五
迷い、怠け、追憶する。そんな日々を過ごし、漸く衝動を自覚した。
一時的なものとは限らない。只強いというだけの、意欲のある一状態に過ぎない。そしてそれは、個人としての、本能よりも明白な、本性だと自覚した。
夢を諦め難い。執着に果てた。それはそれが衝動的だったからだ。
衝動を抑え込めば意欲も死に、無気力に生きる破目になる。衝動に準ずれば生への留意は手放され、反って死を恐れて生きる破目になる。受け入れゝば、そんな事知ったこっちゃないねと、真っ直ぐ進んで行ける。休む事をも亦楽しめる。それが証拠に書いている今、楽しくてしょうがない。そんな事を、そんな事を書こうとしながら、思っていた。
時間が掛かる程恐怖も増す。それは死であって、飽きであって、失敗であって、――今のこれが衝動に他ならない。確かに瞬間的なものではあるが、矢張り一時的ではない。――それこそが人生ではないか。今を繰り返さずして、生きる術は無い。
書く事をこそ望む。読まれる事は、書き終えてしまった後に望めば良い。読者に喜ばれたい、そういうものを書きたい。と言うのはきっと意欲だから。――元より衝動のみでは生きられない。だからその不安は不要だ。抑私には未だ喜ぶ可き読者など居はしない。
全て似通っている。そういう心配はある。然し世界は等式に埋め尽くされている。それは恐らく人類に取って希望だ。
詰まり当て嵌めてしまうと書きたかったのだ。或いは繋がりもそうだが、それは――六次の隔たり、ラングランズプログラム、相対性理論、量子論、輪廻、イデア、三位、世界樹、季と日、遺伝、遺志――数々の思想に表され、又現れ、矢張り私は当て嵌め、流し、流れて楽しむ。結局の所こうして、進んで行くのだと思うのだ。
川へ沿い歩き、木々に覆われ乍らふらゝゝと考えていた。夜を待つばかりにはもう御免だ。
目的があっては散歩にならんから、用を済ませた後に楽しもう。慣れぬ仕事の前は煙草が美味いから、それはある種喜びであって、遠回りに歩く理由にもなるのだが、終わりの一服も好きものであるし、――今急ぐ理由はもう十分だろう。走らないにしろ、近道を探しつゝ行こう。
急ぐ程に、近付く程に、長く遠く――と思っていたが、――そう確か、意識的な終わりを基準に時間を分割するから、短期にも長期にも、だからその終わりに近付く程一瞬々々は長く感じのだと思っていたが、――随分と早く着いたものだ。いや未だ見えたに過ぎないが、街中の低い建物だから本当にもう着いたも同然だ。何だか少し可笑しい。幸先はこれで良しとしよう。何処か懐かしい平たさもある種滑稽で好い。
終わるのも亦早かった。どうせだから働く喜びを確りと喜んで来た。こんな機会は稀だから、十分に楽しめた。
時間が早く過ぎるのも悪くない。懐かしむ事も出来た。然しそれは、稀だから、だろう。続くと思うと、先が思いやられる。
兎も角今日は楽しめた。人付き合いも好い。これも偶にだからだろうが、そんな事はどうだって良い。少し惹かれもした。達成感も僅か得られた。その滑稽に疲れも癒えた。約束は上手く潰えた。
人は多いが(田舎の感覚を基準にして)、広く亦適度に明るい為に、そしてこれも稀が故に、落ち着いた心地で過ぎる事が出来た。本屋が立て続き、カラオケ屋が立て続いた後、民家が溢れ、田圃が散らばり、軈て亦溢れ、広がるに反比例し暗がって、光も翠がかって来た頃、復川を見た。
流れをきっかけに散歩の思考を思い出し、考え、釣られて職場での会話を思い出した。
「……えっと……貴方、あはは、ごめんなさい、あの……」
「いや貴方で良いよ。何だか珍しいし、それはやっぱり丁寧だよ。…………ごめんなんかキザったらしかった?まあ兎も角その……何だ、その、続けて……ください」
「いやあの、あはは、大した事じゃないんですけどね?……というか……いやなんか、暇潰しって言ったらあれですけど、あの……さっき本田さんから、えっと……あはは、貴方が、あはは、旅好きだって聞いて、それで……私も旅行とか好きだから、どんな……所をどんな風に旅したのかなって、あの……あはは、ごめんなさい、なんか……喋……あはは」
「少し落ち着こうか」
「あはは、そんな……ごめんなさいそうですね、あはは……」
「いやまあ、その……別にあれ、その……俺のは旅行って感じでもなくてさ、そんなどうとかないんだけど……」
「そうなんですか、でも私も近場ばっかりですよ?だから……」
「いやそういうんじゃなくて、寧ろ……」
「寧ろ?」
「ごめん寧ろは違った」
「あはは」
「歩くのがさ、好きなんだよ。だから耐えらんなくなる迄歩いてる。……まあそんな馬鹿な旅だから、最近はずっと散歩に留めてるんだけど、その所為で頻度ばかりが増して……少し困ってる」
「えでも健康に良さそう」
「歩く度にジュース買ってるしそうでもないよ。血糖値は増えてお金は減るから結局ストレスも溜まっちゃってさ。……まあその場は楽しんでるけどね、そりゃあ」
「……でも歩くって……どのくらい歩いてるんですか?」
「散歩?」
「じゃなくて旅……」
「まあ本当果てる迄だね。ははは。……まあ例えば栃木とかさ、歩き心地好くて、また行きたいなと……思ってる」
「へー栃木、好いですね」
「そ?……じゃあ今度一緒に行く?」
「あはは良いですよ?でも……私は普通に観光してるからなぁ。……貴方みたいにそんな……あはは、玄人?じゃないからなぁ」
「玄人って。……まあなんかあれな感じは表せてるけど」
「あれな感じ。……いやその、普通にですよ普通に」
「まあそれは……」
「あてか、抑何で旅が好きなんですか?」
「何で?」
「いや私もそんな、明確な理由とかないですけど、歩くのって……だって辛いでしょ?だから……」
「いやまあ結局は果てる訳だからね。そりゃ……ははは、楽じゃ……ないけどさ、でも別にそんな辛いとも思わないし、理由なんて多分…………」
「多分?」
「きっかけは金が無いとかそんなんだったと思うけど、それは歩き旅になった理由だろうし、……ああてか、そうだ、それで言ったら歩き旅の方が……本来は食費やら宿泊費やら掛かる訳だから、それは……」
首を傾げられるとやっぱり少し……どきっとする。
「いやなんか、さ、自暴自棄だったなって、その……色んな……のの理由というかさ。食い物は……あれで、……あれで、で野宿とかだったし、果てるってのも……きっと最初は今みたいに精神的な意味じゃなくて、寧ろ……」
俯かれるとやっぱり少し、胸が締め付けられる。
「ごめんなんか、変な感じになっちゃったけど……君が黙ってるのも悪いよ」
「ごめんなさい」
「……笑ってよ」
「ごめんなさい。……あはは」
「あーもうなんか……」
「てか結局何だったんですか?」
「え」
「いや良く分からなかったから」
なんて良い子なんだ。
だけど、俺は馬鹿だから、どっちの意味なのか分からない。というか、やっぱり話したい。
「理由とかそんな考えた事無かったから、なんかぐっちゃぐちゃになっちゃったけど、纏めると多分、懐かしさ……まあだから、所謂惰性……だね。何だ彼だで。……惰性の意味良く分かってないけど」
「あーでも、何と做く分かりますよ?それ……は」
「そぉ?ははは。それは……まあ良かった」
そんな会話があって、ふと気付いた。言い乍ら、旅が恐らくそうである事に気付き、思い返し乍ら、散歩も恐らくそうである事に気付いた。詰まり羨望が懐古になり、復何時かの旅に誘われ、何時か復感動する。そんな衝動を繰り返し、そうして渇望をし続けるのだろう。
或いは何時かの言葉を嘘にしたくないから、歩くに矛盾し遅れ馳せ乍ら、ある種の出会いを求めているという事もあるかも知れない。実際、酒に頼って色んな事をした。それでゆとりが出来たかは分からないが、経験は自分なりに役立てた。
不意に吹く風は矢張り心地好い。
そうしてまた夜が来た。
強く思うと言う事がどういう事なのか考えた。何故疲れるのか、それはきっと、引き合う筈の引力が不可思議な働きを引き起こし、斥力を疑う程に無重力が広がる様に、意思と思想と、そう言った類いのある種の形の、強弱や緩急の領域が純粋な感情に依て膨張されるからだろう。
何やら楽しくなって来たと思い前を向くと、あの公園が近く、少し気になりもして来たので、つい急いて小走りになった。
公園に入り掛けて、復ある頃のある散歩の、景色か感情か、兎も角あの頃を思い出した。
それが冬の頃だったからか、今度は生温い風に纏わり憑かれた。――あの狐はもう死んでしまったろう。今日はやけに鼻が通るから不愉快だ。詰まっては亦苛立つのだろうが――それにしても、夏の夜は明る過ぎる。