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第五話 リラが気になる

「初めまして、マリユス陛下」


 お忍びでウィスタリア王国王城の私のプライベートテラスにやってきたのは、二十代後半の黒髪の男性だった。美男子、と言って差し支えないその風貌に、王族らしい気品ある振る舞い。間違いなく、スプルース王国国王マリユスだとその身で語っていた。


 そのマリユスは、気恥ずかしそうに挨拶をする。


「初めまして、ハルフィリア王女殿下。本日は」


 マリユスは言い淀む。しかし、頬を紅潮させているあたり、その原因は緊張と恥ずかしさからだ、とすぐに分かった。女性が苦手というのは、本当らしい。


 照れ隠しに頭を押さえ、マリユスは私に向き直る。


「まいったな、上手く言えない」

「ふふっ、どうぞこちらへ。お茶にいたしましょう」


 私は年下なのに余裕を見せて、マリユスをテーブルへ招く。ここなら邪魔が入らず、何でも語ることができる。それが分かれば、マリユスの緊張も解けるだろう。


 アルキアが運んできたお茶を供し、焼き菓子を摘んでひと心地ついたところで、ようやくマリユスは落ち着いて話せるようになった。


「イヴのおかげで、君とこうして話ができる。彼には感謝しないと」


 イヴ、という名前に、私はふと思いを馳せる。


 イヴ・リラと名乗ったあの男性は、私とマリユスの仲を取り持った。その正体はウィスタリア王国の第一王子イヴで、さまざまな企みの理由を——もういいのだと語った。


 彼は何をしているだろう。目の前のマリユスを差し置いて、そんなふうに私は思ってしまった。すぐに頭を切り替え、マリユスへ目線を戻す。


 マリユスは顔を引き締め、一つ咳払いをしてこう言った。


「ハルフィリア王女殿下。私は、あなたを迎えることができたなら、この国の王位を取りに行くつもりです」


 ——知っている。リラが語ったことだ。


 私は確認を取る。


「それが許されるのですか?」

「もちろん。私が王位継承者の争いに加わる準備は済んでいます、あとはきっかけさえあればよかった。それはイヴも協力してくれているので、上手く行くでしょう」


 そこまで言って、マリユスは突然慌てふためいた。


「えっと、そうではなくて。決して、私はあなたの背景を欲しているわけではなくて、それだけは信じていただきたい。私はあなた自身を見ていますから」

「では、マリユス陛下は私の何を欲しておられるのですか?」


 何の気なしに私が問いかけたことに対して、マリユスは真面目に、私へ手を伸ばす。


「しがらみなく恋ができるあなたを」


 その緑色の目は真っ直ぐに、私を見ていた。


 とはいえ、その言葉が何を意味しているのかは、問わなくては分からない。


「しがらみ」


 私のつぶやきに、マリユスは頷く。


「馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれませんが、私は恋をしたことがない。生まれてこの方、いつも貴族の娘たちに狙われていて、着飾った女性を見ると逃げ出したくなる。そんな男です」


 マリユスはお恥ずかしい、と言いながらため息を吐いていた。つまり、ナタリアのような貴族の娘がウィスタリア王国にはごまんといる、ということだ。それは女性が苦手になっても仕方がない気がする。


 マリユスに同情しつつ、私は話の続きに耳を傾けた。


「そこでイヴが、あなたを紹介してくれたのです。私を狙うわけでもなく、外国人で私以外の男とも結婚する選択肢のあるあなたなら、互いにもっとフラットな目で見ることができるのではないか、と」


 イヴが。


 私をそう評価して、マリユスへ勧めた。それは、喜ばしいことなのだろう、きっと。そこまで外国人の私を評価してくれたのだから。


 でも、なぜイヴは自分は身を引いたのだろう。私はずっと、それが気に掛かっていた。もういいから、それは理由になるのだろうか。それとも、私には結婚する魅力がなかったのだろうか、そこまで私は考え込んでしまっていた。


 マリユスがそれを察してか、こう問いかける。


「ひょっとして、イヴに情が移りましたか?」

「ああ、いえ、それは」

「失礼、口が過ぎました」


 マリユスはすぐに謝る。だが、それはイヴへの嫉妬というにはささやかすぎる。だから私は気にしなかった。


 それよりも、私は正直に、気になっているのだということを明らかにした。


「ただ、イヴ殿下の思いはどこにあるのだろう、と考えてしまいました。あなたと入れ替わりで、スプルース王国の王位に就きたい、と考えるあの方の思惑が分からないのです」


 それに関しては、マリユスは納得していた。


「そうですね。それは気になるでしょう。当然です、何もおかしくはない」


 マリユスはティーカップに口をつける。


 一口、喉を潤してから、マリユスは語る。


「簡単に言ってしまえば、イヴはウィスタリア王国を取り巻く情勢をよく分かっているのです。この国は、このままではソルフェリノ王国やその他の強国の後塵を拝することになる、と。時代は変わりました。世界規模の新大陸貿易、その莫大な金が流れ込んできた今、ウィスタリア王国は今までの地位を守ることができない。なぜなら、ウィスタリア王国は新大陸貿易に絡むことができていないからです。しかし、今から全力をもって取り組むなら、まだ芽は残されている」


 ウィスタリア貴族はそのあたりのことがまだ理解できていない。レナートもまた、同じだった。


 世界は変わってきている。ウィスタリア王国とて安穏と暮らしていけるわけではない、私の故郷ソルフェリノ王国の貴族や商人たちを見ていれば分かるのに、世界の変化に何も手を打とうとしていない。


 それが私には歯痒く、失望をもたらしていた。この国はこの程度なのか、と。


 しかし、マリユスは違う。むしろ、マリユスでなければ、ウィスタリア王国はこれからやっていくことはできない。それは私の中で、確信となりつつあった。


 マリユスだけでなく、イヴも、なのだけど。


「そのために新大陸貿易のための港が作れるスプルース王国をイヴに任せ、ウィスタリア王国自体の舵は私が取る。さらにあなたとの結婚、あまり利用したくはありませんが……それによってソルフェリノ王国と親密になれる。今しばらく敵視はされない状況を作れればそれでいいのです」


 私は、そのとおりだ、気にする必要はない、という意味も込めて、大きく頷く。


 私は政略結婚の道具として来たのだから、今更利用されることを気にしたりはしない。ウィスタリア王国に来た時点で、それは覚悟していたことだ。


 でも、マリユスはそれを気にしている。


 おそらく、イヴも同じだろう。


「そんな状況ですから、私は今までも今も、立場的に恋というものをすることができず、諦めていました。しかし、イヴが仲介を買って出てくれたおかげで、私はあなたにこうして会うことができた。それが嬉しいのです」


 表情を緩めて、マリユスは照れていた。


 恋をしたい、その一心でここに来たのなら、拍子抜けではあるけどとても好印象だ。面白い。


 私はその考えに、乗っかることにした。


「分かりました。なら、マリユス陛下、恋をしましょう。今しかできないのなら、今を謳歌しましょう。もし、お嫌でなければ、ですけれど」


 今はそれでいいのだ。マリユスがそれを望むのなら、そうするくらいの余裕は私にはある。気になることはあるけれど、今は目の前の男性に誠実に応対しよう。


 マリユスは嬉しそうに、安堵のため息を吐いていた。


「よかった。いきなり結婚を提案されれば、どうしようかと」

「それは心の準備ができてから考えましょう。でも、あまり長くそうしてもいられませんけれど」

「分かっています、ほんの少しでもいい。わがままを許していただき、感謝します」


 礼儀正しく、マリユスは頭を下げた。


「では、まずスプルース王国へいらっしゃってください。あなたに見せたいものも、たくさんあるのです」

「楽しみですわ」


 楽しみだというその言葉は嘘ではない。私は実際に、楽しみだと思っている。


 だけど、ほんの少し、心に棘のように気になることが刺さっているということも、事実だった。

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