1.菊
私は舞う。遠くにいる貴方に向けて舞う。遠くへ行ってしまった貴方に――。
漏れる吐息に合わせて、手足が動く。慈しみ育てたこの想い、悪いけど、私は笑顔で貴方を地に落とす。
だから、せめて祈らせて。どうか貴方が無事でありますように――。
赤く染まった衣を翻し、私は笑いながら踊り狂う。
どうして? どうして?
貴方の痕跡を探しても、どこにも見つからない。
それでも、貴方がいると信じたい。
最悪の笑顔で、私は舞う。
踊り狂う舞が
心を揺さぶる
そのリズムに身を委ね
夢中で響く
舞い踊る姿が
時を忘れさせる
その魅力に誘われ
心を奪われる
舞う瞬間に
愛情を囁く
その情熱に包まれて
私は幸せを知る
舞う姿が伝える
愛と喜び
その輝きに触れて
魂が躍る
舞い続けよう
永遠に響く
その美しさに魅せられて
心、躍らせる
◆
1760年、空が裂けた。
それはただの天変地異ではなかった。
天から降り注いだのは光、そして異世界の生き物たち。
彼らの存在は人類の常識を覆し、産業と魔導が交わる新時代を告げるものだった。
産業革命と共に蒸気機関が発達し、同時に異世界からもたらされた技術や知識が流れ込み、世界は急速に変貌した。
――そして、20年後の1780年。
「日国帝」はその変化をいち早く吸収し、新たな秩序を築いていた。
異世界の技術は軍事に応用され、蒸気と魔導が融合した兵器が都市を守り、人々の生活にも溶け込んでいる。
だが、その陰には新たな犯罪と謎もまた生まれていた。
赤玉 菊――それが今の私の名前だ。
灰赤色の髪に、青い瞳。
記憶はない。でも、今は探偵として生きている。
……が、今まさに面倒なことが起こっていて、正直逃げたい。
わかってる、これ以上逃げ癖がついたらダメなのも。でも、私は面倒くさいことが大嫌いなのだ。
そう思ってその場から離れようとした、その時――
喧嘩していた男が、子どもに手をあげようとしていた。
瞬間、私はその子を抱きかかえて庇った。
「クソアマ! そこをどけ!」
怒鳴った男に、私は思わず怒鳴り返す。
「誰がクソアマよ!ぶち殺すぞコラ!」
怒気を込めた視線に男がたじろぐのを見届け、私はその隙に子供を抱えたまま走り出した。
後ろから怒鳴り声が聞こえてきたが、無視して探偵事務所『赤玉』に駆け込む。
「……死ぬかと思った……」
床に崩れ込むと、奥からかあ様が怪訝な顔で出てきた。
子どもをおろした私に向かって、かあ様が言う。
「どうしたの〜? そんなに焦って帰ってきて〜」
「男から逃げてきた」
「あら〜!痴情のもつれ〜?」
「違う」
「……え〜、面白くなると思ったのに〜」
ぶつぶつ言いながら、かあ様は気を取り直して事情を聞いてくる。
私は先ほどの出来事を包み隠さず話すと、かあ様は半目になって呆れ顔。
「バカね〜。そこは男に向かって『何言ってんの、図体デカいだけの短小が!』って言わなきゃ〜」
そう言いながら、子どもに「ね〜?」と話しかけている。
このおっとりした口調で暴言を吐くのがかあ様の特徴。だから私は、かあ様を敵に回すのが何より怖い。
私は子どもの方に向き直って聞く。
「大丈夫?」
「大丈夫です!ありがとうございました!」
お辞儀をしてくれた子どもに、私は少し口角を上げて見送った。
階段を上がり、ソファに腰を下ろす。
すると、かあ様が微笑みながら一枚の便箋を差し出してきた。
「依頼よ〜」
それは、日国帝軍からの依頼――いや、命令書だった。
『拝啓
春暖の候、赤玉 菊様におかれましては益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。
さて、このたび解決していただきたい事件が発生いたしました。
つきましては、日国帝軍特別捜査本部にて詳細をご説明いたします。
何卒、ご助力賜りたくお願い申し上げます。
まずは略儀ながら、書中をもちましてご挨拶申し上げます。
敬具
天明元年 四月十五日
日国帝軍 陸軍元帥 飯島 広信』
はぁ……あの爺さんたち、私が“広信ちゃん”に弱いのをわかってて、わざとこの人に書かせたな。
でも、仕方ない。広信ちゃんのお願いなら叶えないわけにはいかない。
私は顔を上げて、かあ様に言う。
「行ってくるわ」
「アハ〜言うと思った〜。だって差出人、飯島さんだものねぇ〜」
私はトランクに道具を詰め込み、かあ様に見送られながら事務所を出た。