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戸惑いと、

 ナーサディアとティミスの婚約が大々的に発表され、季節がひとつ過ぎ去った頃。

 二人の仲は勿論ながら平穏そのもの。ティミスからの愛にも四年かけてようやく慣れ始め、手を繋ぐことより先の腕を組む、ところまでは普通に出来るようになったナーサディア。稀に雰囲気をがっつり作りこんでやれば、頬や額への口付けも慣れてくれた。普通に仕掛けると祖父レイノルド譲りの超強固な防御結界が展開されてしまうが、もはやお約束。

 微笑むようにはなれたけど、ようやくじわりと笑うことも自然になってきた頃、一通の親書が届けられた。


「これは…」


「ウォーレン王国からのものですな。国王専用のものを使って蝋印を押してあるということは、それなりの中身でしょう」


 豪奢な封筒と、表には『大好きなわたしのナーサディアへ』と綴られた綺麗な文字。

 その場にいたレイノルドとティミス、皇帝夫妻、そしてナーサディアはテーブルに置かれたそれをじっと眺めていた。特に、ナーサディアはまじまじと見つめていた。


「…ベアトリーチェの、文字」


 ぽつ、と静かに呟いた、凡そ数年ぶりの片割れの名。

 これまでほとんど思い出すことは無かった。自分を虐待し続けた両親へのトドメは物理的にはティミスが、精神的なさらなるトドメはレイノルドが果たしてみせたのだが、ベアトリーチェは放置していた。

 今まで賞賛されることが主だった彼女が、ありとあらゆる貴族から罵られ、突き放されているであろう事は容易に想像できたから、別に良いかと放置していたから。


 実際のところ、あの時から相当悲惨な思いをしていたらしい。


 カレアムから密偵を放ち、ベアトリーチェを始めとしてウォーレンそのものを調査し続けており、報告書も見せてもらっていた。


 まず、平民から貴族に対しての不満の噴出。

 今までの信頼関係があったからこそ、税が多少上がっても平民は我慢してくれていた。勿論、財政状況がすぐ安定すれば上げたぶんの還元も行ったし、税が上がることで暮らしが辛くなることに備えて貨幣の巡りも良くなるよう、賃金も上げたりなど対処はしていた。

 だが、あれ以降の税が上がる=カレアム帝国の怒りを買ってしまったが故の増税、ということが知れ渡ったせいもあり、民の間で怒りが爆発した。


『お前達が面白がって一人の令嬢をいじめ倒した結果の増税など誰が従うものか』と、あまりに多くの陳述書が寄せられ続けることとなってしまった。

 もしも、ナーサディアが宝石姫という特殊な存在でなければ、こんなことは起きなかったと推測される。きっと、彼女は蒼の塔に押し込められたまま、何かあった時はベアトリーチェの影姫として表舞台に引きずり出され、死んでいただろうから。

 だが、結果としてそうならなかった。

 一人の少女を、まず国が存在を隠し続けたことに加え、侯爵家から虐待を受けていたこと。貴族達から『化物姫』と指をさされながら社交界の笑いものにされるだけでなく、ある意味娯楽の対象として嘲笑い続けた。両親も、たった一人の姉妹も庇わないものだから、やってもいいと思っていたということらしい。

 カレアム帝国の皇帝夫妻の怒りを買ったことにより、ウォーレン王国はありとあらゆる国から爪弾きにされていった。


 貿易が出来なくなったわけではない。ただ、関税が跳ね上がっただけ。

 輸入も輸出も、これまで友好的だった国々は尽く冷たくなって、ないに等しかった関税を驚くほどに跳ね上げた。


 これにより、ウォーレン王国の平民に真っ先に被害が出てきてしまった。


 いつもなら銅貨一枚で三つは買えたリンゴが、一つしか買えなくなった。国内で取れる野菜は問題なかったが、外国から仕入れていた野菜は庶民には手の届かないものへと変わったし、流通が激減した。

 布を織るのに使う糸も、国内でまかないきれない分は輸入したり、既製服を輸入したりもしていたが、それも高騰した。

 何故だ、と理由を探り始めたとき、外国からたまたまやって来ていた商人があっさりと告げる。


『だって、この国の貴族達は揃いも揃って宝石姫様を虐待していたじゃないか。カレアム帝国で宝石姫様が大切に保護されているのは知っているだろう? 貴族も王族もこぞってその御方を虐待していたから、今こんな状況になっているんだよ』


 誰かが、「え?」と素っ頓狂な声を上げた。御伽噺の中だけの存在だと思っていたのに、まさか現実にいるだなんて、と聞いた人々は顔色を悪くする。

 次に、聡いものが気付いた。

 貴族や王族のやり続けたことのしっぺ返しが、今こうして平民である自分たちに回ってきているのだ、と。


 貴族たちが頭を抱えていたところに平民の暴動。必死に宥め、彼らが溜め込んだ私財を投じて何とか国の財政を立て直しにかかるがとてもじゃないけど賄いきれるものではないから、勿論王家も国庫を開いた。


 落ち着くのに半年を要したが、次に怒りが向けられたのが侯爵家と、王太子妃ベアトリーチェに対して。


 そもそも、彼らがそんな事をしなければと皆口を揃えて言った。

 貴族の屋敷の中だけで行われていたら、さすがに分からない。幼子が領地視察に来ていたわけでもないから、ナーサディアの存在を知る人は平民には居なかったが、これで知られてしまったのだ。

 そこからはとんでもない鬼畜扱いが始まるが、少ししてこうも言われるようになる。


『やめろ、ハミル侯爵家に関わると我らもナーサディア様のようにされてしまうぞ』と。


 いくらそんなことはしないと叫んでも人々からの蔑みきった視線が無くなることはない。

 次第に民が他の領地へと流出していくがそれを止める術もなく、侯爵領は相当悲惨なことになったらしい。…何せ、あまりの人の流出っぷりに情報を集めても集めても追いつかなかったほどだ。

 ハミル侯爵家当主のランスターはレイノルドに力を貸してほしいと願い出たが、あっさり拒否され荒れたと聞いた。孫を虐待していた夫妻を、誰が助けたいと思うと言うのか。


 ベアトリーチェは今まで周りが助けてくれて当たり前だった中、なりふり構わず奉仕活動などを行ったことにより、多少は信頼が回復したらしいがそれも『多少』。

 四年も経ったから少しは国交の回復を願い、こうして何かしらの文書を送ってきたのだろうとは予測できるのだが、揃った面子は全員誰も封筒に手をかけられないまま、それをじっと眺めていた。


「…私、開けますね」


 中に何が書かれているのかは分からないけれど、と呟いてから封筒を手にして何も仕掛けがないことを最初に確認する。

 ティミスと婚約したことにより、ありとあらゆる仕掛けをされてきたナーサディアはすっかりこういったことに慣れてしまっていた。

 ペーパーナイフを使い、開封してから綺麗に折りたたまれた手紙を慎重に開く。そこにも仕掛けは無くて少しだけ安心してから中身に目を通していく。


「……『親愛なるわたしのナーサディアへ』」


 中身をひと通り読んでから、ゆっくりと声に出して読み上げ始める。


「『まずは、ごめんなさい。あなたに、とても辛い思いをさせてしまっていたこと、いくら謝っても謝り足りません』」


「何を今更…」


「ティミス」


 これ、とファルルスが注意をするも、別れの日を思い出していたティミスは苦虫を噛み潰したような顔をしているままだ。


「『わたしは、あなたを助けられる立場にいたのに何もしませんでした。本当に、ごめん。でも、お母様達に言われたことを信じきってしまっていたの。それに、王太子妃教育を頑張っていれば、定期的にナーサディアに会わせてもらえていたから』。………」


 そこまで読んで、ナーサディアは複雑そうな顔をした。

 確かに会わせてもらえていたが、会っても会話が成り立っていたわけではない。少なくともナーサディアはそう感じていた。


「『わたしとハミル家は大変な思いをしましたが、ナーサディアの受けた痛みや苦しみに比べたら何でもない事なんだと思います。わたし、今すごくナーサディアに会いたい。会って、きちんと謝らせてください』……って、え?」


 謝り足りないと書いているけれど、とりあえずは形式上の謝罪をしたいのかなんなのか。

 内容から『もうそろそろ許してくれない? もうたっぷり報復したでしょう?』とも読み取れてしまう。

 困惑した顔でナーサディアはファルルスとイシュグリアを見た。と、二人も顔を見合わせ、困ったように溜息を吐いているではないか。


「あの…陛下…」


「各国から、『少し、報復を緩めてやってはどうか』と言われている。…末恐ろしい王太子妃だ、彼女は。人がやらないことを進んでやり、じわりと民衆の心を掴みつつあるそうだよ」


「いや、上っ面だけ綺麗だから騙されてるだけしょう」


「それほど、彼奴は取り入るのが上手くなってしまっておる、ということですな…」


 はぁ、と特大のため息を吐いてティミスとレイノルドが頭を抱えていた。ナーサディアも生憎彼らと同じ意見だ。

 あのベアトリーチェが、はらはらと涙を零しながら一生懸命になって奉仕していれば、多少なりとも絆されてしまうのではないかと。実際そのような人は居るようで、そろそろ許してやってはどうかという声もちらほら聞こえてきている。


「『わたしね、王太子殿下と…アルシャーク様と結婚するの。だから、招待させてほしい。仲直り、しましょう? 返事、待っています』」


 ひと呼吸おいて、最後の一文を読む。


「『わたしの大切な、魂を分け合った唯一無二の愛しいナーサディアへ。ベアトリーチェより』」


 少しだけ、手紙を持っている手に力が篭って、くしゃ、と音がした。

 何とも言えない表情で、ナーサディアはじっと今読み上げた手紙を見つめ続ける。

 謝りたいという気持ちも分からなくもないが、都合が良すぎはしないだろうか。

 今までの十年以上に渡る様々な行為の数々を、許せというのか。

 王太子妃・ベアトリーチェとして送ってきた手紙なのだから、カレアム帝国の『宝石姫・ナーサディア』として、更にはカレアム帝国第三皇子の婚約者という立場も背負って出向かなければいけない。


「どう、しよう」


「まったく、断りにくい誘いをしてくれたものだわ…。ナーサディアには申し訳ないけれど…すっかり王家の一員らしい振る舞いをしてくれるじゃないの」


「ファルルス様…」


「ごめんなさい。貴女を悪くいうつもりは全く無いの!ただ…あまりにずる賢くなってしまっていたものだから…」


「いいえ、分かっています…。分かっているんです…前みたいなベアトリーチェではないと」


 手紙を折り、封筒へと戻す。

 ナーサディアもため息を吐いて、どうしたものかと頭を抱えそうになるが今ここでそんなことをするわけにもいかない。


 ベアトリーチェの狙いは、カレアム帝国の人間としてナーサディアやティミスが結婚式に参加することで、『許された』というパフォーマンスを示したい、ということだろう。


「ナーサディア、今すぐ返事をしなくても良いよ。少しあいつらを待たせてやろう。あまりにいきなり過ぎるからね」


「ティミス…」


「ん?」


「私は…おかしいかな。ベアトリーチェに対して、もう…あの子が大切な双子の片割れだと、思えない」


「……」


「あんなに大切だったのに、何の感情も湧いてこないの…」


「ナーサディア…」


 どうやって声をかけていいものかと、ティミスが口ごもっているとレイノルドが大きな手のひらでわしわしとナーサディアの頭を撫でた。


「わ、わぁ?!」


「ナーサディアよ、深く考えなくてもよろしい。参加したところで許さないならそれで良い、それを突きつけてやれば良いだけじゃ」


「許さなくても、良い」


「許すとかそういう問題ではないんじゃろう?」


「……」


 こく、と頷く。

 どうやって感情を処理していいのか、分からなくなっていたナーサディアの気持ちが少しでも軽くなるようにと、わしわし撫で続けた。


「あ、あの、おじい、さま、髪が!」


「またカリナやチェルシーに結い直してもらうと良い! 時間はある!」


 はっはっは!と高らかに笑った祖父を目を丸くして見つめるナーサディア。

 ぼさぼさになった髪を整えようと手を伸ばし、指先で髪を弄ろうとするとティミスが立ち上がって一度、ナーサディアの三つ編みをほどいた。


 カレアムに来てからはすっかり、長い髪を三つ編みにしてサイドにゆったりと流すヘアスタイルがお気に入りになっていたナーサディア。ティミスはティミスで、いつかナーサディアの髪を弄りたいという念願叶い、ほどいた髪を慣れた手つきで緩く編んでいく。


「ナーサディア、返事を出すなら我らに言いなさい」


「陛下…」


「そうよ。もし何かあっても貴女を助けられるよう、わたくし達もしっかりサポートするから」


「ファルルス様…」


「僕とレイノルド様も、もし参加するなら付き添うから安心して、ねっ?」


「ティミス…おじい様…」


 皆が力を貸してくれるならば、と少しだけ意思が固まったのか、ナーサディアはようやく微笑んだ。


「…………もう少し、考えます。もちろん、皆様にも報告しますね」


 そう告げると、皆が頷いてくれる。

 背後にいたティミスは、そのまま包み込むようにナーサディアをぎゅうっと抱き締めた。


「考えるの、僕も付き合うよ」


「ありがとう、ティミス」


 肩越しに振り返って未だ少しだけぎこちないながらも微笑みかければ、上回る微笑みが返ってくる。

 元・家族に関してはナーサディアは未だ表情が硬くなってしまう。

 早くどうにかせねばとは思うが、まずはナーサディアの出す答えを待とうとティミスは告げた。


「何を選択しようとも、きっと力になるよ。僕のナーサディア」


 その言葉に小さく頷いて、抱き締めてくれている腕に自身の手のひらを重ねたナーサディアであった。

本編はこちらで、番外編は短編として訂正し、シリーズに追加しています。


※話数、タイトルについて編集済

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