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#05.

プリシラは、もしや見間違いかと思い足を止め、地面に突っ伏している男をじっと見つめた。

間違いなかった


プリシラが参戦した三年間、戦友たちと同じくらい頻繁に目にしていたあの顔。

魔導兵たちと共に現れ、光を反射する白金色の髪をなびかせながら、戦友たちを屠っていた「ガエルの白い悪夢」。リュエンだった。


なぜ? どうして?


疑問が渦巻く一方で、魔導王国が滅亡した当時のことを思い出したプリシラは、目を細めた。

終戦当時も生存していたリュエンとその魔導兵たちは、ハウェルからカイアドへと引き渡されたと聞いていた。たとえ数多の国を侵略した魔導兵だとしても、リュエンの部隊はいかなる戦犯行為も犯さなかった。


ただ軍人だけを攻撃した魔導兵。

リュエン一人を殺すために、どれほど多くの兵士が命を落としたことか。


彼の攻撃によって、どれほど多くの戦友たちが跡形もなく消え去っていったことか。

プリシラ自身も、何度も盾を構えて死線を越えてきた。あの日の悲惨さを思えば、血が逆流するような思いだった。


しかし。


両腕を切り落とされたリュエンの姿に、喉の奥から苦いものがこみ上げた。口元に付着した血の跡を見るに、吐血しているようだった。


『あれは戦争だった。私たちは軍人だったのだから。』


戦場で刃を交えたとはいえ、その戦いに自分たちの意志が介在していたわけではない。軍人は国の意志に従って戦うものだ。

彼に罪があるとするならば、敗北したということ、ただそれだけだ。


憎いとはいえ、軍人個人に罪を問うのはあまりに残酷な仕打ちだ。私たちは国のために戦ったのだ。プリシラがリュエンを許せないとしても、それは彼の背後にいたガエルを許せないのであって、リュエン自身を憎んでいたわけではない。


もちろん、遺族としては許せないだろう。分かっている。プリシラも誰より彼を殺したいと思っていた。


彼一人が苦しむことで戦争が終わり、平和が訪れたのだとしたら、プリシラも誰より残酷に彼を拷問しただろう。


だからこそ。


だからこそ、両腕を切り落とされたまま奴隷とな

った彼の姿が、納得いかなかった。

戦争は終わった。魔導王国は滅亡し、生き残った魔導士たちも他国へ帰化するか、あるいは死んだ。


リュエンはかつて、英雄として崇められた者だ。ゆえに当然、多くの国が彼を求めて連れて行くものだと思っていた。今もどこかで、穏やかに暮らしているだろうと考えていたのに。


宿敵の没落した姿に、心が乱れた。もし彼が不幸であるべきだというのなら、プリシラも不幸でなければならない。国のために戦ったに過ぎない私たちは、幸せになる資格があるはずだ。

そうでなければ……。


リュエンの悲惨な姿に、寝室にいたアイザックとアリシアの姿が網膜に重なった。

リュエンの姿が国を想った軍人たちの末路だというのなら、搾取されながらも愛を求めたプリシラが捨てられるのも、当然の帰結ではないか。


こんな結末は納得できなかった。一生、苦労ばかりしてきた。王都に残った貴族たちが平穏に椅子に座っている時、血生臭い戦場を駆け抜けた。彼女が望んだことではなかった。「守護」のスキルを持っていたがゆえに、伯爵令嬢でありながら戦場へと駆り出されたに過ぎない。


リュエンがなぜ軍にいたのかは知らない。


しかし、彼が捕虜を拷問したことも、死にゆく者を苦しめたこともないのは確かだった。戦わねばならなかったから戦ったのであって、殺人を嗜む者ではなかったのだ。


立ち止まったプリシラがリュエンを見つめてどれほど経っただろうか。リュエンの傍らに座っていた身なりの汚い男が、プリシラを見上げて尋ねた。


「何をそんなに凝視してやがる。買わねえなら失せな。」


煩わしそうに手を振る男に視線を向けたプリシラは、リュエンの前に書かれた粗末な文字に目を留めた。


「銅貨二枚」


帝国の貨幣は王国のものと大差ない。つまり、英雄リュエンは水一本すら買えない端金だという意味だ。


「……。」


深い溜息が吐息に混じった。


「悪いが、銅貨を持ち合わせていなくてね。別の物で代金を支払っても構わないか?」

「あ? 本気で買うつもりか? よしとけ、お嬢ちゃん。」


先ほどは買ってくれと言わんばかりだったくせに、今度は買うなと言うのか。プリシラが眉をひそめて首を傾げると、男は腕組みをして言葉を続けた。


「見るからに、うっかりここに迷い込んだんだろうが、 『これ』は舌もねえから飯もまともに食えねえ。最近じゃ血を吐くどころか、歩くこともできねえんだぞ。」

「だから、こんな叩き売り価格で販売しているのではないか? 私が買ってやる方が、あんたにとっても得だろう。」

「俺がいくら薄汚くても、子供に死体を売りつけるほど腐っちゃいねえ。その細い腕で、こいつを引きずって帰れるわけもねえだろう?」


プリシラは答えの代わりに、懐からイヤリングを一つ取り出して彼に投げた。終戦当時、カイゼンから贈られた精巧な細工の金色のイヤリングだった。


「本物の金で、本物の宝石だ。これなら十分な代価だろう?」

「待……お前、正気か?!」


投げられたイヤリングをまともに掴むこともできず、男は震える目でプリシラを見上げた。プリシラは今回も答えず、リュエンに近づいた。自分が売り買いされている最中も、リュエンはただうなだれて地面を見つめているだけだった。

彼女がまさにリュエンに手を伸ばそうとした時、男がプリシラの腕を掴み、小声で言った。


「ちょっと待て、」

「何だ? 金が足りないか?」

「そうじゃねえ! お前、貴族だろ? こんなスラムで貴重品を軽々しく放り出すな。殺されるぞ。」

男は心配して言ったのだろうが、プリシラとしては笑いがこみ上げてきそうだった。それでも、親切心からの言葉を笑うわけにもいかず、小さく咳払いをしたプリシラが男に尋ねた。

「注意しておこう。それで? なぜ待てと言うのだ。」

「こいつは本当に危ねえんだ。そもそも、売るために出したわけでもねえ。」

「どういう意味だ?」

「お前は知らねえだろうが、これは十年戦争の時、戦場の最前線にいた殺人兵器だ。もうすぐ死にそうだから、捨てに行くために連れ出しただけなんだよ。」


聞こえるか聞こえないかという男の囁きに、リュエンの体が微かに震えた。幸い、耳は無事なようだ。


「それで?」

「それで? じゃねえよ! 今は大人しくしていても、いつどんな風に発狂するか分かったもんじゃねえ!」


発狂するつもりなら、舌と腕を切り落とされた時にしていただろう。そもそも魔導兵器である彼が、舌と腕を失ったからといって魔法を使えなくなること自体、本来ならあり得ない話だ。彼が静かにしているのは、現実を受け入れたという証に他ならない。

プリシラの瞳に、同情の色が浮かんで消えた。プリシラは言った。


「心配してくれて感謝する。だが私にとってこの男は、あんたの言う通り、いつ死ぬとも知れない哀れな者に過ぎない。死ぬ時くらいは、温かいベッドに横になってもいいだろう?」


『死なせるつもりはないがな。』


余計な付け足しはせず、プリシラが微笑むと、男は呆れ果てたような表情を浮かべた。


「大層な博愛主義者様のお出ましだな。そこまで言うなら譲ってやる。ただし、絶対に外に放すんじゃねえぞ。死ぬ時はこいつを連れて行くんだ。」「はは、案ずるな。あんたの言う通り、こいつが暴走して暴れたとしても、私が止めてみせる。」

「そんなバカなことが……はぁ、もういい。言って聞くような奴なら、最初から買うなんて言わねえか。」

「物分かりがいいな。」


聞こえよがしに溜息を吐きながら答える男に微笑みを返したプリシラは、今度こそリュエンを連れて行くために手を伸ばした。しかし、またしても男に遮られ、リュエンに届かなかった。


「待て。」

「また何だ?」

「これ、返してやる。」


男が差し出したのは、プリシラのイヤリングだった。怪訝な表情を浮かべる彼女に、男が答えた。


「もともと殺すために連れ出した代物だ。スラムに住む俺が持ってたところで、現金に換えられもしねえ。」

「おっと……。」


そう……か。確かにスラムで売り買いするには、値もつけられない品ではある。予想外の展開にプリシラが申し訳なさそうな顔でポケットを探ると、彼はプリシラのポケットに無理やりイヤリングを押し込んだ。


「死体を片付ける手間を考えれば安いもんだ。そのまま持ってけ。」

「あんた、いい人だな。ありがとう。」

「奴隷商人にいい人なんて言うのは、世界広しといえどお前くらいだ。間抜けな奴め。」

「そうか? 十分に親切でいい人のようだが。」


笑いながらイヤリングを懐に仕舞い込んだプリシラが、リュエンを抱き起こすために手を伸ばした。彼女の手が彼の肩に触れた瞬間、伏せられていた彼の顔が上げられた。


太陽を閉じ込めたような紅色の瞳が、プリシラの瞳と重なった。一瞬、焦点の定まっていなかった彼の瞳に、鮮明な光が宿った。大きく見開かれた彼の瞳の奥に、プリシラの姿が映った。血の跡がついた彼の唇が、微かに戦慄いた。


[黒き、防壁。]


実に久しぶりに耳にする幼名だった。プリシラの口角がさらに吊り上がった。リュエンをひょいと抱え上げたプリシラは、笑みを孕んだ声で挨拶を交わした。



「久しぶりね、リュエン。こんなに近くで見つめ合うのは、初めてだな。」

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