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わたしの、たいせつだったもの②

 何の変哲もない、普通の姿見。一体何だ、と思っているとベアトリーチェはナーサディアの手を離してから姿見の前に座り込んだ。


≪ね、もうひとり私がいるでしょう?≫


 鏡に触れ、映る自分を見ながらベアトリーチェは微笑む。まるでもう一人の自分に触れるようにそっと鏡に触れて、まるでそこに二人そろっていて向い合せになって座って手を合わせているかのようにしている。

 それが、ほんの少しだけ怖く、異質なものに見えてしまったナーサディアは、ゆるくかぶりを振った。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そう、自分へと言い聞かせてベアトリーチェの隣に腰を下ろした。


≪そうね、鏡ですもの。貴女と同じだから、『もう一人の貴女』で合っているわ≫


≪でもね、鏡の中の私は、私ではないの! とっても大切で、ずぅっと一緒にいるべき存在なんだから!≫


 ()()だ、とナーサディアは確信した。

 これこそ、ベアトリーチェがナーサディアを独占する記憶の根源。鏡の中にいるのは紛れもなくベアトリーチェであるが、母の言葉が呪いのように浸透しきった結果として『ナーサディアが自分と一緒にいるべき存在』と強すぎるほどに認識しているのだ。


≪大切な人、ということかしら?≫


≪ええそうよ、お姫様!この鏡の中の女の子は私だけど私じゃない、もう一人の『わたし』でずーっと、ずぅっと一緒に()()()()()()()()()


 純粋が故に狂気じみた独占欲の正体にして成れの果て。

 この部屋を壊したところでどうにもなりそうにない。ここに鏡があって、ベアトリーチェが鏡を覗いて中に映る存在を『もう一人の自分』すなわち『ナーサディア』と認識している限りは、執着は取れない。であれば、そもそもこの鏡も、この鳥かごのような屋敷そのものも全て壊して、『ナーサディア』という存在と、母に囚われている思考回路ごと解き放ってから、ウォーレン王国へと帰そう。そして、見送りの時はナーサディアが自分全てに認識疎外の魔法をかけてしまって、別人のように振る舞ってしまえばいいのだから。


≪でも…鏡にもし、何も映らなかったら、もう一人の大切な人はいないでしょう?≫


≪なら、鏡を新しくするだけだわ≫


≪駄目よ≫


≪どうして?≫


≪貴方なら、耐えられるのかしら。勝手に自分の存在を他人に定義されてしまうだなんて≫


≪てい、ぎ≫


 ふふ、と微笑んで、ナーサディアはぽかんとしている幼いベアトリーチェの頭を撫でる。


≪言葉が難しかったね。…貴女が、もしも、自分じゃない誰かに、自分のこれからを決められちゃうと、どんな気持ちかな?≫


≪…やだ≫


 ぷく、と頬を膨らませて嫌がる様子が可愛くて、思わず笑うと『笑わないでよぉ!』と怒ってくる。ああ、きっと何もないまま普通に過ごしていたらこんな日々だったのかな、と思うと泣きそうになってしまうが、もう過去は変えられない。

 あやすようにベアトリーチェの頭をもう一度撫でてあげてから、頬をそぉっと包み込んで言葉を続けた。


≪それに、貴女はずっとここに閉じこもっているの?≫


≪…出る必要なんかないもん≫


≪どうして? お外はこんなにも広くて、暖かくて、綺麗なのに≫


 外に出られれば、もうきっとこの鏡はこの子には必要なんかない。

 鳥かごのようなこの場所から出よう、と促すように立ち上がり、つないだままだった手を一度離してから、内側から思いきり窓を開いた。

 蔦が意思を持ったように動き、開かれた窓を閉めにかかろうとしてきたが、それを許さないと言わんばかりにナーサディアは窓を押さえ、意識を集中する。


≪ベアトリーチェの心を、感情をこれ以上縛らないで! 閉じ込めないで!≫


 そう叫ぶと、まるで怯んだように蔦の動きが一瞬止まり、その隙をついてナーサディアは改めて大きく窓を開く。同時に足元に大きく魔法陣を展開させ、ベアトリーチェに手を差し出した。


≪来て、ベアトリーチェ!≫


≪どうして、わたしの、名前≫


≪もう、いいの。貴女は貴女の意思で未来を進んで。そこに私は居なくていい、居る必要なんかない。…おいで!≫


≪まって、あなた……ちが、え……? なー、さ、でぃあ…?≫


 ベアトリーチェの質問には否定の言葉も肯定の言葉も出さず、ただ微笑む。

 ふらりと立ち上がり、差し伸ばされた手に縋りつくようにベアトリーチェはナーサディアの手を掴んだ。それとほぼ同時、幼い体を抱きかかえて窓から飛び出した。


≪もう、あんな狭いところに閉じこもらないで≫


 飛び降りた先には何もなかった、はずだった。

 けれど、今や様々な種類のありとあらゆる花が咲き誇る花畑へと変化していたのだ。

 もう大丈夫と何度も繰り返し、抱き上げていた体を下ろしてからまだ存在していた鳥かごのような外見の建物を壊す。

 ナーサディアが飛び出す前に展開した魔法陣、あれは時限式の破壊の魔術を刻み込んだもの。爆発するでもなく、砂の城が崩れるようにさらさらと崩れていった。

 建物ごと、ベアトリーチェが言っていた鏡も何もかも、全てが崩れていく。

 あの建物が象徴していたのがナーサディアへの執着。鳥かごの中に閉じ込めて、いつまでもベアトリーチェと共に過ごし、逃げることなどできないように。その思考にナーサディアの『意思』など存在はしていない。

 ならばそれごと無くして、『ナーサディア』そのものへの執着ごと消し去るしかないと判断した。無くしっぱなしではベアトリーチェの感情や精神が壊れてしまう。それを防ぐためにナーサディアが展開したのは、ベアトリーチェの『これからの未来』。

 進む先にナーサディアがいないように、仄暗い過去や思考に囚われないように、という願いを込めて広げたのは花畑。

 実家であるハミル侯爵家もイメージしないように気を付けて、彼女の進んでいく道の先にはウォーレンの王城をイメージした城を。これまでとは進む方向も違う、一つに囚われないように世界を広げた。


≪すごい…!≫


 キラキラと目を輝かせるベアトリーチェは無邪気に喜ぶ。

 これから先へと進んでいく方向に見える景色や建物の色も何もかもが明るく、きらきらと光り輝いている。今までは閉じこもった世界の中にいたから、これに馴染むのは間違いなく時間がかかる。せめてその間は心穏やかに、安らかにしていてもらおうと思ってから手のひらに光を集め、ぱん、と弾けさせた。


≪お姫様は光の精霊に愛されているのね! すごいわ! ねぇ、もう周りの探索をしても良いの? 私は、色んな所に行けるの!?≫


 興奮気味に聞いてくるベアトリーチェに頷いて見せて、ナーサディアは彼女の頭上へと光の粒子を降り注がせた。


≪…ベアトリーチェ、貴女の進んでいくこれからの道に幸多からんことを…≫


≪ありがとう!≫


≪振り返ってはいけないわよ。そう、そのまま行って≫


 走っていくベアトリーチェの先には、光が満ちている。

 そうなるようにナーサディアが簡易的な祝福のようなものを授けたし、幼かったあの日に両親によって囚われた捻じ曲がった世界から解放もされた。


≪さようなら、…お姉ちゃん。私のたった一人の、双子の片割れ≫


 ぽた、とナーサディアの目から涙が一粒だけ零れた。

 これでベアトリーチェの記憶から『ナーサディア』という存在と、囚われていた家の事情という悪夢からも解放した。


 他に何をする必要があるのか?

 …ごっそりと抜け落ちてしまっている、先ほどまで屋敷があったところを、何かで他の物で埋めてあげるだけ。


 何が良いかな、と考えてからナーサディアは昔の記憶を呼び起こしてみる。

 できるだけナーサディアに関わりがないもので、ベアトリーチェが好きなものを思い出してみたが、一つしか思い当たらなかった。


≪これかな≫


 なるべく丁寧にイメージしてから、一面に広がるように魔力を広げていく。建物が元あった場所に広がったのは、ベアトリーチェが好きだと言っていた薔薇の花畑。赤、黄色、橙、薄いピンク、色とりどりの薔薇を咲かせてみた。

 過去(ここ)に戻ってきたとしても、残っているのはナーサディアに対する執着でもない、母に対する恨みでもない、そして父や母の呪いでもない。ただ、かつて過ごした記憶で楽しかったことを中心に、過去の思い出に花が咲くだけ。


≪…ばいばい≫


 もう見えなくなったベアトリーチェにはこの呟きは届かないだろうけれど、と思いながらナーサディアは現実へと戻る。

 目を閉じて、ここに来たときとは逆のイメージで浮かぶように。ぐんぐん上へと昇っていくように、意識を浮上させていく。


 時間にしてどれくらい経ったのか。

 ぱち、と目を開いたナーサディアはティミスに、ベアトリーチェはアルシャークに抱きかかえられており、ナーサディアとベアトリーチェの手はいつの間にか繋がれていた。


「あれ…?」


「ナーサディアが潜った後でね、無意識下だろうけど手が繋がれたんだ。手を離すとまずいかな、って思ってそのままにしておいたんだけど…」


「ありがとう…ティミス。…終わった、よ」


「頑張ったね。お疲れ様」


 ティミスはナーサディアの体を改めて抱き抱え直して、ぎゅうっと抱き締める。

 ナーサディアも抱き締められて安心したのか、少しだけ表情を緩めてティミスに甘えるように抱き着いた。

 ベアトリーチェと繋いでいた手は、ナーサディアがティミスに抱き着く前に、ナーサディア側から離しておいた。ほんの少しだけ名残惜しかったのだが、もう離れると、関わらないと決めたのだからいつまでも繋いでいるままではいかない。

 その様子を見ていたティミスは、優しい手つきでナーサディアの頭を撫でる。少しずつ力が抜けていくのを感じながらも、自分の腕の中では安らげるのだと改めて感じて、ティミスは嬉しくてたまらない。ちゅ、と小さく音を立ててナーサディアのこめかみに口付け、ティミスはナーサディアへと問い掛けた。


「…怖かった?」


「…ううん。…私に関するものは、ちゃんと、なくしてきたよ」


「……ナーサディア嬢、ティミス殿下、…この度は本当に申し訳ございませんでした…!」


 ベアトリーチェを抱き締めてナーサディアとティミスに謝るアルシャーク。

 謝られた側の二人は顔を見合わせるが、彼を咎める気などなかった。むしろ、ナーサディアに対して飛び掛からないように押さえてくれてありがとうと言うべきだろうか。

 記憶が消されたベアトリーチェは、ただ眠っているように見えるのだが、実のところ意識が戻っていない。記憶を消した反動もあり、数時間、もしくは何日か意識は戻らないだろうと推測される。

 ピンポイントで記憶を消したため、ベアトリーチェ自身にも相当な負荷はかかっているがナーサディアにも負荷は相当なものだった。


「アルシャーク殿下、何日かここに滞在していくと…良いですよ。記憶を消した反動で…ベアトリーチェ、少し、そのままだと…思います」


「そ、うなのか?」


「記憶消去はやった側も、やられた側も、魔力消費が激しいですからね」


 ティミスは元々魔法に対しての教育は、かなり高度なものを受けている。だから、今の力の抜けきったナーサディアの状態もきちんと理解している。


「最後まで、貴女にはこちらの都合で迷惑をかけてしまった」


 ぎゅ、とベアトリーチェの体をきつく抱き締め、アルシャークは絞り出すような声で言うが、ナーサディアもティミスも、顔を見合わせてきょとんとしており、咎めるような視線もなにも向けてくることはなかった。


「確かに、王太子妃のことは、僕は許せそうにない。けれど…これから彼女はナーサディアという存在と関われない状態で過ごしていくんだ。見えないところで『都合の悪いことだけ忘れやがって』と貴国の貴族たちに指をさされながらね。責められても彼女には記憶がない、という恐怖を抱いたまま生きることになる。…正直刻んで殺してやりたかったけれど、そうしたら悲しむだろう。…アルシャーク殿下、貴方とかね」


「…ティミス殿下…」


 ティミスとしては、ナーサディアを害する存在なんか殺し尽くしてしまいたかった。

 ウォーレン王国ごと滅ぼしても足りないくらいに腹が立ってはいたが、そうするとナーサディアの祖国がなくなってしまう。無くしてしまっても良いくらいには思っていたけれど、レイノルドのことも考えると迂闊なことをしてはならないと、必死に堪えた。

 心の内側に入れた人間以外はどうでもいいと思っているティミスの、最大限の配慮…と、言ってもいいのかは分からないが、アルシャークは泣きたくなるのを必死に堪える。


「…ありがとう、ございます…!」


「お礼とか言わなくていいですって。わたしは、ナーサディアと穏やかな生活を送りたいだけだ。それには、申し訳ないが貴方の妃に邪魔されたくなかっただけですので」


 ぶっきらぼうな声と様子だったが、そこに混ざっていたのはほんの少しの優しさ。

 もう二度とは見られないだろうことは理解したアルシャークは、謝らずにお礼を告げるだけに留めたのであった。

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