はっきりしていることは、唯一つ
ベアトリーチェからの手紙。
彼女がナーサディアに対して何をしたいのか、何をしてほしいのか、どう動いてほしいのか。双子だからこそ分かってしまう片割れの思考回路。
けれど、そうなんてしてやらないと決めている。もう自分はあの家族だった人たちとは関係がないし、関係を持とうだとか思わない。最初に捨てたのは、何度も言うように向こうなのだから。捨てたものを拾おうとしないでほしい。
だからもう、これが最後になる。
ティミスを呼んで、ナーサディアは途切れがちでも自分の想いを、考えを彼に全て伝える。彼が、祖父と同じくらいにナーサディアの近くにいる大切な人なのだから。
そして、皇室の皆にも伝える。
これは自分のわがままな願いだから、かなえなくてもいい。でも、もし可能なら手伝ってもらいたい。きっと、これで最後になるからと告げ、頭を下げる。どうか、お願いします、と。
何も返事が返ってこなくて不安になって、そっと顔をあげると皆微笑んでおり、こう続けられた。
「お願い、じゃなくて良い。『やって』と、命じなさい」
皇帝イシュグリアは笑って言った。
「君はもう我らの家族でもあるんだ。確かにお願いしたい気持ちも分かるけれど、同時に君は『宝石姫』なんだ。だから我らに命じることもできると、忘れてはならない」
「そうしないのが貴女の優しさだと理解しておりますけれど」
ね、と笑って皇妃ファルルスは言う。
皇太子であるウィリアムも、皇太子妃のディアーナも。第二皇子アトルシャン、そして宝石姫の二人であるティティールとファリミエも、同じように微笑んでいた。
この四年間で、ナーサディアはとんでもなく精神的に回復していた。
やって来たばかりの頃は、笑うのもぎこちなく、『何とか微笑めている』というような状態。人と話すのもつっかえて、怒られないように言葉を選んで、何をするにも慎重になっていた。表面上は普通に見えても、心の傷はなかなか埋まらないし消えることはない。傷が薄くなる、というだけ。
傷が深いまま残るなんてあってはいけないと、率先してティミスはナーサディアの傍に居続けたからこそ、少しずつではあるが改善の兆しがみられていった。
ティティールやファリミエも、自身の勉強や公務の時間を調整して寄り添い、宝石姫として何をしなければいけないのかを教えてくれたし、支えになってくれていた。姉のように、妹のように。
もし年の離れた姉妹がいれば、こうなのかもしれない、とある日ナーサディアが言った途端、ティティールが思いきりナーサディアに抱き着いた。
「姉妹ですわ! 血が繋がっていなくても、家族にも、姉妹にもなれるんです!」
言ってから、ナーサディアの腹部に自分の頭をぐりぐりと押し付ける。くすぐったいような、けれど、どこか懐かしい行動が可愛らしくて、そぉっとティティールの頭を撫でるとまた勢いよく顔を上げて叫ばれた。
「遠慮されるの、嫌です! 我儘だ、って思われても良いです! わたくし、ディア姉様と仲良くなりたいし、もっともっといろんなお話をしたいんです!」
ティミスの次にナーサディアの心の壁をぶち破りに来たのは、この幼い宝石姫のティティールだっただろう。幼いが故に、するりと馴染んで、城の皆にも手を引かれながら紹介してもらい、戸惑いながらも人の輪が広がっていった。
忙しいながらも、ファリミエも同じようにしてくれた。彼女はもっぱら職場の研究所の人たちに対してだったけれど、交流は広い方が良い。いきなりかもしれないけど、世界を広げなさいと、背中を押してくれた。背中を押しっぱなしにはしなかった。きちんと、寄り添ってくれていた。
主に宝石姫を持つ彼らが、時には他の皇族も手を貸してくれた。
最初こそ怖気づいていたけれど、祖父もやって来てくれたことで、とても大きな勇気がもらえた。
彼らに応えるように、『ナーサディア』という存在を受け入れてくれた帝国の皆に応えるように、ナーサディアは努力を重ねていった。
『そろそろ祖国を許してやってはどうか』という声が出ていたのも事実。そうなったのは恐らくベアトリーチェの努力や祖国の王族や貴族の努力のおかげなのだろうと思うが、そもそもの話が『許す』『許さない』というものではないのだ。
祖国でされたことを忘れていない。思い出すたび、そういう声が増えていく度、ナーサディアは体が震えた。思い出したくもない、絶対に戻りたくもない過去なのだから。
祖国に対しては好きにすれば良い、とも思っているが、そういう声が増えてきたタイミングでの手紙。
正直ベアトリーチェがアルシャークと結婚しようが、それもどうでもいい。ああ、来るべくして時が来たんだな、という感情しかない。けれどベアトリーチェは、ナーサディアにあの国に一度は足を運んできてほしいのだろうと予測できる。
「…絶対にベアトリーチェの思い通りになんか動いてやらない」
まず一つ目の答え。結婚式への招待など、応じない。
ベアトリーチェはきっとこう思っている。『国を通してならば、責任感の強いナーサディアならば招待に応じてくれる』。
きっと、カレアム帝国に来たばかりならばそうしていた。
でも、ベアトリーチェはここに来てからの『ナーサディア』を知らない。
「ねぇ、ベアトリーチェ。舐めないでね」
準備は抜かりなくやってみせる。
まずは、ナーサディアがベアトリーチェの予想から外れた行動をとることが必要となってくる。なので、チェルシーに伝えて便箋と封筒を用意してもらった。
かつてのナーサディアならば、ベアトリーチェの好きそうなデザインとかわいらしさを一番に考えてこうしていただろうから。
「……」
何を書くかはもう決めている。
「さてと」
ペンを手にして、書き始めていく。
ねぇ、ベアトリーチェ。貴女が変わったように、私も変わったんだよ、という想いも乗せる。かつて大切だった片割れには届かないだろうけれど。
「貴女、お母様にそっくりな思考になってしまったのね」
書きながら、届かない呟きが零れてしまう。
数十分後、枚数としては二枚という少なさだが、中身はベアトリーチェの予想を遥かに上回るものが描けたのではないかと思う。
「すみません、これを届けてもらいたくて」
ちりり、とベルを鳴らしてメッセンジャーを呼んだ。
既に自分の蝋印は押してある。あとはこれを祖国に届けてもらうだけだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ナーサディアからの手紙が届いたことにより、城の中は浮足立っていた。四年前に出ていったあの人が、ベアトリーチェからの手紙を読んで返事をくれたということは、きっと今までのことを許してくれるんだ、さすが姉妹の絆だ!と大騒ぎをするものもいた。
ベアトリーチェもベアトリーチェで、ナーサディアからの手紙を嬉しそうにじっと見つめ、丁寧に封を開いて中味を読んでいく。
だが、そこには望んでいた、かつてのナーサディアが書いてくれそうな内容はどこにも無かった。それどころか、真逆のことばかり書かれていたのだ。
『謝る必要はない』
『そもそも、何を謝られるのか分からない』
『結婚祝いなら手紙で十分でしょう』
『どうか貴女はお幸せになってください』
そういった内容がとても丁寧に、まるで自分が書いたような文字で綴られていた。
今更ながら思い出す。ナーサディアはベアトリーチェの影姫としてのみ、生きている価値があったのだと。何でもベアトリーチェがするようにしなければいけなかったし、文字の形も丸っきり同じにする必要があると言い聞かされ、教育をされてきている。
「ナーサディア…」
自分が書いているわけではないし、確かにナーサディアが書いたものだとわかるのに、これが彼女の本心だと思いたくなかった。思ってしまえば、かつて母が言ってくれた『魂を分け合った唯一無二の存在』という言葉を否定してしまうことになりそうで。
だってナーサディアはいつでも自分の傍にいてくれた、ただ少し怒っているだけで、いずれは祖国に帰って来てくれて幸せに暮らすものだとばかり思っていたのに。
誰にとっての幸せ? …ベアトリーチェにとっての幸せのため。
ナーサディアの幸せは? ベアトリーチェと在ること。
「唯一無二の、存在なのに…?」
ぐしゃり、と握りつぶされて、手紙が形を変えられた。
「…ふ、ふふ…。なら…私がそっちに行けば良いわね、ナーサディア。そうすれば、無理矢理にでも貴女という存在を引き戻せる。『宝石姫』をわが国でも持てるんだから」
離れるなんて許していない、そう呟いて手紙を丁寧に形を出来得る限り直してから、もう少ししたら己の夫となるアルシャークの元に向かった。
そして、とても綺麗な微笑みでこう、おねだりをした。
「ねぇ、アル様。わたくし、結婚式の前にカレアム帝国にお邪魔をしたいわ。ナーサディアったら、やっぱり忙しいみたいで…でも、どうしてもわたくし会いたくて…」
ナーサディアを逃がしたくない、逃がすものかと強く思っているベアトリーチェはすらすらと言葉を紡いでいく。かつての母のように、ナーサディアを隠してしまおうと決めたあの日のように。
それこそが双子の別れとなるとも知らずに、支度を始める。
ベアトリーチェの思惑
・ナーサディアは責任感が強いから、国を通じての手紙なら応じてくれる
・ナーサディアは私のことを嫌ってなんかない
・ナーサディアはこれからも私と一緒!
ナーサディアの想い
・もう、好きにすればいい
想いは通じない。
手を離したのはベアトリーチェなのだから。