準備①
総力戦の下準備
ベアトリーチェへの手紙に対して返事を送ってから一週間後、更に返事が届いた。
内容はありきたりなものではあったが、大まかには『思い上がっていたつもりもない。ただ、一人のベアトリーチェとして、双子の姉妹のナーサディアに会いたいだけだった。結婚式を理由にしてごめんなさい』というもの。
予想通りの返事だったが、特に喜ぶでもなく淡々とナーサディアは読み進めていく。
そして最後に『ただのベアトリーチェとして、ナーサディアに会いたい。謝らなくても良いって言われたけど、謝りたい』という文言を見た時に、やはりそうきたか、と思った。
どうにかしてナーサディアと会いたがるはずだと予想したことが、見事的中したのだ。
「……」
前回は何とも言えない感情からくしゃり、と形を変えてしまった手紙だが、今回は丁寧に折りたたんで仕舞う。そして、予想通りにことが運びそうだと報告するために、慣れた足取りでティミスの部屋へと向かった。
「本当に、予想通りになったんだね」
「…はい」
「大丈夫?」
気遣ってくれているティミスに微笑んで『大丈夫』と告げてから言葉を続けた。
「大丈夫。それに…ベアトリーチェは、私から離れるべきなんです」
「…そっか」
頷いて、ティミスは座っていたソファから立ち上がり、ナーサディアの向かいに立つと頭に手を乗せて優しく撫でる。撫でられているナーサディアはきょとんと眼を丸くしているが、撫でている方のティミスが少しだけ泣きそうな顔をしていた。
「…ティミス?」
「後悔は、しない?」
きっと、ナーサディアは本当にベアトリーチェが好きなんだろうと思う。
報告書で読んだだけで、実際に本人から聞いたわけではないけれど、幼い頃はずっと一緒にいて、何をするにも二人セット。寝るのも勉強をするのも、勿論遊ぶのも一緒だったと書かれていた。
二人の道がはっきりと分かれてしまったのは、かつてベアトリーチェが参加させられたというお茶会だろう。そこでアルシャークに見初められ、将来の王太子妃としての教育が開始されたと記載されていた。その日がエディルにとってはとてつもない良い口実となったのだろう。双子の運命はそこで分かたれた。
今こうして話していて、普通にしてはいるがほんの少しだけ。寂しさのような雰囲気というか気配を感じたのだ。
「…さびしい」
ぽそ、と呟かれたのはナーサディアの本音。
「…っ、手を伸ばしても助けてくれなかった。誰も」
追い出しているであろう、過去の心が痛いだけの記憶。
「カレアムに来てからも、色んな人に聞かれた。祖国に対してあんなことをして心は痛まないの?って」
誰だ僕のナーサディアにそんなこと聞いたの、殺すぞ、と内心一気に殺意が膨れ上がったティミスだが、それは後々どうにかすることにした。
「痛まない、わけない。それを聞いてくるひとは私の感じた痛みはどうでもいいんだろうな、って思う。でも」
話しているうちにナーサディアの目から涙が落ちた。
「皇帝陛下や皇妃様、お姉様たちにティティ、皇太子殿下や第二皇子殿下も。…今回のことについて、皆の評判を下げちゃったりしないか、そっちの方が、心配」
ああ、この子は。
ティミスは頭を優しく撫で続けてやりながら、『どこまで優しいのだろう』と心配になる。自分よりもティミス達の心配をしているだなんて。そんなことは気にしなくていい。ナーサディアは帝国にとっての宝の一つでもあるのだから。
「僕らは大丈夫だよ。そんなくだらないことを言う低俗な輩とは付き合いはしていないからね」
大方、皇族に自分の娘を嫁がせたい、あるいはどうにかして縁を繋ぎたいと願う阿呆が嫌味として言ったのだろう。もう既にティミスとナーサディアは婚約したにも関わらずそういったことをする者は意外と多くいる。全て聞かなかったことにしているが、今後も減らないようであれば本格的にどうにかしなければいけないが、それを対応するのは皇太子ウィリアムや第二皇子アトルシャン、第三皇子であるティミスのやるべきこと。
自分達にどうにかしてアプローチをしなくとも、皇女はいるのだからそちらに取り入れば良いのに、とも思う。今度皇帝夫妻に提案していこうと頭の片隅で思い、頭から手を離して両腕を広げた。
「ナーサディア」
名前を呼んで微笑むと、すっぽりと腕の中に納まる。
「僕らは大丈夫。むしろ、ナーサディアに頼ってもらえない方が、嫌だ」
「…うん」
祖父の腕の中も安心できるが、ティミスの腕の中はもっと安心できた。
無意識に入っていた肩の力を抜いて、ほ、と息を吐く。肩口にぐりぐりと頭を押し付けると『くすぐったいよー』と笑う声が聞こえる。
それに何度励まされただろうか、何度勇気を貰えただろうか。おちゃらけているように見えて、色んな所に配慮をしてくれている。祖父を帝国に呼び寄せた時もそうだ。なお、四年前から祖父はあっさりとカレアムに居を移した。祖父のための邸宅も用意されたし、大魔導師という地位を活かした再就職先も用意してしまった。
現在、帝国の魔導師部隊の指導役として現役バリバリで働いている。
その祖父にも今回は力を借りる予定ではある。
ベアトリーチェだけを警戒するでなく、いつの間にか行方不明となっていたサルフィリにも気を付けた方が良いという祖父の注意喚起があったからだ。
報告書によれば、あの日祖父によってウォーレンへと強制転移させられた後、一時的にベアトリーチェに保護されていたらしいが、何かしらがあって王宮から強制的に退去させられているようなのだ。その後四年間行方知れずとなっているが、祖父曰く『何かしらしてくる危険性はある』そうなので、念には念を入れようということになった。
また、力を貸してくれるのは祖父だけではない。
国同士の戦争を起こすのか、というレベルの備えをすることにしたので、皇族のみならずありとあらゆる方面全てのサポートを得られることになった。それほどまでにベアトリーチェや祖国の執着が想定外に酷かった。
きっとそれはベアトリーチェが努力した結果ではあるものの、自分達から捨てた人間を改めて呼び戻すためにどれほどの人材を投入しているんだろうと思うほど。貴族はこぞって代替わりをすることで『親は反省した。我らはこれから心を入れ替えることとするために是非ともナーサディア様にその様子をご覧いただきたい』というテンプレートのような手紙が何通届いたことか。
五通を過ぎたあたりで漏れなく全て消し炭になっているが、彼らは知らないだろう。
そこまでしつこいなら、もう手段は問わないとされてしまった。ベアトリーチェもきっと自分にできることをやってきたのだろうが、やり方がまずかった、というだけだ。
まずはレイノルドを始めとした魔導師部隊の協力について。
彼らはサルフィリが何かをやらかしてしまうための防波堤のような役割を果たしてもらう。
協力者は地の宝石姫でもあるファリミエと第二皇子が所属している研究所も含まれている。単なる研究所ではなく『学術研究所』という名が正式名称で、発掘や遺跡調査なども行っているところである。
そこで稀に発掘される古代魔道具を保管し、それを元に新たな魔道具なども開発しているのだが、中にはとんでもない威力を秘めているものもあり管理は無論厳重だ。
それら開発されたものを見ているうちに、レイノルドは未だ手つかずの物へと目を向けた。
「ほう」
「レイノルド様?」
「第二皇子殿下、ファリミエ様、こちらの古代魔道具は手つかずのものとお見受けしますが」
「どれですか?」
レイノルドが指さした先、成人男性の手のひらくらいの水晶体が転がっていた。
どのような効果があるのだろうか、と思っているとひょいとレイノルドが手にした。
「面白いものが発掘されておりますな」
「え?」
手のひらに乗せ、何故か満面の笑みを浮かべているレイノルドを、ファリミエもアトルシャンも不思議そうに見ていた。レイノルドは二人の視線を受けて笑みを深くする。
「シールドの多重展開補助装置です」
あっさりと返ってきた答えに、二人は目を丸くした。
多重展開はやろうと思えばできなくはないが、空間認識能力の高さととてつもない集中力を要求されるために、実行しようとする魔導師はいない。
だが、それを手にしてレイノルドが笑みを浮かべているということは、今回の事でそれを使用するということに他ならない。
「…レイノルド様、それはサルフィリ様対策ですか?」
「ファリミエ様、あの愚物に『様』など不要にございますれば」
冷たい口調に思わず体が硬直してしまいそうになるが、何とか堪える。
「レイノルド様のかつての弟子だったのでしょう?! 愚物など…!」
「あれは、あまりにも我が孫を軽視しすぎたのです。それは四年前報告書という形で上げておりましたでしょう?」
「え、えぇ…」
「祖国に帰したものの、ベアトリーチェに何を吹き込み、吹き込まれたやら…。おまけに無理矢理この帝国に侵入しようとした愚か者でございます」
「あ…」
言われて思い出した。
奇妙な魔法の反応があった、あの日のことを。
「あれをやったのが、サルフィリ様だと」
「ええ、第二皇子殿下。あれは厚かましくもここに戻ろうとしました。だから、儂はあれを排除した、それだけです」
ナーサディアの提案を嫌味と共に跳ね除け、ティミスとレイノルド二人から出ていけ、と言われたかつての大魔導師の弟子・サルフィリ。
彼女について聞いたらレイノルド曰く『魔力量はナーサディアやベアトリーチェを軽く上回るが、ただそれだけの凡庸』らしい。
あまりにレイノルドにべったりすぎてどうしようか彼も悩み始めたところに、自ら墓穴を掘って今は行方不明になっているのだが。
「あれが執着しているのは、儂です。が、それ故にこの帝国の民に何をするかわかりませんので、こちらの古代魔道具を使用させていただきたい」
「それを?ええ、勿論構いませんが…」
何をするのだろう、とじっと見つめているとレイノルドは笑って続けた。
「今この帝国を覆うシールドの下に、市民を守るためのシールドを張り巡らせていただきたい」
あ、とファリミエは声を上げた。
何をするか分からない人間が侵入してくるのであれば、何かされる前に手を打たなくてはいけない。サルフィリ本人はレイノルドがどうにかするだろうが大規模魔法を展開して戦闘がもしも行われてしまった場合、関係のない民に被害がいくのを避けなくてはいけない。
「既にあるシールドの下に、新たにシールド展開をすることそのものが多重展開になり得る、と?」
「左様。おそらく魔力消費はとてつもないものになるのは必須です。なので、爺はお節介をさせていただきました」
「え?」
何故か笑みを浮かべたままのレイノルドが、何となく怖い。
そう、ファルルスが何か企んでいたり、誰か皇子を叱る時に見せるような何かありそうな微笑み。
「失礼いたしますわー!」
ノックをしながらばぁん!と扉が開かれた。
其処に立っているのは、やる気に満ち溢れたティティールと、皇太子妃ディアーナ。
「レイノルドのおじいさま、おばあさまから許可を取って参りました!」
ティティールが言う「おばあさま」はもちろんファルルスのこと。ウィリアムから見てファルルスは実の母ではないが『国母』であり『正妃』である皇妃を『母上』と呼んでいたらいつの間にか定着した呼び名。
勿論ファルルスはティティールが呼んだときのみ『なぁに?』と激甘な返事をするが、他の人がそう呼ぶと烈火の如く怒る。立場的にティティールしかそう呼べないであろうが。
「おお、これはティティール様。すみませんな、大変なことをお願いしてしまいまして」
「構いませんわ! 大好きなディア姉様のためですもの! 勿論お母様の許可も取りました!」
ナーサディアがカレアムにやって来た時には八歳だったティティールも、今はもう十二歳。できる公務も増え、役目の大きさも、自分の能力と立場の特殊さもきちんと理解している。
皇族の一員としての立ち居振る舞いも、とても立派なものになった。
そんなティティールは、ナーサディアがやって来た時からずっと彼女を姉と慕い、懐いている。
今回の計画を話すつもりは無かったが、どこからか情報を仕入れてきて『自分も何か役に立ちたい!』と手を挙げてくれたのだ。
「魔力の補充に関しては、わたくしにお任せくださいなファリ姉様。こちら、おばあさまに許可をいただいた上でもらい受けてきました」
ティティールが出した小さな袋。
「それは?」
「精霊姫の雫です。これ、水に溶けたら万能薬になりますでしょう? でもそれってあくまで普通の水に溶かした場合だろう、って思いましたの」
『普通の水』を強調したティティールに、ディアーナが言葉を続けた。
「ティティールは水の加護を得た宝石姫でしょう? 普通の水に加えると万能薬になる精霊姫の雫を、精霊の加護を与えられた水に溶かせば…」
「成分変化が起こり得る…?」
アトルシャンがはっとする。
元々学者肌のアトルシャンとファリミエは、目を輝かせて即座に研究員たちを呼び集めた。
「早速試さなければいけませんわね! ティティ、疲れるかもしれないけれど、力を貸して?」
「わたくし、このためにここに来ましたもの。最初からそのつもりですわファリ姉様!」
大好きなもう一人のお姉様のためですもの!と笑顔で言い切って、ファリミエとティティール、アトルシャンは作業に取り掛かる。
「…ナーサディアは、本当に愛されておりますな」
「ええ。本人が未だに遠慮がちすぎて皆様に叱られてしまうくらいには」
作業に取り掛かる研究員たちやファリミエたちを見て、レイノルドもディアーナも真剣な表情になる。
「さ、儂も加わるとしますかな」
「では、わたくしは公務を済ませてから改めてこちらに伺います。どうかご無理をなさらないよう…」
「ありがとう存じます、皇太子妃殿下」
「いいえ。…わたくしも魔力はありますが、至って平凡ですから…。全力で取り掛かれるよう、他の仕事をするまでですわ」
それがどれほど、皆の支えになっているのか分かってほしい。
きっと、この人は彼女なりに悩んでいる色々なことがあっただろうに、助力を惜しんでなどいない。
だから、この計画は失敗などしない。してはいけないのだ。