#08.
リュエンを後にし、大通りへと出たプリシラは、そびえ立つ塔を道標に急ぎ足で進んだ。見捨てられた地とはいえ、道自体は中央へと繋がっているのか、進むにつれて少しずつ整備された街並みが現れ始めた。
(中央噴水の隣、翡翠色の屋根……だったかしら。)
門番たちの言葉を思い出しながら懸命に前へ向かうと、視界の端に大きな噴水が映った。思ったより遠くない場所にあって幸いだった。
(これはまた……塔の隣とは思えない壮観ね。帝国らしいわ。)
広場の中央では、家一軒が丸ごと入りそうなほど巨大な噴水が、澄んだ水を吹き上げていた。なぜ噴水を中心に街が作られているのか不思議に思っていたが、喉を潤したり水遊びをしたりする子供たちの姿もいくつか見えた。
飲料水として使えるのだろうか。訝しみながら近づいてみると、浄化魔法がかけられていた。そういえば、砂漠の多い帝国では井戸を掘るのが難しいという。
そのため、このように中央に巨大な噴水を作り、浄化と保存の魔法をかけて永久的に使用するのだと聞いたことがあった。
湧き上がる水が青い空に届き、清涼感を放っている。広場の中心に鎮座する華やかな噴水、その傍らに並ぶ家々はこじんまりとしていながら、絵画のように美しい。
外見は小さく見えるが、中に入れば驚くほど広い帝国式の建築物だ。
密集して建てられた建物の間を涼やかに伸びる街道の先には、果ての見えない高い塔が孤高にそびえ立っている。
正体不明の塔の麓に作られたとは思えないほど、美しく華やかな街の姿。リベリアはかつてガエルの首都だったはずだが、連合軍の会議で訪れた帝国の姿に酷似しており、驚きと同時に得体の知れないわだかまりを感じた。
広場を眺めながら感慨に浸っていたプリシラは、やがて噴水の向こう側にある翡翠色の屋根の建物へと向かった。
屋根と同じ翡翠色に塗られた扉を開けて中に入ると、広いホールの中に窓口がいくつも設置されているのが見えた。どの窓口も人で溢れかえっている。
(人が多いわね……。)
未知の塔とは、いわば宝の山だ。当然、冒険家を惹きつけることは分かっていたが、それにしてもこれほど人が多いとは思わなかった。
この人数では、受付どころか今日中に職員と対面することすら不可能に思えた。
ただでさえ人が多くて時間がかかっているというのに、一目で犯罪者と分かるような者たちが問題を起こしては暴れるせいで、さらに停滞していた。
(これは困ったわ……。)
リュエンに、すぐ戻ると約束したではないか。ただでさえ傷の多い彼に、嘘をつくような真似はしたくなかった。
(移住登録は後回しにして、先に宝石商と宿を探そうかしら。)
色をつけて支払えば、奴隷でも泊めてくれる宿はあるはずだ。宝石を売れば、かなりの余剰金ができるだろう。周辺には商店らしき場所も多かったので、宝石商の位置を聞けばすぐに見つかるはずだ。
(まずは換金を済ませてから宿を探そう。一箇所くらいは当たりがあるはず。まずは腕を治療して、それから移住登録を……いや、もう少し休ませた方がいいかしら。資金を考えれば……。)
「……プリシラ?」
プリシラが腕を組んで計画を練り直していると、彼女の名を呼ぶ声が聞こえてきた。反射的に声のした方へ視線を向けると、建物の二階から一人の男が降りてくるのが見えた。
長い茶髪を一つに結んだ男は、端正ながらもどこか厳格な顔立ちをしていた。鋭い印象だが、透明な眼鏡の奥の青い瞳が大きく見開かれており、普段よりも柔らかな表情に見えた。この人は……。
「ライディス公?」
瞬く間にプリシラの前に立った男は、驚きの中にも再会の喜びを滲ませて言葉を継いだ。
「おや。本当にプリシラ殿ですか?」
「帝国の高位貴族であられるライディス公が、なぜここにいらっしゃるのですか?」
ライディス・ラフェル。カイアド帝国の貴族であり、連合軍の行政官を務めた人物だ。連合軍との協力作戦を展開する際、何度も世話になった相手であり、帝国内でも有能であると定評のある人物ではないか。
終戦当時に侯爵位を授かったと聞いていた彼が……なぜこんな危険な場所に?
驚いたプリシラが礼儀も忘れて尋ねると、ライディスは含み笑い混じりの声で答えた。
「それはこちらの台詞ですよ、プリシラ殿。あなたはハウェル王国が最も大切にしている『盾』ではありませんか。カイゼン殿があなたを手放すはずがないと思っていましたが。」
「いろいろと事情がありまして……。」
困惑して言葉を濁したプリシラは、自分の答えからライディスがここにいる理由を悟り、頷いた。
「なるほど、ライディス公にもいろいろと事情がおありなのですね。」
「私がどれほど事情を抱えていようとも、プリシラ殿ほどではないようですね。戦時中でさえ切らなかった髪を、これほど短くなさっているところを見ると。」
ライディスの答えに、プリシラは苦笑いを浮かべた。髪が短いと少年兵と間違われることが多いから、意地でも伸ばしているのだと彼に話したことがあった。
「リベリアに移住する予定なんです。今日はその登録に来ました。」
「あなたがリベリアに来てくださるとは、聞き及ぶだけで心強い。冒険者になるおつもりですか? それとも討伐軍に?」
「いいえ、店を出そうと思っているんです。ここなら、私の作る守護符もよく売れるでしょうから。」
「それはいい。」
プリシラの事情が気にかかるだろうに、あえて深く踏み込んでこないのがライディスらしかった。彼はプリシラに一歩歩み寄り、尋ねた。
「店を出すなら、目星をつけている区域はありますか?」
「いいえ。今日到着したばかりで、周辺の地理には疎いんです。本来なら移住登録の後に居住地の紹介も受けるつもりでしたが……。」
プリシラは依然として並んでいる窓口の列を眺め、肩をすくめた。
「どうやら、今すぐ登録するのは難しそうですね。連れを待たせているので、今日はこれで失礼します。」
「おや、冷たいことをおっしゃる。プリシラ殿、私が困っているあなたを見逃すはずがないでしょう?」
「え?」
「登録を手伝いますから、上へいらっしゃい。住宅の契約もここで行いますから、ついでに全部済ませてしまってはいかがですか?」
「それは助かりますが……よろしいのですか?」
「知り合いの特権なんて、そんなものでしょう。他の誰でもないあなたがここに腰を落ち着けようというのなら、絶対に逃すわけにはいきませんしね。」
戦場にいた頃も、虎視眈々とプリシラを勧誘していたライディスを思い出し、笑みがこぼれた。当時はアイザックの傍にいたかったから断ったのだった。けれど、今は……。
(リュエンを帝国へ連れて行くわけにはいかないし。)
「いくら助けていただいても、帝国へは行きませんよ。」
「ご安心を。私もまた、リベリア自治区の一員となったのですから。」
万が一の状況に備え、プリシラが先に断りの言葉を口にすると、ライディスは案ずるなとばかりに口角を上げた。
どうやらライディスもまた、プリシラに負けず劣らず多くのことがあったようだ。それもそのはず、何事もなければ、誰よりも帝国の安寧を案じ忠誠を誓っていた彼がここにいるはずがない。
「それなら、お言葉に甘えさせていただきます。」
「いくらでも甘えてください。あなたなら大歓迎です。」
(それにしても……リベリアに来て半日も経っていないのに、昔の知り合いによく会うわね。)
戦争が終われば、軍人は利用価値が落ちるものだ。戦うことしかできない者たちだから、また誰かと顔を合わせることになるかも知れない。
喜ぶべきか、苦く思うべきか分からぬまま、プリシラはライディスに従い、彼の執務室があるという二階へと向かった。




