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#03.

プリシラを捕らえられぬまま辺境伯邸へと戻ったデカルドは、カイゼンに彼女の最期を告げた。デカルドの悲痛な報告を聞いた辺境伯は、不快そうに顔をしかめ、髪をかき乱した。


「死者の森に落ちて死んだだと? 馬鹿げたことを言うな」

「閣下。あの高さから落ちれば、誰も生きてはおりますまい」

「凡人ならそうだろう。だが、プリシラは『戦場の盾』だ」

「しかし、閣下……」

「プリシラは、あの『白き悪夢』を前にしても砕けなかった盾なのだぞ」


そう、崖から落ちた程度でプリシラが死ぬはずはない。しかし、辺境伯領……いや、ハウェル王国内で「死者の森」に入り、生きて戻れる者はたった二人しかいない。救済の天使ミラベルと、戦場の盾プリシラだ。


身重のミラベルを死者の森へ向かわせるわけにはいかない。カイゼンがミラベルを動かせないことを見越して、プリシラは死者の森へと逃げ込んだのだろう。


全ったく、アイザック・ペインがとんでもないことをしでかしてくれたものだ。


(……盾を捨てるべきか)


プリシラが有能な盾であることは確かだが、唯一無二の存在というわけではない。ただ、彼女に代わる者たちを招集するには、彼女があまりに効率の良い盾だったというだけのこと。


ああ。考えようによっては、これで良かったのかもしれない。プリシラがいかに優れた盾であっても彼女もまた女だ。子を授かり親になれば、その力は半減するのが目に見えている。それに、プリシラは素晴らしい盾だが、結局は盾に過ぎなかった。難局を切り拓く「剣」なくしては、現状を維持するだけの盾。


終戦からすでに三年が経った。

プリシラに守らせねばならぬほどの未曾有の危機は、もう存在しない。いつか捨てるべき駒ならば、アイザックが大々的に不祥事を起こした今、切り捨てるのはどうだろうか。


カイゼンは脳内で計算を巡らせた。これまでプリシラはカイゼンの盾として、昼夜を問わず働いてきた。そんな彼女が正常な形で引退を宣言していたなら、その慰労金は想像を絶する額になったはずだ。


固く結ばれていた口端が吊り上がった。悪くない。いや、むしろ好機だ。カイゼンがいま必要としているのは「盾」ではなく、「剣」と「財」なのだから。


歪んだ笑みを浮かべたカイゼンは、頭を垂れて立っていたデカルドに告げた。


「アイザック・ペインの裏切りに衝撃を受けたプリシラ・ペインは、断崖から身を投げ、死亡した」

「閣下、それはどういう……。先ほどは、プリシラは生きていると……」

「彼女が死者の森へ飛び込んだということは、もはやこの国には戻らぬという意思表示だ。去りたいと言うなら行かせてやるのが、君主としての慈悲というものだろう」

「閣下……」

「ただし、このまま行かせてはプリシラに合わせる顔がない。妻を裏切り死に追いやった罪を、アイザック・ペインに問う。……その義妹を連れてこい」


カイゼンの命に、デカルドは深く頭を下げた。彼の掌には、まだプリシラの黒髪が残っていた。



***



「うっ……ゲホッ、ゴホッ!」


切り立った絶壁の下。激流から辛うじて這い上がったプリシラは、口に入り込んだ水を吐き出しながら河原に身を横たえた。


「ふう……戦場の盾が川で溺れ死んだなんて、とんだ笑い話になるところだったわ」


崖から飛び降りる前、守護の結界を全身に纏ったまでは良かったが、崖下に川が流れているとは予想外で、備えができていなかった。流速があまりに速く、戦場で鍛え抜かれたプリシラでさえ、容易には水から抜け出せなかったのだ。


おかげで勢いよく流されたプリシラは、自分がどこまで流されたのかも分からぬまま、真っ青な空を見上げていたが、やがて慌てて起き上がった。そして、懐に隠し持っていた貴金属が無事かどうかを確認した。


「ふぅ……」


幸い、密かに持ち出した宝石たちはそっくり残っていた。これだけあれば、生活の基盤は築けるだろう。


「カイゼン閣下は……私を死んだものとして処理するはず」


計算高い彼なら、死者の森にいるプリシラと現状を天秤にかけ、未練なく彼女を捨てるだろう。死者の森を捜索してまでプリシラを見つけ出すには、ミラベルが必要になるのだから。


カイゼンにとってプリシラは使い勝手の良い道具だ。しかし、代えの利かない唯一無二の存在ではない。ゆえに、カイゼンはプリシラを捜索しないだろう。たとえ捜索したとしても、ミラベルなしでプリシラを見つけるのは不可能なはずだ。


(ええ。閣下……カイゼンはきっとそう考えるわ。私はただ現状を維持するだけの、無能な盾だと)


彼と向かい合ってきた歳月は六年。カイゼンがプリシラをよく知るように、プリシラもまた彼をよく知っている。だが、彼が知らないことが一つだけある。


従順で情の深いプリシラは、自分の懐に入れた者たちを容易には見捨てられない。

彼らがどんなにプリシラに残酷にあたろうとも、どんなに彼女を冷遇しようとも、一度愛情を注いだ相手には付き従う。


だからこそ、気づかないだろう。従順なプリシラが独りでこなしていた、数多の仕事を。

本当にあの領地に、プリシラの代わりが務まる者などいるだろうか?


「ふふ……はは……あはははは!!!」


プリシラを道具扱いした者たちの顔が浮かび、自然と笑いが込み上げた。そう、彼らは知らないのだ。


プリシラが死者の森を裏庭に持つ辺境伯邸を守るため、守護結界を張り巡らせていたことを。

夫であるアイザックのため、常に守護の呪符を彼の服に縫い付けていたことを。

領民を守るため、毎日欠かさず二重の結界を展開していたことを。


幾重にも張られた結界のおかげで、魔物の出現は著しく減り、死者の森から漏れ出す毒気も薄まっていた。それをただ、時の流れのせいだとでも思っていたのだろう。


「愚かな人たち」


愛情が冷めてしまえば、彼らのためにあんなに尽くしてきたことも滑稽に感じられた。まあ、いい。失敗もまた経験であり、もはやプリシラを遮るものは何もないのだから。


プリシラは自由だ。もう何だってできるし、どこへだって行ける。立ち上がったプリシラは、高く昇った太陽を確かめ、歩みを進めた。


アイザックの不貞を知った瞬間から、プリシラが行くべき場所は決まっていた。


死者の森の向こう、滅亡した魔導王国ガエルの首都、リベリア。


ガエル自体は諸国に吸収されたが、首都であるリベリアはどの国も手にすることができぬまま、今なおその威容を誇っていた。

リベリア、正確にはリベリアの跡地にそびえ立つ「塔」を攻略するため、数多くの冒険者が集まっていると聞いた。


持てるものなど何もなく、できることも限られているプリシラでも、あそこへ行けば食い扶持くらいは稼げるだろう。何より彼女は「戦場の盾」。そびえ立つ塔を登る冒険者たちが誰もが欲しがる守護魔導師なのだ。もちろん、プリシラ一人では塔を登ることも魔物を討伐することも不可能だ。しかし、彼女が持つ守護スキルがあれば、生きていくのに支障はないはずだ。


「今度は安売りなんてしない。誰にも私を便利な道具扱いなんてさせないわ。そして今度こそ勝ち取ってみせる。私の幸せを」

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