あの頃は地獄だったけれど
「ナーサディア様、首飾りはこちらでよろしいですか?」
「待って、アクセサリーは全部そっちに…あ、いや違うかな。エスメラルダを呼んでから聞いてみて?」
「かしこまりました」
どたばたとした、けれど和やかな雰囲気の中、準備は滞りなく進められていく。
既に婚約式は済ませていたナーサディアとティミス。今日は待ちに待った二人の結婚式となっている。
どの装飾品を、どの組み合わせで着用するのか。それを聞くためにエスメラルダを呼んでもらうように伝えた。
「ナーサディア姫様、先ほどこのエスメラルダをお呼びになったとか!」
出会った頃からの相変わらずの勢いで、エスメラルダがナーサディアの身支度用に準備された部屋へと駆け込んでくる。
首飾りを持ったカリナとウエディングドレスを着せてもらっている途中のナーサディア、二人の様子を交互に見て察してくれたらしいエスメラルダは、慌てて結婚式用にまとめて保管していた装飾品をごっそりと取り出してくる。
「ごめんなさいね、カリナ。こちらを使って頂戴。全て揃えて用意しているから」
「そうだったんですね!てっきりこちらにあるものかと思っておりました…」
「これは結婚式のためにと、分けておいたの。ティミス殿下が、『全部新品を揃える!』って張り切ってご準備されたんですよ~」
「まぁ…!さすが殿下…いえ、もう殿下ではなく侯爵様、でしたかしら」
「わ、わぁ…すごいねぇ…」
ナーサディアにも彼女らの会話は全て聞こえている。
だが、エスメラルダとカリナの会話の聞こえてきた内容に、心の中で『待って聞いてない』と呟き、ナーサディアは思わず冷汗をたらりと流す。
おかしい、既に色々なお飾りはあるのだからそれで良くないかな?良いよね?と割と最近も話していたはずなのに、一体いつの間に用意したのだろうかと思う。
何せそんな素振りが見当たらなかったから。
「ね、ねぇエスメラルダ…。それ、いつ用意されてた、の?」
「割と前から…ですわ、姫様。ティミス様は大変一途であらせられましたから」
いやそうじゃない、と思わず言いそうになるが、ぐっと堪える。
ナーサディアからの問い掛けに対し、驚くほどのほほんとした口調で答えを返してきたエスメラルダの様子には頭を抱えたくなるが、今はドレスも着せてもらっているし諸々の準備中。余計な身動きを取る訳にはいかない。
「…まぁ、いいか」
今に始まったことでは無いし、とナーサディアは観念して気持ちを切り替えた。
そして、これから執り行われるのはナーサディアとティミスの結婚式。終われば、ティミスは皇族としてではなく、城を出て侯爵として過ごしていくこととなる。
他の皇族と仲が悪くなっているわけではない。これはティミス本人が望んだこと。既に皇太子は立太子しているし婚約者との仲も良好。さらには第二皇子も大変能力が高い。ここに自分がいることで余計な争いの火種を残しておきたくない』と改めて貴族議会の場で公式に明言したのだ。
結果、皇帝から侯爵位を賜り、ナーサディアと共に過ごす時間を皇族ではない身分で過ごすことを選んだ。ほぼ皇族扱いだが、もう継承権は放棄している。
だから、公爵位も断ったのだ。血は繋がっているものの、城を出て過ごしていくのだから、と。別に爵位になど拘らない、と言ったが、そこは父であるイシュタリアが譲らなかったために侯爵位となった。
だが、予想に反して貴族たちは荒れに荒れた。
ティミスをまだ利用しようとしていた貴族が意外に多く、ナーサディアしか娶らないと言っているにも関わらず自分の娘を側妃として是非!と押しかけてきたのだ。
「いや、いらない。わたしにはナーサディアだけで良い」
そう言っても、貴族たちは『万が一の世継ぎのこともある』と詰めてくる。
「娶ったところでわたしはそなたらの娘の元になど通ったりしないが、構わないな?」
「はぁ?!」
「そうなることを覚悟して、嫁がせるのであれば好きにしろ。ただし、わたしは嫁がせられた娘の顔も見ないし名前も覚えない。予算も割り当ててやるつもりはないぞ」
「そんな…」
がくりと項垂れる貴族たちだが、呆れたように溜め息を吐いたティミスから更なるトドメが刺された。
「仮にそれでも、と差し出してきた場合は翌日に離縁する」
あまりに徹底されすぎではないか、と疎まれたが、そもそもティミスの普段からのナーサディアへの愛情の深さを考えると当たり前のこと。
これをしっかり理解している高位貴族たちは『まぁそうだよなぁ』で、あっさり諦めたし引いてくれた。
他にも皇子はいるのだから、そちらを狙う方が簡単だろうに…とティミスにボヤかれ、それもそうだ!とあっさり鞍替えしたことにより、身を引いてくれただけなのだが。それでも、余計な虫は追い払えた。
それらとナーサディアの祖国のあれこれを乗り越えた末、ティミスが待ちに待ったようやくの結婚式。
今か今かと、ナーサディアの用意を待ち続けるティミスを宥めながら、第二皇子アトルシャンは苦笑いを浮かべている。
「ティミス、落ち着きなさい。もうすぐだから」
「いやでも、兄上ももうすぐ式でしょう? そうなったら僕がこうなっている気持ちが分かりますよ!」
「それは、まぁ…そうなんだが」
「あぁ…綺麗だろうなぁ…僕のナーサディア…!」
「…聞こえていなくてよ、あの子」
アトルシャンにファリミエがそっと耳打ちする。
「仕方ないというか…あいつは本当にナーサディアが大好きだから」
「愛情の重さにナーサディアが未だに困惑しているけどね」
「せめて、子が産まれるまでには慣れてもらわないと」
「気が早いわよ」
「そうかな?」
ふふ、と二人は顔を見合せて笑う。
でももう、ナーサディアは大丈夫。ティミスにこれでもかと愛を注がれ、周りにいるのは血の繋がりこそなくとも、心から信頼している人たち。
そして、ナーサディアの祖父であるレイノルド。
何が幸せで、何が不幸せなのか。ここまで過ごしてきてようやく理解できたような、そんな不思議な気持ちにさせられるものだ、といつだったかレイノルドがボヤいていた。
一体何を、と誰かが問うと『子と孫がいる。皆元気で誰一人欠けてなどいない。だが……その幸せな輪の中から、一人だけはじかれている者がいると、どうやったら気付ける? もっと早く気付けていたら、と何度も後悔した…』と。拳をぎりり、と握り締め呟いたレイノルドは、思い出す度に後悔した、と今でも言う。
結果論、ではあるのだが両親から虐げられることで、資質が発現してナーサディアは宝石姫となり、帝国に迎え入れられた。そこにいたのは、自分と同じ立場の宝石姫二人。
そして、彼女を迎えにやってきてくれた皇子様。彼は、いつでもとてつもない愛をナーサディアただ一人に惜しむことなく注いでくれる。
言葉でも、態度でも。全てにおいて君が大切なんだ、そう伝えてくれるから、ナーサディアの傷だらけだった心はあたたかなものに包まれ、慈しまれたのだ。
「ナーサディアは、これからもっと幸せにならなくちゃいけないね。だって、僕と一緒なんだから」
自信満々に言うティミスを、いつの間にかやって来ていたティティールがジト目で見上げていた。
「ディア姉様、ほんとにお兄様でよろしいのかしら」
「何だ、ティティール。どういう意味~?」
言われた内容に心外だ、と言わんばかりの顔でティミスは軽くティティールを見る。
「だって、ディア姉様ってば今でも愛の重さに戸惑っていらっしゃるではありませんか。まぁ、それだけ愛されていることは嬉しいですけれど、姉様は慎み深いレディなんですからね!」
「お前だいぶのシスコンだね。さすがというか何というか」
一番、といっていいほどナーサディアに懐いているティティールは口酸っぱく言い続けている。なお、本当に反対しているわけではないのだが、うっかり他の貴族に聞かれると妙な探りを入れられてしまうからと、ティミスはティティールの視線と高さを合わせた。
「けど、あまり大きな声で言うものではないよ」
「知ってます。…ディア姉様が笑ってくれるなら、それが一番なんだもの」
「…当たり前だよ。泣かせたりなんかしないさ」
「信じてますわ、大好きなお兄様」
言っていいことと悪いこと、それもきちんとティティールは理解している。
そう、あくまでじゃれ合いなのだこれは。
「ほら二人とも、その辺で」
「はぁい」
ぱんぱん、とファリミエが手を叩き、場を収める。
「花嫁の支度もそろそろだから、わたくし達は先に会場に行くわね。ティミス、ナーサディアのエスコートはよろしくお願いするわ」
「勿論です」
その場にいた皇族は、参加者の席へ向かうべく歩き始めた。
残ったのは、ティミス一人。
「…ナーサディア」
ぽつり、と名を呼んだ。
見つけた時は、本当に弱くて、いつも人の目に怯えて、ティミスの後ろに隠れがちになっていたのに、と思い返す。
「まぁ、ティミス様。ナーサディア様をお待ちになられていたのですか?」
ナーサディアが支度をしていた部屋の扉ががちゃり、と開いた。
中からカリナが顔を出し、ティミスの姿を見てにっこりと笑いかける。
「もうご準備整いました。さぁ、エスコートをお願いいたします」
「……あぁ」
次、もしくは次の次でラストです!