真実
夕方になり、徐々に賑やかさを増す六本木の街を、ゆかりはスマホで地図を確認しながら歩いている。
(似たような交差点が多くて困るなぁ……)
似たような交差点も、似たようなビルも多い六本木は、地図を読むのが苦手なゆかりにとって、かなり難易度の高い街と言える。
見ている地図の中に、美月が働くクラブが表示された。
確か次の取材場所となるカフェは、その近くだったはずだ。
少しずつ、夜の街で輝くのであろう着飾った女性たちともすれ違うようにもなってきた。
数メートル先で、20代くらいの着飾った女性が年配の女性のスマホをのぞき込み、道案内をしている様子が見える。
ゆかりが半分迷子なのだから、年配の方にとっては迷路のようなものだろうと思う。
完全に偏見ではあるが、クラブなどで働く女性が、困った人を助けようと手を差し伸べている姿を見るとキュンとする現象に、そろそろ良い感じの名前をつけたいと、ゆかりは思った。
ギャップ萌えとはまた違う、もっと的確な言葉を……。
そんなことを考えながら地図を見ていたゆかりだったが、今すれ違った人の華やかな気配に心臓がドキッとしたのを感じる。
立ち止まり、後ろを振り向くとー。
「……!?」
同じく気配を感じたのか、立ち止まって振り向いた、美月がいた。
目が合う2人。
よく見ると、先ほど年配の女性に道案内をしていた、あの着飾った女性だった。
美月が慌てて走っていく。
「待って!」
驚いて追いかけるが、普段からヒールを履き慣れている美月は、ゆかりをどんどんと引き離していく。
それでも、逃すまいと追いかける。
美月は、とある路地裏に曲がった。ゆかりも同じ角を曲がる。視線の先に、まだ美月が見えた。
叫べば、声は届きそうだ。
「待って!……美月!!」
ピタリ、と美月が止まった。
息を切らせながら、怯える動物に近づくように、ゆっくりと距離を縮める。
「美月、でしょう?」
美月は反応しない。今、どんな顔をしているのか、想像もできなかった。
「美月」
「やめてよ!!」
路地裏に、美月の声が響いた。
「やめて……。私なんかに話しかけないで……」
絞り出すように小さく吐かれた声は、硬いコンクリートに吸収されて、ゆかりにはよく聞こえなかった。
「なに?」と問いかけるが、しばらく寒々しい沈黙が続く。
耐えかねたゆかりは、勇気を振り絞って声をかける。
「ずっと会いたかった。この世界のどこかで幸せに生きているならそれでいい。そう思ってたけど、叶うならまた会いたいし、話したかった」
「会いたい」という言葉に反応するように、ピクッと美月の肩が震えるのが見えた。
何でも良い。どんな顔だって良い。ただ、この再会に美月からの言葉が欲しかった。
目の前の美月は再び、足早に去ろうとする。
「逃げたって!」
止めたい。どうにかして、この場に彼女をつなぎ留めたい。
「何も変わらないよ。私達は日々、過去に張った伏線を回収して生きてる。ここで、こんなに広い東京で再会出来たのは奇跡だし、今ちゃんと向き合わないと、物語は少しも前に進まない」
間違えたかもしれない、とゆかりは思った。こんな言葉の掛け方をしたかったわけじゃない。
職業病で、伏線だの、物語だの言ってしまったが、そんな言葉が今の美月に刺さるはずがないと瞬時にわかった。どうしてこうも、不器用なんだろう。嫌になる。
「……!」
美月が、振り返った。その顔に光はない。そして聞こえた声は、震えていた。
「奇跡? 物語? そんなもの全部幻想。昔からずっと私とゆかりは歩む道が違った。夢があって、それを叶えられる環境があるゆかりと違って、私の道は歩いても歩いても暗闇。つい比べてしまって、苦しかった」
「……嫉妬してるの?」
またやってしまった。違う。美月に掛けるべき言葉はこれじゃない。
「嫉妬っていうのは、頑張れば自分にも出来るかも、なれるかもと思う相手に感じることだよ。ゆかり、大谷翔平選手に嫉妬しないでしょ」
ごもっともだ。
「雲の上の存在には尊敬することはあっても、嫉妬はしない。手が届かないとわかってるから」
光のない美月と目が合う。無機質な路地裏にスーッと風がふいて、背筋が寒くなった気がした。
「高校卒業してから秋田に引っ越したけど、あれは、暴力を振るう父から逃げるためだったの。だけど結局、今度は精神を病んだ母が父みたいになって、妹を道連れに、自滅した」
* * * * *
5年前。同窓会、当日。
おニューの綺麗なワンピースを着て、美月は受付に並んでいた。
ゆかりはまだ到着していない模様。早く会いたくて、そわそわとあたりを見渡す。
もう少しで順番が来るので、鞄を開いて招待状を探していると、スマホが小刻みに震えた。
ゆかりだろうか、いや……知らない番号だ。
いつもなら迷惑電話だろうと無視するところだが、この時は直感で出なければいけない番号だと思った。
受付の列を抜け、会場の端に移動して恐る恐る電話に出る。
「……はい」
電話の相手は、秋田南警察署の藤原と名乗る男性だった。
美月の中でパチンっと何かが弾けた音がして、騒がしい会場の音はすべて無音になった。
悔し気な顔で、会場から出ていく。
* * * * *
「私の人生、ずっとこう。やっとの思いで東京に逃げて来ても、私が好きになる人はみんなあの男(父)みたいになる。だから、ゆかりには近づきたくなかった。こんな姿、見せたくなかった。光の道を行く、ゆかりには」
光の道……。
ゆかりは今度こそゆっくりと深く深呼吸をして、丁寧に言葉を紡ぎ出していく。
「私にとっての光は、美月だよ。小説家になるという夢も両親からはずっと反対されていたし、狭き門だと諦めかけたこともあったけど、その度に背中を押してくれたのは、美月の笑顔と褒め言葉だった。美月のように本を読むのがニガテな人でも楽しく読める物語を書きたい、美月の自慢の友でありたい。それが今でも私の一番のモチベーションになってる」
今の美月の心に響かなくてもいい。でも、これが本心だ。
「……勝手なことばっかり」
小さくてよく聞こえなかったが、たぶん、美月はそう言った。
「私は、美月ともう一度、友達になりたい。今ならまだ、間に合うと思うんだけど、どうかな」
美月の光のない瞳が、もう一度ゆかりを見る。どういう感情の顔なのだろう。
目をそらしたら泣いてしまいそうで、必死にそのブラックホールのような瞳を見つめる。
またしばらくの沈黙の後、ゆかりのスマホが鳴った。
時計を確認して、我に返る。
「篠宮さん、今どちらですか? もしかして迷ってます?」
目的を思い出した。
「あ、いえ、もうすぐ着きます。すみません」
目の前の美月が、こちらを鼻で笑って再び去ろうとする。
急いで電話を切り、その背中に叫ぶ。
「明日!」
美月の背中は、どんどん遠くなっていく。
「明日、六本木大通りのサイゼで待ってるから。一日中、ずっと。もし美月が良ければ、いつでも来て」
これが、今出来る精一杯だった。
ゆかりは、来た道を足早に去っていく。
振り返ってその背中を見つめ、美月は小さくため息をついた。
* * * * *




