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鬼ノ目 六節・旧国、溺るる虚像  作者: 三Ⅲ三Ⅲ三
前篇・蒙霧升降、風知草
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一話 後悔

 今の今まで、どうしたって抜く事が叶わなかった刀を、抜かねばならぬと頭では理解出来ていても、どうしても踏み切る事が出来なかった、その一線を越える。

 寧ろ、なぜ今まで踏み出せなかったのかが、その要因が何であったかを忘れてしまいそうになる程、あまりに迷いなく、鞘から刀を抜いた。

 自分の刀でないだけに柄の厚みも、握り心地も別物であった。しかし、何故か手によく馴染む。

 (いや)、手にというよりは、指に馴染む、知った厚みであるかのよう。それがなんなのか知る(よし)はないし、知りたいという気も今は沸かない。

 そうして、弥代は駆け出した。

 詰める距離の先に、燃え盛るほのおを直接その身に纏ったかのような、そう錯覚をしてしまいそうになる程の、鮮烈な髪をした女を見る。


 人、だ。

 人の形をしているだけで、自分と同じような人ならざる存在である事に間違いはない。

 それが証拠となり()るかは分からないが弥代は女の頭部に、人間であるならば到底生えてくる事のないだろう、モノを見た。

 今まさに自分の頭部から生えているだろうソレと恐らくは同一のモノ。弥代は、ソレが何であるかを知っている。これまでにも幾度か目にした事がある。

 それは、あの雪山で彼と渡り合った、時。

 それは、この場で彼女と対峙した、先程。

 気付いたところでソレが何であるかを(たず)ねる余裕はなく、一つとして同じ形をしてはいなかったがそれでも、それでも弥代は分かっている。見据えた女の、その頭部から生えている、一本角の、それが何を、示すのか、を。

「お前は――ッ‼︎」

 言葉は、静かに呑まれた。





『ボクはただ、キミに愛してほしかった、それだけなんだよ。』

 それは、不思議な感覚だった。

 だが、その感覚に弥代は覚えがあったものだから、違和感を抱くことはなかった。

 閉じた記憶のない瞼を持ち上げて、視界に写り込んだ、その光景を前に歯を食いしばる。

『おかしな顔をするね? だって、キミが望んだんだよ? ボクと一緒に居たいって、自分の手を取って欲しい、って。望んでおいてその反応はさ、変じゃないか?』

 自分の言い分が間違っている訳がない、と。疑う事をまるで知らなそうな相手の物言いに弥代は怒りを(つの)らせたが、それは掻き消される。

『誰が頼んだ⁉︎ 誰がそんな事お前に頼んだ⁉︎

 ふざけんなっ‼︎ そんなの、俺は望んじゃいねぇッ‼︎』

 より、鮮明な。

 自分の抱いた感情だけでなく、漏れ出た言葉さえも上から塗りつぶされていくような感覚。

 先の春よりもはっきりと、断片的な言葉だけではなく、しっかりと自分が目にした筈の情景そのものが、そうでなかった、と否定されてしまうような、そんな感覚。

(でも、これは――)

 あまりにも不安に駆られる。

 直前までの出来事であったからか、余計にそう感じてしまうだけかもしれない。叶うならば目を閉じて耳を塞いで、膝を抱えて蹲りたくなる。弥代はその光景を受け入れられない。自分が見たはずの先までの続きである筈がないと分かっている(だって、彼女はもう)。だとしても、そんなワケがないと分かっていても、それは、耐え難い光景だ。


『違う……違うよ……、ねぇ、ボクを、ボクを見て……っ‼︎』

 景色が、大きく入れ替わる。

 悲痛な叫びの、その正体は分かりきっている。

『キミを……、キミを傷つけたいわけじゃないんだ。もう傷付けないから、絶対、傷付けたりなんかしないからっ‼︎ だから……だから、ボクを選んで、ボクを選んでよ、弥代。』『他は全部邪魔だね。殺しちゃおうか。』『愛して、愛してよ、ボクのこと、もっと見てよ!』『ボクは……どうして?』

 弥代は、

『ねぇ、弥代。

 ボクはキミにとって、何だったのかな?』

 弥代は、それを遮る術を持たない。振り払い方を知らない。目を閉じて耳を塞いで、膝を抱えるようにしていくら(うずくま)ったって、それの(ふせ)ぎ方を知らない。

 だから――、

「じゃぁ、どれにする?」

 頬を掠める、(やわ)い感触に弥代は埋めていた顔を持ち上げた。

 少女が、そこにはいる。

 自分よりも深みのある、重たげな印象を受ける青い髪をした、長く厚みがある前髪では瞳がそのまま埋もれてしまいそうに見えるのに、決して埋もれる事なく、此方(こちら)を、弥代を真っ直ぐに見つめる少女がいた。

 弥代は彼女が何であるかを未だに知らない。

 ただ、顔を合わせた事がこれが初めてではない事だけは知っている。

 何度も、何度、も。

 節目を迎える度に、幾度も彼女はこうして自分の前に姿を見せて、同じような問いを投げ掛けてきているような、そんな気がする。

「貴女、…………貴女はいつも、此処はね渋っているの。だから、ね。ゆっくりでも、いいよ。」

 胸の前に大事そうに、何の変哲もない木箱を抱えたまま。蹲る弥代に目線を合わせるように膝を折り曲げて、少女はそんな言葉を口にした。

「いつもって、何だよ?」

「教えても、どうせ忘れちゃうよ。」

 口を突いて出た言葉は、特に意味はなかった。

 ただ無言のまま、何も喋らずにジッとしている、それが出来なかっただけ、で。それ、なのに

「何だよ、それ?」

 彼女の返答に対して、弥代は明確に疑問を述べた。

「知っても、何も変わらないよ。」

「分かんねぇだろ、そんな事。」

「分かるよ、ずっと見てきたから。」

「だから……何なんだよ、それは?」

 答えになっていない答えを繰り返す。自分がいくら教えてくれと乞うたところで全く意味がない、言うだけ無駄なのだろうと弥代が理解し、諦めるのにはそれからまだ暫く時間を有した。

 少女は(かたく)なにその口を割ろうとしない。弥代が知りたいと望む答えを、知っているのは間違いないのに一向にそれを教えてくれない。冗談混じり、なんて事は当然ないのだろうが、けれども自分でさえしつこく感じるぐらいに弥代は食い下がり続けた。

「逆に、どうしてそこまで貴女は知りたがるの?」

「そん……なの、」

 反対に振られてみて、やっと弥代はその口を詰まらせた。

「知って、何になるの?」

「それ、は……」



 目を覚ます、視界に広がるのは木枠が幾重にも交差している様に見える天上だ。重みを感じる程の、随分と分厚い布団を掛けられているようで、その重みの中で目覚めたばかりの体を動かすのは(いささ)か難しいように感じれた。

 自分がいま居る場所がどこであるかも分からないまま、首だけをせめてもと捻り、周囲を見渡す。

「ぁ、」

 目が、合った。

 桶を両手に抱えたまま、驚きを隠せない様子で弥代と目が合った状態から微動だにしない。

 おかっぱという程ではないが短めに切り揃えられた黒髪の、屋敷に身を置いている女中故か、その“色”を隠す素振りを滅多に見せることのない彼女は、

「弥代さんっ、起きましたーーーーーーーーーっ‼︎」

「ちょ……、」

 呼び止めようにもそんな暇はなく。

 抱えていた桶をその場に派手に落として部屋を飛び出しては、バタバタと廊下を駆けて行ってしまう。

 畳に飛び散った水を尻目に、どうすんだこれ、なんて大して気にもしていないのにそんな事を小さく漏らして、そうして弥代は、

「……、」

 布団の重みを言い訳に、出すことさえ叶わなかった手をそのまま、見強く、握りしめた。






 蒙霧升降(ふかききりまとう)風知草(かぜちぐさ) 一話






 それは男が最近になってよく見るようになった、そんな夢である。

 既にそれは飽きる程、あまりに強く(こす)りすぎてしまった為に、いつ擦り切れてしまっても何ら可笑しくはないと思えるぐらいには、最近はそれしか見ない。

 体を横たわらせ過ごす時間が此処のところ多い、体を休ませる機会が多いからなだけかもしれないが、見過ぎてしまってどうにも新鮮味は欠ける。

 夢の中、自分の立つ場所から見えるものは決まっている。変わり映えない光景を前に棒立ちになり、無感情を装う。

 辺りには(すす)と化した木の葉が、まだ火の移っていない元の色に入り混じるように、一緒になってはらり、はらりと落ちてくる。

 その場には、歳の頃だけなら十四五、六といったぐらいの、少年と呼ぶには少々難しそうな、もうすっかりと角張った体をしている、大人になったばかりの青年が土を掻きながら、何やら泣き喚いている。

 耳を立てても、聞き取るのはどうにも難しいだろう音に、けれども男はそれを一人心の内に、自分の言葉として()する。青年の意中をまるで汲むかのように、静かに。これより彼に襲い掛かるであろう現実と、それによって齎される、忘れられない思い出に僅かばかりの同情の念を抱く。

 青年の眼前には、外観にも燃え移ったであろう火は絶え間なく、(せわ)しくゆらりゆらり、とその輪郭を揺らしている。それでもどうにかこれまでは派手に広がる事はなく、そうにか屋内(やない)に押し留めようとしていたように映っていたモノは途端に勢いを増したかのような様子を見せた。

 されども見慣れた、知った流れであるが為に悠長に数を数える心の余裕さえある男は、それが夢の中であるからこそ、自分しか覚えている者がいない事を分かった上で、それまで(たも)っていた表情から一変、その光景を前に隠し通す事が出来ずほくそ笑んでしまった。

 青年はまだ、この結末を迎えたその要因が自分自身にある事を知らない。その事実を知るのはまだ先の事。

 だからこそ……だからこそ同情を、憐れみを抱いてしまう。

 歴史の転換期という言葉は稀に耳にするが、人生にもその様に呼べるものがあるのならば、男にとってそれが最初であったのかもしれない。大人になった今だからこそ、そうであったかもしれないと思えてくる。

 爆ぜる、火の勢いに呑まれる事は決してなく。身を低く伏せる、その傍らに膝をつく。

「よく、ご覧なさいな。」

 対になった硝子板越しに目にするのは、燃え盛る家の中から出てくる、一度目にすれば忘れる事は二度とないだろうあまりに強烈な“色”を宿した女の姿。

 夢の中だ。

 己の言葉が届かない。己の行動に何も意味はない。

 分かっている。分かっていても毎度この夢を見る度に男は我慢ならず行動に身を移してしまう。

「貴方は、彼女に感謝をする。」

 それは、紛れもない現実。

「彼女なくして、貴方が得られた自由はなかった事を理解する。」

 それは、揺るぎない事実。

「感謝はせど、恨む理由など一つもありません。」

 それは、確乎(かっこ)たる真実。

 誰が何と言おうとも、疑う余地のない、自分だけの宝物にも似た感情。

「私は、後悔をしていません。

 あの日この場所で、彼女と出逢う事が出来た、それ自体を。」

 薄くとも、春を(いろど)る桜よりも色濃い花弁にも似た、色付く感情に名をつけるのなら、それは間違いなく恋だ。

 果たしてそれが正しい呼び名であるかは分からないままだが、しかし男は、それは一目惚れであったと今も尚、己を(あざむ)き続ける。

 そうでなければならない。そうでなくてはこの憤りを消し去る事は叶わない。どうせ身を焦がす事になるのなら、その方が非常に、男にとっては都合がいい。


 

 何の前触れもなく、相良(さがら)は夢より醒めた。

 まだ少なからず痛む体を、上体を布団の上に起こしてみせる。そうして自分の傍らで背を正す、女の姿を捉えた。

「大主様が御呼びです。」

「……えぇ、存じております。」

 それは、七月二十八日の事。

 相良は既に、目の前にいる女・伽々里(かがり)より数日前に起こったとされる一連の出来事について聞かされている。

 だからこそ屋敷より自身に対し声が掛かるであろう事は、何となく薄々だが想像がついていた。

 驚くことなくすんなりと、彼はそれを受け止めてみせてそれで、

「では、準備をいたしましょう。」

 痛む体に鞭を打ち、立ち上がった。






 鬼ノ目 六節・旧国、(おぼ)るる虚像(きょぞう) 






 討伐屋屋の面する道から大通りに出たであろう揺れを感じた(あと)(すだれ)越しであってもハッキリと聞こえてくる話し声に、物見窓を指一本分だけ開き相良は外の様子を窺った。

 少し先に位置する水路を跨ぐように両岸に架けられた橋の、その手前に屋敷の遣いと思われる者が立ち、分かりやすく道を塞いでいる。

 数日前の起きたと出来事から既に八日(ようか)、間も無く十日(とうか)を迎えようとしているというのに、未だにこの様な立入が禁じられている状況に、(いささ)か対応が遅すぎはしないか?と余計な事を相良が考えていると、コホン、と咳払いが一つ、それほど広くもない屋形(やかた)内に響く。

 中にいる自分達の正体が分からぬように、と互いに言葉を交わさないでいたというのに、最悪バレかねない、追求が及びかねない軽率な行動に出た相良を(たしな)める為の配慮と思われる。

 音を立てぬように物見窓を閉め、浮かせた腰を元に戻しつつ(たたず)まいも正せば何事もなかった(てい)(よそお)う。もう(しば)しの辛抱だ、と自分に言い聞かせるよう口を閉ざして屋形に伝わる揺れに意識を向けた。

「止まれ。」

 外からの声は、顔は見えずとも緊迫した様子が伝わってくる。つい先ほど橋の前にいた屋敷の遣いの他いないだろう。そんな遣いと何やら言葉を交わしているのは、討伐屋までわざわざ自分たちを迎えに来た者に違いない。屋敷に仕える者かとこれまでは思っていたが、現状屋敷周辺が立入を禁じられている今、わざわざ直接屋敷から迎えを寄越せば、ぞろぞろと民の目を寄せ集める事になってしまう。

 事態を一切知らされていない、無事であった近隣に暮らす者らさえ一時的に全員家から追い出し方々の、屋敷の息が掛かった宿屋で生活を送るように手配をしている徹底ぶりを考えれば、仕丁(しちょう)を雇っての迎えであった可能性に至る。

 程なくして動きを再開した牛車に、奥へと通されたのだろうと予測を立てた相良は口を開いた。

「物珍しいもので、年甲斐もなくはしゃいでしまいました。」

 チラリと覗き見た相手は、特に何の反応も示さない。

 この様子では冗談が通じる事はないだろうが、これより自分が招かれるであろう席でのやり取りを思い浮かべてしまえば今のうちに、前もって軽く息抜きをしておきたいものだがそれも難しそうだ。

 ならば仕方ない、と肩を(すく)めてから話題を切り替える。

「怪我の具合は、皆さま如何(いかが)ですか?」

「屋敷に付き次第別れる事になるでしょう。」

「いえ、その様な」

志朗(しろう)、」

 彼女を気遣っての話題選びであったにも関わらず、彼女の返答は態度には現れていないものの、ひどい憤りを孕んでいる様に相良の目には映った。

 極め付けのように、まさかこんな場で下の名を口にされるとは、と肝を冷やす。念押し、であろう。

「無理をなさらない、と。ここで誓いなさい。」

「時と、場合によります。」

「貴方がそのような態度を取るから、彼もいつまでもああなのではないですか?」

「おやおや、痛いところを突きますね。」

 彼女を思っての切り出しであったが、本心より彼らの現状を知りたいと、そう望んでいた。嘘ではない。

 しかし一向に望む答えを述べてはくれなさそうな彼女を前に、これ以上待つのは意味がないだろう。どちらにせよ屋敷に着いてしまえば、彼女は先述通り自分とは別行動となる事だろう。それはつまり、現時点で彼女がまだ手が必要となる怪我人がいる事を意味しているやもしれない。となればそれは遠回しにはなるが彼女なりの返答だったのだろうか。

 最近は比較的優しく接される事が多かったものだから、久方ぶりに気を張り詰めた彼女を相手にする感覚を思い出すのに時間が掛かりそうな予感しかしない。

 だが、これより行われる話次第では、思い出すよりも早く、少々の別れを迎えかねない事を、相良は念頭に置いていた。

 自分がどういう人間であるかは、相良自身が一番理解している。






 宣告通り、屋敷の門を潜るなり脇に控えていた桐箱を抱えて、早々に牛車から降りた彼女はそのまま屋敷の西側へと、勝手知ったるように進んで行った。

 扇堂家の屋敷へと招かれた事はこれまでも幾度かあったが、それは中央の本堂での用事が大半で。一度だけ、初めてこの屋敷に足を踏み入れた際、榊扇の里が崇める神仏・水虎と直接対峙をしたという春原の様子を見るために西区画にあるという療養室だか治療室に赴いた事があるだけで(しかし怪我といっても大した事はなく、擦り傷と何で出来たのかまでは知らない打撲痕だけだった)、全く熟知はしていない。

 当然、今の自分には関係のない話ではあるが、それでもやはり彼女は自分と出会うよりも昔、ずっと前からこの屋敷に出入りするような事があったのだろう、と。これまでであれば然程気にも留めなかった事柄に目を向けて、やはり気乗りしない自分の重たい足取りから目を逸らした。

「此方でございます。」

 本堂と呼ばれる、門前に堂々と建てられたそれは、山の斜面帯に建てられているからというのもそうなのだろうが、奥に進んでいくと廊下の途中に数段の階段が設けられていた。これまでは西側の庭に面する一番手前の広間か、門を潜った目の前の御堂(おどう)に通され、謁見する事が多かったが、此度案内を受けたのはそれよりも奥まった場所であった。廊下の途中に階段が設けられていた為に、恐らくは上階があるのだろうがそちらには触れる事はなく、案内された間へと足を踏み入れる。

 風通しの大変良い、左右対称の造られているだろうその場所は反対側の、東側の廊下からも同じように入れる様になっている様に見えた。思い返せばここに案内されるまでの間、屋敷の他の者とすれ違う事はなかったものだから、一方通行になっているか、あるいは戻る際の手順が別にあるやもしれない。

 そして自分がやって来るのを待っていただろう、既にこの場に居合わせていた三者へと向き合う。退路はない。

「お待たせしてしまい、申し訳ございません。」

「いや、無理を言ったのはこっちだからね。多少なり、待たされるのは覚悟の上だったから気にするんじゃないよ。」

 門前の御堂同様に天井が高いその空間は、床の半分には畳が敷かれており、そこもまた数段の段差があった。低い囲い柵が設置されている。格式高さが伺える、無地縁(むじぶち)畳縁(たたみへり)は、それこそ自分のような無力な人間が踏んでしまっていいものか、と考えてしまう。呼び出された手前、ここで引き返すのもおかしな話だが。

「失礼致します。」

 履物を整えてから段差を登る。

 薄暗い、灯りのない空間であるが、色濃い無地縁(むじへり)が目を惹くもので、間違って踏んでしまうような事はないだろう。

 わざわざこの討幕後の時代に自ら貴族などと、当に廃れ切った身分を豪語する一族である為に、それこそ近頃はそれも減ったと耳にするが、その家名にも含まれている扇の家紋でも刻まれているものだと思っていた。それを少々意外そうに捉えたが、直ぐに切り替える。一礼をした(のち)、その場に腰を下ろす。

「今日も暑いったらありゃしないねぇ、相良の坊主。こうも暑いと、冷たいモンしか体は受け付けなくなってしまうよ。」

「えぇ、まぁ何でしたら日脚(ひあし)は八月より短くなると言われていました昔はどこへやら、といった具合ですね。年々、徐々にではございますが暑さは増しているように(わたくし)自身感じております。

 特にこの榊扇の里は、他所では夏であろうともそれほどという噂を耳にしていたものですから、いざ過ごしてみてそこまで差異のない事が驚かされたものです。」

「冬は全くたまったもんじゃないけどねぇ、夏だってもう少し涼しくたって良いだろうに、と毎年あたしゃあ思っているもんだよ。」

「それはそれは……、」

 しかし、それは里に限った話である。

 里の主として知られる、扇堂家七代目当主・扇堂杷勿(はな)から話を振られ、相良は落ち着いた様子で言葉を返してみせた。それが(わざ)とであるかを、触れるべきかを思い悩むも、自身が呼ばれた本題に未だ触れていない今、下手に話の舵を切るのは賢くはない。

「相良殿、相良殿。」

 見た目にそぐわない立ち居振る舞いの方が印象に残っている、愛らしい姿をした白髪の少女が相良をそう呼んだ。

「ご無沙汰しております、相良殿。つつがなくお過ごしのご様子、何よりと存じますわ。」

「えぇ、お陰様で息災に暮らしております。」

 瞳と髪だけでなくその肌さえも、存在そのものが最早白で染まったかのような少女は、上総国(かずさのくに)の古峯一帯の地で祀られる土地神の妹君だ。

 見た目にそぐわぬ立ち居振る舞いが多いのは当たり前の事。十にも満たぬ幼子の様な姿をしているが、人間の歳で換算をするのなら四十年程、自身よりも十年以上は長く生きている存在である。

 土地神として祀られる、神の名を冠す兄を持つが故に言動ばかりが一人歩きをしている様に映る。

 そしてその妹君がいて兄である土地神が居合わせていない理由(ワケ)がなく、自身に語り掛けてくる彼女のその隣より、威圧的な視線を送ってくる相手と目が合った相良は、喉奥を小さくひくつかせた。



「神鳴様も、お変わりのない様で。」

「……あぁ。」 

 それは相手の知る(よし)のない話だが、自身の妹である鶫は、相良志朗という人間の事を気に入っている事を神鳴は理解していた。

 “色”に深く身を染めて生まれた為とは断言は難しいが、自身が生まれ持って(いかづち)を思い通りに操る事が出来る才に近く、鶫は自身に向けられる感情を知覚する事が出来た。

 幼い頃はまだそれの正体が何であるのかを理解する事が出来なかったというが、よくよく思い返してみれば亡き父が自身に向けているものと、母が向けてくれるものは全くの別物であったと、鶫は溢していた。

 そしてそれは彼が本来持ち合わせている気質の問題だけでなく、あまりにも白く異質な存在である自分を見て、不の感情を抱かない相手が多くはないからというのも要因の一つである、と。春先に彼らの暮らす討伐屋に泊まった翌晩、古峯へと戻る道中、そんな事を話してくれた。

 それ自体、妹が自身意外に心を許したように接する事そのものを、何も悪い目で見ているわけではないが、言葉に落とし込んで言い表すには一段と難しい感情に襲われる事が度々(たびたび)神鳴にはあった。

 誰にも打ち明けていない、悩みの一つだ。



 彼が素っ気ない返事をするのに、相良は少々驚かされた。

 なんなら彼らの領域である古峯神社で、雪解けまでの二ヶ月ほど同じ屋根のした寝食を共にしたという友人など立場の違いもあっただろうが、二ヶ月間も時間はあったというのに一言も直接言葉を交わした事はないと話していた。

 一方で薬師の彼女が語り掛けても、あまりに淡白な返事しか帰って()ず、会話らしい会話は望めたものではなかったと、珍しく愚痴らしい愚痴を漏らしていたのをよく覚えている。

 なので、会話らしい会話が望めないと分かっている相手から、たった一言であろうとも返答があることはそれだけで驚かされたのだが、まぁそれはさておきといったところだ。

 一通り、向かい合うように座る三者と顔を合わせ、言葉を交わしと相良が終えた(ところ)で、大主が一つ手を叩いた。

「それじゃぁ一つ、今回の件について話を聞かせてもらおうじゃないか。」






 事が起きたのが八日(ようか)前、七月二十日の夕暮れ刻。

 南湖(なんご)の海での神輿(みこし)(きよ)めの儀が執り行われた翌晩、数年振りに打ち上がるという、嵐が過ぎ去るのを待った(のち)の海開きが合わさった、祭りの日の出来事である。

 異変に誰よりも一番最初に気付いたであろう者は既に亡くなっている為、その者に対しその時点で触れる事はそれ以上なかったが、次に気付いた者へと速やかに焦点が当てられた。

「屋敷の門番の一人が、血相を変えた其奴(そいつ)を見て異常に気付いたんだろうね。慌てて屋敷を飛び出して、それからその先で、あの光景を目の当たりにしたそうだよ。」

 彼が目にしたという光景は、それはきっと普通に生きていれば一度も(まみ)える事のない光景であったという。

「美琴。」

 大主の背後の襖が静かに開けられる。

 長い髪を緩く前に垂らし編んだ女が姿を見せる。相良の記憶が正しくば、女は扇堂家の分家の生まれであり、大主の補佐役を(にな)う立場の者だ。

「被害状況の御報告を仰せつかりました、扇堂美琴です。失礼いたします。」

 深々と決して(こうべ)を持ち上げる事はなく、持参したであろう書状を広げてみせて、そこに記された内容と淡々と読み上げた。

「屋敷周辺の民、三十八名が亡くなっております。

 損傷が激しく、それが本当に一人の人物であったかを特定するに至らぬ死体が数体見つかり、身元の確認が現在も行われております。」

「全員、屋敷の近隣の者かい?」

「いえ、里の方々より、祭りの晩以降行方が分からなくなった者がいるという証言が寄せられており、巻き込まれた可能性も決して否めません。」

「なるほど……ねぇ?」

 カンカン、と煙管(きせる)を逆さに鳴らす。味のしなくなった葉を捨てるその動きに余裕は伺えない。

「いやいや、悪いねぇ。前もって聞いておけば良かったと、それは分かっちゃいたんだがこの歳になるとどうにも、嫌な話は二度も耳に入れたくなくなってしまうものでねぇ……、」

 落ちていく語気と不釣り合いに、口角が(いびつ)(ゆが)むのを目にする。

 大主が普段から煙管を手放せない愛煙家であるのは里でも有名な話だ。年がら年中吸っているなんて噂が立つぐらいには知られている。吸殻となった刻み葉を捨てる手付きは手慣れたものであったが、直前まで煙を嗜んでいた様には思えないし、そうとまで里でも多く知られている彼女からは一切独特な匂いはしなかった。果たして、最後にそれを吸ったのはいつであったというのか。

「屋敷への侵入者に関してはあたしなんかよりもアンタらの方が詳しいだろう。話してもらえるかい、アンタら二人がどうしてあの晩、この里に姿を見せたのかをね。」

 そして、話は進む。



「兄に変わり私めが説明を賜りますこと、どうぞお許し下さいませ。」

 与えられた役目を終えた扇堂美琴は、早々に出てきた際の襖の奥へと消え、その場を後にした。同時に、それまで微かに感じていた、外の人の気配が薄れる。自らの意思で立ち去った、あるいは何らかの力を(もち)いられ気配を感じれなくなったかの二択を思い浮かべながら、両端の戸が開け放たれているにも関わらず、風の一つさえも感じれなくなったその場で相良は姿勢を改めた。

「此度、私ども兄妹が榊扇の里(この地)に、あの晩、姿を見せましたのは全て、私どもの師からの頼まれ(ごと)を賜ったからにございます。」

 やはり不釣り合いな、不気味なほど落ち着きを払った様子で少女の皮をした妹君は語り始めた。

「先ほど大主様がお話になられました、その場に偶々師は居合わせておりました。」

「は?」

 素っ頓狂な声が漏れ出てしまう。

 相良がそんな反応を見せると、少し可笑しそうに口元を押さえて笑う彼女は、しかし直ぐに話を戻す。

「屋敷周辺、一帯に被害は及び、その場に居合わせたであろう生存者はいない、と。それは紛れもない事実でありましょう。しかし私どもの師は、私ども同様に人ならざる身。正しくは、その場に師の目となり得る存在がおりました。それも巻き込まれてしまったようですが、多忙の身である師はかの者を止める為に準備を始めましたが、多少時間が掛かる事を見越し、兄にこの里へ先に赴くように(おっしゃ)ったのです。」

 彼女が口にした、“師の目となり得る存在”が何であるか大変気掛かりではあったが、相良は口を挟む事なく続きを促すように視線のみを送った。

「かの者が屋敷を離れられました(あと)、伊勢原大神宮の境内にて兄は師の望み通り、足留めに成功しました。ですがどうやら一悶着があった様で、兄も深傷(ふかで)を置いました。傷に関しましてはこの通り……既に塞がっております為お気になさらないでください。

 遅れる形とはなりましたが、師と共に境内に辿り着いたの(わたくし)です。」

 そこで一度彼女の言葉は途切れたが、それは問われるのを待っているように見えた。先ほど自分が抱いたばかりの疑問を投げ掛けてみようかと、言葉を探し始める。自身よりもモノを知らない相手を前に言葉を選ぶよりも、目上の相手に対し言葉を選ぶ方が段違いに難しい。相良は自身がまだ域はまだそこに達しきれてはいない事を自覚した。

「それで、鶫様は一体何を見られたのですかい?」

 が、相良が言葉を見つけるよりも早く、大主が動きを見せた。脇息(きょうそく)に体を預け、体を傾けたまま。彼女がその目で見たであろう光景を、その詳細を求めようとする扇堂家当主の目はこれまでのどれよりも鋭く。

 その目を前に、相良は唇を強く(つぐ)んだ。

(わたくし)が、見たものは……、」



 非道(ひど)有様(ありさま)であった、と鶫は語った。

 討伐屋の二人に関しては、一人は皮膚を突き破るように骨が露出しており、血みどろの状態で石畳の上に転がされていたそうだ。もう一人、常陸国(ひたちのくに)の生まれである彼は、立てなくなったボロボロになった足を引き摺り、先に意識を手放した同胞の刀を支えにするようにどうにか立ち上がり、抵抗を示していた。

「弥代様に至っては、目も当てられない(さま)で、して。」

 師の手によってかの存在が(ほふ)られた(あと)、何故そうなってしまったのか全く心当りが鶫にはないが、もうずっと刀を抜けていないのだと以前話していた事が嘘だったのかと疑いそうになる勢いで、弥代は刀を手に師に襲い掛かったという。

「常陸国の御方は、それを止めようとしているようにお見受けしました。」

 二足だけでは飽き足らず爪を立てながら飛び付く(さま)

、まるで理性を失った獣のようにであったと鶫は話す。

「兄の怪我がある為、(わたくし)はその場より動く事は出来ませんでしたが、途中、医者の方も目を覚されたのか、加わりまし、て。」

 手に負えぬ相手がただ増えただけであった。花火の打ち上がりが終わり、花火目当てに他所へ出向いていただだろう民が帰路に付く直前まで事態は収集に至ることはなく、脅威が去った事で複数人、腕に自信のあるもの屋敷に関わりのある者らがが騒ぎの中心となっている伊勢原大神宮境内に赴き、暴れる二人を抑えつけて、と。

 一度討伐屋へと戻ってきた芳賀(よしか)が事態を聞きつけて、動けぬ相良に変わり駆けつけたのを含め、後日伽々里(かがり)から聞かされた話を照らし合わせて、その後の様子であれば恐らく相良は、この場において誰よりも詳細を知っている事になる。しかしそれを自身の口から語る事はなく、大主に促された妹君の、その言葉に耳を傾け続けた。



「――以上が、(わたくし)の知る限りにございます。」

 先の景色が透けて見えそうな髪を小さく垂らしながら(こうべ)を垂れる。最後の最後まで見た目にそぐわぬ言動であったが、その姿を暫く真横で見ているうちに、それまで抱いていた違和感は薄れつつあった。

 そして彼女の話が終わったという事は、次に話を振られる事になるのは自身である。

 相良は小さく心の準備をした。











「えぇっと……あっ、ど、どうしましょう? わっ、私ったらず、ずっと弥代さんは男の子だと思っていたなんてそんな……いっ今になって言っても怒られないかしら?」

「そんなん一々気にする必要あんの⁉︎ないでしょうが! 後がつっかえてるんだからとっとと体拭いて、次行かなくっちゃ! ほら凛ちゃん! (ほう)けてないで立って立って!」

「大丈夫弥代さん、食べれそう? 苦いのとかもしかして得意じゃない? あのね、戸鞠も今でも苦いのはいやーってね、子どもみたいな事いう事あるからぜーんぜん恥ずかしがらなくてもいいからねぇ?」

「待って巴月(はづき)……? あ、アンタ何でそれを今言う必要があったっていうのよ? ……え?」

 されるがままの状態が暫く続いた。

 弥代が目を覚ました、その場に居合わせた屋敷女中の巴月がドタバタと走っていなくなってちょっとしてから、見知った顔が三つ(呼びに行ったであろう巴月を含めたら四つだ)、ズカズカと弥代が横たわる部屋に雪崩れ込む勢いでやってきて、何がなんだか、未だに自分がどうしてここにいるかさえも分かっていない状態の弥代は、自分で着た覚えさえない薄手の夜着さえ取っ払われ、水で濡らした搾りたての布で体を全身(ぬぐ)われ、と中々言葉にし難い目に遭った。

 挙句、直接そこまで面識はなかったが、それでも何度か戸鞠や巴月といった知った顔の二人越しである事は確かに多かったが、その内の一人に今の今まで男であると勘違いをされていたという事実は少々胸が苦しくなった。

 仲良し四人の中でも一番抜けているところが多いのが彼女・凛である事ぐらい弥代だって知ってはいたが、知っていたからといってすんなりと受け入れられる事でもなく。

 気落ちした弥代を誰よりも気遣ったのは巴月であった。弥代と同じように瞳に赤い“色”を宿す、扇堂美琴付の下女。凛以上に抜けているように見えて、案外しっかりと根っこを見る事が得意な、時に鋭い指摘を述べる事だってある心優しい……

「ぁ、」

 口元に差し出したつもりであったろう匙は、弥代の頬に触れて、傾きそのまま弥代の手の甲に落ちた。

「あッツ⁉︎」

 踏んだり蹴ったりである。

「ごっ、ごめんねぇ⁉︎今すぐ拭くもの……、あっ、凛ちゃん若葉ちゃん待ってぇえ! 桶のお水まだ冷たいかなぁー?」

 ドタバタと再び忙しなく部屋を出ていく、その後ろ姿に恨めしい視線を送っていいものかを弥代は考えながら、しかし彼女が自分を気遣ってくれた上で行動してくれただろうそれは事実に他ならない筈、で。

 とりあえず大きく溜め息を吐き溢し、次第に遠ざかっていく足音に、これは戻ってくるまで時間が掛かるやもしれない、と今一度布団に横たわろうかを考えていると、一人この部屋に置いてけぼりを喰らったかのような戸鞠と目が合う。

「……な、何か?」

 自分ほどではないが親しい間柄の物からも、頻繁に目付きが悪いと揶揄(からか)われる事の多い彼女は、よく主人である雪那の前では絶対に見せないような表情を弥代の前でだけ見せることがあった。

 ついさっきの巴月の失言を含め、またやや暴力的な脅迫混じりの釘でも刺されるのではないかと、ヒヤヒヤと肝を冷やしていると、間も無く戸鞠がその口を開いた。

「雪那様からの、伝言です。」

 それは、非常に重苦しいもので。

「暫く、お顔を見たくないとの事。もし用が御座いましたら、(わたくし)を通して全てお伝えしますので、何卒、よろしくお願いします。」

 弥代は、何も言い返せなかった。 

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