第三話 会ってみないと分からない
王立学校の授業は退屈だ。これなら王城で家庭教師を頼んだほうがよかった、と思えるくらいには、面白味のない授業が続いている。
おそらく、ウィスタリア王国の法律、数学、歴史、哲学、音楽といった分野は、ソルフェリノ王国のそれよりもずっと古臭い。ソルフェリノ王国は流行の最先端にあるからそれは仕方のないことなのだが、思っていたよりもウィスタリア王国の高等教育が遅れているということは否めない。
私は将来のことを考えると気が重い。ウィスタリア王国は質実剛健で伝統を墨守する国、と言えば聞こえはいいが、実際のところ雰囲気は堅苦しくて古いしきたりを無駄に崇拝している有様だ。こんな国に嫁ぐのか、それなら多少規模が小さくてもスプルース王国のほうがまだマシなのではないか、そう思う。
授業の最中、私は丸眼鏡の政治学の講師から意地悪な質問をされた。
「ミス・ソルフェリノ。我が国を取り巻く国際情勢、留学生の目から見てどのように映りますか? 過去の事例を引いて答えてみなさい」
私はふむ、と一拍置いた。その質問の意図するところは、私を笑いものにするというわけではなく、あくまで勉強が遅れている学生へ——私もその一員と思われている——復習がてら解説を加えるつもりなのだろう。
そんな意図など、私は知ったことではない。
私は手を挙げ、答える。
「先生、国際情勢は常に変化しています。過去を顧みて参考になることばかりではありません、むしろ固執することで逆に現情勢を見通せなくなる恐れがあります。例えば現在進行形の新大陸貿易、これは過去に事例がありますか? 間違いなく、新しい現象です。世界規模の物資の流動、かつての大帝国であろうと海を越えることはありませんでした。その中でウィスタリア王国の置かれている現状を語るというのであれば」
私の発言を遮るように二つほど手を叩いたのは、講師ではない。ナタリアだ。
「ハルフィリア! 先生はそのような答えをしろとはおっしゃっておりませんわ! まったく、留学しておきながらこの国のことも答えられないなんて」
「発言は挙手してからよ、オールドレディ」
「何ですって!?」
「ごめんなさい、ミセスよね。婚約したのでしょう? 陛下や殿下と呼ぶのはまだ早いし」
どこからか、くすくすと笑いが聞こえる。ナタリアが顔を赤らめているということは、その笑いはナタリアに向けられていると考えておこう。
ナタリアがそれ以上突っかかってくる前に、丸眼鏡の政治学の講師は間に入ってナタリアをなだめていた。後半の授業時間はそれで潰れてくれたので、私はこれ幸いとさっさと教室を出ていった。
☆
王城は王立学校の隣に位置している。むしろ王立学校が王城に備えつけられている施設であって、添え物だ。
私は午前中だけの授業が終われば、すぐに王城へ戻る。ここならナタリアが我が物顔でやってくるということもないし、私は国賓として誰かに喧嘩を売られることもない。
それに、最近はプライベートテラスに風変わりな客がやってくるようになった。
すみれ色の髪の、ベールを被ったリラだ。
「マリユス陛下からの手紙と贈り物です」
お茶会の席でそう言って渡されたのは、一通の封書と百合の花束だ。数本の大輪の百合が包まれた花束は、目に鮮やかに映る。
「あら、いい百合の花。アルキア、これを生けてくれる?」
「かしこまりました」
私はメイドのアルキアに花束を託し、封書を手にした。
「今、読んだほうが?」
「ええ、返事をいただいてくるようにと申しつかっています」
「何かお急ぎかしら」
リラのベール越しの顔色からは、緊張感は見受けられない。なら急ぎというわけでもなさそうだ。
私は封書を切って、中の便箋を読む。
そこに書いてあったのは、マリユスからのご機嫌伺いと、私がどんなふうに日常を過ごしていて、どんなことを好んでいるのか、という下問だ。女性へのアプローチとしては奥手すぎる気もするが、初めはこんなものだろうと私はリラへ答える。
「あなたに言伝を頼んでもいいのかしら」
「かまいませんよ。見たまま聞いたままに陛下へお伝えします」
「では……ここでの会話の雰囲気と、私が華美なものは好まない、ということを伝えてください」
あまり情報を多く伝えても、混乱させるだけだ。それにリラが嘘を話すとも思えない、見たまま聞いたまま、伝えてもらえれば十分なはずだ。会ったこともない名前しか知らない女のことなんて、一気に知ったって白けるだけだろうし。
しかし、私もマリユスのことは会ったこともなければ、名前しか知らないに等しい。だからと言って私からがっついてマリユスについて尋ねる、ということは、さすがにはしたない。
マリユスとは、お互い適切な距離を取って健全に行こう、という思いは一致していると思われる。レナートみたいに馴れ馴れしく来て失礼に去っていくような男はもう懲り懲りだ。
リラは穏やかに受け応える。
「承知いたしました。他には、たとえば王立学校でのことは」
「それは伝えなくてけっこうです。どうせつまらない……いえ」
「大丈夫です。それに関しては陛下も同意されるでしょう」
リラが笑っていた。それほどおかしいことだっただろうか、それとも王立学校はつまらないという評判が一般的なのだろうか。
温かいお茶を飲んで舌が回るようになったのか、リラはさらに質問を続ける。
「殿下、もう少し何か、陛下へお伝えしてもかまわないようなことはございませんか」
私は少し考え込む。何を言えばいいだろう、調べて分かるようなことを伝えたってしょうがない。かと言って、何もかもさらけ出して喋れるような関係でもない。
「とおっしゃられても、私はこの国に来てまだ日が浅く、趣味と呼べるほどのことも」
「では、外出などは?」
「ありませんわ。ウィスタリア国王陛下から厳に禁じられておりますし、王城と王立学校の行き来だけです」
「それは」
リラは口ごもる。どうすべきか、その所作は優雅ながら、困っていることが一目で分かる。
やがてリラは、こう言った。
「それをマリユス陛下にお伝えすると、スプルース王国へお招きするよう働きかけをするかと思われます。それがお望みであればかまいませんが、億劫ではありませんか?」
私はその言葉に、リラの心遣いを感じ取った。
マリユスからすれば、話を進めるためにも私にスプルース王国の膝元へ来てほしいだろう。しかし、私はまだウィスタリア王国に来て二ヶ月ほど、どう動くにしたってまだ厄介だ。ウィスタリア国王の許可もいるし、レナートとの噂が消え切っていない現状で新しい男を漁っている、と言われても腹が立つ。遠方のマリユスにそこまで配慮してくれ、とは言えないだろう。
私とマリユスの間にリラが立って、その調整をしてくれる、となれば助かる。
私はリラの意見に同意する。
「かも、しれません。まだ慣れていませんし」
「それも含めて伝え、陛下をお止めしておきましょう」
「お気遣い感謝します、リラ閣下」
リラは鷹揚に頷いた。リラは態度こそ貴族にしては謙虚で、それほど年上にも見えない。だが、その度量や誠実さは見た目の年齢とは裏腹に、老練ささえ感じられる。
そんなリラなら誤解することもないはずだ。私は、リラを信頼して、尋ねてみることにした。
「逆に、マリユス陛下のことは、私はお聞きしてもかまいませんか」
普通、王侯貴族の女が進んで男のことを尋ねる、というのはマナーに反する。はしたない、という思いはある。だが、私は何も知らないのだ。
一方的に教えて、私だけ何も知らないというのはフェアじゃない。そんな思いが、私を後押しした。
リラはちょっと驚いたように目を見開いて、それから穏やかに笑う。
「お伝えしたいことはやまやまなのですが、陛下ご自身があなたにお会いしたときに話すための話題を奪ってしまいかねません」
その返答に、私は思わず呆気に取られた。
まさか、そんなに可愛らしい理由で断られるとは思ってもみなかった。
「ふふっ、それほど口下手な方なのですか?」
「女性を前にすると、驚くほどに」
呆れた様子で、リラは肩をすくめる。
今のところ、私はそれを信じることにした。実際のところ、会ってみないと分からないのだから。