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出発前

 ふんふん、と機嫌のよさそうな鼻歌がずっと聞こえており、ベアトリーチェ付きの侍女は、心の底から安堵していた。

 双子の片割れが()()カレアム帝国にいるのだと話していたが、その彼女に送った手紙の返事を見て、発狂したのかというほどにベアトリーチェは荒れた。日中、公務をしているときはまだぎりぎり理性を働かせていたらしいが、終わって自室に一度戻ってからがとてつもなく酷かった。

 片割れであるナーサディアに対しての執着でしかない感情を丸出しにしながら、何度も手紙を読み返しては苛立っていた。


「ねぇ、向こうに着ていくドレスは何色が良いかしら!」


「王太子妃殿下は何を着てもお似合いですが…そうですね、やはり王太子殿下とお揃いの色にしてはいかがですか?」


「そうね!」


 花のように微笑んで準備をするベアトリーチェの内心を知る者は、もうこの王国には存在しない。

 実の両親に対しては、ベアトリーチェからも別れをしっかりと告げた。


 エディルが『魂を分かち合った存在』なんていうから、それを馬鹿みたいにずっと信じていた。そして、純粋に母から日々言われることを信じて、王太子妃教育にも取り組んでいたし、言われるがままのナーサディアの日常を信じていたから自分の日常を話し聞かせていた。

 事実は驚くほど真逆どころか、幼かったあの日に引き離されたあの瞬間から、ナーサディアへの本格的な虐待が始まっていたといっても過言ではない。

 塔に行く前から本邸でも虐め倒されていたと聞いて、怒りが膨れ上がったけれど、ベアトリーチェに怒る資格などなかった。

 今思えば、どうしてあんなにも母親の言うことだけをずっと信じていたのだろうと思う。


 でも、それももう()()()()


 実家を調査すれば、あの父母が社交界から完全孤立しているというではないか。そこまでやらなくても、とベアトリーチェも思ったのだが、そこまでナーサディアが怒っていたのかと更に謝りたい気持ちが強くなった。

 自分自身も過去の無意識からの過ちをナーサディアやティミスに突きつけられ、一時期は爪弾き者の扱いを受けていたが、利用できるものは全て利用してこの四年間、必死に評判を巻き返した。

 王太子妃教育の賜物、とでも言うべきだろうか。


 だが、彼女の心の奥底にあったのは『ナーサディアを取り戻す』これだけ。


 このウォーレン王国で、自分が宝石姫となったナーサディアを守りながら、離宮に閉じ込めてでも一緒に暮らす。そこまでの想いはアルシャークに告げていないけれど、国内の、ナーサディアに対しての虐めを行っていた貴族の子供たちから懇願されていた。

 是非ともナーサディア様への謝罪の機会を、と。親がやってきたことを聞いた子供たちは震えあがった、というが、その中には親に連れられて同じ場に参加していた者たちが居たにも関わらず、そうやってベアトリーチェに懇願したのだ。

 既に一度道を違え、過ちを引き起こしてしまったベアトリーチェの思考回路は、ある意味壊れ切っていたのかもしれない。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、などとおかしなことを言っているのに気づいていないのだから。

 それにいち早く気付いたのは、あの別れの場でベアトリーチェを羽交い絞めにしていたアルシャークだった。彼は何度も何度も、繰り返し言い聞かせたのだ。もう、ナーサディアをそっとしておいてあげてほしい、と。もう君は彼女から縁を切られているのだから、迂闊に近づいてはいけないよ、と。

 けれど、ベアトリーチェは綺麗な微笑みでおねだりをしてきた。結婚の報告に行きたいんです、と。

 それもアルシャークは止めた。碌なことにならないに違いないし、あのティミスがベアトリーチェを許すはずもない。

 最後は怪訝そうな顔のアルシャークを完全に押し切る形で、ベアトリーチェが独断で行くことを決めてしまったようなもの。予算の段取りも旅行の日程も、この日のために王太子妃の予算を切り詰めていたのか、と聞きたくなるほどの額を持ち出してきた。出所は確かに王太子妃の予算だったし、財務大臣に聞いても『間違いない』と返ってきてしまった。

 妙な予算であれば迷うことなく却下したのに、それもできないため、とりあえず望み通り行くことにはした。

 ベアトリーチェの名前ではなく、アルシャークの名前でも時間差で手紙をこっそりと送った。ティミスや皇帝夫妻や皇太子、色々な人に守られているという、一度だけ真っ直ぐ対峙したことのあるナーサディア。

 本当に、まるっきり同じ顔、同じ声。体格だけは異なっていた。きっとそれは、育ってきた環境が異なっているから。

 ティミスに寄り添ってもらっていた彼女、ナーサディアをもうそっとしておいてやりたい。この国を出て、平和に、幸せに暮らしていけているのであれば、もうそれで良い。そう、思っているのだが。


「ベアトリーチェ、本当に行くのかい?」


「まぁ、アル様」


「もう、やめておいた方が良いと、そう言ったね?」


「…結婚の報告だけ、です」


 感情の読めない微笑みで、嘘にまみれているであろう感情を隠しきって、アルシャークを見つめるベアトリーチェ。ああ、五年くらい前はもっと心から笑い合えていたのにね、と心の中で思ってみるけれど、あの頃の幸せはナーサディアの犠牲の上にあったようなもの。

 今も昔も、本当に『幸せ』かどうかは分からない。

 だが、とりあえず、という形でもベアトリーチェが満足するならばと、もうこの一度だけにしておこう、と改めて釘を刺す。


「報告だけしたら、すぐに帰国する。いいね」


「はぁい」


 かつてはあった『愛』は、今は純粋なものではなく『親愛』へと変化している。

 過去のパーティーで、ベアトリーチェを見初めたのはアルシャーク。そして彼女を王太子妃へと望んでしまったのも、アルシャーク。後押ししてくれたのはエディルや王妃。

 結果論として、犠牲になったのはナーサディア・フォン・ハミルという幼かった当時の、ベアトリーチェの双子の片割れ。顔の痣があった故に社交界で『ハミル家の化け物姫』と呼ばれ、嘲笑われ、虐め抜かれた少女。

 あの痣こそが宝石姫の証、というわけではないらしいが、何をしても治療できないというところが肝らしいけれど、確たる証ではない。


「ベアトリーチェ。…君はとても賢い。だからこそ、…()()()()()()


 まるでベアトリーチェが、カレアムで何を企んでいるかを見透かすような、今まで見せたことのない冷たい瞳で忠告して、アルシャークは部屋から退出した。


 バレるわけはないし、彼が何を知っているというのだろうか、と内心で思う。

 ベアトリーチェとナーサディアの絆は、繋がりは、きっと誰にも理解してもらえるようなものではないと、ベアトリーチェ自身が信じている。

 魔力の質も、声も、見た目も、何もかもが同じ。魔力の質は、厳密にいえば少しだけ違うけれど。

 同じ血を引いているからこそ分かり合えるものもあるし、そうでなければ分からないものもあるのだから、邪魔をしないでね、と心の中でだけ呟いた。

 アルシャークが出て行ってから少しして、侍女にも手を振った。出て行けと言わんばかりに。


「貴女も、もういいわ。残りは装飾品だけだからわたくし一人でやるし、考えたいことがあるから、出て行ってちょうだい」


「は、はい!失礼いたします!」


 弾かれたようにお辞儀をして出ていく侍女を見送って、ずっと隠し持っている姿見の水晶玉を取り出す。

 いつものようにナーサディアを見ようと魔力を通したが、何故か何も映らなかった。


「…どういうこと…?」


 今まではナーサディアが見られたのに、と歯ぎしりする。


「…邪魔…しないでよ…っ!」


 怒りに満ちた眼差しで、手にしていた水晶玉をテーブルに叩きつけ、砕いた。見られないのなら、こんなものはもう要らないと、言わんばかりに。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「良い趣味をお持ちのようだ」


 ずっとナーサディアが訴えかけていた奇妙な違和感の正体が、四年越しにようやく分かった。

 無意識に考えないようにしていた、己の片割れの魔力反応。

 首元がチリチリするたびに、一体なんだろうとは思っていたがまさか…とため気を吐いた。


「ありがとう、ティミス…」


「良いよ。最近特に警護を強化したからやっとわかったんだ。それに」


「それに?」


「双子だけれど、君と()()は違う。ナーサディアはナーサディアなんだから」


 いつも、欲しい言葉をくれる。

 いつも、傍にいてくれる。


 そんな彼と離れるなんて、とてもじゃないけれどありえない。だから。


「…うん。私はもう『私』なんだ…」


 このことも、ベアトリーチェには話して、()()()()対処しようと、改めて決意した。

 ナーサディアの返事に対してベアトリーチェが一方的に送り付けてきた手紙に記載されていた日付。ベアトリーチェがやって来るまで、あと、四日。

結局のところ、本質は何も変わらない。

手のひらを反し続けて都合のいい夢を見続ける、阿呆ども。

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