手立てがないわけではない。自分が同じだけ、いつぞやの晩の様に大きな声を出せばそれで、それで一時的に弥代は冷静さを取り戻す事が出来るだろう。分かっていて今の相良がそれをしないのは別に目的があってこの場に居合わせているからだ。

 弥代が冷静さを欠いて行動に移る、それが自分の言葉ではなく相手の、古峯の妹君の言葉の何を持ってして落ち着きを見せるのかが、それが知りたかった。

 弥代が暴れることなど最初から分かっていたことだ。

 それでも実際にその手が及んでしまわぬように押し止める。弥代個人に対して思惑があって接しているのは何も自分だけではない。正面で取り乱す事なく、弥代が再び耳を傾けるのを待っている古峯の二人だってそうに違いない。でなければこんなに未熟で何も持たない存在をそこまで目に掛ける理由が見つからない。

「貴女の姉君が決して許されぬ罪を冒した。長年償うことがなかったそれを償わされた。それの何に憤る必要があるというのですか?」

「――ッ!」

 二度も伝える必要はなかったろう。だが事実を改めて伝える。弥代が自身の身内と呼称する、鶫の口より語られる弥代の姉という存在が何であるか、相良だってわかっている。

 身近に存在する、蛇神である彼女さえも里でそれと関わる事を出来る限り避けてきた、常に警戒すべき相手であると耳にタコができるぐらい聞いた話だ。

 彼女がそれを恐れる理由も、古峯の二人がそれを良しとしない理由も。けれども、弥代はそれを一切しらない。何故自分が身内として懐に入れていた相手が、そうまでして受け入れられないのか、を。

 知らぬ自分が、事情を知らないであろう相手の言葉でそれを伝える。

「その者を(ほふ)らねばならない理由が、私や貴女が知らぬ事情があちらにはあったのでしょう、理解なさい。」

「理解する必要が俺にはねぇんだよっ‼︎何が、あってはならぬのです、だ?ふざけてんじゃねぇぞ‼︎」

 このままであればこちらにまで牙を()きかねない、否、既に敵として捉えられているかのように鋭くこちらを弥代は睨みつけている。そのあまりにも愚かすぎる反応を前に、一つ相良の中で答えが出た。

「弥代さん、」

 この場を一旦中断せねばならぬかもしれないと、わざわざ此処まで足を運んでくれた二人に心の中で相良は謝罪を送ったが、それは意味が無くなった。

「話は終わってなどおらん。最後まで聴け、弥代。」

 雷神が動いた。

 後ろから体重を掛けるように、ただ弥代が暴れぬように押さえつける相良とは逆に、畳の目に額を擦り付けて吠える弥代の、その前髪を掴んだのだ。

 思わず、相良は首に繋がる背骨への圧を緩めた。そして驚きを隠せぬまま、全く予想をしていなかった展開に目を白黒させながら、その光景を静かに見守った。

「貴様は(おれ)に言ったな、同じである、と。

 身内を、家族を名乗ったのならその責任を()え。守る事ばかりが全てではない筈だ。」

 その言葉に、息を呑んだのは恐らく、言った当人を除いた全員であったろう。自分だけではなく、彼と直接目を合わせる弥代も、これまで微塵も表情を崩すことのなかった鶫ですら全員が似た反応を示した。

 誰一人として、彼がその様な行動を取るとは思っていなかった故の反応だろう。そしてそれを皮切りに、弥代は強張っていた体を元に戻した。

 力を抜いてペタンと座り込む。大人に叱られて落ち込む幼子のまんまそれだ。

 鶫の見せた反応からも、もしかすれば弥代と神鳴の二者しか知らぬやり取りが何かあったのかもしれない。が、あまりにも意外な光景であった事に変わりはない。

 早とちりをして動いてしまわずに良かった。

「申し訳ございません兄様。鶫が言葉をもっと選んでいれば、この様にお手を煩わせる事は……、」

()い。我慢ならなかった(おれ)が悪い。」

 黙ったままの弥代を余所(よそ)に、兄妹が言葉を交わす。

 弥代に掛けていた体重を全て止めて、相良は元々座っていた場所に腰を落ち着かせた。はたして、本当にこれでいいのかは分からない。

「弥代、様。」

 神鳴は既に弥代の髪を掴んでいない。動きはゆっくりしたものであったがバツが悪そうに姿勢を正す弥代は、それでも鶫に呼ばれ反応をしっかりと返した。

「ごめん……、取り乱した。」

「いいえ、先に兄にも言いました通り、(わたくし)がもっと言葉を選べばこの様な事は起こり得ませんでしたでしょう。配慮が足らず、申し訳ございません。」

「けど、謝れねぇんだろ?」

「はい。謝るという事はお姉様が冒した罪そのものを私共は(ゆる)してしまう事となります。それは、出来かねます。」

「……そっか」

 落ち着きを取り戻して尚、気にするのはそこであるのかと、そんな感想を抱きつつ、それでも相良は見届けるように(たたず)まいを正す。

「それでは、これより私共(わたくしども)の師からの事付けを、お伝えします。」






『知りたいと、そう望むのであれば私を追えばいい。

 しかし覚悟がないのならば、何があっても追ってくるな。』

 それは、何とも味気(あじけ)のない伝言であった。

 が、先ほどの言葉足らずが招いた結果を踏まえてだろうか、鶫はあくまでこれは自身の見解であるが、と前置きを挟んだ(のち)、補足するように預かった言葉を(いろど)ってみせた。

「師は昔から、言葉数の少ない方でした。

 私共兄妹も出会って間もない頃は言葉の全てを汲むのにとても苦戦したものです。

 その経験に(もと)づき先の言葉を起こしてみます、と。

 

 西の鬼が何をして、此度罰せられる事となったのか。

 それを知る覚悟があるのなら追ってきても構わない、と。そんなところでしょうね。」

「…………いや、何も分からねぇよ?」

 補足が加えられたところで、それが何を意味しているかを弥代は分からない。

「そもそも、追っていいって言われたって、どこにその……オタクらの師がいるのかも俺、分かんねぇし。」

 あわよくば答えを教えてもらえないものかと、そんな甘い事を考えながら弥代は二人を見るが、(にこや)かな笑みを浮かべるばかりの妹に、興味がなさそうに目を(つむ)る兄は、弥代の望む答えはくれそうにない。

「それは恐らく、旧国(きゅうこく)に棲まうとされる、鬼神(きしん)で間違いはないでしょう。」

 先の事もあり強く出る事が出来ぬまま、(うつむ)き膝上で握りしめた拳をジッと見つめていると、左後ろに控えていた男が口を開いた。

「……きゅ、きゅう……こく?」

 聞き馴染みのない言葉を、それでも聞き取れた部分だけ(おと)を繰り返してみて、弥代は振り返った。

 そこには結局何がしたくてこの場にいるのか、その目的がはっきりせぬまま同席をしている、今しがたのやりとりの中では誰よりも早く自分を止めてくれた相良がおり、何だか知った調子の顔をして弥代と目を合わせる。

(わたくし)が昨日、大主様に呼ばれてお二人の話をお聞きした時点でも、憶測は立てておりました。

 お二人がこちらにお越しになられる前に、弥代さんと交わした言葉の中に、炎を直接その身に纏ったかのような鮮やかな赤い髪、と。そう、仰られておりましたね。」

「ぇ?」

 そうだっただろうか?弥代はそんな事をそもそも相良から聞かれた覚えは全くないのだが、妙に自信ありげにそんな事を言い切られるものだから、少しだけ空気を読んで頷いてしまう。

「えっと……そ、そう?だった……な?」

「えぇ、そうです。何より古峯の地を治めし神鳴様や、その妹君であられる鶫様が師として崇める存在です。そんじょそこらの妖であるというのはあまりに考え(がた)い。 神鳴様が自在に操る事が出来るという雷。それもまたかの鬼神より(たまわ)ったものではございませぬか?

 そして、弥代さんが見たという最もたる象徴とも呼べよう角。決めつけるのは早急でしたでしょうか?しかし私の知る限りこれらの条件が当て嵌まる方は、旧国に棲まう鬼神以外おりません。

 弥代さんに追う覚悟があるのなら、旧国まで足を運べ、と。そういう事ではございませんでしょうか、御二方?」

 名指された二人を、弥代は見遣る。

 そして、

「人間であられる事が大変惜しい御方ですね、相良殿。」

「鶫の目はやはり信じられる。」

 それが、何を意味するのかを弥代は改めて考えさせられる。だがそれにはまだ、まだ時間が掛かる。

 これはそんなに簡単に決める事が出来る話では、ないのだから。

 

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