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ハルト Ⅱ - ③

 

 Fランクの教室などは所詮やる気のない、いい加減な生徒の集まりで、個々の態度に多少の差異はあれど誤差の範囲であり、ハルトだって同じようなものだった。

 授業の時も、机に教科書とノートを広げてシャープペンシルを握り、一応は勉強しようという姿勢だけは見せているものの、それすらもしない他のクラスメイトに比べればまだマシというだけで、ハルトの意識は実際には黒板とその前に立つ教師の話からは全く隔たった次元を泳いでいた。

 何しろ、Fランクだった。入学以来、クラスの全員に貼り付けられてしまった、最低能力者というレッテルは、おそらく死ぬまで剥がされる事はなかった。

 初めの頃は、頑張って見返してやろうと意気込む生徒達もいたし、ハルトも表立って言うことはできなかったが、それと同じようなつもりでいた。

 しかし、月日が経ち、季節が過ぎていく毎に、希望を口にする生徒は一人また一人と減っていって、やがて元気な者は教室からいなくなった。

 部活動も文化祭もない、この学園にも隠然たる人間関係のピラミッドがあった。

 それは要するに能力者としての技能の優劣による階級だった。

 学業の成績は関係なく、「学校で勉強した事なんて社会に出たら何の役にも立たない」と大人たちがしたり顔で言う以上は、生徒たちも皆それを軽視した。

 かといって、能力がその呼び名の通りに生まれつきの才能でしかない以上は、Fランクの者たちが幾ら努力したところで付け焼き刃にもならないという、覆りようのない現実が残されるだけだった。

 一般に、能力の有無と大小は血縁関係、遺伝による影響が強いと言われていた。

 だから、ハルトも初めは希望を持っていた。

 姉は優秀な能力者だったのだから。

 学園に特待生として呼ばれ、入学の見返りに多額の見舞金が支払われたほどの姉だったから、その弟である自分にも強大な力とは言わないにしても、他の人にはない自分だけの能力が秘められているのではないか、そして姉や他の人の役に立つことができるような力が自分の中に眠っているのではないか、と彼は淡い期待を抱いていた。

 一年生の間、ハルトは彼なりに奮起して、彼なりに勉強にも実習にも力を注いだ。

 結果として、成果は何もなかった。彼は何も得られなかった。

 アルバイトの応募に何度も履歴書を送って何の音沙汰もないのと同じように。

 何も起こらず、何も変わらなかった。

 二年生の一学期が終わる頃、ようやく彼は現実を理解し始めた。

 それが到底受け入れられないものであったとしても、現実は変わらなかった。

 それに何より、何にもまして、わからないことがあった。

 学園に姉の姿はなかった。それどころか、姉を知っている者すらいなかった。

 Aランクを遥かに超える能力を持つと言われた姉が、学園の生徒達が交わすウワサ話の中にさえ出てこないということは考えられなかった。

 一度だけ勇気を振り絞って、先生に訊いてみたことがあった。

 しかし、「技能」の実習を担当する中年の男性教師は首を横に振っただけだった。

 ハルトがあからさまに顔を暗くすると、頭髪の薄い小太りの教師は「君の話を本当だとするなら」と前置いた上で言葉を付け足した。

 特に有能な能力者の存在や消息は国家機密になっていたとしても不思議はない。

 それを知ろうと思うなら、自分自身の能力を示して政府の要職に就くしかない。

 Fランクの能力者でもそれは可能なのか、といった意味のことを緊張しきったハルトがぼそぼそと尋ねると、その教師ははっきりと言った。

 「難しいだろうね」

 努力が必要だと諭されている訳ではなく、何をやっても不可能だと暗に示されているということくらいは彼にもなんとなく理解できた。

 肩を落として職員室を去ろうとするハルトの背中に、中年男性教師は声をかけた。

「考え方を切り替えて、まず自分のことを考えた方が良いよ」

 そんな事ができるはずはなかった。

 姉のことを差し置いて、自分のことだけを考えるなんて。

 姉はいつも彼のことを考えてくれていたのに。

 自分だけ、自分のことしか考えないなんて。

 さりとて、彼に何が出来る訳でもなかった。

 何になる訳でもないのに、毎日なんとなく学園に通っては教室の席に座って、目立たないように、他の人から標的にされないように恐れながら、窓の外を眺めつつ別の事を考えるか、廊下の喧騒に耳をそばだてながら、周囲の様子を伺っていた。

 教室から見える学園の風景は、彼が期待していたものとはまるっきり違っていた。

 そこには、元気になった姉の姿もなく、その側にいる新進気鋭の自分もいなかった。

 代わりに、一握りのAランク生達が肩で風を切って歩き、それに劣る能力しか持ち合わせていない生徒は控えめに廊下の端を歩き、Fランクの生徒達はフツーの人と大して変わらない身を小さくしながら日々を過ごしている、ありふれた光景があるだけだった。

 教師たちもそうした風潮を殊更正そうとはせず、「能力で評価されるのは当たり前」「社会はもっと厳しい」「民間企業ではこれが普通」と学園設立時からあるらしい標語を口にして、表情を険しくするだけだった。

 言い知れない敗北感が、Fランクの生徒達をどこまでも怠惰にした。

 救いようのないものに、Fランクの担任は何も言いはしなかった。

 覆りようのない現実は、Fランクの教室を倦怠感と諦念で満たした。

 だからと言って、Fランク生達が仲間意識を持っていた訳でもない。

 学園にピラミッドがあるように、その底辺であるFランクの教室にもピラミッドはあった。その最下層の最底辺にハルトがいるというだけだった。

 どうせ争ったところで負けるだけなのだから、初めからそうしない方がマシだった。

 それよりも、自分よりも哀れなもの、劣ったもの、弱いものを見つけ出して、笑い者にしている方がずっと安全だった。

 素質の無いハルトが勉強にしても技能にしても真面目こくって必死になってやっているのは他人から見れば滑稽なだけで、格好の笑いものだった。

 クラスの一部に陰で指をさされて、虚仮にされ、嘲笑われ、成果も杳として上がらず、いつしか彼も他のクラスメイト達も同じように、何かをすることをやめてしまった。

 結局、彼は二階の教室でぼんやりとしているだけだった。

 教室の黒板に、新任の教師が背伸びをしてチョークを握った手を伸ばしていた。

 板書に合わせて、長い黒髪が左右に揺れていた。

 ハルトはそれを漫然と眺めていた。

 クラスの誰かが消しゴムの端を千切って、ハルトに投げつけた。

 彼は驚いて、体をびくんと震わせた。脚が机に当たって、大きな音を立てた。

 大学を出たばかりの教師は不慣れながらも職業的な威厳を保とうと、彼を名指しで注意してみせた。ハルトは俯きながら、体を真っ赤にした。

 教室の後ろから徐々に忍び笑いが漏れ広がり、やがて笑いは爆発した。

 全身を打ちのめす羞恥に震えながら、ハルトは早く図書館に行きたいと思った。


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