準備②
『精霊姫の雫』は、以前ティミスが熱の下がらないナーサディアに対して水に溶かして服用させた、カレアム帝国秘宝中の秘宝である。
宝石姫が祈りを捧げることで稀に生み出される、虹色の小粒の石。
ファリミエもティティールも、宝石姫として覚醒した直後、そして定期的に祈りを捧げる時間が設けられているのだが、その時間を過ごすことで生み出されたり、生み出されなかったりとまちまちであった。
ティティールに関しては年齢が、ファリミエは覚醒が比較的遅かったというのも理由の一つではあるのだろうとは予測される。とはいえ、祈りを捧げると少ない…というか、基本的に一粒か二粒くらいはほぼ確実に生み出されていたものの、ナーサディアが生み出す個数はとんでもない規格外っぷりを発揮していたのだった。
ナーサディアが祈りを捧げて戻ってくると、平均十粒ほど掌に載せて返ってくる。皇帝夫妻や皇太子夫妻も驚いていたのだが、それより驚いていたのはティティールとファリミエ。一体どうやったのだ、と問うても困ったように『…わから、ない』としょんぼりされてしまっては、それ以上聞くに聞けなかった。
というか秘宝中の秘宝をそんなほいほい生み出せて良いものなのか?という声も上がったが、あって困るものではない。むしろ助かる。そもそもナーサディアも生み出してやろうなんて思ってない。そもそも宝石姫が居てこそ生み出せる奇跡の石。宝石姫が存在しない時代には、これまで生み出してきていたものを、なるべく消費しないよう気を付けてはいるが要人の回復などに使用していると、『絶対に使用しない』ということは不可能だ。
欠損や死以外ならば、回復速度は本人の体力などにも比例はしているのだろうが全快する。騎士団で大けがをした人や、病気の治療に神殿に訪れた人達からは大変感謝されていたのだから結果オーライではある。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ある日、相変わらず精霊姫の雫を少し多めに生み出したナーサディアが護衛騎士に守られながら宝物庫へと歩いていくのを見送りつつ、ティティールが複雑そうに呟いた。
「わたくしも…ディア姉様のようになりたいのに、どうして出来ないのかしら。やろうと思えばできるはずなのに…」
人それぞれ、で片付けたかったが、それで片付けて良いものかとティミスも悩んでしまった。
だが、ナーサディアは二人と根本的に違っていた点が一つある。
それに思い至ったティミスは、ぽふ、とティティールの頭に手を乗せて、綺麗にまとめられた髪を乱さないよう優しく撫でながら言った。
「芯の強固さ、なのかな」
「え?」
「ティミス、どういうことです?」
たまたまいたファリミエが、ティティールの代わりに問いかけた。
ファリミエもティティールも、二人そろって芯、というか精神の根っこの部分はとてもは強い。ファリミエに関しては実家が侯爵家であることもあり、その辺の令嬢より遥かにたくましい。更に婚約者は第二皇子でもあり、令嬢たちのやっかみも受けていたが、それをあしらう強さも持ち合わせている。だから、状況的に同じだとは思っていた。
ティティールが幼いことを除いては、ナーサディアもファリミエも変わらない状況ではないのか、と不思議そうにして首を傾げる。
だが、まずナーサディアとここにいる宝石姫二人とでは根本的に異なっていて、どうやって努力しても変えられないことがある。
「えーと…。二人と比較しちゃいけないとは思うんだけど…ファリミエ姉様は家族間とか問題ないでしょう?」
「ええ」
「ティティも、兄様や義姉様との関係性はとても良好だろう?」
「勿論!お父様やお母様と仲良しよ!」
「うん。あと、身近に味方になってくれる人たちも多かったよね?」
「…え、えぇ」
血の繋がりはなくとも、養子になって一年や二年ではない。ティティールは皇太子夫妻の本当の子供のように可愛がられているし、養子ということを本人も周りも大して気にしていない。
ファリミエも、宝石姫と覚醒してから両親と何かあったわけでもない。貴族令嬢が通っていた学院をきちんと卒業もしているし、友人として仲良くしてくれている令嬢もいる。両親の仲もいいし家令達といがみあっているようなこともない。どうしてそんなことを聞くのだろう、とティティールとファリミエが困惑していると、察してくれたらしいティミスが苦笑いを浮かべて言葉を続けた。
「ナーサディアのこれまでは二人とも、知ってるよね」
「ええ」
「うん」
ほぼ同時に頷き、返された答えに二人は『あ』と声が出る。
「あの子の意思の強さとか、強固さとか、なんか…うまく言えないけど、そういうのが関係してるんじゃないかな。人を支えたいとか、誰かを守りたいとか、そういうところ」
ティミスが考えていた一つの可能性。
ナーサディアが宝石姫として初めて祈りを捧げた時に、問われたと聞いた。『どう在りたいか』を。彼女は『強くありたい』と答えていたという。
何をもっての『強くありたい』なのかは、本人に一度聞いてみたけれど、はぐらかされてティミスは教えてもらえなかった。
「絶対に折れない、強くありたいっていう想いが強いからこその量…?」
「強さって、人によって定義が違うから何とも言い難いけどね」
彼女の境遇と、そこから生まれた強すぎるほどの意思。四年経過した今も、一人で抱え込んでしまいそうなところも持ち合わせているので、ティミスは基本的にナーサディアから目が離せていないのも実情なのだ。頑張り屋さんなのは良いけれど、程々にしてこちらを頼ってもらいたいのが本音。だから、もっと頼れ、と日々言い続けた。それが功を奏してようやく周りを少しづつ頼り始めてくれている。彼女の今までを考えると『周りには頼れない』というのが当たり前だったので、今は相当進歩している方だ。
「それにさ、それぞれ違いがあっていいんじゃない? ナーサディア、多く生み出せているからって別に見せつけたりしてないでしょう?」
「それどころか毎回『お手数おかけしてすみません…!』って謝ってるものね…」
「だからまぁ、気にしすぎるのも良くないよ。ティティもね……って、おーい、ティティ?」
幼いが故の嫉妬や、後で覚醒したナーサディアがここまで帝国に貢献できているという羨ましさ。自身の養父であるウィリアムもナーサディアに対し、最近は視察に同席してもらうことが多くなったと聞く。それが羨ましくて、妬ましくもあったけれど、よくよく考えてみればナーサディアは出来ることが多すぎるくらいだ。
祖国で影姫として生かされていたから、魔術も教養も、マナーも何もかも、その辺の令嬢より遥かに高いレベルのものを習得している。しかもカレアムに来てからは下地がある上にカレアムのマナーもきちんと身に着けた。
最初から何でもできる人なんだ、すごい。そう思って、少しの間卑屈になっていたが、今ようやく胸の中にすとん、と何かが落ちた。
『できて当たり前』ではない、『できなければ不要』と言われ続けていた人が、ようやく今色々と報われてきているだけなのだ。これまでが無駄ではないと、ナーサディアの世界がようやく広がった瞬間だったと、ティティールも理解できた。
「ディア姉様に嫉妬してたの。…すっごく謝りたいわ…」
「謝っても僕のナーサディアが戸惑うからやめて」
三人が話していると、宝物庫に雫を保管して戻ってきたナーサディアが遅いながらも駆けてくるのが見えた。不安にならないように、微笑んで出迎えるとナーサディアも微笑んでくてれる。
家族が関わらなければこうしてようやく微笑めるようになった彼女だから、大切にしたいという三人の想いは、改めて一つとなった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
過去に交わした会話を思い出しながら、実験の準備をファリミエとティティールは進めていく。
まるでこの日が来ることを想定していたように、精霊姫の雫のストックは十分すぎるほどある。一粒や二粒使用しても大して問題にはならないし、許可は既に取ってある。
実験するためには、まずティティールの力を使って水を改良する必要がある。加護の力を与えれば良いかとは思うが、実際にどうすればいいだろうか、と悩みながらもティティールは手のひらの上に水の球を出現させた。ふわりふわりと浮かぶそれは、ゆらめいて今にも弾けてしまいそうだが、そうはならない。
そのままのポーズで『うーん』と唸っていると、水の球から精霊がひょっこりと顔を覗かせた。上半身は人間だが、下半身は魚。人魚のような姿をしているが童話のイメージとは少し異なっている。体は全身青く半透明なために、上半身が人と言っても素直に人として見えないが、周りをきらきらとした光の粒が取り巻いていることで精霊だと分かる。
姿を見せたその精霊は、首を傾げてティティールを見上げて問いかけてきた。
《我らの姫、どうしたの?》
「あ、精霊様。…えぇと、実は色々と事情がありまして…」
水に加護を与える、というところまでは考えついたものの、実際にやってみたことはないのでどうやるかが分からない。精霊にどこまで通じるのかも分からなかったけれど、ティティールはこれからやりたい事を全て話して聞かせた。内容が不足している分は隣にいたファリミエが補う。
かいつまんで、『精霊姫の雫』を溶かして飲めばけがなどが回復する。ならば溶かす水に対して加護与えることで特別なものにすれば、その効果も特殊なものになるのではないかということもきちんと伝えた。
ぱちゃ、と水音を立てて水の精霊が水球から飛び出し、椅子に座るように水球に座ってからにっこりと微笑む。
≪できるわよ。普通の水に加護を与えたい、っていう発想まではいくけれど、やろうと思う子はいなかったのよね≫
ふふふ、と笑ってティティールの鼻先まで飛んできて、精霊は軽くキスをする。くすぐったそうにティティールが笑うとつられて精霊も微笑むが、次の瞬間にんまり、という表現がしっくりくるようなどこか凶悪な笑顔になる。
え、と嫌な予感がしたティティールが顔を引きつらせるが、精霊はくるりくるりとティティールの顔の周りを飛びながら言葉を続ける。
≪でもねぇ、魔力消費が相当激しいから気を付けるのよぉ?≫
光の精霊とは違う雰囲気の水の精霊。人を惑わせて水に引き込んでしまう悪戯好きの精霊もいるくらいなだけあって、少しだけ性格が悪いらしい。
土の精霊はもっとおっとりしているし、光の精霊ははしゃいだりはするものの好意的。その二種類を見ているせいか、思わずティティールは苦い顔になってしまう。それに、『魔力消費が相当激しい』とはどういうことなのだろうか、と訝し気にしていると、にっこりと笑う精霊が言葉を続けた。
≪普段捧げてくれている祈りを、樹の力を借りずに水に対してやるの≫
「普段…。『精霊樹』への祈りのこと?」
≪そう。でも気を付けなさいね、姫≫
それまでふざけていた水の精霊が不意に真剣な雰囲気になる。え、と思わず口に出したティティールを、精霊は真っ直ぐ見ており視線が外れることは無かった。
≪精霊樹の元で祈る時はね、姫の力を吸いすぎないように樹が補助してくれているの。それが無い場所での祈り、すなわち『ヒト』が宝石姫の得ている加護を借りるための祈りなのだから、樹の力は借りれない。それはきちんと理解はしているのね?我らの宝石姫≫
正直なところ、ティティールはそこまで考えてはいなかった。ただ、何となく水に加護を付与させてしまえば水が特殊な性質に変化するのではという想いしかもっていなかった。精霊にはっきり言われて、今考え、少し恐ろしいと感じてしまった。
だが、それ以上に恐ろしいのがベアトリーチェやサルフィリの思考回路だと思っている。ナーサディアから上がってきた報告からも理解できている。ナーサディアからほぼ縁を切られているような状態なのに、ベアトリーチェは今も手紙を送ってきている。
そして、ベアトリーチェは自身の結婚を祝ってほしいため、このカレアム帝国にまでやって来るというではないか。裏では『ナーサディアを、祖国に無理矢理にでも連れ戻したいと思っている』らしい。あくまでナーサディアの予想でしかないが、きっとその予想は当たっている、と。あのナーサディアがはっきり言い切った。澱みも、迷いもなく、きっぱりと。
それを見ていたから、ティティールも今ここにきて勇気がようやく出てきたようだ。胸の前で両手を組み、ゆっくり息を吸い込み精霊を真っ直ぐ見据える。少しだけあった迷いや恐怖が、ティティールから消えていた。
精霊はそれを見て、思わず微笑んでしまう。覚醒した当初やこれまでは、周りの人に甘えるばかりだったというのに、何があったのかここ数年の精神状態の成長が著しいように思えるほどに。特にこの話をしている間だけでも一皮むけたような雰囲気すら感じてしまう。
「やるわ。ナーサディア姉様の力になりたいの。お願い、あなたの力を貸して」
≪我らが姫、貴女の望むままに≫
精霊はおどけたように、けれど優雅な仕草で一礼をし、その場でくるくると回りながら高く飛ぶ。といっても部屋の天井までだが。
≪姫、意識を集中してね。…ではこれより、加護を授けましょう。準備は良いかしら≫
「大丈夫です」
それでは、祈って、と。精霊の声が頭の中に響いてくる。
大樹の間で祈る時とは全く異なるもの、全身飲み込まれるような感覚に襲われてしまう。
根こそぎ魔力が引き出され、目の前に生み出していた水球へとどんどん吸い込まれていく。吸い込まれると同時、水球が不思議な色に変化していくのが見えているが、ティティールは飛びそうになる意識を繋ぎ止めることに必死で、それどころではない。
「…っ、ぜったい、やるんだから…」
歯を食いしばり、いつまで続くか分からない魔力の吸い上げにティティールは必死に耐える。意識を失っては時間も魔力も無駄になってしまう。
今までナーサディアが経験してきたことや、ナーサディアがしなくてはいけない姉妹との離別。襲ってくるであろうレイノルドの元弟子・サルフィリとの対決も。後者はきっとレイノルドがしてくれるだろうが、精神的にきついのは前者。しかもナーサディア自身がする必要がある。
「ねえさまの、力に…なるん、だから…!」
不意に、ずるん!と何か引きずり出される瞬間が訪れた。何とも形容しがたい感覚で、気持ち悪さがあったものの力を吸い取られるような感覚はもうなかった。
大きく深呼吸をするように、呼吸を繰り返しながら目の前に浮いている水球を見る。無色透明のはずの水がほんの少し発光している。虹色とまではいかないが、当たる光によって色が少し変わって見えた。精霊姫の雫と似ているような、不思議な色合いで思わず見入ってしまう。
「きれ、い」
それだけ呟いて、糸が切れたようにティティールはその場にぱったりと倒れこんでしまった。
力を貸していた精霊は浮いている水球を器用に操作し、呆気にとられたままのファリミエへと視線をやる。
≪地の宝石姫様とお見受けします。我ら水の宝石姫が加護を与えたこの水、何か入れる物の用意を≫
「え、えぇ」
声をかけられてはっと我に返ったファリミエは、用意していた水差しを水球の下へもっていく。すると、精霊は零さないように水差しへと水を移してくれた。そして、ちょうどひと掬い分を操ってミスト状にしてからティティールへと振りかけた。
魔力を通常より消費して倒れてしまったティティールは、ひどい土色のような顔色をしていたが、その水がかかることで少しだけ血の気が回復する。
「これは…」
≪姫の魔力を使って与えた加護だから、少し還元しておきました。可能であればどなたか魔力を分け与えてくださいませ。…この国に、姫様達がいることで更なる加護がありますように≫
優雅に一礼し、空中で回転してしゅるりと消えてしまう精霊だったが、最後の最後は丁寧に補佐をしてくれた。ほんの少しとはいえティティールの魔力の回復もしてくれた。
てっきり、ティティールが気絶したことで浮いていた水球も弾けて消えると思っていたのだが、それも水差しへと移動してくれた。ファリミエは精霊が消えた場所に対して深く一礼し、水差しをテーブルに置いてから倒れていたティティールを部屋に設置しているソファへと寝かせた。
「ありがとう、ティティ。…もう少し手伝ってほしいから、魔力酔いをしないように少しづつ魔力をあげるわね」
優しい手つきで眠るティティールの頭を撫で、手のひらに魔力を込めてゆっくりと流し込んでいく。慎重に、少しづつ、魔力酔いをしないよう気を付けながら。魔力を流し込んでいくと、次第に顔色が良くなっていく。
無理をさせてしまうとは理解していても、まだもう少し水の宝石姫としての補助が欲しい。
「無理をさせてしまうけれど、…起きて」
ごめんなさい、と謝ってティティールの手を握る。
魔力が馴染んできたのか、薄っすらと目を開いたティティールへと微笑みかける。が、ティティールはファリミエの顔色があまり良くないことを見逃すはずもなく、数回首を横に振った。気にしないで、と言わんばかりに。
「ねえさま、仕上げにかからなくてはね」
「ええ。…もう少しだけ、手を貸してね。ティティ」
任せて、と言わんばかりに微笑む。
その微笑みは力強く、決意に満ち溢れていた。
長くなりますが、もうちょっと続きます。




