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スズランが咲く季節に、君はもう遠く  作者: 鷹 いつか
第二章『呪われた花嫁』
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4.事件発生

菊は昼になってもベッドでゴロゴロしていた。

うつ伏せになったまま、頬を枕に埋め、もぞもぞと脚を動かす。


──起きたくな〜い。


窓の向こうではセミが元気に鳴いているけれど、こっちはそんな気力ない。

寝返りを打ちながらふと思い出す。


そういえば……スズランの正体、結局わからなかったな。

あの白くて、小さくて、冷たい音がしそうな花。

なんなんだろう?

スズランとは──


「菊〜、いるなら返事し〜て!」


階下から聞こえるのは、かあ様の声だった。

わかってるって。わかってるけど、今はちょっとだけ眠っていたかったのに……。


「は〜い……」


ふわふわした頭をなんとかまとめ、適当に帯を結んで階下の事務所へと降りる。

戸を開けると、見慣れた顔がふたつ。

ひとりは広信ちゃん。そしてもうひとりは──


「……あら、ダチェラ」

「やぁ、寝起きか?」


ダチェラは相変わらずだ。帝軍の制服姿で仁王立ち。

その後ろで広信ちゃんが苦笑していた。


「急に押しかけて、すまんな赤玉さん。けど、ちょっとこれ──見てほしいんだ」


広信ちゃんが広げたのは、一枚の古い新聞の切り抜き。

そこには、USD国・アヌシー湖畔の屋敷で起きた不審死事件が書かれていた。

花嫁が死んだ。水を飲んだ直後に。

しかも、顔のない“マスク”が屋敷の壁に隠されていたという。


「また呪い、らしいわよ」


と、かあ様が呟いた。


「当主の花嫁が代替わりのたびに死んでいく。もう何代目かしらね。今回で……三人目?」

「その呪い、信じるか?」


不意にダチェラが訊いてきた。

彼の瞳が、射抜くようにこちらを見ていた。


「信じるかどうかって、あんたはどうなのよ」

「俺は、毒か何かだと思ってた。だが──今回ばかりは“それだけじゃない”と、報告書にある」


広信ちゃんが指をトントンと、ある一文を示す。


『遺体の傍にあった缶の中から、溶けかけた鉱石のようなものと、白い花が見つかった』


白い花。


スズラン、だ。


菊の中で、記憶の底に沈んでいた何かがかすかに軋んだ。


「……それ、どこで見つかったの?」

「USD国。アヌシー湖畔のグランドフォントーヌ家。

次期当主ポール・フォントーヌが、非公式に“調査人”を求めてきた。帝国に恩があるらしくてね。軍の方でも、外遊中の帝軍将校に対応を任せることになった」


広信ちゃんがダチェラを見る。


「つまり──」

「ああ、俺が同行する。そしてお前が現地調査をする。……いや、そうじゃないな。これはもう、“お前の事件”だろ、菊さん」


ダチェラの声は、冗談めいていた。けれど、その眼差しは真剣だった。

まるで彼は、菊の中に眠る何かがこの事件に引き寄せられたとでも言いたげだった。


白い花。

双子の姉妹。

奪われた缶。

そして、顔を持たぬ“マスク”。


「……まるで、昔、夢で見たような……」


思わず呟いた言葉に、かあ様がピクリと反応した。


「スズランの夢、また見たの?」


菊は黙った。

でも、その沈黙が全てだった。



出発の準備なんて言ったって、そう大げさなものじゃない。


「スーツケースってどこにしまったっけ……ああもう、かあ様、なんで屋根裏なのよ……!」


ぶつぶつ文句を言いながら、菊は半分ホコリまみれになって荷物を探していた。

かあ様は「この子はどうせ全部途中で投げ出す」と言わんばかりの視線で見守っている。


「USDまで行くなんて、あなたには荷が重すぎるんじゃなくて?」

「じゃあ代わりに行く?あの爽やかすぎる元婚約者と?」

「……やめておくわ。いろいろ面倒くさそうだもの」


結局、自分で荷物を詰めるしかない。

着替えと、手帳と、調査用の古い地図。

それから、小さなスズランの押し花──記憶を探す旅に必要なのは、物よりもこの胸の中にある“何か”かもしれなかった。


廊下を歩いていると、風に揺れたレースのカーテン越しに、庭のほうで待っている姿が見えた。


ダチェラだった。


帝軍の外遊用の礼装を崩した軽装姿。黄色味のある黒髪が陽を透かし、紫の瞳が遠くを見ている。

彼の左目の下、泣きボクロがふと光に濡れたように揺れた。


──爽やかすぎるのよ、ほんとに。


「まだ時間あるでしょ?なに勝手に物思いにふけってんの」


声をかけると、彼はすぐに振り返った。

笑うと、驚くほどあっさりとした顔をする。


「おや、準備に手こずってるかと思ったが、思ったより早かったな」

「スズラン探しの旅にしては、ずいぶん軽装なんですけど?」

「君が重装備になるとこなんて、想像もつかないけどな」


そんな軽口を交わしながら、ふたりは車へと向かっていった。


広信ちゃんはもうエンジンをかけて待っていた。後部座席には菊用の調査箱がしっかり積まれている。


かあ様が玄関先まで見送りに出てきた。

その眼差しはやっぱり、どこか心配そうで──でも、信じてくれているようでもあった。


「気をつけて。……向こうでは、夢と現実の区別をちゃんとつけなさい」

「うん、行ってきます」


菊は小さく手を振った。

心の奥底に眠る白い花が、いま、静かに目を覚まそうとしている。


船を降り、列車を乗り継ぎ、さらに小さな車で山道を抜けた先。

その湖は、まるで鏡のようだった。


「──アヌシー湖、ですか……」

「写真で見るより綺麗だろう?」


ダチェラが助手席から身を乗り出すようにして言った。

目の前には、青と緑と白のコントラストが鮮やかな光景が広がっている。

風は優しく、空は高く、けれどその水面にはどこか──静かすぎる気配があった。


「綺麗だけど……なんか、変に静かだね。湖なのに音がしない」

「このあたり、観光客も少ないらしい。特にグランドフォントーヌ家のあたりは“出る”って噂があるそうだ。おかげで静けさが保たれてる」


広信ちゃんがハンドルを切りながら小さく笑う。

まるで“わざと”そうしているような道案内だった。


車は湖畔をなぞるように走り、やがて高台にある一軒の屋敷が見えてくる。


それが、グランドフォントーヌ家だった。


蔦の絡まる石造りの建物は、夏の陽射しの中でもどこか湿っぽく、扉に続く階段のあたりにはうっすらと苔が生えていた。

菊は思わず首筋を撫でる。風がひやりと肌を撫でていった。


「ここか……呪いの館」


車を降り、荷物を持って石段を上がると、木の扉が音もなく開いた。


「ようこそ、お越しくださいました」


現れたのは、20代半ばほどの青年だった。

細身で、どこか病的に白い肌。髪は栗色で、瞳は深い青。

それなのに、その微笑みはどこかぎこちなかった。


「私はポール・フォントーヌと申します。この家の次期当主です。……遠路はるばる、お疲れさまでした。赤玉菊様、そして帝軍将校ダチェラ様、元帥閣下飯島広信様」

「お初に。噂では“かなりの家”だと聞いてましたが……想像以上に古い建物ですね」


ダチェラが軽く挨拶しながら、館の壁を視線でなぞる。

彼の紫の瞳が一瞬、何かに引っかかったように止まった──


「……あれは、何?」


館の正面上部、石細工の隙間に、まるで人の顔のような影が一瞬見えた。

いや、顔というにはあまりに無表情で、無感情で、ただ──そこに“あった”。


「デスマスクですか?」と、菊が呟く。


ポールはふっと目を伏せた。


「ええ、それについても……どうか、屋敷の中でお話させてください。

お二人には、知っていただきたい真実があります。

それが、“呪い”なのか、それとも──」

「人の仕業か、ですね」


ダチェラが続きを引き取る。


「はい」


ポールの瞳に一瞬、何かを押し殺すような色が宿った。


石畳を歩いて館の中へ入ったその瞬間、

菊は思わず振り返った。


湖が、まるで何かを知っているような沈黙で、こちらを見返していた。

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