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準備③

 ティティールは、ソファに横たわっていた状態から、まず肘をついて上半身をゆっくりと起こした。起こす時にふらつき、体に上手く力が入らなかったし、まだ本調子なんかではないけれど、準備は全て完了していない。水に対して加護を与えることはできた。次はこれに精霊姫の雫が溶けるのかどうか、だ。

 普通の水に溶けることは何人もが実践しているので知られている。

 だが、加護を与えた水に対して溶かしたという記録は残っていない。とはいえ水は水、きっと溶けるだろうと思い持ってきていた精霊姫の雫を、ファリミエの手で水差しの中へと一粒投入してもらった。何かあれば分け与えてもらった魔力を使い、もう一度精霊を呼び出して対応しなければ、そう思い水差しの中で揺らめく水をファリミエとティティールは、じっと見つめた。


「溶ける、かな」


「普通の水になら、入れた途端に溶けて消えていたけれど…」


 水差しの上から、二人はじっと精霊姫の雫を見つめている。その光景をアトルシャンが見守るように見ていた。上手くいってもらわなければ困るという想いと、ファリミエと比較すると幼いティティールに更なる無理だけはしてほしくないという想いが入り混じる。どうして溶けないのか、と二人の宝石姫の背後からひょっこりと覗き込んで水差しの中をじっと見つめてみた。

 見た目には特に何かが変化したようには見えていないが、何か変わったのだろうかと思う一方で、時間が経過するにつれ、少しづつティティールに焦りの色が見えてきてしまっていた。


「お願い…溶けて…!」


 懇願するように言って、一度水差しから視線を外して祈るように両手を胸の前で組んだ。溶かすために何をどうして良いかなど分からないが、時間が経てば溶けるのか、それとも何かをしなければ溶けないのか。

 ただただ焦りばかりは大きくなっていくが、ティティールもファリミエもきっとうまくいく、そう信じて静かに見つめ続ける。


 ただ見つめているだけ、というのがこんなにもハラハラするものなのだろうかと二人が思い始めようとしていた時、ぽこん、と水が弾ける音がした。ぷくぷくと気泡が上がり、ファリミエとティティールは二人で顔を見合せて、何かあってはいけないからとそっと水差しを覗き込んだ。

 水差しの中で、ぱちん、ぱちん、と気泡が弾けている。何だろうと目を凝らして慎重に水差しを見つめていたファリミエだったが、ふと気付く。


「あら…。もしかして、溶けてる…?」


「え」


 一旦水差しの中を覗き込むのをファリミエに譲っていたティティールだったが、横からひょいと覗き込む。先程まで確かに水の底にあった精霊姫の雫が、いつの間にか跡形もなく溶け込んでいたようだ。となると、恐らく先程の気泡は溶けた時に発生したものなのだろうか、とファリミエは推測する。

 これまでは溶けたら虹色のような不思議な水の色になっていたのだが、先程とは打って変わって無色透明の、見た目は普通の水になっていた。それを見て思わず二人の宝石姫は顔を見合せて、同時に首を傾げ、複雑そうな顔になっていた。


「お姉様…これ、あの、…効果、打ち消しあったりしておりませんわよ、ね?」


「大丈夫だと、思うけれど…」


「試そうか」


 え、と二人が背後から聞こえた声にそちらを振り返ると、アトルシャンが腕まくりをしていた。一体何を、と思うが早いか、懐に忍ばせていた護身用の短剣を取り出して、ほんの少しだが自身の腕を切りつける。じわりと線が入ったようになり赤い血が滲み、つつ、と彼の腕を伝っていく。


「アトルシャン…!何してるんですか!」


 慌てて治癒魔法を、と動いたファリミエを制し、アトルシャンはにっこりと微笑んだ。


「それ、使ってみようじゃないか」


 指差した先にあるのは、先程の水差し。何をするのか、と合点がいったファリミエは溜息をつき水差しの中身を小さなグラスに少しだけ移して、零してしまわないよう慎重にアトルシャンの腕の傷へと落とす。

 さすがに全て使ってしまうと後々二人に迷惑がかかるかと判断し、腕の傷に落としたのは数滴。

 ぽとり、ぽとり、と落としてから見ているとみるみるうちに傷は跡形もなく消え去っていく。これまでの精霊姫の雫を溶かした水よりも遥かに早いスピードで。しかも周りにあった古傷らしい傷まで消えているのだから、間違いなく成功していると言い切れる。


「問題ないよ、二人とも。これ成功して…あれ」


「問題ないよ、じゃありません!!」

「お兄様のばかー!!」


 二人ほぼ同時に絶叫するに近いくらいの音量で叫ばれてしまい、何かまずい事をやらかしたか?とアトルシャンは周囲にいる研究員に視線をやるが、全員から『何やってんすかアンタ』と、王族に向けるとは思えないような限りなく冷たい眼差しを向けられてしまった。

 アトルシャンからすれば、効果は実際に試してみないと分からなかっただろう?!ということを言いたかったのだが、今言うと確実にファリミエには確実に泣かれるだろうし、ティティールもあれで活発なところがまだまだある可愛い子なのだ。多分向こう脛に対して思いきりキックが飛んできてしまう。

 なので、これは自分が悪いのだろうなぁ、と他人事のように思って素直に頭を下げるが、特にティティールは頬を思いきり膨らませてしまっており、しばらく機嫌は直りそうにない。


「あ、あの…ティティール?」


「いきなりそういうことはしないでください! 指先くらいでいいじゃありませんか! びっくりするじゃないですか!」


 再び『ばかー!』と叫ばれてしまう。

 ティティールより少し先に冷静さを取り戻したファリミエは、ティティールを抱き締めて宥めてやる。とはいえ、アトルシャンもいきなり腕を切りつけるのは本当にやめてほしいと思った。心の底から。

 一体なんだと思っている間に切りつけるなんて、やる方は『とりあえず試すか』という心境かもしれないが、見せられるこちらは心臓がいくつあっても足りない、とティティールを抱き締めたままで大きく息を吐いた。


「アトルシャン、いきなりすぎたんですよ。腕をいきなり切りつけるなだんて、わたくしもティティも、周りの職員さん達も心配します!」


 周囲を改めて見渡すと全員がファリミエの言葉に首を縦に振っている。横に振る者がいないということは、全員の総意だなこれ、というのが嫌でも理解できた。

 それはそうだろう、と他の人に聞いても同じ答えが返ってくると思う。

 皇太子ではないにしろ、大国であるカレアム帝国の第二皇子であり宝石姫であるファリミエの婚約者。しかも国の研究機関で働いている職員でもあるような人が、効果の有無を試すために自身の腕を何の躊躇もなく切りつける、という光景はその場にいる全員肝を冷やしたようだ。


「殿下、試すためとはいえいきなり切りつけるのはいけませんって」


「そうですよ、ファリミエ様やティティール様の心境、それに我らの心配具合もお考えになってください!」


「…えっと…す、すみません…?」


 たたみかけられるように女性職員や若い男性職員から言われ、思わず敬語+疑問符交じりに謝罪する。ティティールはティティールで、まだ頬を膨らませながらも少しは機嫌を直してくれているようで、視線の鋭さは軽減されている。

 だが、何やらファリミエが微妙な顔で、アトルシャンが使った精霊姫の雫を溶かした水の入ったグラスと、切りつけた腕の治癒具合を眺めていた。一体どうしたのかとファリミエに視線をやり、問いかける。


「ファリミエ、どうしたんだい?」


「…傷が浅いとかはあるのかもしれないけれど…治りが綺麗すぎない?」


「え?」


 言われてみれば、と自分の腕をまじまじ見る。これまで受けてきた教育の中には剣術や体術、そして魔法大国の名をほしいままにしているカレアム帝国の皇子として様々な魔法を使えないといけない、ということで攻撃魔法に始まり防御魔法など多種多様を学んできた。その過程で、勿論無傷というわけにはいかない。

 切りつけた腕に、小さな古傷は多数残っていた、はずだ。それもない。きれいさっぱり消えている。今まで回復魔法も多数かけられていたので、傷そのものは薄くなったりはしていたが、跡形もなく消えるということはあまりなかった、のだが。


「…古傷まで、跡形もなく、無い」


 アトルシャンの声も、さすがに震えていた。

 おかしい、というよりは自分達は思っているよりも効果が出すぎている。もしかしてとんでもないものを作り出してしまったかもしれない、とアトルシャンもファリミエもティティールも顔を見合わせていた。すると、パンパン、と手を鳴らす音が聞こえて三人は揃って音の発生源に視線をやる。

 手を叩いた主は、実はこの部屋にずっといたレイノルド。精霊の出現やら祈りやら、普段見れる機会のない現象について、ひたすら無言でメモを取り続けていたので無言のままだったが、何やらとても良い笑顔を浮かべているではないか。


「レイノルド様?」


「効果ありのとてつもないものができた、というのは良しとしましょう。使用時は希釈すればよろしいのでは?」


「あ」


 ファリミエとアトルシャン、二人の声が綺麗にシンクロした。学者をやっているのに、何でそんな初歩的なことに気づかなかったのだろうと二人は思わず頭を抱えたくなるが、効果の方に気を取られるのも致し方ない。

 予想以上の効果が得られて嬉しい反面、何倍希釈すればいいのか予想もつかない。さっき、魔力枯渇寸前まで弱っていたティティールに対して小さな精霊が両の掌ですくったくらいの量を利用することで、本調子ではないにしろティティールがここまで復活しているということを加味しても、割と希釈しないと魔力余剰による魔力酔いの症状が出かねない。

 なお、『魔力酔い』とは、日常的なものに例えると『二日酔い』に似ている。症状は人によって様々ではあるが、よく見られるのは吐き気や眩暈。人によっては頭痛や発熱までしてしまうこともあるそうで、魔法を日常的に使うカレアム帝国の民は、万が一のために魔力酔いを軽減させる薬は常備している。


「ティティールがさっき精霊様にこれを振りかけてもらった時は嫌な感じはなかった?」


「ありませんわ。空っぽ寸前で起き上がれもしない状態から…ええと、ある程度体の自由が利くようになって…その後で、ファリ姉様がもう少し追加で魔力を分けてくださったので更に落ち着いた、っていう感じ…?」


 自分の先ほどまでの状態はなるべく正確に、そしてどういう体内の魔力の状態や体の状態を伝える。

 ふむ、とファリミエは頷いてから希釈しようと研究員に水を持ってくるよう伝えたが、その研究員の顔が強張っていた。


「普通の…水で良いんです、かね」


 強張ったまま問われ、思わず『あ』と声が漏れてしまう。

 とはいえ再度加護を与えるとそもそも希釈の意味があるのか、など考えていると、ファリミエはレイノルドに肩を叩かれる。


「は、はい!」


「通常の実験と同じです。こちらの精霊姫の雫を溶かした、加護を付与した水を薬品だとお考えください。加護を与えずとも、まぁ…そうですな、精製水くらいでよろしいのでは」


「…そっか」


 古代魔道具(アーティファクト)を発掘したときも、汚れを落とすときに専用の薬品を使うことがある。要はそれと同じだ、とレイノルドは伝えてくれた。

 少し離れたところで見てくれている人がこうやって意見を出してくれると、詰まったとしてもすんなり進む。


「はい!精製水ならわたくしが!」


 元気よく手を挙げて、ティティールが立候補してくれる。

 何がどのタイプの水なのか分かりやすいように、形も色も異なっている水差しを研究員に用意してもらって、ティティールは水の精霊を呼び出す。


≪あら、もう体は平気?≫


「大丈夫。もう少し、力を貸してくれる?」


≪ふふふ。…もちろんよ、我ら精霊の愛し子≫


 再び呼び出された水の精霊は、顔色の戻っているティティールを見て安心したように笑っている。彼女の顔の周りをくるくると飛び回り、ティティールが差し出した手に、小さな体全体でぎゅうっと抱き着いた。


≪貴女のお願いなら、いつでも手助になるわ。愛する子よ≫


 そう言ってもらい、精霊と笑い合ったティティールは多めの水を生み出し、それを少し調整して不純物などを粒子単位で無くして綺麗な精製水へと変換する。基本的には汚れたり澱んだりしていないが、これも念には念を。


 加護つきの水に精霊姫の雫を溶かした水、これを何と呼べばいいのかという意見も出たが、きっとこれは今後使われないだろうということで特に命名はされなかった。

 それにこれは万が一に備えての傷薬や魔力回復薬として代替品として使うためのもの。ベアトリーチェがこの国にやって来るとき、どさくさに紛れて襲い来るだろうサルフィリに備えて、だ。

 帝国内の民へと触書も出して、情報の周知を徹底させた。民に被害を出さず、きっちり守るためにも更に念を入れた。

 ナーサディアが、ベアトリーチェとの関係にけじめをつけるために、余計なものは取り除かねばならない。邪魔など、させてはやらない。




 自分を付け狙いやって来るに違いないかつての弟子を思い出し、回復薬の作成に成功し喜んでいる面々を見ながらレイノルドだけは表情を消した。何せ未だに帝国のシールドを突破しようと、ゲリラのようなことをやっている。レイノルドがきっちり対策しているが、今後も続くようならもう見逃しておくわけにはいかない。

 ()()()()()を告げる必要があるのかないのか、見極める必要もあると、思いながら。

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