己が命よりも大切な者のを守るために他者を殺めよ
「―――って!」
伸ばした手は空を切った。
先ほどいた場所に召喚された時と同じ、全く脈絡なく突然別の場所へと移動させられた。
しかし何もなかった先ほどの場所と違い、そこはまるで日本のホームセンターのような場所―――というよりも日本のホームセンターそのものだった。
見知った場所に来たことで、先ほどまでの出来事は夢だったのではないかと思えてくる―――なんてはずもなかった。
そもそも学校で授業を受けていたはずなのに、こんなところにいること自体が意味不明であるということが一つ。
二つ目は周囲に人が誰一人としていないことだ。神隠しにでもあったのかという程、店内は静まり返っている。
それだけの要素で、ここが殺し合いの会場であるということの理解に時間はかからなかった。
『店員さんがいたら後で謝ろう』
だったらやるべきことは武器の調達だ。
少女の最後の発言でこのゲームに参加しているのは人間だけではないということが分かった。
もしこの状態で出会ってしまえば、鋭い牙も爪もないユキは瞬殺されてしまうだろう。
だが幸いにも彼女のいる場所は凶器となるもので溢れているホームセンター。
適当に見繕うだけでも十分―――とは言えないにしても多少は戦えるようになるだろう。
ユキは警戒しつつも店内を散策し、大量に並べられていたバールを手に取った。
想像していたよりも重い。それが最初の感想だった。
だが持ち運べない重さではなかった。ユキはそれに加えてヘルメットも着用した。
おそらくゲームはもう始まっているだろう。いつ敵が襲ってくるか分からない。
だが、その『いつ』は数秒後かもしれないし数時間後かもしれない。
何故なら時間制限の説明がされていないから。
単に忘れていただけという可能性もあるが、それはないだろう。ユキに説明をしていたのは主催者だなのだから。
しかし、だからといってここに身を潜め続けるべきかというとそれは違う。
もし自分が主催側だった場合、身を潜めているだけの光景を観て楽しいだろうか。
否、楽しいと思うはずがない。飽きてゲームを終了させてしまう可能性もある。
仮に少女たちが飽きてゲームを終了させてしまった場合、参加させられた者たちはどうなるのか。人質に取られた者たちはどうなるのか。
そんなの分かりきっていることだ。
だったらやるしかない。戦って生き残るしか道はないのだ。
装備を整えたユキは店の外へ出た。
そしてその光景に今日で何度目か、目を奪われることとなる。
目の前に広がっていたのは森だったのだ。
まるでかみ合わないピース同士を無理やりくっつけたかのように大地が接合されており、それがよりここが地球ではないということを実感させてくれる。
それにパッと見だが、森にも生物がいる気配はない。これだけ生い茂った森にも関わらず虫の一匹も視界に入らないのだ。
おそらくだが参加者以外の生物はいないのかもしれない。
もしも獣がいたとしたら調達した武器で戦うしかない。
覚悟を決め森に入ろうとしたその時、森の奥で草木の揺れる音がした。
敵かもしれないと、すぐさまユキは店内に戻り、息をひそめ物陰から森を見た。
すると暫くして森の中から草木をかき分け黒のスーツに身を包んだ男性が出てきた。
「どうなっているんだここは。森を抜けたと思ったら今度は巨大な建造物とは」
想像していたよりも事の展開が早かった。
誰かを殺す覚悟―――それをここに来てからずっと自分に言い聞かせてきた。
だがしかし、そう簡単にそんなものを決めれるはずがなかった。だから今はまだ出会いたくはなかった。
だけど出会ってしまった以上やるしかない。
やらなければ殺られるのはこちらだ。それに自分だけでなく妹の命もかかっている。
バールを握る手が震える。冷や汗も止まらない。鼓動も早くなり、呼吸も乱れる。
『落ち着け―――落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け。アタシならできる。やらなきゃいけないんだ』
殺人を正当化し、恐怖を躊躇を減らそうとする。何度も何度も自分に言い聞かせる。
相手はこちらに気づかず近づいてきている。一歩一歩確実に距離が近づいている。
『あと少し、あと少し…』
男が店入口に到達した瞬間、ユキは叫び声を上げ全力でバールを振り下ろした。
だがしかし―――
「不意打ちか、確かに悪くない。だが残念だったな。私にはそんな手は通用しない」
その攻撃が届くことはなかった。
軽々と片手でバールを受け止めた男は,ユキからバールを簡単に奪い去ると森の方へと投げ捨てた。
「子どもまでも巻き込んでいたとは本当に愚かだ」
しくじった―――ユキはすぐさまその場から逃げた。店の中を抜け逆側の扉まで全力で走った。
完全に死角からの攻撃だった。躊躇もしなかった。なのに気づかれた。
理由を考えたところで分かるはずもない。そんなことよりも優先すべきは逃げることだ。
いとも簡単に不意打ちの攻撃を防ぐような相手にに真正面から戦って勝てるはずがない。
幸いというべきか反対側は森ではなく建物が建ち並んでいたため、ユキは別の建物の中に隠れたて息をひそめた。
『落ち着け。まだ負けたわけじゃない。何か手を考えるんだ』
相手は攻撃を受けた後、何故か反撃もせず、逃げたユキの後を追いかけもしなかった。
こちらを警戒しているのだろうか。だとすればその貴重な時間を無駄にはできない。
ユキは脳をフル回転させ、ここからどう行動すべきかを考える。
だが答えが出る前に近くから足音が聞こえた。
その足音はゆっくりとゆっくりと、こちらに近づいてくる。まるで居場所が分かっているかのように迷いなく。
そしてユキの隠れている建物の前で立ち止まるとおもむろに語りだした。
「君がそこに隠れていることは分かっている。どうか出てきてほしい。君を苦しめたくはないんだ」
居場所がばれている―――ユキは焦った。
どうするべきか、居場所がばれているならば隠れていても仕方がない。
正面突破するべきか、それとも言葉に従い、のこのこと相手の前に出ていくべきか。
「…そうか、出てきてはくれないか」
ユキはどちらも選択しなかった。彼女が選んだのは第三の選択肢―――息を殺し隠れ続けるというものだった。
相手はこちらに気づいておらず、嘘を言っているという可能性にかけた。
ユキは隠れ続けた。一切の気配をかき消し、像のように動かず。
そしてユキの隠れる部屋の扉が開いて瞬間、ユキは男の顔をライトで照らした。
「あああぁぁ!目がぁぁ!」
突然の強光に男がたまらず目を隠した隙を見て、ユキは建物から脱出した。
『お店で借りてきていてよかった』
ユキはホームセンターでバールとヘルメット以外にも物資を調達していた。
他にはサバイバルナイフに足止め用のネズミ捕りなど様々な物をがある。
使う時が来るのかわからないがいつどのように必要になるかは分からない。念には念をというやつだ。
だがユキはこの時、もしもを想定していたはずなのに致命的なミスを犯していたことに気が付いていなかった。
ユキはあの瞬間逃げを選んだ。
もしもあの時逃げを選ばずサバイバルナイフを手に取り男の首を狙っていたなら―――。
それは弱者故か、それとも戦闘経験のなさ故か、はたまた人を殺す覚悟が出来ていないためか、無意識の内の行動故に、ユキはそのことに気づくことなく走っていた。
出来るだけ遠くに、そして見つからない場所に―――。
走り続けていると何処からか羽音が聞こえた。
そしてその音に気が付いた時にはもう遅かった。
「今のは見事だ。お嬢さん」
上空から黒ずくめの男が降ってきた。
突然の登場に心臓が飛び出るのではというほど驚いたが、ユキは平静を装い一歩下がるとサバイバルナイフを構えた。
「アナタ、今何処から…」
「ん?あぁ上からだよ。上」
そう言いながら男は空を指した。
「私の名前はデューク。我々吸血鬼は飛行能力を持っていてね。空から君の姿を探させてもらったよ」
『吸血鬼』それは西洋の伝承に出てくる怪物であり、鋭い牙で他者の血を吸うという。
まさかファンタジーの生物が実在していたとは。
となると少女が言っていた他の種族も存在することになるだろう。
全員と出会うということはないだろうが、ここを乗り切れたとしても生き残れる可能性は更に低くなった。
『吸血鬼…ナイフ一本で倒せるような相手なのだろうか…』
先ほどの不意打ちは見事に防がれている。正直に言ってバールよりも短く小さいナイフで倒せるわけがない。
だけどやるしかない。ここで退けば殺されることは確実だ。
先手必勝―――ユキはデューク目掛けて走った。
狙うは首。見たところ武器は持っていない。上手くいけば一撃で勝負がつく。
ユキはスプレー缶を取り出すと、デュークの顔面に向けて噴射した。噴射されたスプレーは上手く風に乗りデュークの顔に命中する。
手が顔にいった―――その瞬間を逃さずユキはデュークの首に突き刺した。
深々と刺さった。素人でも分かる。致命傷だ。
生きるために,守るために少女は誰とも知れぬ他人を殺めた―――はずだった。
「ガハッ――――――!」
何が起きたのか気がつくとユキは空を見上げていた。
痛みが全身に走る。呼吸が出来ない。一瞬の逡巡の後、ユキは自分が投げられたのだと理解した。
「止めておきたまえ。君では私には勝てんよ」
「そ…そんなことは…ない」
致命傷を負ったからなのか分からないが、すぐに止めをさしにはこない。
ユキはすぐさま立ち上がり体制を整える。
そこでユキは衝撃の光景を目にする。
「傷が…」
そう。首の傷が治っていっている。
これが人間と吸血鬼との差なのか。
目の当たりにする生物としてのポテンシャルの差にユキは絶望する。
そんな様子を察してなのか、デュークはユキに問い掛ける。
「一つ問いたい。君は何故戦う」
何故―――そんなこと決まっている。生きるため
だ。
まだまだやりたいことがいっぱいある。
それに今はこの命は自分一人の命ではない。自分が死ねば妹も死んでしまう。尚更死ぬわけにはいかないのだ。
「死なない為にアタシは戦う」
「そうか…」
デュークはどこか悲しげに返事をした。
「私にはね,娘が一人いるんだ。そうだな、歳はおそらく君と同じくらいかな。親ばかと言われてるかもしれないが非常にかわいらしくてね。本当に目に入れても痛くないというほどさ」
その喋る姿は子を想う親そのもの。敵意なんて一切ない優しい親の姿。
何故突然そんなことを話し始めたのか、意図は分からないがデュークの柔らかい表情に父と母の姿が重なって見えた。
「だがそんな娘が―――」
デュークは歯を食いしばり、拳を血が滲む程、力一杯握りしめる。
その表情は先ほどまでと変わって怒りに満ちていた。
「娘が人質に取られてしまった…。もしも死ぬのが私一人だったならば私は君のような若人に命を譲っただろう。だが娘の命がかかっている以上そんなことはできない。何としても生き残らなければならないのだ。たとえ誰を殺してでも」
娘のため―――戦うには十分すぎる理由だ。
だが―――だったら何故あの時背後から、頭上から攻撃をしなかったのか。殺そうと思えば殺せたはずなのに。
ユキの姿が娘と重なって見えたのか、原因は定かではないがそのおかげでユキは今生きている。
「許してくれとは言わない。だからせめて苦しまないように、抵抗はしないでくれないか」
雰囲気が変わった。
先ほどまでの優しさも怒りもない。そこにあるのは悲しみ。今から目の前の少女を手にかけねばならないという悲しみだけだった。
ユキは走った。全力で。本能が逃げろと叫んでいた。
何処に逃げる―――分からない。逃げ切れるのか―――分からない。ずっと逃げ続けるのか―――分からない―――何も、何も分からない。
ただひたすら走った。がむしゃらに走った。
追ってくる様子はない。
ユキは全力で走っていると、奥の景色が不自然に途切れている事に気が付いた。
「誰も死にたいなんて思うはずはないか。ましてや君の人生はまだまだこれからなんだから」
先ほどと同じく飛んできたのだろう。上空から現れたデュークはユキの行く手を塞ぐように降り立つ。
「これ以上時間をかけるのはよしたい。すまないが抵抗するというのなら実力行使をさせてもらう」
デュークは指を鳴らした。何の変哲もない、ただ指を鳴らしただけ。
何も起こるはずがない―――普通ならば。
指を鳴らすことで発動する。それがデュークの『天恵』だった。
「これが私の授かった能力『暗黒大陸』だ。君はもう光を見ることはない」
デュークの言う通り目の前が一瞬にして暗黒に染まった。視覚が奪われたのか、それとも闇が周囲を囲んでいるのか。
どちらにせよ周囲の状況を把握できないというのは致命的だった。
視覚に情報のほとんどを頼っている人間が、触角と聴覚だけで戦うことなど無謀もいいところ。
事実ユキは動けずにいた。だがそれは暗闇に対する恐怖だけが原因ではない。
その原因は動揺―――『天恵』が自分以外にも与えられているということに対する驚きだった。
勿論暗闇に対する恐怖がないわけではない。
だがそれ以上に相手が天恵を持っていることに対する驚きが大きかったのだ。
しかしすぐに切り替え、ユキはどうするかを考えた。
視覚を奪われる。この対象は相手だけなのか。そんな都合のいい能力があるのだろうか。
もしかすると相手も同条件である可能性もある。だとすればまだこの勝負は分からない。
あれこれユキは考えたが、希望はあっけなく砕かれることになる。
「一つ君に教えておこう。我々吸血鬼の住む世界は一日の大半が暗闇に包まれていてね。そのためか音に対しては敏感なんだ。つまり私にとって今も状況は何も支障はないということだ」
それはユキに対する死刑宣告だった。
逃げることも出来ず戦うことも出来ない。万策尽きたかに思われたが―――
「だからと言ってアタシも死ぬわけにはいかない!。アタシにだって守らなくちゃいけない人がいるんだ!」
ユキは暗闇の中を直進した。目の前にデュークが立っているはず。運が良ければナイフが当たるかもしれない。
だがデュークが立っていると思われる場所に到達したとき、そこにデュークはいなかった。
避けられた―――だがそれは想定内。好都合だった。
ユキはそのまま真っ直ぐ走った。目的の場所を目指して。
その行動にデュークは動揺した。まさかこの状況で逃げを選択するとは思わなかったのだ。
「まさか―――!」
デュークは上空から見た景色を思い浮かべた。少女の向かう先に在るもの―――それは―――
「海に逃げるつもりか、なんて無謀なことを」
デュークの考えている通りユキは海に逃げ込むつもりだった。
一か八かの賭け。上手くいかない確率の方が高いと分かっているがユキはその道を選んだ。
『あと少し…あと少し…、ここだ!』
ユキは全力で跳んだ。目視で距離を測り,そこに至るまでの過程を計算していた。
波の音もしているため計算は完璧だった。
だが―――ユキが海に入ることはなかった。
追いついたデュークがユキを掴んで飛んでいたのである。
「すまないがこれで終わりだ。安心したまえ、苦しむようなことはしない。約束しよう」
デュークはユキの首筋に噛みつこうとする。
吸血鬼の唾液には鎮痛成分が含まれており噛みついても痛みを感じることはない。
神の道楽に巻き込まれた年端もいかない少女に苦しみを与えないようにというデュークなりのせめてもの慈悲だった。
「勝手に終わらせないでまだアタシは負けてない!」
だがしかし、ユキはまだ諦めていなかった。
デュークは勝ちを確信していた。事実ここから逆転することなど普通なら不可能と言っていいだろう。
だがユキは―――もう普通の存在ではない。
『天恵』―――それを授かっているのはユキも同じ。
そのことをデュークは見落としていた。
圧倒的有利な状況故の慢心。気づいた時にはもう遅かった。
指を鳴らす音が聞こえた。
その瞬間、全ての感覚が消え去った。意識以外の全てが体の中から消え去った。
『これがこの少女の能力なのか―――』
五感を奪う能力―――デュークの『暗黒大陸』の上位互換ともいえるその能力。
ユキは天恵を授かった際、すぐさまその能力を理解した。
それはまるで生まれた時からこれまでずっと一緒にで、体の一部と言っていいほどに馴染んでいた。
ならば何故、そんな体の一部ともいえる天恵を今まで使わなかったのか。
それは使いどころが非常に難しい能力だったから。
そんな能力が抜群ともいえるタイミングで発動した。
ただし、後は天に全てを任せるしかなかった。
何故ならば五感を奪われたのはデュークだけではなかったからである。ユキも同様にすべての感覚を失った。
上を向いているのか―――下を向いているのか―――飛んでいるのか―――落ちているのか―――浮いているのか―――沈んでいるのか―――何もわからない。
『何がどうなっているのか何もわからない…。吸血鬼の人はどうなったのかな…。どう…なっちゃうんだろう…。ごめんね…シオン…』
少女は暗闇に溶けていく。そして次第に深い眠りへと誘われていくのだった