今はただ、おやすみなさい
ちょっと短めです。
ベアトリーチェの記憶消去を行い、アルシャークとベアトリーチェを客間へと案内してもらった。ベアトリーチェの目が覚めるまで、しばらく滞在してもいいように許可は出してある。念の為にと見張りもおいた。
眠そうな様子ながらも指示をしているナーサディアに寄り添い、各所へと通達が終わったのを確認してから宮にあるナーサディアの私室へと歩く。気を抜けばそのまま眠りそうな彼女を抱き上げてやれば、腕の中で甘えるように擦り寄ってくれる様子が何とも愛らしく、ティミスの頬は自然と緩んだ。
ベアトリーチェへ記憶消去の術をかけたあと、どっと疲労感が押し寄せてナーサディアの体力も魔力も空っぽに近い状態になったが、必要なことは済ませなければと、気力だけで何とか終えた。
やはり記憶消去は高度な魔術なんだな、とナーサディアがぼんやり考えていると、こめかみに柔らかな感触があった。あれ、と呟いて半分閉じかけている目を向けると、どこまでも愛しさしかない目で、ナーサディアにしか向けない眼差しが彼女を射抜く。
「…眠っていいよ。大丈夫、僕がついてるから」
ね?と。子供に言い聞かせるような言葉が続く。
「もうナーサディアの部屋だ。君の指示通り、王太子夫妻はこの宮の客間へと案内させた。監視役もいる。君はもう、ゆっくりしていいんだよ」
「てぃみ、す…」
あやすような、けれど甘さがたっぷり込められた音に一気に眠りへと誘われる。
いつからか、ティミスの腕の中が、彼の傍が、ナーサディアにとってはいちばん安心できる場所へと変化していた。
地獄でしかなかったあの家から連れ出してくれたあの日、ナーサディアの世界は破壊された。
知るはずのなかった外の世界を知れて、体感できて、『外』で生きていられる。隣にいてくれるのはティミスと、今まで会うことがほぼ叶わなかった祖父。
二人から溢れんばかりに注がれる愛情と、優しさ。勿論時には厳しさもあるけれど、それは愛故に、だ。
決して父や母のような、『見た目が醜いから』などという馬鹿げた理由なんかではない。きちんとした理由があるから、ナーサディアは頑張ってこられた。
「寝る、けど…」
「うん?」
「離れるの、いや」
幼子のようだな、と言ったあとで思ったけれど、ナーサディアの口から出る言葉は止まらない。
「ティミスが居てくれないと、いや…」
「…うん」
「一人は、いや」
「当たり前だよ、僕の宝物。ずっと、…ずーっと一緒にいる」
「…寝るけど、手、握ってて」
「ふふ、勿論」
ナーサディアの寝室で、ナーサディアを膝に乗せたまま至近距離で囁くように繰り返される応答。
こめかみだけでなく、額、眉間、目元、次々に降ってくる触れるだけの甘い口付けに、ナーサディアはふにゃふにゃと表情を崩す。
「添い寝は必要かな? 僕の姫」
「…いる」
ぎゅう、と抱き着いてティミスの首筋にぐりぐりと頭を擦り寄せると朗らかな笑いが響く。
「可愛いなぁ、これだから君を甘やかすのはやめられないんだ」
ふわり、とナーサディアの体を浮遊感が襲う。
「ゆっくり眠ろう。必要な物は持ってこさせようね」
「…ん」
今日着ているドレスは、皺になってしまっても大丈夫だったのだろうか、と思うが筆頭メイドの二人、カリナとチェルシーを始めとしたナーサディア付きのメイド達は大変優秀だから、きっとどうにかしてくれるのだろうと判断した。
ナーサディアが履いている踵の低いパンプスを脱がせ、ベッドの脇へと置いてから器用に抱き上げたまま二人してベッドへと潜り込む。
その間もナーサディアはティミスから決して離れようとしない。
以前よりも健康的になったとはいえ、ナーサディアはティミスからすると小柄で、体重もとても軽い。抱き上げたままでも問題は無いが、眠そうな彼女を早々に寝かしつけてあげようと腕枕をしてから背中をぽんぽんと優しく叩く。
「ごめんね、お待たせ。ナーサディア」
「ん~…」
ティミスにしっかりと抱き着いて甘えたまま、すぐさまナーサディアは意識を手放した。
規則正しい寝息が聞こえてきて安心する反面、相当疲弊させてしまったな、と若干の後悔のような感情も湧き上がる。
だが、記憶消去の魔術は大変高度なもので、やるならば対象との関係はなるべく近い方が良いとされている。今回のように姉妹であるなら尚良、だ。
難易度の高い記憶消去の魔術をあそこまで見事にこなせるとは、正直思っていなかった。術をかけている間、どちらからともなく繋がれた手を見て、ティミスは物凄く焦りを覚えた。もしも、ナーサディアがベアトリーチェの深層領域に引き込まれてしまったらどうしたら良いのかと焦ったが、杞憂に終わった。
「…本当に…頑張ったね」
ナーサディアの髪を優しく撫で続ける手の温もりと、規則正しく聞こえているであろうティミスの心音。
最初は抱き締められることにも、人とこうして眠ることも出来なかったナーサディア。それが、今はこんなにも心を許してくれていることが嬉しくて、同時にくすぐったいような不思議な気持ちになる。
きっと、ティミス自身はナーサディアが宝石姫でなくとも、自分が皇族でなかろうとも、彼女を見つけ出したに違いない。それくらいの自信があるし、溢れんばかりの愛情が次から次へと湧き出してくる。
これほどまで強烈に惹かれるものなのかと思い、ティミスは皇室図書館で過去の歴史を調べたりもしたのだが、想いの強さは恐らく自分の方が上だと知った。
魂の番、というだけでは説明しきれないものが、ティミスの中にある。恐らく、自惚れてもいいと言うならばナーサディアにも、ある。
「…薄っぺらいと思っていたのに、こんなにも大きくて…すさまじいものだったのか…」
眠るナーサディアに語りかけるように独り言を紡ぐ。
今は、こうしてただ、疲れから解放してあげようとティミスは思い、自分もゆっくり目を閉じる。
「僕も寝よう。…おやすみ、僕のナーサディア」
ふぁ、と欠伸をしてからティミスは目を閉じる。
眠るつもりはなかったが、どうやら腕の中ですやすやと眠るナーサディアを見ているうちに、ティミスの気も緩んだらしい。
ナーサディアの華奢な体をしっかりと抱き締めて眠りへと落ちていった。
その後、カリナが起こしに来るまで二人は爆睡し、ようやく起きたかと思えば着替えてから再び眠りについた。
勿論、しっかりとナーサディアはティミスに抱き着いていたし、ティミスもナーサディアを抱き締め返して。