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あなたが幸せだと思うなら

作者: Tayu
掲載日:2025/06/21

久しぶりの投稿です。

1度投稿したのですが、ちょっと書き足しての再投稿になります。

 深い深い深い、どこまでも深い海の底。

 海の底にある人魚の国。そこに住む人魚たちは16歳になる夜に、海の底から水面(みなも)へと昇ることが許される。

 そして今日、16歳になるリーアは初めての水面へと昇るため、そわそわと落ち着かない様子で夜になるのを待っていた。


「もう少し落ち着いたら?夜までにはまだまだ時間があるわ」

 姉のダリダが笑う。

「そうそう。それに、今日は嵐だよー。せっかく水面に出ても月だって見えないって」

 2番目の姉のエーベ。

「まあ、気持ちはわかるよね。わたしも初めての時は落ち着かなかったもの」

 3番目の姉のマウラ。

「嵐でもいいの!初めての水面が嵐だって、それはそれで楽しみだわ。16歳の今日、水面に昇るのが大事なの!」

 一番下の妹リーアが言う。

「あー、早く夜にならないかな。待ちきれないわ!」

 落ち着かない末の妹を見て姉たちが笑う。そんな姉たちだって自分が16歳になって初めて水面に上るときは同じようにそわそわしていたのだ。


 リーアだって初めての水面は月が見えていて穏やかな方が良かったと思う。

 でも今日は嵐だ。嵐が過ぎるのを待ってから水面に上がってもいいのだけれど、やっぱり一番大事なのは16歳の誕生日の日に昇ること。

 きっとリーアにとっては忘れられない日になるはずだから。




 深い深い海の底から水面に向かってリーアは昇っていく。

 水面に近づくにつれ、潮の流れが速くなるが、流されることなくリーアはまっすぐに昇っていく。


 やがて、いきなり体が軽くなり、いきなりリーアは水から飛び出した。

「ここが……」

 強く大きな波。初めて受ける風が横からリーアの頬に当たる。空からも水が降り注ぐ。

「これが雨ね!」

 リーアはきょろきょろとあたりを見回した。

 どんよりと真っ黒な空にもっと黒くて大きな波。強い風。降り注ぐ雨。

「これが嵐なのね!」

 目に映る全てが楽しくて面白くて。リーアはざぶりと海に入るとまた波間に顔を出す。

「うふふふ。何もしていなくてもどんどん流されていくわ」

 しばらく波と遊んだ後、リーアは夜の空を見上げた。見えるのは雨だけだ。

「やっぱり月は見えないのね。残念だわ。でも、今度は晴れた日に来ればいいわ」

 次に来るのはよく晴れた、星と大きな月が見える時にしよう、とリーアは思った。


 

 チカリ、と何かが目の端をかすめた。

「……星?のわけないわね」

 そちらの方へ視線を向けると、もう一度キラリ。波の間に何かが光る。

「なに、かしら?」

 リーアは光の見えた方へと向かって泳ぎ出した。


「……船?あれは船ね!」

 その光は大きな波の間で木の葉のように揺れる船から来ものだった。

 時々チカチカとリーアの元まで届く。

 リーアは船が良く見えるところまで近づいて行った。


 ぐらんぐらんと波の上を揺れる船。

 時々甲板から何かが降ってくる。

 よく見てみると甲板の上には人がいて、何やら走り回っているようだ。


 リーアは海に潜り船に近づくと、船から海に投げ込まれたものを追いかけてみる。

 ゆっくりと海の底に沈んでいくそれは、大きな木の箱だったり、陶器だったり、テーブルだったり、椅子だったり。

「……そういえば、船が沈みそうな時には荷物を捨てるって聞いたことがあるわ」


 リーアはもう一度波の上に顔を出す。


 ザブンとすぐ近くで何かが落ちた音がする。

 リーアは音のした方にちらりと目をやり、船を見上げた。


 甲板から海を見下ろす青年。パチリ、と目が合ったような気がした。

 リーアは慌てて海へと潜る。

(……目、合った?)

 しばらく海の中でうろうろした後、そっとと波間から顔を出し船を見上げる。

 そこにはもう人影はなかった。




 もうじき日が昇る。嵐はすっかり鎮まっていた。

「リーア、そろそろ戻る時間よー」

「初めての嵐はどうだった。風がすごかったね」

「楽しかった?迎えに来たわ」

「姉さま!」

 そろそろ海の底に戻ろうとしていてたリーアの所に姉たちが迎えにやってきた。

 リーアは少し離れた場所を漂っている船の事を姉たちに聞いてみる。


「ここを通るなら島の船だと思うわ」

「島?」

「北の方に島がいくつかあるの。そこから来ているのよ」

 さすがに長女のダリダは物知りだ。

「気になるなら印をつけておくといいよ」

 エーベが船底にちょっとした印をつける。

「また見に来ましょう。今日はもう帰らないとね」

 マウラがリーアの腕を取る。

 そうしてリーアは海の底に戻っていったのだった。



 数日後、月の明るい夜。リーアは再び水面へと昇ってきた。

 今日はあの船がどこかの島にあるか、探してみるのだ。


 探し回るのを覚悟していたが、思っていたよりもすんなりと船は見つかった。

 いくつかある島の中でも大きな島の船だったようだ。

 入江になった部分に作られた桟橋に、ぼろぼろの船がもう一艘と、もっと小さな船が三艘、つながれている。

 今にも沈みそうなぼろぼろの船は、確かにあの夜に見たものだろう。



 リーアは船の下に潜り込むと印を確認する。

「やっぱり、あの時の船だわ」

 ぱしゃぱしゃと船の周りを泳いでみるが、船の中にも港にも人の気配はない。

 月の昇るこんな夜中に人が来ることはないのだろう。

「また、様子を見に来ましょう」

 そうして海の底に戻るのだった。



 その後も月の明るく輝く夜になると、リーアは船の様子を見に港へとやってきた。

 何度目かの様子を見に来た時、港に繋いであった船のうちの一艘が陸へと持ち上げられ解体が始まっていた。

 あの日の嵐で傷んでしまったのだろう。もう海には出られないのだ。

 リーアはなんだか寂しい気持ちになる。


 しばらくその船を見つめていたリーアだが、砂を踏む足音が聞こえて、慌てて桟橋に繋いである船の陰に回り込む。

「……あの人、」

 そこに現れたのは一人の男性。あの嵐の日に船の上からリーアを見下ろしていた青年に似ていた。

 リーアは船の陰からじっと青年を見つめる。

 青年は陸に上げられ解体が始まっている船に近づくとその船を見上げた。

 しばらく船を見上げていた青年は今度は桟橋の上を歩き、まだ海の上にあるぼろぼろになった船の方に近づいて来る。

 リーアは青年に見つからないように船の陰に隠れて移動しながら、青年の様子を伺った。

 

 青年は近くまで来るとじっと船を見上げため息を吐く。

 リーアは青年をもっとよく見ようと身を乗り出した。


 ……パシャン。


「あっ……」

 自分の立てた水音に慌て、つい声が出てしまった。

「……誰か、いるの?」

 青年は声がした方向、リーアの方へ顔を向けていた。

「………………」

 動かない青年の気配に、リーアはそっと船の陰から出る。

 青年と目が合った。

「……きみは、」

 驚いた表情を浮かべる青年は、やはりあの嵐の日に出会った彼だった。

「あの時、の……」

 青年もリーアの事を覚えていた。やはりあの時目が合ったと思ったのは気のせいではなかったのだ。

「………………人魚?」

 リーアは黙ったまま青年を見つめる。

「嵐の日に、会ったよね。目が合ったの、覚えてる、かな?」

 リーアはかすかに頷いた。

「ああ、やっぱり。本当に一瞬だったから、見間違いだったのかとか、夢だったのかと思ったり……」

 何も言わずに青年を見つめていたリーアが、ふぅっと息を吐いた。

 青年から悪意は伝わってこない。

「あ、一方的にしゃべってごめんね。僕はグラート。君は?」

「リーア……」

「リーア?よろしくね、リーア」

 グラートはにこり、と笑顔を浮かべる。

「……グラートは、こんな時間に、何をしてたの?」

 リーアはグラートに、夜中にここに来た理由を聞いてみる。

「あ、うん。船がね、この間の嵐でもうぼろぼろなんだ。修理しても直しきれないから解体することになって、解体する前に一度ちゃんと見ておこうって思って」

 グラートが答える。

「この船にはとてもお世話になったから」

「お世話?」

「うん。ここは島だから、隣の島に行くのもどこかに行くのも、必ず船が必要で、僕はずっとこの船に乗ってきたんだ」

 グラートは船を見上げる。

「何度も手入れをしながら大切にしてきたんだけど、この間の嵐には耐えられなかったみたいだ」

 確かに、この間の嵐は大きかったと姉さまたちが言っていた。風と波と雨は激しかった。

「嵐が来るのを知らなかったの?」

「……いや」

 グラートは苦笑する。

「わかっていたんだけど、どうしてもあの日は船を出さないといけなかったんだ」

 そう言いながら船を見上げるグラートは、どこかとても寂しそうだった。

 リーアはグラートの立つ桟橋の方へと近づく。

 やっぱりグラートからは少しも嫌な感じはしなかった。


「ところで、リーアは人魚だよね。あの嵐の日に会ったよね」

「うん」

「やっぱり!僕、人魚に会うのは初めてなんだ」

「そうなの?」

「南の方の海で会ったことがあるっていう人の話は聞いたことがあるけど、この辺りではほとんど聞かないよ」

 言われてみればそうかもしれない。人魚たちは冷たいよりは暖かい水を好む。

 もう少し寒い時期が来れば、リーアも南の海で泳いでいるだろう。

「人魚は暖かい海の方が泳ぎやすいから。ここは少し寒いかも」

「そうなんだ。リーアも南の海に行くの?もうここには来ない?」

 グラートに言われてリーアは考える。南の海は暖かくて泳ぎやすいけれど、リーアにとって、ここは嫌ではない。

「グラートはまた来る?」

「うん」

「……じゃあ、わたしも、また来るわ。月のきれいな夜に。今日はもう帰るね」

 リーアはグラートに背を向け桟橋から離れる。

「またね、リーア」

 グラートがリーアに声をかけた。

 リーアは一瞬振り向いてグラートに向かって頷くと、そのままちゃぷんと海に潜った。


 


「リーア!」

 約束通り、よく晴れた月のきれいな夜、リーアは小さな入江にやって来た。

「会えて嬉しいよ」

 グラートは前回と同じく、桟橋に立っている。

 前回はまだ桟橋に繋がれていた船は陸へと上げられ、解体が始まっていた。

 笑顔のグラートにリーアは近づく。今日もグラートからは嫌な感じはしない。

「グラートに渡したいものがあるの」

 そう言いながらリーアはグラートの傍まで行った。

「渡したいもの?なに?」

 リーアは手に持っていた箱をグラートに渡す。

 箱を開けたグラートは驚いた表情を浮かべた。

「……これ……」

 それは前回の嵐で海に投げ捨てた荷物の中の一部だった。

「……拾ってきてくれたんだ」

「うん」

「……ありがとう。荷物はもう諦めていたんだ」

 笑っているのに、また寂しそうな顔。

「…………大丈夫?」

「え?」

「グラート、変な顔してる…………悲しいの?」

「……あ……うん……そっか、リーアにはわかっちゃうんだね」

 困ったようにグラートは笑う。

「人魚って、悪意や好意がわかるって聞いたことがある。リーアは僕の気持ちがわかるんだね」

 グラートはふっと息を吐いた。

「これ、拾ってきてくれてありがとう」

 心からの感謝に、リーアも笑顔を返した。

 

「あの船も解体しちゃうの?」

 リーアは陸に上がった解体途中の船を指さして聞いた。

「うん、あの時の嵐にあった2艘は解体して、新しい船に作り直す予定なんだ」

「新しい船ができたらまた、船に乗る?」

「うん、でも船ができる前に、海には出ると思うよ」

「船ができる前?」

「ほかの船でね。船を造るのはとても時間がかかるから

 キョトンとした顔をするリーアにグラートは笑う。

「ここから西に行ったところに大きな港があって、そこにある船を使うことになると思う」

 そういえば、もっとたくさん船がつながれている大きな港があったことをリーアは思い出した。

「いつ行くの?」

「まだ決まってないけど……」

「決まったら教えてね」

 次にグラートが海に出た時は、船を追いかけてみようかな、とリーアは思うのだった。

 

 その後もリーアは月のきれいな夜には小さな入江を訪れた。

 グラートには会える時も会えない時もあったが、会えない時でもリーアは解体されていく船を眺めたり、グラートの落とし物を浅瀬にそっと置いていったりした。

 グラートに会えた時には、グラートのしてくれる色々な話に耳を傾ける。もう10年も船に乗っているというグラートは、年の割に経験豊富で、他の海の事はもちろん、色々なことを知っていた。

「初めて船に乗ったのは10歳の時だよ。もちろん見習いから始めたんだ」

 グラートの話はいつも楽しくて、聞いているリーアも楽しい気持ちになる。


「グラートは海が好き?」

「うん、もちろん。陸よりも海の上にいる方が多いぐらいだしね」

「早く新しい船ができるといいね」

 陸に上がった船は完全に解体され新しく作る船のための材料が運び込まれているが、数日前と比べてもあまり作業が進んでいるようには見えない。

「……でも、まだあんまりできていないのね」

「うん、船を造るのには時間がかかるからね。それに、今は祭りの準備で、そっちに手が取られているんだ」

「まつり?」

「そう、収穫祭があるんだ……祭りってわかるかな?みんなが集まって飲んだり食べたり歌ったり踊ったりするんだ」

「楽しそう?」

「あはは、楽しいよ。一緒に行けるのなら絶対に誘ったんだけど」

「……わたし、行きたい!」

 前のめり気味にリーアが言う。

「うん、僕も一緒に行きたいけど……でも祭りは街の中でやるんだ」

 人魚のリーアを連れてはいけない場所。リーアは首を傾げる。

「人間になれれば一緒に行ける?」

「?……うん、?」

「魔女サマにお願いしてくるわ。人間になれる魔法の薬。魔女サマが作れるの」

「え?人間になれる魔法?」

 リーアの住む海の底には海の森があり、そこには魔女が住んでいる。

「魔法で人間になれるの?」

「魔女サマに魔法の薬を作ってもらうの。尾びれを足に変える魔法。魔法の薬には対価が必要だけど、対価を払えば何でも作ってもらえるの」

「対価、を払う?」

「うん、魔法をもらう代わりに、魔女サマに渡すもの。昔、人間の足をもらった人魚は、代わりに魔女サマに声を差し出したんだって。あとは、呪いを解くナイフをもらうために、何十人もの人魚の髪を渡したとか」

「え、リーアも声を取られるの?」

「ううん、大丈夫」

 リーアは笑って首を振った。

「願いが大きくなれば対価も大きくなるけど、人間の足をもらうのはお祭りの時だけだし。わたし、魔女サマにお願いしてくる」

「本当に?大丈夫?髪を切られたりしない?」

「大丈夫!前に、姉さまも魔女サマにお願いをしたの。その時は海の底の石を取りに行ったの。魔女サマは海の森からは出られないから」

 心配そうなグラートにリーアは笑顔を向ける。魔女に頼めばたいていの願いは叶えてもらえるのだ。

「海の森の魔女サマは、何でも知っているから、わたしの足が欲しいっていう願いも、きっともう知ってるわ。だから、待っていて!」

 自信満々なリーアに、グラートは頷いた。

 島の祭りは1週間後から3日間続く。リーアは祭りの最終日、月の昇る頃に入江に来ると約束をし、海へと戻っていった。





 祭りの最後の夜、グラートはドキドキしながら海へと向かう。もうすぐ月が昇る。リーアとの約束の時間だ。

「リーア!」

 月が昇ると同時にリーアが水面から顔を出し、浜辺にいるグラートの方へと泳いできた。

「グラート、見て、魔女サマの薬!」

 そう言いながら泳ぐリーアの後ろに人魚の影。

「今日は姉さまたちも来てくれたの」

 リーアの事を心配したのだろうか。リーアの3人の姉が一緒に来ていた。

「じゃあ、魔女サマの薬、飲むね」

 砂浜に上がったリーアは小さな小瓶に入った液体を飲み干す。

 リーアの鱗が一瞬光った。と思った次の瞬間にはリーアの尾びれは人間の足に代わっていた。

「足になった!お祭りに行ける!」

「ちょっと待って、リーア」

 ダリダがリーアの上から人間の女性が着るワンピースをかぶせた。

「ちゃんと人間の服を着て行かないとね」

 エーベが髪飾りを止めてくれる。

「人間は靴を履くのよ。お祭り楽しんできてね」

 マウラが靴を用意してくれた。

「ありがとう、姉さま!」

 用意のできたリーアにグラートが手を差し伸べる。

「お手をどうぞ、リーア……立てるかな?」

「ありがとう、グラート」

 グラートの手を取り、リーアは立ち上がってみる。

「大丈夫みたい」

 足は問題なく動かせる。

「じゃあ、姉さま、行ってきます」

 リーアは姉たちに手を振る。

「気を付けてね。月が昇りきる前にちゃんと戻ってきて。嫌な感じがしたら、すぐにそこから離れるのよ!」

 姉たちも手を振り、リーアを見送った。




 祭りは最終日という事もあり、にぎやかに、活気であふれていた。リーアは人の多さに驚く。こんなに大勢の人間を見るのは初めてだ。

「すごいね、人がたくさん、みんな楽しそう!」

 グラートの言っていた通り、みんなが食べたり飲んだりしている。そしてみんなとても楽しそうに笑っている。見ているだけでリーアも気持ちが浮き立ってくる。

 食べ物の屋台もたくさん出ているがリーアが不思議そうな顔をしていたため、グラートが適当に見繕っていくつか買い込み、リーアは遠慮なくそれを口に入れた。

「これ、美味しい!」

 リーアが気に入ったのは林檎をカットしたものと、ベリーのジュース。

「これもおいしいよ」

 グラートはリーアの口に乾燥したフルーツをたっぷり練り込んだ焼き菓子を入れる。

「!」

 口をもぐもぐさせながらリーアが頷く。

「広場の方に行こう、色々出し物があるよ」

 グラートがリーアの手を取った。

「はぐれないように気を付けてね」

「うん」

 目にする何もかもが珍しくて、リーアはきょろきょろとあたりを見回す。グラートはそんなリーアに合わせてゆっくりと歩いた。


 広場にもたくさんの人たちが集まり、いろいろな店が軒を連ねていた。

 あちらでは大道芸人が芸を、こちらでは弾き語りが歌を披露し、人々が集まっている。

 中央では音楽が奏でられ、みんなが踊っている。

「うわぁ、すごい、きれい」

 昼間と間違えてしまうほどにたくさん飾られた明かりがキラキラ溢れる。

「リーア、一曲お相手願えますか?」

 差し出されたグラートの手にリーアは手を乗せた。

「喜んで」

 楽しくて、嬉しくて、眩しくて、リーアは笑う。

「お祭りって、楽しい!」

 こんなに楽しいお祭りに連れてきてくれたグラートにリーアは深く感謝した。


「リーア、そろそろ戻らないと」

 楽しい時間はあっという間で、もうすぐ月が昇りきる頃だ。

「うん、そうだね……」

 二人はまだまだにぎやかな広場をそっと抜け出す。


「ねえ、どうしてみんなグラートのこと、グラート様って呼んでるの」

 海に戻る道の途中の坂を下りながら、リーアは不思議に思ったことを聞いてみた。

「え?あ、うん……僕が、領主の息子だから、かな」

「グラートは領主の息子、なの?」

 この辺りは帝国の領地だが、直接この島を治めているのが帝国に任命された領主だ。

「うん、息子と言っても2番目だから、領主になることはないよ……だから僕は船に乗っているんだ」

 船に乗るのは、グラートが自分で決めた事ではないのだろうか。

「……グラートは船が好き?」

「うん、好きだよ」

「海は好き?」

「うん」

 その返事に迷いはない。

「じゃあ、この島は?」

「え?」

「グラートは、この島が好き?」

「……うん、好きだよ」

 その答えにも、やはり、迷いはなかった。

 


 海ではリーアの姉たちが待っていた。

「姉さま!」

 リーアが手を振る。

「ちゃんと時間を守れたわね」

 姉たちは笑顔でリーアを迎える。

「もちろん。もう子供じゃないんだから。姉様たちにお土産もあるのよ。これ、とってもおいしいの」

「ありがとう、あら、リンゴ?」

「やっぱりリーアはまだお子様ね」

 姉たちと笑う中、月が昇り切り、リーアは人魚の姿へと戻る。


「グラート、今日はありがとう、とっても楽しかったわ!」

「リーア、こちらこそありがとう!僕も、楽しかったよ!」

 グラートは岸からリーアに手を振る。

「グラート、また月のきれいな夜に!」

 そう言い残して人魚たちは海へと帰って行った。




 ゜。――゜。――゜。



「セスト様、ご報告があります」

「……なんだ?」

 領主の城。領主の最初の息子であり、グラートの兄でもあるセストは、今日の仕事を終え自室で部下と対面していた。

 セストは部下に続きを促す。

 もう夜遅いと言える時間ではあるが、報告に来たという事は重要な案件だと思われた。

「今日の祭りで、グラート様が女性と一緒にいたとの報告が届いております」

「グラートが女性と?」

 グラートの事は逐一報告させているが、今まで女性関連の報告は一切なかった。

「……相手は?」

「調べさせておりますが、まだ確認はとれておりません。知っている者もおりませんでしたし、女性の様子から見ましても恐らく領の者ではないと思われます」

「となると、他領の者か……?相手がわかったらまた報告するように」

「承知致しました」

 部下は頭を下げると部屋を出ていく。


 

「……グラートに女性か……」

 弟であるグラートは年も離れているし、性格的には穏やかでおとなしい。領主となることを望む様子もなく、それを示すためか早くから船に乗り始めた。念のため定期的に報告はさせているが、グラート自身を心配する必要はそれ程感じることもないとセストは思っていた。なにより、積極的に弟を排除するほどセストは悪人ではない。ただ、10歳で海に出ると言った弟を本気で止めようとはしなかっただけで。

 しかし、グラートに相手ができたとなると話は変わってくるかもしれない。相手が領主としてのグラートを望んだら?そしてそれにグラートが応えようとしたら?

 グラートは優秀だ。幼いころから。それこそ目を見張るほどに。

 誰もがグラートに注目しながらもそれでもセストが次期領主となったのは、父である現領主がセストを次期領主にと認めたからだ。グラートは父の意見に異論をはさむことはない。家族を、なによりも島を愛しているグラートはそこが乱れるのを良しとしない。

 しかし、とセストは考える。現領主である父は健在だ。自分が領主として立つにはまだ時間がかかるだろう。不安要素があるならば、手を打っておくべきかもしれない。

 そもそもセストが父により次期領主と認められたのは、他の大きな島の領主の姫と婚姻を結んだからだ。どちらから見ても実のある婚姻だったし、政略結婚とはいえ、嫁いできた姫とセストの仲は良好だ。父はそこにも期待を持ったのだろう。

 しかし、ぬぐい切れない不安がある。5年経っても何故だかまだ子供に恵まれないのだ。 

 子供さえできれば、セストの地位も万全のもとのなるはずなのだ。そこで領主の地位を確実にし、グラートよりも何歩も先へと進む事ができるはずだった。

 ところが子供はできず焦りが募る中、ここにきてグラートに女性の影がちらつき始めた。

 もしもこのままその相手と結婚することなり、さらに先に子供ができたら。

 ……考えたくもない。

「ともかく、相手を知るのが先だな」

 不安は悪い方へと想像を掻き立てる。

 セストは思考を変えようと息を深く吐き出すのだった。

 


 ゜。――゜。――゜。




「グラート!」

 月のきれいな夜に、グラートとリーアは海で会う。

 祭りの時がよほど楽しかったのか、リーアは何度もあの時の話をし、お礼だと言って海の底で拾ったという大きな宝石をグラートにプレゼントした。

「こんなにすごい宝石、もらえないよ」

 グラートが宝石を返そうとする。

「すごい?もっと大きいのも小さいのも、たくさんあるよ」

 リーアは不思議そうな顔をする。人魚と人間では、宝石に対する価値観が違うらしい。

「石なんかより、果物の方がいいのにね」

 そう言ってリーアはグラートの持ってきた果物を嬉しそうに食べるのだった。


「もう少し寒くなったら、ここにはこれなくなるかも」

 収穫の祭から3週間ほどが経っていた。少しずつ、風が冷たくなってきている。

「やっぱり寒いのは苦手なの?」

「寒いと体が動かなくなっちゃうの。寒くなるとこっちまでは来るのは難しい思う」

 北にあるこの島では、冬になると寒さが厳しい。雪が降り始めると、あっという間に辺りは真っ白になる。

「南の方の海に行くの?」

「うん、暖かい方に行くと思う」

「じゃあ、海に出た時、南の方に行ったらまた会えるかな」

「うん、南の海なら会えると思う。それに、また暖かくなったらここにも来るよ」

 本当ならば人魚というのはもっと南の方の暖かい海にいるものなのだ。

「海に出る日が決まったら教えてね」

 グラートの乗る船を追いかけるのはきっと楽しい。そう言ってリーアは笑うのだった。


 

 ゜。――゜。――゜。



「セスト様」

 グラートと女性を見たという報告から2週間ほどが経ったある日、部下から再び報告があった。

「グラート様のお相手の女性の件ですが……」

 なぜか言いよどむ様子の部下にセストは先を促す。

「相手の女性は、どうやら人魚のようです」

「え、人魚?」

 その報告にはさすがのセストも驚いた。

 この島のような北の区域で人魚を見たという話は聞いたことがない。

「いや、まて」

 セストは首を振った。

「祭りで見かけたと言っていなかったか?尾びれで歩いていたのか?」

 もしも人魚が祭りに現れたとなると、もっと大騒ぎになっているはずだ。

「いいえ。祭りで見た時には、足で歩いておりました」

 部下が首を振る。

「その後、グラート様の後をつけた際、女性が海に入っていくのを見ております」

「海へ……」

「その時は尾びれは見えませんでしたが、祭りの後も夜の入り江で何度か会っている所は確認致しました。その際は足ではなく尾びれがついておりました」

「相手は人魚で間違いないのか?」

「はい。間違いないと思われます。海から来て海へと帰っていきます。遠目ですが、わたくしも尾びれらしきものを確認致しました」

 セストは考え込む。

「そう、人魚……」

 人魚が相手ならば、グラートに領主の地位を望むことはないだろう。恐らく。

 しかし……。

「祭りの時は足で歩いていたのか」

「はい」

「うーん」

 セストは考え込む。

「人魚というのは自由に足をはやすことができるのか?」

 北の海に人魚はいないため、この辺りでは人魚の生態についてはあまり知られていない。

「いえ、聞いたことはございませんが……恐らく、魔女が魔法をかけたのではないかと」

「魔女?魔法?」

「海の底の森には魔女がいると言われておりまして、対価を払うことで望みを叶えると聞いたことがございます」

「……わかった。とりあえず、グラートになにか動きが有ったらすぐに報告するように。あと、人魚についても何かわかったら併せて報告するように」

「はい」



 1人になったセストはすぐに人魚について調べ始めた。

 この辺りで人魚に会うことはほとんどないため、人魚についての情報もそれほどない。

 それでも館にあった少ない資料を集めてみると、色々とわかってくることがあった。

 その中で見つけた“海の魔女”の記録。

 どうやら人魚だけが行ける深い深い海の森には魔女が住んでいて、対価に応じた願いを叶えてくれるらしい。

 尾びれを足にしたのも部下の言う通り、恐らく魔女の魔法なのだろう。

「……海の魔女」

 対価を払えばどんな願いでも叶うのだろうか。

 そして人魚が北の方で見られないのは、寒いと動けなくなってしまうから。人魚は普通、南の海で過ごすものなのだ。

「……ということは、人魚はもうすぐいなくなる?」

 セストは窓の外に目をやった。

 木々の葉はすっかり落ち、あとは雪が降るのを待つばかりだ。

「あまり時間はないな」

 セストは椅子から立ち上がった。



 ゜。――゜。――゜。


 

「今日は姉さまたちも一緒に来たの!」

 リーアの言葉通り、彼女の後ろには人魚たち。

「もうすぐ会えなくなっちゃうから、みんな挨拶したいって」

 少し離れた所で、リーアの姉たちがこちらに向かって手を振る。

「それでね、もう最後になるだろうから、今日は姉さまたちが歌ってくれるって」

「うた?歌って、もしかして人魚の歌?」

「うん、グラート知ってる?」

 人魚の歌と言えば、人の心を惑わす響きを纏う海の調べだと言われている。船に乗る者ならば、一生のうち、一度は聞いてみたいと願うだろう。

「一度でいいから聞いてみたいと思っていたんだ」

 グラートが頷くとリーアが嬉しそうに笑って姉たちに手を振った。

 

 星空の下、人魚たちの歌声が波の音に絡まりながら足元に届く。グラートは瞳を閉じて歌声に耳を傾けた。

 

 パシャリ。

 小さな水音。

 パシャ。バシャ。

 次第に大きくなる水の音。

 

「え……?」

 目を開けたグラートは、気が付かないうちに自分が囲まれているのを知り、思わず声が出る。

「……兄さん?」

 自分を囲む人影に知っている顔を見て、グラートは立ち上がった。

「待て、待ってくれ!聞きたいことがあるんだ!」

 呼びかけられた相手はグラートの事など無視をして海に向かって叫ぶ。

 その叫びに悪意は含まれていなかったのか、沖へと向かっていた人魚たちは十分な距離を取って止まると、彼らの方へと向き直った。

「…………何を聞きたいの?」

 少し大きな声を出せば届く程の、それほど遠くもない距離。

「海の……海の森の魔女について教えて欲しい。魔女に会うことはできないだろうか」

 やはり彼はグラートの方を見ようともしない。

「魔女サマに?なぜ?」

「願いを、かなえて欲しい願いがある」

 突然の海の森の魔女という言葉に驚いた様子も見せず、人魚は聞いた。

「…………ああ、あなたがセスト?」

「そうだ、わたしはセストだ。わたしを、知っているのか?」

 人魚の問いに驚きながらも、セストは答える。

「魔女サマに、聞いています。島でセストという名前の人間に会ったら、海の森の魔女の所まで連れてきて欲しいと」

「魔女が?」

「ええ、魔女サマが。魔女サマは、知らないことなどないのですよ」

 人魚が頷いた。

「…………魔女サマの所に行きますか?」

「連れて行ってもらえるのか?」

「あなたが行きたいと望むのなら。…………対価は必要ですけれど」

「対価?」

「魔女サマに願いをかなえてもらうのには、必ず対価が必要なのです。これは……」

 ダリダは小さな小瓶を取り出す。

「海の中でも息ができる薬です。魔女サマから、あなたが望むのなら渡してほしいと預かりました。深い深い海の森には人魚しか行くことができません。でもこの薬があればあなたでも海の森に行くことができます」

 「…………それの、対価は?」

 「2年分の寿命、と魔女サマは言っていました」

 一口分ほどの液体が入っているだろう小さな瓶。その小瓶を受け取れば、海の魔女に会うことができるのだ。2年分の寿命と引き換えに。

 「海の森の魔女の所まで、連れて行って欲しい」

 ほんの一瞬だけ考えて、セストは頷いた。

 「兄さん!」

 それまでずっと静かにセストと人魚の話を聞いていたグラートが声を上げた。

 セストは初めて気が付いたかのような表情でグラートの方へと目を向ける。

 「兄さん、だめだ、寿命が短くなるんだよ!願いって何?僕も協力する!だから……」

 「グラート」

 セストの静かな声に、思わずグラートは口を閉じる。

 「大丈夫だ、わたしは行くよ」

 セストの静かな表情を見たグラートは、何を言っても止められないのだ、と感じたのだった。



 


 ゜。――゜。――゜。


 


「いらっしゃい。セスト。わたしが海の森の魔女よ」

 小瓶の液体を飲み干したセストは、人魚に連れられ海の森までやって来た。

 出迎えたのはセストが会いたいと願った、海の森の魔女。つややかな金色の髪をなびかせたあでやかな魔女。

「そんなに緊張しなくても大丈夫。あなたに会ったことはなくても、あなたの事は知っているわ。魔女というのはたいていのことは知っているものなのよ」

 セストが口を開く前に、魔女がふふっと笑う。

「願いがあるのでしょう?あなたが一番望んでいることは、何、かしら。あなたの口から聞かせて頂戴」

「一番、望んでいる事……」

「そう。聞いているでしょう?願いには対価が必要なの。でも一人が用意できる対価には限りがあるわ。だから、欲張ってはダメ。何もかもを手に入れようだなんて思ってはいけないわ」

 笑顔のまま、魔女はゆっくりと問う。

「あなたの一番の望みは、なに?」

「…………どんな願いでも叶うのだろうか」

「どんな願いでも叶えることができるわ。でも、大きな願いには大きな対価が必要になるわ」

 セストの喉がこくりと鳴った。

「………………わたしは…………欲しい」

 ほとんど聞き取れないようなかすれた声でセストが答える。

「あなたの願いは、それでいいのね?」

 セストは頷いた。

「対価には、何を用意すればいいのだろうか」

 その言葉に、海の森の魔女の笑顔は深くなる。

「……寿命を10年分か、若さを30年分のどちらかを」

「寿命か、若さ?」

「あなたの好きな方を選んでちょうだい」

 セストは笑顔を浮かべたままの魔女を見つめた。

「…………若さで、お願いしたい」

「わかったわ。少し待っていてちょうだい」

 魔女はもう一度セストに笑いかけると、奥へと姿を消す。そして再び現れた時には小瓶を2つ手にしていた。

「こちらの小瓶はあなたの妻に」

 そう言いながら赤い小瓶を渡す。

「こちらの小瓶はあなたが」

 もうひとつは青の小瓶。

「薬は2人で同時に飲んでね。対価は、願いが叶ってから。1年に1歳ずつ若さをもらうわ」

「若さを、もらう?」

「そうね、普通は1年で1つ年をとるけれど、あなたは2歳ずつ年をとっていくわ。若さをもらうというのはそういう事。あ、でも年をとっても、元々の寿命は変わらないから、それは心配しないで」

「…………わかった」

 セストはぎこちなくうなずいた。不安が大きく落ち着かないのだろう。

「それじゃあ、もう戻りなさい。あなたの願いは必ずかなうわ」

 にこりと笑う海の森の魔女に促されて、セストはその場を後にする。

 帰りも行きと同じように、人魚が送ってくれた。



 明け方、入江へと戻ったセストはそこに人影があることに気が付いた。

「………………グラート?」

 一晩中セストが戻るのを待っていたのだろうか。

 不安と安心が混じった複雑な顔。

 そういえば弟の顔をきちんと見たのはいつぶりだっただろうか。

 セストは黙ったまま、グラートに向かって頷いたのだった。

 


 その夜、魔女に言われた通りセストは妻と一緒に魔女の薬を飲んだ。

 そして数週間後、雪が降り始めた頃に妻の妊娠を知る。

 さらに10か月より少しだけ早かったが、妻の出産により、初めての子供を腕に抱くこととなったのだった。

 


 ゜。――゜。――゜。




 北の島に雪が降り始める頃には、人魚たちは南の海の方へと移っていた。

 北の島の船が通るかもしれないと、何となく気にはかけていたが、見かけることはなく冬は終わる。


 北の春は遅い。

 そして短い夏を迎える頃にやっと暖かくなった北の海に戻り、月のきれいな夜、リーアは島の入り江へと行ってみた。


「リーア!」

 雪が降る前に離れた時のままの笑顔で、リーアを見つけたグラートは手を振った。

「グラート、久しぶり!」

 リーアもグラートに手を振り返すと桟橋へ向かう。

「元気だった?南の海はどうだった?」

 笑顔で問うグラートに、リーアも笑顔で答えるのだった。

 

 

 久しぶりに会ったグラートはいつも通り穏やかで、前よりもずっと落ち着いて見えた。

 グラートはリーアに南の海の話を聞いた後、冬の間にあった事を語った。


 冬に入ってすぐにセストの妻である兄嫁の妊娠がわかり、その後セストが正式に次期領主に任命された。それと時期を同じくしてグラートは父から呼び出され、兄の補佐としての立場を命じられた。グラートは思わずその場にいたセストを見たが、兄は無言で頷いただけだった。そしてその穏やかな表情はグラートに対して初めて向けられたものだった。

 

 補佐の立場となったグラートは領内での仕事が何かと忙しくなった。今までとは立場も大幅に変わる。

 結局冬の間船に乗る機会はおとずれなかったが、兄の元での仕事はとてもやりがいのあるものだった。何よりも島の領民たちの生活に直結している。

 もちろん海も好きだ。しかしグラートはこの仕事で、初めて自分の場所を得たような気持ちになったのだった。

 

 

 そしてつい先日、セストの初めての子供が生まれた。男の子だった。

 自分の子供を抱くセストを見てグラートは、なんて幸せそうなんだろう、と自分も幸せな気持ちになったのだった。

 

 

 

「しばらく、船には乗れそうにないんだ。色々と忙しくて」

「あの時の船はもうできているの?」

「うん、最初の航海は冬の終わりだったよ。残念ながら僕は乗れなかったけど」

 そう言ったグラートは、しかしそれほど残念そうには見えなかった。

「……ねえグラート、今は、楽しい?」

「うん、楽しいし、やりがいを感じているよ」

 グラートの穏やかな顔を見てリーアも頷く。

「うん、わかったわ、じゃあね、グラート。そろそろ戻るね」

「うん、リーア。夏の間はまたここに来る?月のきれいな夜には会えるかな」

 リーアはにこりと笑顔を返した。


 桟橋から少し離れた場所でリーアはグラートの方へと振り返った。

「さよなら、グラート」

 それだけ言ってリーアはちゃぷんっと海の中へと沈んだ。小さなつぶやきは波にかき消され、グラートには届かなかった。

 

 

 ゜。――゜。――゜。




「ねえ、リーア、本当にいいの?今なら魔女サマにどんなお願いもできるわよ」

 ダリダの問いに、リーアは首を振った。

「うん、いいの。グラートは、今がとても幸せそうだから」

 にこりと笑うリーアに、ダリダはそれ以上魔女への願いを勧めることはなかった。

 



 ゜。――゜。――゜。


 

 海の森の魔女は、今はもう見ることのない水面を見上げる。

 

「認められたい、自分を認めて欲しい」

 あの日、森の魔女に向かってセストはそう言った。

 父に認められ、妻に認められ、弟に認められ、島の人々に認められる。

 けれども、もうそれは叶っていた願い。

 ただ、セストだけがそう感じられなかっただけで。

 もうすでに叶っている願いを魔女は叶えることはできない。だからセストが気付けるように、ちょっとだけ手助けをした。願いを叶えたわけではないから対価もない。そのことに、セストは気が付くだろうか。どちらにしろ、海の魔女にできることはないのだ。

 海の森の魔女は海の森から出られない。セストに会うことはもうないだろう。

 

 


 ゜。――゜。――゜。


 


 月のきれいな夜、グラートは何度か入り江に行ってみたが、人魚に会うことはできなかった。

 短い夏はすぐに終わる。そして雪が降り始める季節はすぐ目の前。

 北の島々に人魚が現れることはない。

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