第七話 面白いもの
季節は初夏を少し過ぎて、それでもまだ爽やかな風が吹くころ。
私が赴いたスプルース王国王城の中庭は、一面の花畑が広がっていた。大きな花はなく、それぞれが咲くことを楽しんでいるかのようにたくさんの花が顔を覗かせている。その様子は可憐で、優美で、可愛らしい。
それを眺めていた私は、ぼうっとしていた。マリユスに声をかけられるまで、近づいてきていることに気付かないほどに。
「どうかしましたか、ハル」
私を愛称で呼ぶことができるほど、ようやく慣れてきたマリユスが照れずにそこにいた。私は素直にここにいる感想を述べる。
「あ、いえ。スプルース王国はここに来るまでにも素敵な花畑が一面に広がっていて、驚きました」
「ええ、花卉はこの国の産物の一つですから。これをイヴに継がせようと、今力を入れているところです」
どうやっても、私とマリユスの会話にはリラが入ってくる。悪いわけではない、でもリラのことを思うと胸が痛い。どうにかしてやれなかったのか、と後悔が渦巻く。
会って短い私でさえそう思うのだから、マリユスはもっとつらいはずだ。それでもその態度を出すことはないし、私を気遣っている。そう思う。
「見てください。ライラックの花です、イヴが好きな花ですよ」
マリユスが指差した先には、紫色の花があった。小さな花の群れが、木からいくつも伸びている。
ライラック。ウィスタリア王国の言葉では、それはもっと短く、リラと言われる。
イヴ・リラのその名前の由来、なのだろうか。
「もしかして、リラというのは」
「ああ、イヴのセカンドネームですね。イヴ・リラ・ル・ヴィオレ、紫のライラックのイヴ、私はあの髪の色と合わせてとてもいい名前だと思います」
やはり、そうだった。あのすみれ色の髪に似合う、ライラックのイヴだ。詩的で美しいその名前は、本当ならもっと多くの人に讃えられるべきだろうに、私は残念でならない。彼が表舞台に立つことをよしとせず、身を引いてしまうとなるとその名も日の目を見ることがなくなってしまう。
このままでは誰も、彼のそばにはいなくなるのではないだろうか。彼の名を誰かが語らなくていいのだろうか。彼を引き止めるために。
「マリユス陛下には私がいても、イヴ殿下には誰もいないのではありませんか」
思わず私の口をついて出た言葉に、マリユスは自分もそう思っていた、とばかりにすぐに同意した。
「そうですね。それは……何とかしたいのですが、これからのことを考えると、まだ手を打つわけにはいかないのです」
これからウィスタリア王国には大きな政変が起きることだろう。その最中に、リラが誰を信用できるのか。誰かをつけるにしても、添い遂げさせることは困難だ。
風が吹いて、花の香りを運ぶ。少しまだ、風は冷たかった。
すかさず、アルキアが薄紫のショールを持ってきた。
「失礼いたします。殿下、これを。お体を冷やしてはいけません」
「ありがとう、アルキア」
私は薄紫のショールを肩にかける。
そのショールがあまりにも上等なもので、私の衣服の中にはないものだと気付いて、私はアルキアへ尋ねる。
「アルキア、これは?」
「申し訳ございません。それは私の私物です、まだ殿下のトランクを開いている最中でしたので」
アルキアは頭を下げる。なるほど、と私が納得しているそのとき——ふと、思ったのだ。
薄紫、ライラック。アルキアの私物、それが今、ここにある。
偶然にしては出来過ぎだ。私はアルキアを呼ぶ。
「アルキア?」
「何でしょう?」
「これ、イヴ殿下からいただいたのでしょう?」
その一言に、アルキアは目を見開いて驚いていた。まさか知られるとは思ってもみなかった、という顔だ。それに、主人を差し置いて男性から贈り物をもらっていた、ということに、アルキアは申し訳なさそうだ。
責めるつもりはない、と言葉を添えると、アルキアはこう言った。
「……はい。リラ様は他にも色々と、くださったものですから」
私とマリユスは顔を見合わせる。
「イヴが? 女性に?」
「どういうことでしょう?」
そこへアルキアが慌てて口を挟む。
「あの、殿下。どうかお許しを。リラ様は私にも贈り物をくださいましたが、殿下については何も喋っておりません。取り次いで、お茶をお出ししただけです」
「分かっているわ。そうではなくて」
私はアルキアをなだめる。そうではないのだ。リラは、アルキアに贈り物をしていて、その目的はきっとアルキアの買収などではない。そんなことをする必要がないからだ。
だから、すぐに目的ははっきりとした。
「イヴは君のことが気になっているのではないか、ということだよ」
☆
数日後、リラがスプルース王国王城に呼ばれ、テーブルを挟んで私とマリユス、そしてアルキアと向かい合っていた。
「イヴ、呼ばれた理由は分かっているかい」
マリユスにそう告げられ、リラは首を傾げている。
「なぜでしょう」
「君がアルキア嬢に贈り物をした件だ」
「ああ、はい」
リラはまったく悪びれていない。それの何がおかしいのか、堂々とした態度でそう物語っている。
「単刀直入に聞こう。君は」
「アルキア嬢のことが好きだからです」
話が早い。即座に明らかにされてしまい、アルキアが顔を赤らめて俯いてしまっていた。
ついつい、私は面白くなって、もののついでにこう尋ねてしまった。
「それは、私よりも?」
「それを言ってしまうと語弊があるのですが、単純に私は気配りのできるアルキア嬢のことが最初から気になっていました。母と重なるところがあったので」
なるほど、納得だった。リラの母は第二王妃となる前は王城のメイドだった、とマリユスが言っていたので、そのあたりアルキアと確かに重なるところがあったのだろう。おまけにアルキアはウィスタリア王国ではなく私と同じソルフェリノ王国の出身だ、懇意にしてもそれほどしがらみがない。惹かれるのもやむなし、といったところだ。
アルキアが隣にいる私の袖をさりげなく引っ張っていた。
「殿下、そろそろ、何というか、恥ずかしくなってきました」
「大丈夫、アルキア。ここで決めましょう」
「何をですか」
「イヴ殿下、アルキアと婚約しましょう。すぐに」
これに驚いたのは、アルキアだけではない。リラもまた、少しだがベールの向こうから驚きの表情を見せていた。
「よろしいのですか?」
「アルキアの両親には手紙を書きます。おそらく問題ないはずですわ」
「あとはアルキア嬢がどう思っているかだが」
私を含む三人の視線がアルキアへ注がれる。アルキアはただ頷くばかりだった。もう勘弁してくれ、と言外に訴えている。
しょうがないので私が代弁する。
「大丈夫ですわ」
マリユスが音頭を取る。
「よし。それならイヴ、すぐには発表しないがアルキア嬢と婚約してくれ」
「分かりました。断られるかと思っていましたよ」
和やかな雰囲気の中、マリユスとリラが胸を撫で下ろす。
アルキアだけが拗ねていた。私をジト目で睨む。
「殿下はいつもそうやって私を振り回しますよね」
「アルキア、拗ねないで。面白いから」
私は幼馴染の婚約を祝福している。
それは間違いない。面白いからでもあるけど。