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十話 道連れ

「帰ってこれると思ってもないくせをして、思わせぶりな態度を取るように……。

 そんな風に、教えた覚えなどありませんよ。」

 (がら)にもなく不機嫌を(あら)わにしてみせる、普段であれば選びもしない言葉を口にする彼女を前に、男は少々の違和感を覚えた。

 ()られたくない時などは距離を詰めればいいと、収める範囲が狭ければ()(づら)いという欠点があるそれを信頼した上で伝えている、自分の次に熟知している唯一の相手である。

 なぜ今日、この時に限ってそんな風に彼女が振る舞ってみせるのかが、その理由が男には理解出来なかった。

志朗(しろう)、」

 ――(いや)、そんなわけがない。

 輪郭をただ(かたど)るだけではない、這わす指先ひとつひとつに思わず身を(ゆだ)ねたくなる程の情が(にじ)んでいる。こんなものを向けられて気付かぬわけがない、どれだけ鈍感であったとしても気付けてしまう。

 ただ、男はそれに(こた)える(すべ)をもたない。一時(いっとき)の気の迷いによって失ってしまうのはあまりにも、彼女という存在は、あまりにも()しすぎた。

 決して実を結ぶことのない想いをただ胸に押し留めて、自分が選んだ言葉が間違いなく、余計に今の彼女の機嫌を(そこ)ねると分かっていながら、男は――相良(さがら)志朗(しろう)は口を開いた。











 実際に見聞きしたものと比べてしまうと、教えられただけの知識というものはどうにも希薄(きはく)だ。始めからあくまでそう聞いたことがあるだけなのだが、と前置きを()えておければいいのやもしれないが、初めて顔を合わせる相手を前に、いきなりそんな風に切り出すのは、相良からすれば妙な感覚だ。

 例えばこれがまるっきり初対面の相手であったならばまだどうにか話を転ばせることも出来たやもしれない。ある程度は割り切った方が楽だなんて分かりきっている。だからこそ、そんなのは考えるだけ野暮(やぼ)というもの。そう、頭では分かっているからこそ。

 ほんの少し(ただず)まいを(ただ)した(のち)、相良は自身の中で整理のついた言葉を並べた。

「――そうでしたか。

 いえ……吉野宿(よしのじゅく)日暮(ひぐれ)屋ですと、これまで何度か私も耳にすることも御座いました。

 あれは確か、昨年のことですね。こちらの……春原さんと一緒に、身内の者が小仏の方にまで足を運ぶ用事がありまして。

 あの辺りの山道沿いの賊というのは何も最近になって、ではなく以前よりあったものですので。少しでも安全な宿を近隣でと目星を立てている際に、身内の者が日暮屋、と口にしておりました。私が信頼のおける相手です。彼女がわざわざ挙げる店でしたので機会があれば是非に、と。

 そちらに立ち寄った時にでもいつかお世話になりたい、とあれから常々頭の隅では考えていたのですが……そう、でしたか。初めてお会いする方を前にこのような事を口にするのもどうかとは思いますが、誠に残念です。」

 嘘半分、といったところか。

 ……いや、あながち嘘ではない。常々頭の隅にあったのは本当であるし、伽々里(彼女)が一々店の名前を口にする時点で余程なのだろう、とは考えていたのだ。

 宿自体の大きさはそれほど大きくはないのだが、時代が時代であったなら江戸を目指す役人が押し掛けていたやもしれぬ、と冗談混じりにそんな事を口走っていたのもとても珍しく印象的で、前後のやりとりを含めて相良はよく覚えていた。

 とはいえ、店自体が古く歴史のある旅籠屋(はたごや)というわけではなく。店は此度十年と()たずして畳む形となったそうなのだから、何がどうして伽々里(彼女)の関心を、伽々里(彼女)にそうとまで思わせたのかがふと疑問に感じるも、相良の目の前にはもう答えそのものがあった。

何方(どなた)かは存じませんが、見ず知らずの方にも父の店をその様に覚えていただけていたと知れて、とても光栄に思います。」

 薄絹(うすぎぬ)羽二重(はぶたえ)を丁寧に織り重ねて作られたであろう手の込んだ細工が、緩やかに下げられた(こうべ)に合わせて小さく揺れる。

 瞳の色のまま、というのは多少大袈裟とも思えるが、そう思えてしまえるほど濃ゆい色の飾りを身につけている時点で、自分と同じように“色”を持って生まれた存在でありながらも、目の前の女は自身が“色持(いろも)ち”として生まれたことを後めたく捉えていないように相良の目には映った。

(人の身、ではないからなのでしょうか。)

 その違いを言葉として言い表すのは中々に難しいが、長年それがある生活をごく当たり前に送ってきた相良にとっては一目(ひとめ)見て分かってしまった。どこからどう見ても人にしか見えぬ姿をする――三ツ江(きぬ)と名乗った女が、人ならざる存在であることを。

 身内と称した、最後に顔を見てからまだ半日も経ってやいやしない伽々里(彼女)もまた、人の姿をした人ならざる存在だ。暫くの間はそういった存在と関わることがなく過ごすのかもしれないと、そう思った矢先の出会いにまるで不意打ちを食らったような気持ちになるも、昨年感じた疑問の答えを知れるきっかけとなった。

 なんであればこのいつ終わるかも分からない用事が終わった暁には、早々に伽々里(彼女)の元に帰り、旅路の早々にそんな出会いがあったものだから拍子抜けしてしまったのだ、とか、貴女が以前どうしてわざわざ旅籠屋の名前を口にしたのかが分かりました、とか。そんな他愛もない話をしてみるのもいいかもしれないと、相良はそんなことを考えてしまった。

「……もし、よろしければ」

 いつの間にか俯きかけていた顔を持ち上げ、表情に出てしまわぬように(つと)め。そうして、少し吊り上がった(まなじり)をした、目の前の女に改めて向き合う。

「亡き貴女様のお父君の話をもう暫し、お聞かせ願えないでしょうか?」






 蒙霧升降(ふかききりまとう)風知草(かぜちぐさ) 十話







 人目を避けて里を出たのだ。人目のつく、人の多い場所は暫くの間は避ける必要があった。五街道(ごかいどう)の一つである東海道(とうかいどう)を選ばず、里の南西門の役割も一緒に果たしている酒匂川の下流ではなく川沿いに北上(ほくじょう)し、遠回りをする形で甲州街道(こうしゅうかいどう)を介してそこから中山道(なかせんどう)を、という順路が提案されていた。

 あくまでこの旅路は、里で先日起きてしまった惨劇の、その関係者である弥代を里から遠ざける為のものだ。

 しかし、十日程前に大主と弥代、相良を(まじ)えての席で(かわ)わされた話のみを引き合いに出すのなら――、

「弥代さんの息抜き……ですかねぇ?」

 口にしてみてから、もっとマシな言い回しはなかったものかと相良は思ったのだが、やはり全くの初対面ではないという中途半端なややこしい相手を前に、これ以上頭を働かせるのは面倒だとも思い、少し肩の荷を下ろしたくなってしまった。

「ほほぉ? 息抜き、ですか?」

 親にバレてしまわぬように必死に悪戯(いたずら)を隠そうとする幼子(おさなご)のような手の込みようであると感じた、大主の用意した手筈通りに事は進んだ。

 いっそ打ち明けてしまった方がどれだけ楽かと思える、労力のわりに失敗してしまえば何も得とならない、失ってしまうものの方が大きそうではないか、と危惧していたのが馬鹿らしく思えてしまえるほど順調に。

 その用意周到さは次第に、自分の耳に入ってきた以上に考えるだけでも手間になりそうなほどの根回しが行われていたと考える方が自然と納得がいく程。

 この里の女主人は千里を見渡す目を持っているなどと、十年以上前に耳にしたまことしやかだと蹴った話を思い出し、今になって一瞬でも信じてしまいそうになった相良であったが、里の西門を潜った(あと)、明け方を迎えた頃になるとふと、あれは千里を見渡すというよりもただ人の動きを読むのに非常に長けているというだけのような。

 いや、それだけではない。

 里において雇われる立場で仕事を請け負うのにこれまでも何度か顔を合わせた事はあったが、まるで相手の発言の一字一句を覚えているかのような物言いが以前からあった。  普通、老いると物覚えが悪くなるとは言うが、自分の倍は生きている女主人のそれは全く衰えていないのやもしれないと思い至ると小さく身震いをした。

 改めて何があっても敵には回したくない相手であるとそんな事を思っていた矢先の、それは出会いであった。

『おや、もしや弥代さん、ではありませんか?』

 手綱(たずな)を緩く握った、二頭の馬に餌を与えている女が練り()で髪を黒くした弥代とすれ違った際に、弥代の名前を口にしたのである。

 西門を出てすぐ、相良と交わしたあるやりとりからヘソを曲げた子どものように口を中々開かなかった弥代だったが、

『そうなのです、昨年の春先に色々ありまして……』

 一年越しの再会を前に、元々キツそうな(まなじり)を少し緩めて目を細める絹に対し、弥代は分かりやすく失礼なほどそっぽを向いてみせた。

「いえ、弥代さんが失礼な方であるということは、共に過ごした時間が一日にも満たぬ身でありますが重々承知しております。ですのでその様に相良殿が頭を下げるような事ではございません。」

「えぇ……、あっ、本当ですかぁ?」

 ガタゴト ガタゴトと、揺れを挟む。

 その様になどと言う割に、絹は一切振り返ることはないまま、前を見据えている。それほど大きい荷車ではないが、二頭の馬に轢かせる馬車を、その様子を常に気に掛けねばならぬのだから仕方のない事だろう。

「いえ、それにしましてもまさか川沿いに北上などと、手間の掛かる道を選ばれた方が私としては気になってしまうのですが、まぁ世の中には聞かぬ(ほう)がよろしいことがあるのは何時(いつ)の世も、というのが父の言葉にありまして。

 旅籠(はたご)を経営していたのですが、本業は両替商でして。偶にどこからそんな大金を持ってきたんだという客人を相手に、金の出処(でどころ)(いぶか)しみながらも、自身から詮索(せんさく)をする事はなく。…………まぁ、後で御役人様であったり、近くの関所の方が顔を見せ尋ねられた際には事細かに特徴を述べられておりましたね。本当に賢い御方でした、父は。」

 下手に話が途切れてしまい、空気を悪くするのも良くないと振った手前、今になって話を切るのは如何(いかが)なものかと思うのだが、如何(いかん)せん多すぎる気がしてならない。

 再三となるのだが、これで相手が全くの初対面であれば良かったものを、と相良は願うのだが、そうはいかないから状況は中途半端で面倒なのである。

 おまけに面識がある弥代の今の状況を考えてしまうと余計に、こちらが一つ発言を間違えればそれで変に話が拗れてしまう事だって起こりうるだろう気がしてならない。

(いえ、そちらは杞憂でしょうね。)

 こちらの反応を待たずして、(あいだ)を挟まずにまたしても亡き父の話を続ける彼女から目を逸らし、正面に座る弥代を相良は見た。

 あれは確か二月(ふたつき)ほど前だったろうか。相良があまりにも醜態を晒すもので、呆れた伽々里(彼女)が早朝より討伐屋から姿を消すことがあった。里では既に腕のある薬師(やくし)として知れ渡っている伽々里の顔は広く、古い顔なじみもいるという話を聞いたことはあったものだが、まさかその際に弥代の元に身を寄せるという、相良からしてみれば予想外なことがあった。その時に泊まらせてもらった礼に、と髪を切り揃えられたそうで。初めて会った時に比べると短くなった前髪だが、額に色濃く影を刻んでいるように見える。

 荷馬車という四方だけでなく天井も囲われた空間にいるから余計にそう見えるだけなのかもしれないが、自分がそういう風に見えるというのは別に自分に思うところがあるからだろう。

 しかし、声を掛けることはしない。あくまでも、見るだけだ。

 荷馬車の揺れに合わせて小さく体が揺すぶられている。腕を組み、目を閉じて胡座を掻く様子だけを見ると、寝ているだけにも見えるのだが恐らくは起きているに違いない。

 現状よりも今後手を焼きそうであると分かりきっている為に、どうしたものかとそちらに頭を()きたくなるのだが、やはりそうも言ってられない状況である。

「……。」

「…………。」

「……相良、痛い。」

「……あっ、申し訳ございません春原さん?」

 右隣の彼から、珍しい言葉が飛び出てきたことに少々相良は驚かされた。

 (あやかし)の討伐を(あきな)いとし、飯をこれまでも口にしてきた討伐屋において、鍛冶職人の真似事をしつつ刀の手入れを自ら名乗り出ている刀の扱いには慣れている相良であるが、自分が抜くわけでもないものを二本も背負う形で装備するというのは慣れるわけがない。右隣の彼の、恐らくは脇腹付近に鞘の先が押しつけられでもしまったのだろう。まだ榊扇の里を出てからそれほど離れてもいない事を考えてしまえば、まだ当分の(あいだ)は必要となることもないだろうと改め、左右を変える。

(それにしても、痛い、などと。本当に珍しい限りですね?)

 痛みに対してどちらかといえば鈍感で、骨が折れようが深傷(ふかで)()おうが平常時と表情を全く変えることはない彼の口から、だ。といってもそんな彼もつい先日に人ならざる存在、その中でも脅威が計り知れない鬼と呼ばれる存在と相見(あいまみ)え、案の定といっていい代償を払った身だ。

 同じ“色持(いろも)ち”であっても自分とは違い、常人のそれよりもはるかに優れた、怪我の治りの早さによって日常生活を難なく遅れるほどまで一月(ひとつき)足らずで回復したもの、痛くとも痛いと自分から口にすることがない性分である為に、見えない体の部位、内側が実はまだが治ってなかったなんて事はこれまでにもよくあったものだ。

 が、此度の彼の負傷は主に脚部であり、腹部は含まれてなかったはずだが……。

「……。」

 目が逸れる、それはもう答えだ。

 思いがけず普段調子に捲し立ててしまいそうになるも、グッと相良は(こら)えた。






 元々、里の南側にあるという海沿いの硝子工房で(しな)の出来がどれほどのものであるかを見に来たというのだが、七月の暮れ以降里への立ち入りだけでなく出入りも難しくなっており、立ち往生をしていたというのだ。

(まれ)に、扇堂家の(つか)いと思しき方が(せわ)しなく出入りをしていたのはお見受けしましたが、遠目でも最早知った顔であるからこそ通されていた、といった様子でした。確認をするまでもない、と。余程のことがあったのだと、そう思うことにしておりました。」

「そうでしたか。扇堂家からは……そうですね。

 此度の騒動の影響を我々が受けているという事は、薄々お気付きやもしれませぬので、あまり深く込み入った事情をお教えすることは出来かねるのですがお伝えしてもよろしいでしょう。」

「おや、それは私の口から雪那様の御名前が出たからでしょうか?」

「その(よう)に捉えていただいて、結構です。」

 弥代と春原の様子を尻目に見つつ、それまでの続きのように暫くの間は絹の話に意識を傾けていた相良だったが、少々態度を切り替えた。

 知った顔の仲であるはずの弥代が、一切会話に入ってこぬまま同じ場に居合わせているという状況に若干の話し(づら)さを感じていたのだが、大主の孫娘にあたる――扇堂雪那の名が出てきたことで線引きを緩めた。

 そのまま口を挟まずに話を聞いていると、どうやら弥代と関わりがあったという、昨年の出会いの場に扇堂雪那も居合わせていたのだという。

 今は亡き、と散々既に聞かされていた三ツ江文左衛門なる男自身も、榊扇の里だけではなく里の女主人である扇堂杷勿(はな)とも面識があった人物だそうだ。何よりも、昨年の弥代と扇堂雪那が一緒に居合わせていた、榊扇の里とは異なる場所での出来事と聞けば、ある程度どの時期であるかの予測が立つ。ともなれば、扇堂家を主体に此度の騒動で里への立ち入りが規制されている中、扇堂家と少なからず繋がりがある弥代という存在が、ただの息抜きというだけでこの時期に里の外にいるのは、疑問を抱かれても何ら不思議ではない。

 半刻程は経つだろうか。自分の足で歩んでいるわけではない慣れぬ移動手段に時間感覚は少しばかし働いていないやもしれぬが、それでも空に見る太陽が、気持ち西へに傾いている。

 (彼女)の話題は先ほどから変わらぬことはなく、相も変わらず亡き父に纏わる、父がどの様な御人であったか、といった内容なのだが、言葉の節々に多少美化されているような気配はせども、話の運びを追えばそこにはある程度の知性が垣間(かいま)見えた。

 伽々里同様に人ならざる身であり、生まれ持った姿形ではなく自らの意志で人の身に化け、人の暮らしに染まっているというだけで、少なくとも自分よりも遥かに長く生きているやもしれぬ、と思える。

 その様な存在が陶酔……(いな)、心酔する程の相手というのも踏まれると、次第に三ツ江文左衛門なる人物の凄さが際立って、

「あ、いえ? 父はそれはそれは酒癖の悪い御人でした。その割に客人に自分と同じような酷い酔い方をされる方が居られましたら、自分の事は棚に上げて敷居を二度と跨がぬように、と客人であろうがお構いなしに門前払いをするようなもので……、」

「…………はい?」

 これだからこの手の存在とのやりとりは疲れる。






 本来、扇堂家から提案された順路通りであるのなら、甲州街道を介して中山道に入り、そうしてとりあえず目的地として定めた京を目指す予定であったのだが、酒匂川の川沿いにて出会った絹からの誘いによって経路を変更した。

 そして別に相良は、弥代みたいに子供じみてヘソなどを曲げたわけではない。ただ、ドッと疲れてしまっただけである。気疲れだ。

 思い返せば一昨日(おととい)の晩から満足に寝れてもいない。屋敷から討伐屋への夜半の移動も、昨日(さくじつ)の日中なども屋敷の者からの道中の決まり事について説明がされたりとあったのだ。いくら弥代の同行を監視する役目を大主より任されたとはいえ、ここまで来て少量の不満が沸々(ふつふつ)と湧き上がってくる。

 いや、仕方のないことであることは、自分以外に適任な人間がいないからこそ(ちょく)で任されたというのを頭では分かっているのだが、如何(いかん)せん……、

「お疲れですか? 少し休まれてはいかがでしょうか?」

「いえ、どうかお気になさらず……」

「……そうですか。」

 何よりも、自分よりも遥かに歳の若い相手に気を遣わせるのは気分のいいものではない。

 先入観は視野を狭めるものと分かっていながら、伽々里(彼女)と近しい似た存在というだけで深く考えるのを放棄した自分が悪い。自覚はある。だからこそ、とでも言ってしまえば、要するに自業自得である。

 これから暫くの(あいだ)、少なくとも一、二ヶ月の間は寝食(しんしょく)を共にするというのにまるで相良に関心を示すことのない春原と、全く口を開くことのないまま無言を(つらぬ)いている弥代の二人のみというのもどうにも手に(あま)る未来しか浮かばない。春原に至っては今更とでも言おうか、既に五年近く共に過ごしているが、必要以上に関心を示されたことは特別ないに(ひと)しく、こちらから変に期待をするだけ無駄であろう。

 この二人と一緒に過ごすとなると、一月(ひとつき)前の――七月の(あたま)での駿河での一件を思い出すのだが、三人で揃って同じ場で過ごした時間など限られていたし、何ならば途中から赤に黄といった、“色持(いろも)ち”の中でもその数が少ないといわれる、“色”を宿(やど)した少女・桜がいた為に三人きりという記憶はやはりない。

 そこまで思い返してしまえばもしや、なんて考えるまでもない。再び、答えは明白だ。

 分かりやすい答えに時間だけでなく労力を()くのは本当に惜しく。だからといって今後の弥代との関わり方であったりは早急に何かしらの手を打った方がいいことは、他の誰でもなく相良自身は理解していた。

 これまでであるのなら、それほど(ちょく)の関わりがあったわけではないから、と弥代と正面を向き合うことをなるべく避けてきた相良であるが、先の駿河での会話や、直接大主から弥代のことを任された今となってはそんな甘えたことは言ってられない。

 何よりも弥代が今の状態のまま、声を掛けてもろくな反応も示さずに、だんまりを決め込んでいるとなれば、それは今後の自分の目的――かの鬼神(きじん)との再会を果たすという望みの達成が難しくなりかねない。

 どれほど……どれほど長く待ち侘びたことか。

 妖討伐などという自ら危険と、死と隣り合わせになりかねないことを続けてきたのは、本土においても時折その姿が目撃されることがあるという噂を耳にしたことがあったからと言って過言ではない。

 だというのに、春原討伐屋などという名であるのは、妖討伐なとど自ら身を危険に晒すような事をしたいと言い出したのが自分ではなく、今も自分の右隣にいる春原であったからだ。

 目的は違えども、彼の行く末をその傍で見届けたい、救ってやることが叶わなかった過去への償いの意を込めて、理解者を増やすのが決して得意ではない彼を支えてやりたいという思いに重なる形で、とても、都合がよかったのだ。

(……そう、です。

 だから、だから……私は。)

 今もまだ程よい相槌(あいづち)を相良が挟むことで、聞いてもいないのに話し相手がいるという事が、もしくはこれまで知らなかった相手が他人であろうとも、少しでも知ってもらえるのが嬉しいのか、(たず)ねてもいない亡き父の話を続けている。

 段々とそれも、耳だけを傾けている内に不思議と耳に馴染んだような錯覚を(いだ)きつつあった。余計なことをいつだって何かしら考えてしまう。頭を休ませたくとも思考すること事態がどうにもすっかり癖付いている相良からすると、延々にそんな風に自分の全く知らない事柄を他人が話すのに耳を傾けられるのは、正直いくらか助けられている気がしてくる。それは遠回しに、それだけ今は自分で何かを考えるのが疲れている、と。そういった合図とも取れ。

 向かう方角や、大まかな目的地が(ほと)んど一緒で、偶々知った顔の相手がいたからといった、そんな薄っぺらくも感じれる理由だけで、目的の品であったりが得られなかったので丁度空いているからと荷馬車の荷台に乗ることを提案してくれた相手だ。

 相変わらず右隣の彼は必要以上に微動だにすることなく、変わらぬ姿勢のまま、正面でただ目を(つむ)り腕を組んでいるだけの弥代から視線を逸らすことはなく。であるのならば、丸一日以上は取れていない睡眠をここで自分が少しいただいても許されるのではないか、と。気が、(ゆる)みだす。

「寝るのか、相良?」

 自分よりも年若い相手に縋るような事は何があってもしない。それはきっと、自分が散々大人達にいいように使われていた過去があるからで。身に染み付いているのだろう。それだけはあってはならぬ事だと。いや、しかし――時には自分一人の力ではどうにも、どうにもならない事もあるのだという事ぐらい、相良は分かっている。

 だから、そう……だから、相良は先の駿河で、春原だけでなく弥代にかの存在との対峙を頼むことだって、あったの、だから。

「……えぇ、少し。」

 手が、伸ばされることはない。

 そういえばもう随分と同じ姿勢のままでいる彼だが、こんな場所でも胡座を掻くのがあまり得意ではなく、正座で背を真っ直ぐに(ただ)しているが、それを長時間続けていると、確か血の(めぐ)りが(とどこお)ることが原因で起こるのだったか、足が(しび)れてしまって少しの間は動けなくなってしまう事がある、と。もしやまたしても忘れてしまったのか、ぐらいの気持ちでポツリと、そんなことを口にするのだが、どうやら今の自分の限界は近いらしく。妙に舌が重く、もつれ始めてしまう。

 と、気付いたのと同時に、そういえば今の彼は自分や弥代同様に扇堂家がこの道中の為に、と反物(たんもの)を選ぶ段階からこちらの意志を尊重してくれ、そうして用意された真新(まあたら)しい着物で。まだ袖を通して一日にも満たっていない恰好であるものだから動きづらいのではないか、と思い至る。ただ、舌がもつれ始めてている時点で、どれだけ言葉にした方が慣れぬ状況に身を置いている彼の姿勢が多少なりとも(やわ)らぐと分かっていても、それは困難になっていく。

 なんだったら自分は、七月の暮れに屋敷から呼び出しを受け赴くそれまでの間、半月ほどは折れている見えぬ内側の骨を治すために、と体を無理に動かすことなく、畳に敷かれた布団の上で過ごす時間が多かった身なのだ。

 半月というのは決して長過ぎはしないだろうが、他人の手を借りてどうにか満足に行えることも多かった期間を少なくとも過ごした身であるために、若干ではあるが以前よりも体力面が(おとろ)えている可能性もあるのだろう、と納得をしてしまう。

 そこからは、あっという間だ。

 カクリ、と首が大きく(かたむ)く。薄開きであった瞼は(すみ)やかに落ちて、力が抜けた口元は逆に緩く開く。相良は、静かに眠りについた。






 また、である。

 またしても再び、男は重たい瞼をゆったりと持ち上げると、既に()くるほど、あまりに強く(こす)りすぎてしまった為に、いつ擦り切れてしまったとしても何らおかしくはない。そんな風に思える光景が視界いっぱいに広がっていた。

 体を横たわらせ過ごす時間が此処(ここ)のところ多く、体を休ませる機会が多かったものだから、そんな風に感じているだけなのかもしれないが、どうしても、新鮮味は欠けてしまう。

 夢の中、自分の立つ場所というものはどうにも決まっているらしく、随分と見慣れてしまった、変わり映えのない光景を前に、馬鹿の一つ覚えみたいに棒立ちとなり、無感情を装う。

 意味など、ないと分かっている、のに。

 ふと、自分がこの夢の中で取る行動は大抵いつも決まっているものだが、これは意識してみて変えることが出来るものなのか、とそんなことを考えてみた。

 けれども、それが出来たとしてこの夢の結末が、過去に起きてしまった結果が変わることはない事を、男は誰よりも理解している。だから、考えはしてみても行動をただなぞる。

 はたして、それは本心か。

 鮮烈な赤が視界に入り込んでくる。その存在を受け入れようとする自分と、その存在を排除したくて堪らない気持ちを必死に押し留める。そうだ、意味はない。どうしたって意味のない、他に昇華のしようがない醜い(いきどお)りの、なれ果てでしかないのだ。






 短い、夢を見た。

 あくまで短く感じた、というだけかもしれないが、分かりやすく眠りにつく前よりもはっきりと頭が冴えている。どれぐらいの時間を休んでいたのかは分からないが、かなり回復が出来たように感じれた。そうして、先の状況との変化を拾う。

 馬が荷車を轢くのに合わせて合って仕方のない揺れが先ず無く。そして、右隣にいた春原も、正面で荷車に乗ってからというもの一度も口を開くことのなかった弥代もいなくなっていた。

「あっ、お目覚めですね。丁度良かったですね、相良殿?」

 手綱(たずな)を握り運転をしていたはずの絹が、先程座っていた前輪側とは反対の、後輪側から垂れ幕を軽く持ち上げて顔を(のぞ)かせる。

 その口振りはどこか穏やかだ。故人を語る際の柔らかさとさして変わらぬように鼓膜を揺らす。それに対し、表情にどことなく固い印象を(いだ)くのは、仕方のないことだろう。

「春原さんと弥代さんは、どちらに?」

「えぇ、日が暮れて参りましたので、関所を越えるのは明日にしてしまおうと。大分手前にはなりますが手頃な宿を知っておりましたので、そこで一泊させていただく事に致しました。

 相良殿は休まれておりましたので、代わりに弥代さんにそれで構わないか一応お聞きして、問題ないと(おっしゃ)っていたのでそのようにしたのですがご迷惑でしたでしょうか?」

 なんともまぁ、手間要らずな説明である。

 こちらが必要としている事をわかりやすくまとめて話してくれる為に、一々()くのをまるっと(はぶ)くことが出来る。

 これがたとえば春原か弥代相手であったなら、間違いなく春原は言葉少なく、起きたばかりの頭では理解が及ばずに二、三度訊(たず)ねることとなり、弥代であるなら余計な話題に話が逸れて要らぬ寄り道が始まっていたに違いない。

 人ならざる存在である絹だが、本人の口から語られた話ではまだこの世に生を受けて十年経ったかといったぐらいの、人の子であればまだ成人も迎えていない年齢なのだという。

 年若いというのに、(ふん)する人の見た目相応の落ち着きを見せるのには、まだ始めて聞かされてから一日も経っていない絹が口にしていた、彼女が父と呼ぶ三ツ江文左衛門なる人間の教えによるものなのやもしれない。

 一時(いっとき)は悪態を(こぼ)しそうになったのを忘れたわけではないが、今はある程度教養が身についていそうな絹に対し感謝の念を抱く。

「では、ここはもう既に、その御宿ということでよろしいでしょうか?」

「はい。馬を引き連れての商人が泊まることが出来る、馬屋(うまや)のある宿というものははどうしても限られてしまいますので。先に左吉(さきち)右吉(ゆうきち)は休ませております。」

「さ、さきちと、ゆう……きち、ですか?」

「失礼しました、馬の名前です。」

「……あぁ、馬の?」

「はい。尻尾にくっきりと色が違う部分があるのです。それが左側にあるのが右吉(ゆうきち)で、右側にあるのが左吉(さきち)です。」

「……あまりそういった事情に口を挟むのもどうかとは思うのですが、普通逆ではありませんでしょうか?」

「そうですね。でもどうやら自分たちの名前は逆の方がしっくり来るのだと耳を傾けてくれやしないので、そう呼ぶしかないのです。」

「…………。」

 少しばかし、頭が痛くなった。






 ほんの少し寝入るだけのつもりであった相良であったが、意に反して体の方は限界を迎えていたのやもしれない。真上にあったはずの夏場の、冬場のどこかせっかちなのよりも随分とのんびり屋であるそれがすっかり沈んでしまうまでの間、絹曰く三刻程は寝ていたのではないか、と話す。

 そして道中、扇堂家が(あらかじ)め考えていた経路から大きく外れ、相良が寝入っている間に進行方向を急遽変更し、甲州街道ではなく東海道沿いに箱根関所目前まで辿り着いたのだという。

「言葉が通じるというのは時に不便なものです。私相手であれば我儘を押し通すことが出来ると学んでいる辺りも本当に面倒な限りですが、帰りは違う道を歩かせろ、などと……。」

「そうですか。」

 そうですか、ではない。寝ている間も移動が出来たのは馬に感謝をせねばならないが、まさか馬の聞いたこともない我儘によって、屋敷が順路を辿ることが出来なくなるとは思ってもみなかった。

 今からでも東海道でせめて酒匂川周辺まで戻り、川を渡ることなく北上をし直すことは出来ないか、を考えるが、何故なるべく人目を避けて里から離れる必要があったのかを考えると、少しでも早く弥代という存在を今の榊扇の里からは遠ざける必要があり、だから――――

「事情を汲みきれず申し訳ございません。」

「どうしてもお伝えできないと、こちらが話さない選択をした為に起きた事態です。貴女が頭を下げる必要などどこにもございません。どうぞ、顔を上げてください。」

 起きてしまった事は仕方がない。甲州街道を介して中山道へ、という順路の回復が難しいのであればせめて、せめて弥代を里から離れた場所まで連れていく、それに専念するのみだ。

 荷車から降り、地に足裏がつく。

 ここまできてしまうといっそ、ギリギリまで話せる範囲を精査した上で、足係となってくれそうな(彼女)の協力を(あお)ぐのも手やもしれぬと、梶を切る。が、それをするにしても少々状況を一人整理したい。馬屋があるという宿はそこそこの敷地面積があるのだろう、既にこの場所は宿の敷地内で。夜であるというのに煌々と行燈で灯りを(とも)す、正面玄関らしき場所の位置を確認したあと、数歩だが共に歩んだ足取りを止め、相良は考えをまとめたい旨を絹へと伝えた。

 物分かりがよく、歯切れのいい娘である。

 二言目には分かりましたと口にし、小さく会釈をして距離を取る。年若く、理解の到底及ばない話を偶にするのだな、なんてまとめていたのを改める必要がありそうだ。

 それから数歩、今度は一人でそれを歩み、相良はなんとも都合よく横に長い腰掛けを見つけた。腰掛けの前には、陽が暮れており、光源からも距離がある為に暗く、目を()らさねばよく見ることも出来そうにないが、恐らくは池のようなものがあるのだろう。

 わざわざ池の前に、池を見るために(もう)けたかのような腰掛けであると気付いてしまうと、この宿の一泊の宿賃がいかほどになるものかと、嫌な予感が()ぎる。

()……いえ、いくら高くとも相場というものがありますでしょう?)

 一日目から問題は早速山積みやもしれない。

 骨が折れる、手に余ると覚悟はしていたのだが、序盤からこうも躓きそうな感覚を味わうとなると、つい弱音が出てきてしまいそうになるのだが

「ねぇ、」

 ポキリ、小枝が折れたような微かな音を耳が拾う。そして、それに続くように聞こえてきた、呼び掛けのつもりなのだろうか声の(ぬし)に対して向き合う形を取った。 

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