助けてもらいながらもやり遂げる
きちんと決別したつもりだったが、彼らはそうではなかったらしい。というよりは、ナーサディアならいつでも許してくれると夢を見ているようだ。いつまでも父母の愛を欲しているとは限らないというのに、おめでたい頭をしている奴らだ、とティミスは内心毒づいた。
折角ナーサディアが笑ってくれるようになったのに、奴らの手紙のせいで嫌な雰囲気になってしまったのだから、しっかりとお返しをしなければいけない。ウォーレン国であれだけで済ませていた内に、彼らは大人しく引くべきだったのだ。そうすれば、表向きの外交だけでも回復したかもしれないのに、彼らは自ら引導を渡してくださいと申し出てきたようなもの。
イシュグリアやファルルスを筆頭に、皇族や宝石姫達が思わず頭を抱えた。そして、更に頭を抱えたのは他でもない、ナーサディア自身だ。
どうやっても甘い幻想を捨てきれないらしい元家族だった人達。彼らの中で、『家族の愛を未だに求める子』なのだろうとナーサディアは思っていた。
「…すみません…」
皇族が揃った席で、開口一番ナーサディアは深く頭を下げて謝罪した。
「ナーサディアが謝らなくても良いんだよ?」
「でも、悪いのは…はっきり出来なかった私、だし…。拒絶も、したのに…」
「あの人達はそう思っていない。ナーサディア嬢が未だに『家族』であると信じて疑っていないし、…何より」
「何より…?」
ファルルスが大きな溜息を吐いて言うと、ファリミエもディアーナも同調するように頷く。
そして、ぽつりとディアーナが呟いた。
「ナーサディアの甘さや優しさにつけ込みたいのね」
「甘さや、優しさ…」
「えぇ。家族なのだから拒みはしない、許してくれるはずだという思い込みの元で動いているだろうし、何より『ナーサディアは優しいから』縋ればどうにかなると信じているような雰囲気ね」
「……」
助けて、と手を伸ばした時は振り払ったのに、立場がこうも変わると擦り寄ってくるのかと嫌悪が先に襲い来る。そうまで下に見られているのかと思うと吐き気が込み上げてきた。
カレアム帝国との仲をナーサディアに取りもたせ、痣が無くなった彼女をまるで玩具のように飾り立てて傍に置くついでに、ベアトリーチェとも並べたいだけ。
あわよくば、高位貴族への嫁として推薦しようとしているのではないかとまで邪推してしまう。そんな事を企んでいたとしても思い通りになどなってやらない、ともちろん心に誓っている。
「…どうしたら、いいんでしょうか」
ナーサディアはどうしても思いつかず、困りきってぽつりと零す。そして、ふと顔を上げると皇族始め、宝石姫達まで皆が笑顔なのに迫力満点になってしまっていた。
やられる事の方が多く、何をどうしたら良いのか分からず戸惑うナーサディア。
「ええ、と」
「簡単だよ、ナーサディア」
ティミスは微笑んで言い切った。
「決別するだけでは足りなかったのが分かったよね? だったらもうこうしかない。完膚なきまでに、起き上がれないほどに叩き潰せば良いんだよ」
─────────
「ナーサディアは…わたくし達に会ってくれるかしら…」
「カレアムの皇帝達が居たから、きっとあんな態度だったに違いない。あの子は優しい子だ、大丈夫だよエディル」
都合の良いように考えすぎていることには気付かないまま、侯爵夫妻は帝国に出した手紙の返事を心待ちにしていた。
どうやれば『化け物』から『美姫』へと変貌を遂げた我が娘が帰ってきてくれるのだろうと、そればかり話している。そんな夢物語など起こり得る訳が無いのに、いつまでもぬるま湯に浸かり、ご都合主義もいい所だ。
ナーサディアが帰ってくるはずがない、とまず最初に自覚したのは侯爵家の使用人達。騎士に、そして塔に居た使用人達の態度や言動から、『ナーサディアは、この国を離れることについて何の憂いもない』と理解させられてしまった。本邸にあった荷物を根こそぎもっていった時点で察するしかできないのに、侯爵夫妻は未だに気付かない。実の子から決別された、という己の家の恥はどうやら遥か彼方へ忘れているようで、侯爵夫妻は自分達の発言に酔いしれている。
だが、カレアム帝国の皇帝夫妻の言葉は、少しずつウォーレンを蝕んでいた。
カレアム帝国の皇后ははっきり言い切った。問われれば、『何故、わざわざ皇帝夫妻らがウォーレン国へと出向いたのか』の理由を話す、と。
本当に、話していたのだ。参加した茶会で、新たな宝石姫の来訪を祝う傍ら、『ウォーレンへと出向いた理由は何だったのですか?』と問われたからファルルスはにっこりと笑い、『あぁ、我らの宝石姫を虐待から救うためよ』、そう答えた。
間違ったことは言っていない。ただ、オブラートに包んでいないだけ。その場は当たり前ながらどよめき、何があったのかと帝国貴族はこぞって真実を皇帝夫妻へと問うた。
だから、ナーサディアの置かれていた境遇を全て、包み隠さず話して聞かせ、必要があれば調査報告書の複製までも渡したのだ。
それを読んだカレアムの貴族はざわめき、どよめき、そして、怒った。神聖なる存在になんという事をしているのか、と。
ナーサディアにも甘さはあった。処罰などしたことが無かったものだから、『拒絶さえしてしまえば大丈夫だ』と思い込んでしまっていた。
結果的にナーサディアの認識を変えさせて、これから壮絶なる報復が始まることは確定しているようなものだが、それより前に、じわりじわりと序曲は始まっていた。
真綿で首を締めるように、少しずつ。
陸路、海路共に、貿易の際の関税がはねあげられた。ウォーレン国から他国…主にカレアム帝国をはじめとした帝国の関係する国々への輸出に関する税のみ。
やり取りをする商会や大金持ちの貴族ではないものの平民達は首を傾げる。おかしい、何故か貿易の利益が少なくなっていると共に、じわりじわりと上昇を始める物価。
そして、次に気付いたのは所謂一般家庭の人達。
野菜をはじめ、輸入していた小麦や調味料が値上がりしている。それも少しずつ止まることなく、じわじわと。
家計が逼迫し始め、王宮の役人にあちらこちらから陳情書が上がってくる。
ウォーレンの貴族達は高を括っていたのだ。あの化物姫はやり返すことになど慣れていない。いくら罵倒したところで我らへの報復など出来るものかと、陰で嘲笑っていたのだが、ここまできてようやく気が付いた。
直接やり返すのでは無く、間接的に自分達のみならずなんの罪も無い国民達の首も同時に締め上げられていた。皇后の言葉の意味を、ここまできてようやく理解し、戦慄した。
今更許しを乞うなどできないが、チャンスはあるかもしれないとハミル侯爵家へと誰かが手紙を送った。早く、お前達の宝物に謝って、許しを乞うてくれ、と。
頭がどこまでもおめでたい侯爵夫妻は、大量に手紙を送った。届かないと分かれば国を通じて送った。
決別された時にきちんと理解していれば、恐らくこうはならなかっただろうに、と。後に誰かが嘆いた。
ナーサディアは迷いに迷った末、侯爵夫妻に会うことを決めたが、何をどうしたら彼らへの報復が出来るのか分からなかったのだ。だから彼女が思い付いたことを皇族に告げると、皆笑顔で頷いてくれた。
「こんな事で…良いんでしょうか」
「良いと思うよ。だって、あの人達はナーサディアを未だに娘だと信じているのだから」
そうで無くしてしまえば良いんだよ、とティミスは微笑み告げた。
ナーサディアが思った、『家族で無くなる』方法はただ一つだった。
「プライドの塊を砕くには…きっと、ナーサディアからの『それ』が効果的だよ」
にっこりと笑ってナーサディアの頭を撫でるティミス。
たかがこんな事で?と訝しげな顔をするが、やってみなければ分からないかと思い、手にした書類を眺めた。
─────────
侯爵夫妻が大丈夫だとお互いに言い続け、国を通じて手紙を出した結果として、ナーサディアは渋々ながらもウォーレン国へと出向くという返事を返した。
それにウォーレン国の貴族は沸き立った。やっと『アレ』が我らを許してくれるのだ、と喜びに満ち溢れていた。
偵察に出した騎士団からその報告を受けたティミスとナーサディアは、揃って苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「……平和ボケしてるのかな、アイツら」
「…私が、はっきりしなかったから…」
「ナーサディア」
悔しそうに手をきつく握ったナーサディアの肩に、ティミスは手を置く。
「心の中にある、あの人達への恐怖はもう無いはずなんだ。拒絶じゃすまないくらい、プライドも何もかもへし折って、ズタボロにしてやらないと、理解しようとしない」
「……うん」
「ナーサディアは優しいから、多分言葉で拒絶は出来ないと思う」
「……っ」
「だからそのために行動を、してみようか」
「…はい」
書類の入った封筒をきつく抱き締めた。
言うだけでは、態度だけでは何も変わらなかった『元』親達。
彼らと侯爵家で対峙したナーサディアは、盛大に出迎えられた。まるで、ずっと愛されていた娘のように。
エディルもランスターも、にこにこと微笑みを絶やさず、ナーサディアとティミスを出迎え、客間まで案内して、たっぷりと茶菓子や果物、そして紅茶の用意をして準備万端にしていた。
使用人達も一縷の望みに賭けているらしく、護衛付きのナーサディアとティミスをこれでもかと歓迎したが、ナーサディアは無表情のままだった。
エディルは少し前のナーサディアの氷のような眼差しに比べたら何ともないと言わんばかりに、悠然と微笑んでいたのだが、ナーサディアから差し出された封筒に入っていた書類を見た瞬間凍り付く。
「なに、よ、これ…」
ああ、化けの皮がこんなにも簡単に剥がれたのかと、ナーサディアは薄ら笑む。
「どういうつもりなのナーサディア!! このわたくしに対して!! 父であるランスターに対して…このような…っ!! 産んでやらなければお前はその存在ではないでしょうが!! この、」
そして、言ってはいけない事を躊躇なく怒りに任せて言い、よりにもよってティミスの逆鱗に触れた。
「どうしようもない、役立たずの化物風情が!!!!」
「…ナーサディア、録音したね?」
「はい、………ティミス」
「………え?」
エディルが見た書類に書かれていた、親子の縁を正式に切るという離縁状。そして、ティミスとの婚約をもう済ませ、ナーサディア自身がカレアム帝国の民となった証の書類。
見た瞬間烈火のごとく怒り狂ったが、ナーサディアがティミスを『様』を付けずに呼んだことと、ひたりとエディルを見据えていたことで一旦怒りが霧散してしまった。よくよく思い出してみれば、ティミスは『録音したね?』と問うていたではないか。
「あ、あな、た、何を…」
「じわじわとこの国に対しては報復していたんだ、我が帝国の皇帝夫妻は。主に母上が、ね。けれど、お前達に直接的に報復をするには決定打が足りなかった」
「なーさ、でぃあ」
「別に良いかなー、とも思っていた。だってナーサディアが興味を示していなかったからね。夫人がいかに怒り叫ぼうとも、もう無駄だし、手続きは正式に済んでいる。お前は、お前達は、我が帝国の尊き存在の宝石姫を侮辱した」
「お、お、ま、まま、まっ、まって、ちが、ち、違う、の!違います!! お待ちくださいませ!!!」
「やめて下さい! 妻は悪く……っ」
「黙ると良いよ、侯爵風情が」
ティミスが言い終わるとほぼ同時、ティミスとナーサディアの護衛騎士それぞれが剣を構え、侯爵夫妻の首筋に押し当てる。
「お前たちはわたしの大切な婚約者までも侮辱した」
「……………!」
「拒絶だけで良いかと思っていたんだよ、ナーサディアは。でも、お前達が執拗に手紙を送り、ついには国を通じて自分の都合を押し付けてきたからこそ、甘さを痛感して、反省したんだ。決別だけじゃ足りないと、理解した。成長できたのは皮肉にもお前達のおかげだ、ありがとう」
ナーサディアを縋るように見ても、彼女の目からは何も感じ取れない。恐怖も、憤りも、嘲りも、何も無い。『無』なのだ。
「今やナーサディアは準皇族だ。わたしがまだ皇族の身分のままだからね。もう少ししたら、わたしは、イルグレッド公爵になる。…まぁ、そうだとしてもお前達はわたしに対してそんな口を利けるわけがないけれど」
「…お別れを告げるだけでは足りないと、わたくしはティミスより教わりました。だから、あなた方はもう本当の意味で『いらない』んです」
ナーサディアは、正式にティミスの婚約者として『此処』にいる。別に実家にのほほんと挨拶に来たわけではないのだから。
「わたくしへの虐待も、受け取る人が変われば『少し行き過ぎた教育』という風に捉えられることもあるでしょう。だから、もっともっと、決定打が欲しかった」
「な、ん」
「少しプライドを刺激してあげたら、侯爵夫人は烈火のごとくお怒りになられるでしょう?」
『昔、私が侯爵夫人、と呼んだ時のように』と付け加えられ、エディルはソファから崩れ落ちた。
「侯爵夫妻、あなた方はどうしてご自分達が被害者のようなお顔をなさっておいでなんだろうね?」
「ひ、被害者だろう! 娘を! お前達に奪われたのに……ぐ、っ」
「口を慎め、無礼者。…いやぁ、本当に不思議だ」
突きつけられた剣の先を、赤い雫がたらりと流れるのを見ながら、だって、とティミスは笑って続けた。
「虐待した娘の利用価値が上がった途端、こうして手のひらを返してくるようなクズ親なのに…どうしてナーサディアがお前たちを助けると思ったんだろう」
場にそぐわないほどの明るい声で言ってやると、侯爵夫妻の顔色がさっと悪くなる。
次いで、ナーサディアも告げた。
「正式に、カレアム帝国より抗議させていただきます。…何ともまぁ、お可哀想な王太子妃ですこと。ご実家が、無くなってしまわれるわ」
「お前の実家でもあるのよ?!」
「さぁ。わたくし、とうの昔に捨てられておりますもの。だって…」
にこ、と凄まじく美しく微笑んでナーサディアはエディルへとトドメを刺した。
「わたくし、あなた方の大切なベアトリーチェ様の、『スペア』であって…娘ではなく化物でしたから」
いつか、彼らが実の子に放った呪いの言葉が、今こうして返された。