第二話 イヴ・リラ
私、ハルフィリアは初夏の風を感じながら、ウィスタリア王国王城のプライベートテラスでゆっくりお茶を飲んでいる。
だって私、縁戚のソルフェリノ王国から来た国賓だし。ウィスタリア王国の王立学校に通う傍ら、将来の花婿候補と顔合わせするためにやってきているわけで——そこのところをどうにも勘違いされやすい。
たとえば、先日のナタリア。いくらヴァーミリオン公爵家が立派なお家柄だったとしても、所詮は成り上がり貴族。王族とは何の繋がりもなく、だからナタリアは家の方針もあってレナートに必死で取り入り、上手くいったと思っている。
実際には私は花婿候補のレナートとソリが合わなくてどうしようかと思っていたところに、上手く押しつけられるナタリアがいたからぽいっと投げた。これで次の花婿候補と堂々とお茶会ができる、という寸法だ。私は別にレナートと婚約なんか結んでいないから、関係が解消されようと特に問題はない。むしろ、レナートという自意識過剰の塊との縁談なんてこちらから願い下げだった。しかしある程度面目というものもあるため、関係解消の経緯などはなるべく口外しない。
ナタリアは独占欲や承認欲求が満たされて満足、レナートと私は関係が解消されてにっこり。これこそ誰も不幸にならない冴えた方法、というわけだ。
さて、私はどうするか。ウィスタリア国王から次の花婿候補と会ってみないか、と打診されているから、そろそろ返事を出さなければならない。
次のお相手はスプルース王国国王マリユス陛下、ウィスタリア王国国王の末弟、王弟に当たる方だ。ちょっと年上だけど、スプルース王国はウィスタリア王国と関係もきわめて良好。加えてマリユスはウィスタリア王国の王位継承権も放棄していないから、私の故郷ソルフェリノ王国がウィスタリア王国へ影響力を持つこともできる。
ただどうだろう、会ってみないことには何も始まらない。またレナートみたいな男だったら嫌だし、変な趣味があったら私はウィスタリア国王へ即チェンジを頼まなくてはならない。
他にも花婿候補はいるらしいが、ウィスタリア王国にいる間はウィスタリア国王が私の後見人なので、国王を抜きにして話を進めることはできない。
うーん、もどかしい。
私がティーポットから二杯目のお茶を自分で注いでいると、ソルフェリノから連れてきた幼馴染でメイドのアルキアが進み出てきた。
「ハル様、お客様がいらっしゃいました」
「客? そんな予定、あった?」
「いえ。アポなしです」
「一応聞くけど、どちら様?」
「リラ様、という男性です」
リラ。いまいち聞いたことがない。いや、どこかで耳にしているかもしれないけど、思い出せない。
私は悩んだ末に、会うことにした。どんな用件であっても、ちょうどお茶会をしていたのだからそこへ招く、というていが取れる。
それなら相手も下手なことはできない。礼を失するようなことは、王族のお茶会ではしてはいけないのだ。
☆
イヴ・リラと名乗った男性は、綺麗なすみれ色の髪をしていた。そちらにばかり目が行くし、ちょっと長い髪とベールのある帽子が顔の上半分と輪郭を隠している。しかし決して醜男ではない。
それにしても男性がベールを被るのは珍しい。私はリラという男性に興味を持った。
「お初にお目にかかります、ハルフィリア王女殿下」
「こちらこそ、初めまして、リラ閣下」
「身分を隠していることをお許しください。本来の身分は王城では何かと不便で、何よりもあなたに不快な噂をつけるわけにはまいりません」
「お気遣い感謝しますわ。なら、私はどこのどなた様を相手にお話をすればよろしいのかしら?」
私はリラへ問いかけた。つまりはお前はどういう扱いをして欲しいのか、と言っている。それによって、私も態度を変えなくてはならないかもしれない。会話に互いの齟齬をなくすための一言だ。
リラは動揺することもなく答える。
「まず、私はあくまで王城の出入りを許された貴族、その程度にお考えください」
「分かりました。ではリラ閣下、私に何かご用かしら?」
「スプルース王国マリユス国王陛下より、あなたとの面会を希望する旨を伝えてほしい、と言伝をいただいております」
「まあ」
私は驚いてみせた。次の花婿候補が、さっそく手を打ってきたらしい。
リラはマリユスの要請で、スプルース王国から気軽にやってくることのできないマリユスの代わりに伝令役を務めている。なるほど、それならリラはベールを被り、身分を明かさないほうが都合がいい。どこから邪魔が入るか分からないし、一応マリユスはスプルース王国という別の国の王だから、この国の貴族が肩入れしすぎるわけにはいかない。
「何分、マリユス陛下は美男子で、この王城を歩けば縁談がどこからでも舞い込んでくるようなお方です。しかし陛下は女性が苦手で、それに昨今は貴族たちが利権争いの延長上で王族の血を取り込もうとするような有様。そうおいそれと結婚などできませんし、貴族たちのおもちゃになるつもりも毛頭ありません。それは殿下も同じかと」
「そうですね。つい先日そのようなことも起きかけました」
私は何も知らないナタリアの顔がふと脳裏に浮かんで、彼女が幸せならまあそれでいいか、と思った。一応の王立学校の同級生だし、あちらがどう思っていようとどうでもいい。レナートの血が欲しいのなら、どうぞどうぞ。多分、私という最大の障害がなくなったことで、ヴァーミリオン公爵家は他の貴族たちとレナートを巡ってさらに激しい競争に突入しかねないけど、それもこれも関係解消という前科を背負ったレナートが悪い。
リラは、でしょうね、という頷きを返した。それくらい、ウィスタリア王国では貴族の暴走がよくあることなのだ。
「加えて、利権争いの原因である好調な新大陸貿易の影響——ご説明差し上げるまでもないと思われますが、ソルフェリノ王国は新大陸貿易の窓口。ゆえに我がウィスタリア王国はソルフェリノ王国王室と関係を密にしたい思惑もあり、なおかつ貴族たちに口出しさせぬためにもあなたを貴族どもと結婚させるわけにはいきません」
そう、それこそがウィスタリア国王が私を国賓として招いた最大の要因だ。
近年、新大陸からの砂糖、タバコ、綿花、茶といった品々が私の故郷ソルフェリノ王国へ持ち込まれている。ソルフェリノの貴族と商人たちがこぞって新大陸を開拓して、プランテーションに成功したのだ。その品々を近隣各国は喉から手が出るほど欲しがっている。しかし航路や法律の関係から、ソルフェリノ王国を通さずに手に入れることは不可能。であればソルフェリノ王国との関係を強化するしかない。
ウィスタリア王国とソルフェリノ王国、その鎹として、政略結婚の道具として選ばれた私は、当然だが相手を選ぶことが許された。もちろん傍若無人に振る舞っていいというわけではない、ただ節度を保っているのなら自由は許される。つまりレナートはむしろ私に振られたということになるが、外国との貿易関係より国内貴族を優先させたと解釈してあげようと思う。
とはいえ外から見てそう解釈できるかどうかは別問題だ。体裁は整えなくてはならない。
「ところで、つかぬことをお伺いしますが、なぜレナート殿下とは疎遠に……相性が悪かったのでしょうか」
「まあ、そのようなところですわ。あちらもナタリアという公爵令嬢がよいとおっしゃっておられましたし、私だって男女の恋仲を引き裂くつもりはありませんもの」
「そうでしたか。ご配慮、痛み入ります」
リラ、内心ではレナートを馬鹿にしているだろうな、と私は見て取った。どう考えても、現状国益を考えるなら私とナタリアを天秤にかけること自体が間違っている。しかしそれはあちらの問題、飛び火しても何なので、言わないでおこう。ウィスタリア国王も次の王位継承者レースからレナートをちょっと後退させただろうけど。
そんなことはどうでもいい、とばかりに、リラはティーカップを口に添える。
すると、茶を一口含んでから、リラは嬉しそうな声を出した。
「おや、この茶はいいものですね」
「あら、お分かりになります? 故郷ソルフェリノから持ってきた茶葉ですわ。こちらではまだ出回っていない希少なものです」
リラはその説明を聞いて、微笑んでいた。ソルフェリノで流通している、というだけでウィスタリア王国では一定の評価を得られるくらいブランド力がある。それに、これは——父であるソルフェリノ国王が、私のお茶会のためにと用意してくれた逸品だ。
お茶会を開いて、友達を呼んで、仲良くおしゃべりをする。もしくは、将来の花婿とともに談笑する。そういうことを、私もウィスタリア王国に来るまで少しは夢見ていた。
しかし現実は、いきなりの破談と王立学校での孤立だ。ナタリアが手を回したらしく、私は同級生から避けられている。元から他国の王女というだけで近寄りがたい存在なのだから、関係改善はなかなか骨が折れるだろう。第一、誘えばナタリアに目をつけられるからしばらくは誘えないし、そこまでして作りたい友達、というものが今のところ私は見つけられていない。
「これを供することができるくらい、仲のよいお友達がいればよかったのですけれど……恥ずかしながら、まだできていませんの。そもそも王城に招くこと自体が壁となっていますから、王立学校でもお誘いをかけることをためらってしまって」
そんな私のオブラートに包んだ表現を、リラは悪くは受け取らなかったようだ。
「殿下はとても細やかな気遣いをなさる。上に立つ者にとって、得がたい気質ですね」
「あら、ありがとう。そう褒められたことなんて、今までなかったわ」
「どうか、私にはお気を遣わずに。マリユス陛下から、王城で不便を強いられているであろうあなたの様子を見るようにとも頼まれております。何かあれば、ご用命ください」
リラの言葉は、何とも頼り甲斐があった。スプルース王国国王マリユスの代理人は、できる男のようだ。願わくばマリユス本人もそうあって欲しい。
私はそのときはお言葉に甘えることを約束して、ひとときのお茶会を楽しんだ。