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ハルト Ⅱ - ④

 *


 「技能」科目の実習は、普通の学校で言う放課後に行われた。

 普通の高校生が部活動に勤しむ時間を、学園の生徒達は、学園側が言うところの「よりジッセン的な内容で、即戦力を育てる」カリキュラムに充てていた。

 その「ジッセン」というものが、「実践」の事なのか、それとも「実戦」を指しているのかは、音声でしか聞いたことのないハルトにはわからなかった。

 しかし、平成時代の終わりに起こった大人たちが第二次シベリア出兵と呼ぶ出来事も既に歴史の教科書の一ページとなってしまった現在では、本当の「実戦」を知っている人間はこの学園にも一人くらいしかいない、という話だった。

 いずれにせよ、学園の生徒たちは実習の時間になると校庭に集められ、個々の能力を開発し、その技能を成長させる為の修練を行う事になっていた。

 その日も、ハルトは前コマの座学での授業が終わった後、他のFランク教室の生徒たちに混じって、校舎の裏、正門とは反対の方向にある校庭に出た。

 半分に割ったドーナツのような校舎の中心には背の高い、五重の塔をより細長く、近代的にしたような塔が屹立していて、ハルトはできるだけ、その「視界」に入らないように校舎の陰を歩いて、校庭の隅に向かった。

 塔の頂上には理事長室があって、時折やって来る学園の創立者にして理事長である経営者がそこから校内の様子や「技能」の実習を見守っているということだった。

 A・Bランクの生徒達は明るく賑やかに校庭の真ん中を歩いて、中央に陣取った。

 CランクやDランク、Eランクの生徒達はその周りに円を描くように位置取りをした。

 Fランクの生徒達は校庭の隅に集められて、居心地悪そうに時間が過ぎるのを待った。

 ほどなくして、校庭の中心が俄かに騒がしくなり、どよめきが同心円状に広がった。

 ハルトを含め、Fランクの生徒達が目を向けると、空から校庭に氷柱の雨が降り注ぐ様が見えた。透き通るような蒼色の氷刃は、次いで巻き上がった紫紺の旋風に全て絡め取られて、生徒達の頭上に留まった。最後に鮮やかな紅蓮の火球が打ち上がると、それらエーテルの産物はことごとく空中で弾け飛び、何万、何十万カラットの宝石を砕いたように、色とりどりの輝きが上空を虹のように飾った。

 殆ど魔法だった。  盛大な歓声があがり、校庭を包み込んだ。

 Aランク生の能力は一般に想像される「能力者」の能力そのもので、非の打ち所がなかった。

 だからこそ、Fランクの生徒達はみな一様に校庭の中心から顔を背けて、「あんなの派手なだけで実用的じゃない」「二学期の終わりにある技能大会向けのアピールだろう」などと、酸っぱいブドウのような事をぶつぶつと口にしていた。

 ハルトは俯いていた。自分も少しでも頑張らなくてはいけないと思って、手にした長い棒のような器具を握りしめた。

 でも、どれだけ頑張ったところで、自分が欲するだけのものは決して手に入らないということも、いい加減に理解していた。

 そうこうするうちに、小太りの体をゆすりながら中年の男性教師が時間に遅れてやって来て、遅ればせながらもFランクの実習が始まった。

 そこには、派手な火球も、圧巻の竜巻も、漲る水幕も、強靭な土壁もなかった。

 生徒達は長い棒のような物を持たされて、その素振りを延々とやらされた。

 背の低い技能教師が言うには、どれだけ優秀な能力者であったとしても、その能力を使い続ける事はできないのだから、最終的には体が資本になるという事だったが、だからと言って、この素振りが楽しくなる訳でもなかった。

 柔道の授業で、ひたすら受け身ばかりをやらされて、いつまでも一本投げも巴投げもできないようなものだった。

 その上、振らされている長い棒のような器具は、先端に斧のような刃物を模した重りと、槍のような穂先を模した重りが据えられた中世の武器のような代物で、いくらこれを使う修練を積んだところで高ランクの能力者に敵うとは到底思えず、また素振りをするにしてもあまりにバランスが悪く、生徒たちは揃って文句ばかり言っていた。

 しかし、教え子たちの抗議をまるで気にする様子もなく、頭髪の薄くなった中年教師はいつものように昔話を始めた。アムール河の程近くにあった農家に家族から贈られた時計を渡して代わりにピッチフォークを譲ってもらった、という聞き飽きた話だった。

 こんな実習を真面目にやる生徒はいなかった。

 ハルトでさえ、今年の一学期までならいざ知らず、現実を思い知った今となっては、ただ漫然と体に染み付いた習慣のように長い棒を振って、他の生徒たちと同じように、この退屈で惨めな時間が過ぎ去っていくのを待った。

 やがて、チャイムが鳴り、実習の時間の終わりを告げた。

 教師は規定回数の素振りをこなした者から帰って良いと言って、さっさと校舎に戻っていった。生徒達は互いに示し合わせて、「最後になった奴がクラス全員分の器具を片付けよう」という事にした。

 ハルトは素振りを続けたが、一人また一人、他の生徒は抜けていった。

 自分だけ取り残されてしまうことが怖くて、彼は半ば泣きそうになりながら頑張ったものの、周りから人は減っていく一方だった。

 結局、他の生徒が適当に数を誤魔化していることにも気づかないまま、何をするにしても要領の悪いハルトがまた皆の分の後片付けをすることになった。

 日は暮れかけ、校庭は燻んだ橙色の光と色濃くなった校舎の黒い影に挟まれていた。

 ハルトは焦って、器具をまとめようとして、しかし抱えきれずに土の上にぶちまけてしまった。おまけにバランスを崩して、幾つもの長い棒の上に倒れ込んでしまった。

 土埃の味がした。

 わけもなく涙が溢れてきて、体が勝手にしゃくり上げ始めた。

 悲しいときに肩を抱いてくれた人はもういなくて、そのことが余計にハルトの情緒を乱して、落ち着くまでには余計に時間がかかった。

 やがてハルトは鈍々と立ち上がると、器具を一本ずつ拾って籠に入れた。

 器具を全て入れ終わると籠を力いっぱいに押して、倉庫へと運んだ。

 倉庫の中は暗く、その中にずかずかと入っていけるだけの勇気はなかったから、ハルトは籠を倉庫の入口付近に押しやって、すぐに扉を閉めると、逃げ出すようにその場を離れて、職員室に鍵を返しに行った。

 先生たちに「遅い」と言って叱られるかもしれないと怯えながら、職員室に入る事は苦痛だった。

 案の定、教師に見つかって、どうやら虫の居所が悪かったらしく、「まだやっていたのか」「これだからFランクはダメなんだ」と厳しい口調で詰られた。

 ハルトは全身を硬直させて拳を握り、俯きながら、じっと時間が過ぎるのを待った。

 真っ白になってしまった頭には、先生の言うことは全く入ってこなかったが、それでもちゃんと聞かなくてはいけないと思って、とにかく頭を何度も縦に振った。

 ようやく解放されたハルトは特に何もしていないのにヘトヘトだった。

 ふらついた足取りで職員室からクラスに戻ると、そこにはもう誰もいなかった。

 ハルトは重い体をだらだらと動かして、体操着から制服に着替えた。

 急ぐ気力さえ残っていなかった。

 無意味に時間をかけて、着替え終わったハルトは教室を後にした。のろのろと廊下を歩き始めると、前方から二つの人影がこちらにやって来るのがわかった。

 ハルトはこれ以上何かが起こるのが嫌で、窓際に寄って二人の注意を引かないように身を小さくした。

 窓の向こうに、黄昏を背景に茫と立つ塔の陰影があった。

 近づいてくる人影が徐々に明瞭になってくるに従って、ハルトの心臓はきゅっと縮まった。

 二人は今朝ハルトのところへやって来た三人組の内の二人であるAランクの二年生で、確かエンガクジとキジマと言った。

 彼らは雑談を交わし、静かな廊下に時折けたたましい笑い声を響かせながら、その中央を歩いて来た。

 周囲を威嚇しながら校内を歩くようなAランク生に特有の態度に、ハルトは今朝の事も相俟って、防ぎようのない恐怖を覚えてしまい、とにかく身を固くして、気づかれない事を祈りながら、そのまま二人と擦れ違おうとした。

「お、いんじゃーん」

 ハルトの小さな望みは叶わなかった。

 突然、エンガクジがニヤニヤと笑いながら、お笑い芸人のようにおどけた態度で脅かしつつ、ハルトの前方を塞いだ。

「ちょうど良かった。オレたち、お前に用があったんだよ」

 背中からキジマにいきなり声をかけられたハルトは驚き、体をびくつかせた。 

「ちょっと顔を貸せや、Fランク」

 エンガクジに言われるまま、後ろからキジマに追い立てられて、ハルトは逃げ出す事もできず、二人に連れられていくしかなかった。

 暗澹たる気分だった。

 オレンジ色に染まる廊下は徐々に紫色に蝕まれて、夜が近づきつつあった。

 それでも、窓の向こうにある黒い塔は細い影を落として、それは止まってしまった時計の針のように、夕刻は長くなるのだと仄めかしていた。


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