訪れた幸福は、二人を包んで
これまでのことを、静かに思い返す。
穏やかな日々を過ごしたいと願い、両親からの愛が欲しいと願い、大好きな双子の片割れと一緒に居たいと願った。
結果として、それら全ては『顔の痣がある』という理由で木っ端微塵に打ち砕かれた。
顔の痣が消え、単なる令嬢から『宝石姫』へと、立場ががらりと変わってしまったあの日の両親や姉妹の必死ぶりは未だに記憶に残っている。だが、もう思い出したくないし、正直なところ、関わりたくもない。
望めば、一切の関わりを断てるとは言われたが、国同士そういうわけにもいかないのではないかとも思ってしまった。だから、ただ拒絶して終わりだと、信じていたのだが間違えてしまった。
色々なことが重なりに重なった結果、祖国はほぼ孤立状態にあるというが、起こるべくしてそうなっただけのこと。
一人の令嬢を国、そして貴族全体で虐め抜いて虐待していたようなものなのだから。まともな思考回路であれば、そんな国、そんな人々と付き合いを深めたいと思う人間はいなかったようだ。恨まれたとしてもどうしようもない。貴族がやらかしてしまった代償が平民に、そして巡り巡っているが、ナーサディアに対しての暴言を吐くと決まってこう返されているという。
『いなくなる原因を作ったのに、何をほざいているのか』と。
メイクをされながら、髪を結われながら、ナーサディアは考えていた。
宝石姫として覚醒しなければ、きっとこのような平穏は得られなかっただろうと。
ティミスと婚約を取り付けたかった貴族令嬢達からすると、さぞかしナーサディアが気に食わないだろうと思う。だが、こればかりは譲れなかった。
ティミスの隣に立つのは自分なのだ、と。カレアム帝国へとやってきてから、死にものぐるいで様々な教養やマナーに礼節、作法、語学を学び、身につけてきた。急ぎすぎるのは良くない、と窘められながらもひたすらに頑張れたのはティミスがいたから。
ずっと会えていなかった祖父も、カレアム帝国へと来てくれた。塔で自分のことをきちんと見てくれ、面倒を見続けてくれた使用人たちもいてくれたから、頑張れた。
胸を張って立ち、大好きな人達と生きていきたい。そう思ってやってきた結果、この日がある。
「ナーサディア、準備できた?」
「ティミス」
コンコン、と扉がノックされた後で開かれ、昔からずっと身支度をしてくれていた二人のメイドや新たにナーサディア付きとなったメイドたちが頭を下げて一度ナーサディアから離れる。
「君が来るまで待った方が良い、って言われたけど待ちきれなくて」
「迎えに来てくれたの?ありがとう」
嬉しくて椅子から立ち上がるナーサディア。
純白のエンパイアラインのドレスを纏い、右手の甲にあるダイヤモンドにはカレアムに来てから常に巻いているチェーンブレスレットを。普段は三つ編みにしてサイドに流している髪も、今日はきっちりとまとめ上げられていた。
相変わらず腕を露出するのはあまり好きではないので、肘下まである七分袖のレースの袖で腕を覆っている。
ティミスはというと、髪型こそ普段通り黒髪ストレートのショートヘアを短く刈り上げ、前髪はアシンメトリー(左だけ長い)な普段のヘアスタイルではあるが、着用しているタキシードは純白。胸ポケットには生花の白薔薇とチーフ、そして白い手袋。
まるで結婚式のようだ、と彼ら二人を見守るメイドたちや騎士たちは微笑むが、今日は結婚式ではない。
密やかに結ばれていた婚約を、ナーサディアが結婚出来る歳にようやく到達したこともあり、大々的に発表することにしたのだ。
何故今、と帝国貴族たちはざわめいたが、皇室が決めたことでもあり、何よりナーサディアとティミスたちが『そうしたい』と言ったこと。カレアムに来たばかりのナーサディアを歓迎しない人も勿論いるし、いきなりの婚約を快く思わない者も沢山いるだろう、とナーサディア自身が判断した。
彼の隣に立つにふさわしくなってみせるので婚約の公表を控えてほしいと、そう言ったのだ。
ティミスは虫除けの意味もこめてさっさと婚約発表をしたかったが、ナーサディアの言葉に納得して受け入れてくれた。
この日を迎えるための時間は、思ったよりかかってしまった。
ナーサディアがカレアムにやってきて、もう既に四年が経過していたのだから。
だが、それ相応の手応えも勿論感じていたから苦ではなかった。
こつこつと地道に、ティミスの隣に立つに相応しい令嬢としての教育を受けることでの知識の積み重ねと、立ち居振る舞いを備えた。同時に宝石姫として『祈る』ことで精霊樹への力の供給も忘れなかった。そうすることで、光属性の魔法を使う際の帝国民はじめ他国の民においても魔力消費を軽くする。併せて自分の魔法の使い方も祖父から学んだ。
最初は陰口ばかり言われていたように思うが、ここ最近の落ち着き具合から発表する流れに至った、という経緯なのである。
「ふふ」
「ナーサディア、どうかした?」
「実感がなくて」
「実感はなくても、ナーサディアは僕のものだからね。誰にもあげないよ」
「…む」
さらりと歯の浮くような文句をウインク付きで言うティミス。ずっと彼一筋であるものの、こればかりは敵いそうにないなとナーサディアは思う。
ティミスが、何もかもを教えてくれた。
愛されることのくすぐったさ、辛さ、悲しさ、楽しさ。怯えきっていたナーサディアを柔らかな毛布で包んで癒し、年月をかけて、ずっと傍に居続けた。
「これからは、まだもっと。ずっと一緒にいるんだから、慣れてもらわないと」
「わ、分かって、る」
「ほんとかなぁ?」
ふふ、と笑うティミスは年齢よりも少し幼く見えた。
最初に出会ったのは彼が十八歳の時。ナーサディアは十四歳だった。それが四年経過して二十二歳と十八歳。
ようやく、ナーサディアが婚姻可能となった。
「外、賑やかだね」
いつの間にか、支度をしてくれていたメイド達や護衛騎士は部屋から出ていた。きっと部屋の外にはいると思うけれど、今この部屋には二人きり。
「祝福せざるを得ないだろうね。はー…やっとだ」
「何が?」
「ナーサディアを、大声で僕のものだ!って叫べるんだよ?」
「叫ばないで」
「やだ」
「ティミス!」
「……ほんと、良かった」
「…?」
「こんなにも僕の姫は笑ってくれるようになって、いっぱい話してくれるようになった」
「…ティミスのおかげだよ」
だから、ありがとう。と続けられ、ぽたりと涙が溢れた。
「僕のおかげ?」
「諦めてたこと、全部取り戻せたのはあなたのおかげ」
真っ直ぐ見つめ、微笑みかけてくれるナーサディアが綺麗で、どうしようもなく愛おしくて大切で。
「僕の、唯一だから。幸せにならなきゃいけないんだ、君は」
歯が浮くような台詞をいくら言おうともナーサディアは微笑んで受け入れてくれている。
ティミスは遠慮なくナーサディアを愛せるし、ナーサディアも気持ちを返せるようになってきていた。最初に受けた傷は決して浅くないけれど、少しずつ癒していくことはできるのだと、彼が教えてくれた。
「あなたと一緒なら、幸せだよ」
つられるようにして、ナーサディアもぽとりと涙を零した。
その涙すら宝石に見えて、ティミスは壊れ物を扱うようにナーサディアの手を取り、口付ける。
「…なら、一緒に行こうナーサディア。僕の姫、僕の唯一。皆に報告だね」
「はい」
手を繋いで歩き始める。
ようやく、大きな一歩を踏み出したのだ。
収まるべくしてこうなったし、溺愛は続くよどこまでも。
そして、使用人達の名前についてご指摘もいただきましたので、その辺補足のお話だったり、皇室皆との平和なお話が続きます。
ティミスはナーサディア至上主義なのでしばらくベタ甘です(私にとっては)