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十一話 夢

 力を込めて押し付けた分だけぐにゃり形の崩れた筆先が、じんわり墨を含んでいくのを弥代はジッと見つめていた。

 水っ気のまるでない、固まった筆先が徐々に墨を含むと本来の(やわ)らかさ取り戻したかのよう。目を()らして見てみれば、細い毛をまとめて縛るか何かして作られたのだろう筆先で、一本一本が黒く染まっていく速さが(まった)く異なる。

 それを面白いと見るか、もしくはおかしなものだと見るかは間違いなく弥代の自由で。けれども、ただ次の手順を教えてもらうまでの(あいだ)の、ほんのちょっとの暇つぶしでしかないのだから何も、それほどまでに答えを出さなくてもいいなんてのは、弥代自身が誰よりも分かっていて。

「――そうだねぇ。まぁこの里はここいらでも大きい場所ではあるから、中には里で生まれ育って、一度も里の外へ出ることなくなんて人も中にはいるんじゃないかなぁ?」

 右手で物を持つ者が多い中、弥代がどうにも右で扱うのが苦手だ。

 机上に細々(こまごま)とした、使い方も名前も分からない字を書くのに使う道具が散らかっている中、コツンと筆を持つ左側の(ひじ)が何やら硬いものに当たり、そうしてそちらに目を遣ると自分よりも見た目も背丈も小さい子らが、所狭(ところぜま)しに肩を寄せ合って前を向き、耳を立てている。

 何か、とそれをそのまま目で追えば、横長机のちょっと先に脚の短い腰掛けに座り込んだ、随分と派手な寝癖頭に鼻筋にこじんまりとした目器を掛けた男が、何やら本を手元に広げて話していた。

 男の名前は佐々木利吉(りきち)といい、確か榊扇の里の東門通りの近くの寺子屋で子どもらに教えを説く先生、であったはずだ。

 その姿を視界に収めて、それからやっと、自分はこの男に次の手順を教えてもらう筈だったんだ、という事を弥代は思い出した。

 しかし彼は、弥代を見ることはないまま目の前の子らを相手に喋るのを止めることはしない。

 此方(こちら)に気付いていないとかでは決してないんだろう為に、順番待ちの気持ちを味わう。それは仕方のないことだ、だってこの寺子屋はわざわざ長屋の壁を二、三部屋分取っ払って、それで部屋いっぱいいっぱいに横長机を敷き詰めて、両手両足の指じゃどうしたって数え切れない、三人集まってやっとおつりが来るような、そんな数の子ども達がひしめき合っているのだ。

 子ども達同士で、互いに互いの知らぬことを(おぎな)い合うように教えあったりと、大人の真似事をしたりもするそうなのだが、それでもこの寺子屋において、大人と呼べる相手は、先生と呼ばれる存在は一人しか居らず、彼は引っ張りだこの人気者だ。

 前から世話になっているわけではない、ぽっと出のいきなり他所からやって来た自分なんかが、そんな貴重な存在である彼を一人占めなんて出来る資格があるわけもなく。向こうの話が終わるまで気ままに待ってみよう、と。そんな事を考えて姿勢を崩した。

 そして、今しがた自分が聞き拾えた話について目を(つむ)り考える。

 榊扇(さかきおうぎ)の里というのは、本当に大きな、広い里だ。

 里の北には、大山と呼ばれるその名の通り大きな山が(そんな理由でそう呼ばれているかまでは分からないのだが)あり、その(ふもと)の部分には弥代の数少ない友人である雪那の生家である扇堂家の屋敷があって。二里四方(にりしほう)の里の南の端は、五街道の中でも一番有名らしい東海道を跨いだその先、海まで続くという。

 東の馬入川(ばにゅうがわ)と西の酒匂川(さかわがわ)に挟まれ、歩き慣れた商人であれば半日と()たずに南東門から南西門まで抜けることが出来るなんて聞いたことがあるが、扇堂家の屋敷から海までも同じぐらい時間が掛かるそうなので、縦にも横にも広い里であることは違いない。

 そんな里は(あきな)いが(さか)んで、里の中にいて生活に必要なものが手に入らないなんてことはないそうだ。もし足りないなんて事があっても、東海道を東に行けば武蔵国(江戸)があり、西へ行けば山城国(京の都)がある。どちらも三都(さんと)であるものだから、他所の商人が都の行き来に道の整った五街道を介すなどというのは当たり前の事で。そのおこぼれでどうとでも賄えてしまう、恩恵を得ることが出来るのが榊扇の里というものだ。

 里で生まれ育った者は、なんて話していた佐々木利吉自身も里から一度も出たことはないというのだが、彼が教える子らの大半は数年もすれば近隣でその名は知らないと言われている問屋(とんや)の三浦屋で働くとなれば、里の外に出て、外の世界を知るだろう、と。そんな風に続けていた。

 つまるところ、榊扇の里というのは商人や(あきな)いで外に用事のある者であれば里から出る機会があり、そうでない者はそのまま外の世界を知らずに生涯に幕を()ろす者もいると、そんな話なのだろうが。そうと分かった上で、出入りの多い自分を考えると、それは自分が余所者だからなのだろうな、と弥代は思い至る。

 そもそも弥代がこの榊扇の里に住まうようになったのは、友人に直接この里にいてほしい、という我儘があったからで。弥代のように色を持って生まれた、他所で迫害を受けてきた“色持(いろも)ち”が榊扇の里に移り住んできて生活を始めるというのはこの里ではわりと普通のことで。ただ、どちらかというと一度里に入った“色持(いろも)ち”はこれまでの外での扱いを思い出したくないからというのは断言は出来ないが、里に留まるようになると、そんな話を聞いたことがあった。それは、弥代だって同じこと。

 この里は、なんとも居心地がいい。

 里を統治する扇堂家がそもそも生まれついて色を持っている為に、“色持(いろも)ち”に対する迫害意識がないに等しく、色を持っていようが持たずとも変わらぬ扱いを享受することが出来、皆が同じように肩を並べて各々の日々を送っている。

 思いだせぬ過去や、自分自身すら未だに気付けていないのだろう問題の数々を全て放棄して構わぬならば、弥代だった他所からやってきた他の“色持(いろも)ち”のように榊扇の里で気ままに暮らすことが叶ったかもしれない。

 そう考えると、弥代はどこまでも余所者だ。

 里での暮らしを始めて一年と少しが経つが、正直なはなし未だに馴染みきれていない。知った顔ぶれがいるにはいるが、関わる相手は限られている。知らぬ相手はずっと知らぬまま。今後関わりを持てるとも思えない。案外それは普通のことなのかもしれないと自分に言い聞かせているだけで、馴染みきれていない自分からただ目を逸らしているだけだ。

 だから――――、

「だから、ね。結局お前を理解してやれるのはこの僕だけなんだって分かってほしいものだよ。」

 そんな声を、背後に耳にする。

 相手が誰であるか、心当たりは十分にあるというのに、その姿を見ることは許されない。振り向くのを許さないとでも言いたげに、両頬を同じように後ろから伸びてきた手で軽く押さえつけられて、そうして、ただ耳を傾けることしか出来ない。

 そしてこれがやって来た、ということは、これは夢であるという何よりの証明だ。

「ねぇ、弥代。早く、早くどうにかしておくれよ。

 僕を……僕を、助けてよ。ねぇ、ねぇったら……、」

 ずるり、ずるり、と音がする。

 夢の中であるというのに、五感は多くを拾う。

 それは一度嗅いでしまえば忘れることがどうしたって難しい血生臭(ちなまぐさ)さであったり。それは先の、少しずつ墨に染まっていく筆先のように、胡座を掻いている畳を徐々に染め上げる鮮やか過ぎる赤であったり。音が、触れてくる熱を持った温もりが、それら全てが彼女の存在を、彼女が迎えてしまっった終わり方を他の誰でもない弥代に強く、強く訴えかけてくる。

「早く……じゃないと、僕、僕は……、」






 蒙霧升降(ふかききりまとう)風知草(かぜちぐさ) 十一話






 陽は西の空へと沈みきってしまった頃になって弥代は目を覚ました。それまでガタゴトと(せわ)しなく揺れていた荷馬車が落ち着き、揺れが落ち着いたことで過ごす環境に変化があったから目が覚めてしまっただけかもしれないが、何やら見るに堪えられないものを夢で見てしまい、それが嫌で目が覚めたような気もするのだが、はっきりと内容を思い出すことは難しそうで。深く考えることは止め、一旦は状況を確認することとした。

 着きましたよ、なんて明らかに自分に向けられたであろう呼び掛けに顔をあげれば、そこには知った顔の女がおり。そうなってくると一々確認するまでもなく、そうであったと思い出せそうにない夢とは対照的にはっきりと思い出すものがあった。

 どれぐらい寝入っていたかは分からないが、自分と同じように女の荷馬車に荷台に居座っていたあのいけ()かない男が先に寝てしまった後、居合わせたもう一人はろくに意思疎通がとれない唐変木(とうへんぼく)のような男に相手の女は何度か声を掛けるのを(こころ)みたそうだが、まるで話にならなかったそうで。初めに寝た男の代わりに、役に立たない男が弥代の肩を揺らして起こすことで行き先が変わった。

 わざわざ屋敷の、里の主人から自分の監視だかを命じられている男に他も含めて全て面倒なことは丸投げしてやろうぐらいの気持ちでいたというのに、早々にそんな決断を(ゆだ)ねられることになるとはまったくもって考えておらず。だから適当に、このまま自分の足で歩かずに済むのならどっちでも構わない、と弥代は返事をした結果が今、というわけである。

「よく、休めましたか?」

 そう尋ねてくる女は、やはり弥代の知った女に変わりはない。

 一年以上前に五街道の一つ、甲州街道の宿場町にて奇妙な縁があって出逢った“色持ち”の、弥代と同じように人ならざる存在でありながらも人の姿をし、人の世に自然に溶け込んでいる存在。

 一々その名を何度も口にすることもなく、知った顔といっても数えるほどしか言葉を(まじ)えたことのない相手である為に、名をはっきりと覚えているわけではない為に、名を口にせずに返答をしようと思案している内に、弥代(こちら)の考えでも読んだかのように彼女は改めて名を名乗った。

 たった一夜の出来事でしたね、と溢された言葉は、そこだけを聞く者がいたのならあらぬ誤解でも生んでしまいそうな物言いではあったが、やけに清々しい口にするもので、まったく悪意であったりその(たぐい)があるようには感じられない。どうにも真っ直ぐする言葉だ。

「忘れていたとしても別に気にはいたしません。人の名というものは、日頃呼ぶ、関わりがあって自然と覚えるものであると父も仰っておりました。

 ですが時に、一度会ったきりの相手であろうとも名と顔を覚えておくと、色々と役に立つこともあるから、と。そう言われて育ったものですから、私が覚えていただけの話にございます。」

「あっ、そう?」

 それほど親密な仲ではないはずなのに、妙に馴れ馴れしく距離を詰めた上に、随分とべらべらと聞いてもいないことをよく喋る。が、一年ほど前の、薄い記憶を思い出してみれば、当時の彼女・三ツ江絹もまぁまぁお喋りであったとのだろう。

 しかし当時はそれほど、といった風に記憶しているのは、(あん)にその前にもっと長ったらしい話をする女を相手していたものだから、気にならなかっただけかもしれない。

「それでは……、えっと、弥代さんと春原……殿は先に上られてくださいませ。宿の方には先ほど部屋数などはお伝えしておきましたので。

 相良殿は馬屋に彼等を案内した後にお声をお掛けして、後程(のちほど)お部屋までお連れいたします。」

 勝手に話が進んでいくのは、今の弥代からすれば願ったり叶ったりといったところか。余計なことに考えを割かなくて済むのはとても助かる。

 寝起きだというのにどうしてだかはっきりとしない頭を抱えて(いや、はっきりしないなどということはない)、絹に言われた通りに宿屋の者に店の中へと通される。

 間近で馬という生き物を見るのは弥代はこれが始めてであったが、どうしても馬であったり、他だと牛であったりという人間以外の生き物というものは臭いが強く、それらの臭いがしないようにと同じ宿の敷地内の隅の方に専用の馬屋があるそうだ。愛想よくそんな世間話をする宿屋の者の話は、軽く聞き流す程度。

 ただ薄暗い部屋に案内された(あと)、控えめに襖が閉まる際に弥代は小さく頭を下げた。

(何、やってんだろ、俺。)

 ガラでもない、それがあまりにも自分らしくない行動であったものだから意外に感じつつも、絹の計らいによって意思疎通の相変わらず難しい男とは別の部屋に通されたものだから、誰もいないのをいいことに、その場に軽く座り込んで頭を抱える。

 分からない。最近の自分はどうにも自分らしくない行動が多い。それは行動だけではなく、普段の自分であれば考えつかないような方面へと考えが進むこともある。それは非常に、非常に弥代の中の不安をこれでもかというほどに掻き立てるのだが、時間が経てば次第に違和感というものは薄れていく。寧ろどうして、どうして今まではこの考えに、こうして考えることが出来なかったのか、と思えてしまうほどに浸透しつつあって。思考が、自分の意志が丸ごと塗り替えれられていくような、不安以上の恐怖に襲われることもしばしばあった。

 どうして、どうしてを闇雲に繰り返して。でも時間が経てば本当に抱いたはずの違和感はなくなってしまう。けれどもそれがあったという事実は、その積み重ねは何故だか消えてはくれずに残り続ける。だから、

(寝てた方が、また楽かもしんねぇな。)

 目を、(つむ)る。考えるのを止めて、悩むことから目を逸らして、頭だけでなく全身の時間そのものが止まったかのような、決してそんなことはないと分かっているのだが、それを繰り返す。

 それはただの逃げでしかないと、そんな事は弥代自身が嫌というほど分かっているというのに。でも、それでも時間が経つと目を覚ましてしまう。目を覚まして、存外時間が経っていないことに不思議と気持ちが辛くなって。また眠ろうとするのだが、中々すぐに寝付くことは難しい。

 夢を、見るのだ。

 その内容を思い出すことは難しいのだが、ずっと見ていることがられない、逃げるように目を覚ましてしまう、そんな夢を。

 起きていても、寝ていてもどうやったって居心地が悪い。どちらにも逃げ場がなくって、なんだか誰かにこのままでいていいはずがないと責め立てられているような気持ちになる。どうして、どうしてこんな想いをしなくてはならないのだろう。

 座りこんだまま、小さく組んだ腕の中で頭を傾ける。傾けて、そうして、

「…………ない。」

 弥代は、それ《、、》がないことを思い出した。



 宿の者が案内してくれた道を戻ることで、弥代は宿の正面口へと戻ってきた。ご丁寧に客の脱いだ草履は向きを整えらられ、隅の方に並べられていた。どれも似たり寄ったりの形をしていたが、見るからに大きさが違う二つが横並びになっているので間違えることはなく、自分の足に合う大きさに足を突っ込むと、しっかりと履く前に弥代は外へと飛び出た。

 少しだけ乱れた息を落ち着かせて、ぐるりと見慣れぬ敷地の庭を見渡す。絹は一度馬屋の方に行って、馬を休ませてからあの男を起こしてとして中に入ると言っていたが、それがどこにあるのか此処に今日始めてやってきた弥代は分からない。しかし駄目なのだ。ここでジッと大人しくなど、今の弥代には無理な話だ。出来る気がまるでしない。

「…………ぁ、」

 いや、そんなことはない。

 弥代はこれまでも度々、度々自分の意志で刀を手放すことはあった。榊扇の里での暮らしの中では、揉め事や喧嘩があれば偶に仲裁に入ったりと、それが知った相手であれば間に割って入って事を鎮めようとしたこともあった。それはわざわざ刀を持ち出したり、力任せの暴力でどうにか訴え掛けようとする必要がない事ばかりだったというだけで。

 他にだって、駿河の一件で桜が榊扇の里で自分と同じように世話になるとなって、(彼女)と過ごす暫くの間は腰にぶら下げているだけでも物騒だと、彼女の傍にそんなものを持ち込みたくないと(みずか)らの意志で遠ざけたことだってあった。

 なくたって問題のない、これまでだってなくたってどうにかやってこれたものであるはずなのだ。

 なの、に。

「だ、だめだ……?」

 不安に駆られる。どうしようもなく、腕の中にあの存在を求めてしまう。おかしな話だ。あの晩、あれ以降扇堂家の屋敷で目を覚まして里を()つまでの間なんて、それこそ視界にすら入ることがなかったというのに、今になって、今になってこんなにも急に。

「ぁ、」

 視界が、狭まる。

 暗い場所にいて、視野が狭くなった、見辛くなっただけかもしれないが、(いだ)く不安定な気持ちに左右されるかのように、挙句いてもたってもいられなくなってしまう。

 なんで、なんでと口元が意識しているわけでもないのに大きく開いたり閉じたりをぐにゃぐにゃと繰り返す感覚を味わいながら、はくはくと短い呼吸を繰り返して、そうして。

「い…………いやだ、」

 弥代は、見ず知らずのその敷地内を暫くの間、自分の刀を探すために駆けずり回った。






 暗い、庭である。

 夜に少しずつ目が慣れてきて、やっと薄っすら物の輪郭であったり、距離感を見誤(みあやま)ることなく過ごせるぐらいまでなってきた頃になって、弥代は探し求めていたものを見つけた。

 鞘そのものは先の春先に新しいものに差し替えられた、あの雪山以降はその刀身さえ一度もまだ拝んでいない、抜かねばならぬと頭で分かっていてもまともに抜けた試しがこれまでない、そんな、自分の刀を見つけた。といっても、その刀はそれそのものが器用に風呂敷に(くる)まれ、ある男が背負っている状況だ。

 宿の敷地内、庭に池のような(くぼ)んだ場所があり、その前に(もう)けられている椅子にでも腰掛けようとしているような、そんな相手の様子に、弥代はなんだかとても無性に腹がたった。

 自分が、自分がどんな思いをしてお前が今背負っている刀を探していたと思っているのか?と詰め寄って、いつぞやのようにその胸ぐらを掴んでやりたい気持ちに襲われる。が、そのような事をしては意味がない。いくら……、いくら今は正常な考えがまともに出来ていないだろう弥代でも、それぐらいは理解出来る。理解、出来た。

 だから(つと)める。なるべく冷静に振る舞えているように、そう相手に見えるように態度を(あらた)める。

 相手であるこの相良(さがら)志朗(しろう)という男はどうにも食えない性格をしており、鋭く弥代の魂胆であったり、触れられたくもない裏側を見ることに()けている(いや、弥代に限らず相手が誰であろうともきっとそうなのだろう。そういったことが得意な、嫌厭(けんえん)されるような性格をしている)、そういう奴なのだ。

 出来うる限りをいくら(よそお)ったって、きっと意味などないかもしれないが、それでも。それでも、弥代は、

「ねぇ、」

 ポキリ、と。細い枝木を踏んでしまったようだ。

 その音を目ざとく――いや、耳であるのなら耳ざとく、になるのか。拾った男の意識が暗がりの中であろうとも、確実に音を鳴らした張本人である弥代の方へと向けられたのが分かる。

 こちらの様子を、さながら出方を(うかが)うかのような妙な大人しさはとても奇妙で。それなら、という気持ちから弥代は小さく、ほんとうに小さく切り出した。そして、

「刀、返してよ。」

 手を、伸ばす。

 陽の沈んだあとになると、自分の腕の先、指先すら時間をかけてやっと輪郭を捉えるのが精一杯であるというのに、しっかりと手を差し出して。握った感触を(てのひら)の中に思い出しながら、それを、求める。求めて、そうして、

「早く……、返してよ?」

 子どものような我儘を、弥代は口にした。

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