#18.
切迫した状況であることは理解したが、一体何が起きているのか把握しきれずにいた。
プリシラの母国であるハウェル王国には「魔物の塔」が存在しない。そもそも塔という存在自体が不可思議な未知の領域であり、知られている情報は皆無に等しかった。
プリシラが知る塔の情報といえば、内部には数多くの希少な素材や宝が眠っており、その分だけ危険で強力な魔物がはびこっているということ。そして、塔を「攻略」すれば、どんな願いでも一つだけ叶えられるということくらいだった。
(「勇者」というのは、英雄級の冒険者に与えられる称号だわ。カルデオンという者は、アイザックやカイゼン閣下に匹敵するほどの実力者だということね)
プリシラの目が細められた。塔の内部で容易ならぬ事態が起き、それを収拾しなければ数え切れないほどの人命が失われることだけは確かだった。
「現れた魔物は、何ランクですか?」
「S級個体が五体、A級が三十。それ以下は数百にのぼります」
「S……?」
Sランクといえば、単体で一個大隊を全滅させかねない危険個体だ。危険な分だけ個体数は少なく、領域への執着が強いため、滅多に遭遇することもないはずだ。
狂った魔法がかけられた「死者の森」の魔物でさえ、Sランクは一年に一体か二体現れるかどうかではなかったか。そんな魔物が一体どころか、五体もいるというのか。
「ライディス公。一つ伺います。これほどの等級の魔物は、頻繁に現れるものなのですか?」
「いいえ。少なくとも、私がこの自治区に来てからは初めてのことです」
頻繁に起こることではないという点だけは、不幸中の幸いだった。
「私がすべきことは?」
「S級個体を食い止めてください」
「場所は?」
「路上に魔法で印をつけてあります」
「S級ともなれば、並大抵のアタッカーでは討伐不可能です。戦力は足りているのですか?」
「最大限……集めてはいます。プリシラ。無理なお願いだとは重々承知していますが、耐え抜いていただけますか?」
ライディスの切実な願いに、プリシラは頷いた。外へ飛び出すと、ライディスが魔法で設置した道標が見えたが、その距離は刻一刻と縮まっていた。塔の防衛線が突破されたのだろう。
プリシラがそちらへ向かおうとした時、視界の端にフードを深く被ったリュエンの姿が映った。しまった。
「リュ……あなたはここに残って」
思わず名前を呼びそうになり、後ろに立つライディスを意識して言い直した。
「私も行く」
「だめよ。患者は休むのが仕事だわ」
「断る」
「だめだと言ったでしょう」
「断ると言ったんだ、プリシラ。言い争っている時間はないはずだろう? すでに第二防衛線が突破されたぞ」
リュエンが顎先で道標を指し示した。確かに、先ほどとは比べものにならない速さで距離が縮まっている。リュエンの言う通り、言い争っている時間はなかった。プリシラはリュエンを睨みつけ、低い声で言った。
「後で怒るからね」
「甘んじて受け入れよう」
(一言も引かないんだから……)
後でたっぷり説教してやることを心に決め、プリシラは道標が指す方向へと駆け出した。遠くない場所から戦闘の喧騒と共に魔物の咆哮が聞こえてくる。崩れた建物から立ち昇る土煙のせいで視界は最悪だった。
降り注ぐ陽光の下、理性など皆無の怪物たちが奇妙にねじれた体を引きずり、目に映るものすべてを破壊していた。
(状況は良くないわね……)
視界に入る魔物の数だけで百を超えている。それに対し、戦える人員はその四分の一にも満たない。どうやら、かなりの時間を稼がなければならないようだ。
一度、短く呼吸を整えたプリシラは、出せる限りの大声で叫んだ。
「防壁の向こうへは魔物を通さない! 負傷者は急いで防壁の内側へ。戦える者は防壁の前で迎え撃て!」
言い終えたプリシラは目を閉じ、手を掲げた。戦場で幾度となく展開した巨大な防壁。頭の中に描いたイメージを現実に固定する。
閉じていた目を見開くと同時に、魔導塔を包み込むように高く巨大な障壁がそびえ立った。守護防壁は夜空をそのまま持ってきたかのように黒く、深かった。けれど、暗くはなかった。夜空を彩る星々が道を照らすように、防壁は闇の中でも淡い光を放っていた。
「黒い……防壁?」
プリシラの近くで魔物と戦っていた冒険者が、呆然と呟いた。その視線が彼女に向けられたが、今のプリシラには他人に構っている暇はなかった。
防壁に衝突した魔物が轟音と共に壁の内側へと転がった。プリシラは流れる冷や汗を乱暴に拭い、目を細めた。防壁を張るまでは良かったが、ライディスが言っていたよりも数が多い。いくらプリシラでも、この防壁を一日以上維持するのは難しいかもしれない。
壁の内側には、まだ逃げ遅れた警備隊員や冒険者たちがいる。
(避難の誘導と負傷者の救出が最優先。討伐隊が来るまで、可能な限り時間を稼ぐわ)
行動手順を反芻し、プリシラが防壁の内側へ踏み込もうとした時だった。
「……っ?!」
淡い闇に包まれた壁の向こうから、真っ赤な火柱が上がるのが見えた。自然な炎ではない。何かが火炎の塊を放ったのだ。何だったの?
驚いて反射的に顔を上げた時、塔から舞い降りて空を滑空する巨大な影が見えた。
「ありえない……あれは、ドラゴンじゃない」
(神話の魔物がどうして……。いいえ、それより、誰があれを仕留められるっていうの?)
防ぐことならできるだろう。黒い防壁は強固だ。けれど、ドラゴンを討伐するには「ドラゴンスレイヤー」が必要ではないのか。
呆然と見上げていると、宝石のように輝く紅い瞳がプリシラを捉えた。吊り上がった目元が、おぞましくも美しかった。
標的を確認したドラゴンが、プリシラを目掛けて急降下してきた。




