12年前
夜。自室のパソコンに『紫式部 友人』と入力し、検索をかける。
青山に言われた「恋の歌」という言葉が妙に引っ掛かる。
コンコン、と部屋の扉がノックされる。
同居人は、新卒1年目の妹・あかね。
「自由になりたい」とか言って実家を出てきたわりには、「お金がないから」と、ゆかりの家に長いこと住み着いている。
はたして、いつになったらこちらを自由にしてくれるのであろうか。
「どうぞー」
ゆっくりと扉が開く。
「やだ、このやりとり就活思い出すわ」
何か用かと聞くと、週末に街コンに行くので、お姉ちゃんの赤のワンピースを貸してほしいとのこと。
赤、というよりは、良いワインレッドだなと思って購入したものだが、今はどうでもいいか。
ゆかりがクローゼットでワンピースを探している間に、あかねがパソコンをのぞく。
「紫式部、百人一首? 次回作、時代劇にするの?」
「参考程度に」
「ふーん。そういえば高校の時、百人一首大会ってあったよね」
姉妹で通っていた近所の私立高校では、校長が古典好きだか何だかで、毎年12月頃にクラス対抗の百人一首大会が開かれていた。
あかねはあまり興味はなかったと話していたけれど、思い返してみれば、ゆかりにとっては結構好きなイベントであった。優勝チームのいるクラスには、校長からのおごりでケーキが贈呈された。
「その百人一首大会でさ、自分たちのチームの担当の歌みたいなのあったじゃん」
「その歌を取れると、3ポイントってやつ?」
「そう。それが、これ」
ワインレッドのワンピースをあかねに手渡し、再びパソコンの前に座る。
「めぐり逢ひて……うん、なんとなく聞いたことはある気がする」
そうだ。あかねと話していて思い出した。
その百人一首大会では、チームごとにどの歌を3ポイント扱いにするかを自分たちで決めることが出来たため、ゆかりのチームは、「パッと目に入りやすい」という理由で、下の句が「く」から始まる紫式部の歌を選んだのだった。
「なんか、いろいろ思い出した」
「美月さん?」
……聞き間違えだろうか。なぜ今、美月の名前を出して来たのか。
「最近、話聞かなくなったけど、連絡してるの?」
あかねにとっては、無邪気な質問のつもりだと思う。
「全然既読にならない。もしかしたら、ブロックされてるのかも」
「なんで」
「わからないけど。でも、同窓会にも来なかったし、忙しいのか、私に会いたくなくなったのか。……どちらにしろ、この世界のどこかで幸せに暮らしてるなら、私はそれでいい」
「規模がデカいなぁ」と、あかねが笑う。
ゆかりの言ったことは本心だ。だけど今は、ぎこちない笑顔しか、あかねに返せない。
* * * * *
再び、12年前の放課後ー。
いつもは賑やかな教室で、美月と2人、他愛もない話をする時間が好きだった。
こんな時間が、いつまでも続けばいいのにと願っていた。
ゆかりは大学に進学して、美月は社会人になるとしても、近くにさえいればいつでも会えると思っていた。
……でも現実は、ゆかりと美月を突き放した。
「私、高校卒業したら秋田に引っ越すことになった。お母さんの実家に、一緒に行く」
ツンッと突き刺さるような寒さが、ゆかりの肌に触れる。
その寒さを感じ取ったのか、美月も腕まくりしていた袖を正す。その時、一瞬だけ、腕に痣のようなものが見えた。
思えば美月は、夏であってもあまり半袖を着ているイメージがない。
それが何故なのか、聞く勇気がないまま、ここまで来てしまった。
「ほかの兄妹も一緒に?」
「お兄ちゃんたちはもう大人だし、すでに自分で働いて一人暮らししてるからいいんだけど、妹はまだ小さいから。それにうちのお母さん危なっかしいところあるでしょ。だから妹と2人にするのも不安で。私がいれば家のこともできるし」
「そっか……」
この時、どんな顔をしていたのだろう。自分でもわからなかった。
とにかく、心臓が押しつぶされそうなほどの寂しさに襲われて、それ以上、返す言葉が見つからなかったのは覚えている。
「そんな哀しい顔しないで。LINEは知ってるんだし、秋田なんてすぐそこだよ」
「新幹線で4時間くらい?」
気を紛らわせようと、水筒のお茶を飲む。
目の前の美月が、むっとした顔をしたのがチラリと見えた。
「そういう現実はいいの! 気持ちの問題でしょ。ちなみに飛行機だと1時間半で行けるから!」
教室に、ゆかりと美月の笑い声が響く。
記憶の中の美月は、眩しいほど明るい笑顔で、いつも笑っている。
教室のスライドドアが開いて、サッカー部のユニフォームを着たクラスメイトの明石涼が入ってくる。
「帰宅部のくせに、まだ教室にいんの?」
美月がけだるそうに返事をする。
「心は帰宅済み」
「なんだよそれ」
涼の笑い声は、ゆかりと美月以上に、よく響く。
教室の一番後ろには、各生徒にひとつずつ与えられたロッカーが設置されている。
涼のロッカーは、いかにも運動部らしい品で溢れかえっている。
「そういや篠宮、小説家目指してんだって?」
確かに目指してはいるが、涼に話したことはないつもりだ。
「何で知ってんの」
「さっき職員室行ったら、篠宮の作文が一番上に置いてあったから」
「普通読むかね」
「いいじゃん、どうせ発表するんだし」
“将来の夢” なんてありきたりな題材の作文を、まさか高校生になってまで書かされるとは思っていなかったけれど、薄っぺらい未来の願望を何千字も書ける自信がなく、しっかりと小説家になりたいと語った。
「小説家なんてふわっとした夢で、親許してくれんの?」
これが「小説家になりたい」と言ったときの、世間の感想なのだろう。自分の人生は、自分の勝手なのに。でもそれを言うと、「恵まれていていいね」と返されることが多々あったので、もう口にはしない。
「そういう涼は何なの、将来の夢」
「あ、もう行かないと」
完璧なほどの棒読みと、さすがの瞬発力で、涼は教室から去っていった。
「あ! 逃げた!」という美月の声は、足早に廊下を歩く涼にも聞こえていたはずだ。
「いいよ。どうせ発表するんだし」
「ゆかりの夢がふわっとしてるだなんて、何もわかっちゃいないね」
美月が口を尖らせる。
思えばずっと怖かった。美月が離れてしまうのが。
明るくて優しい、一番の理解者。
家庭環境があまり良くないことはなんとなく悟っていたけれども、そんな様子を一切顔に出さず、いつも笑っていた。
「お腹空いた。ごはん行こ」
自分が彼女を守れるなら。
「サイゼ行こ、サイゼ」
(私は、あなたをー)
「ゆかり? あれっ、好きだったよね?」
「……あ、ごめん、どこ行くって?」
「サイゼ。好きでしょ?」
「うん。好きだよ」
「だよね~!」
「きょうはピザの気分かなぁ」と言いながら、美月が教室の電気を消す。
先に教室を出る美月の背中を眺めながら、このまま永遠に関係が引き裂かれてしまう気がして、怖くなった。
* * * * *




