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平穏そのものだったのに

「そうです、ナーサディア様。はい、背筋はそのまま真っ直ぐで。少し顎を引いて下さい」


「…こう、ですか」


「ええそうです。そのままでいらしてくださいね」


 エスメラルダに指示されるまま、ナーサディアは言われた通りの姿勢をキープする。今行っているのはドレスの採寸。カレアム帝国に来てからの規則正しい生活と、良質の睡眠、それに適度な運動。これらが合わさったおかげで、ウォーレンにいた頃よりも少しだけ肉付きが良くなったので、ドレスの寸法を直す必要が出てきたのだ。

 とはいうものの、恐らく同年代の女子と比べると小柄なのは変わりなく、身体付きは大元が華奢なので肉がついたといってもほんのちょっとではある。


「ウエストは…ふむ…。ほとんどサイズ変更なしでも問題なさそうな気もしますが…」


「…何となく… きついような気がして…。ご、ごめんなさい…些細なことで、呼んでしまって…」


「まぁ姫様、そのようなことお気になさらずとも、…あ!身長が伸びようとしているのかもしれませんね」


「…身長、も?」


「えぇ。さ、腕を少し上げてみてくださいませ」


「はい」


 腕を上げると、少しだけ突っ張るような感覚がして、ナーサディアはぴたりと動きを止めた。エスメラルダはそれを見逃さずに微笑み、採寸用のメジャーを取り出しつつ腕を下ろさせる。すぐさま腕周りを採寸してから数字を書き、最初にティミスから貰っていたサイズ表と見比べてみた。


「ふむ…」


「どう…?」


「そうですわね…少しだけ、ほんの少しですが以前採寸した時よりも値は増えておりますが…」


「う…」


「ナーサディア様、そもそも痩せすぎでしたので、良い傾向にございます」


 にっこり、と擬音が付いてきそうなほどのいい笑顔になったエスメラルダは、スケッチブックにドレスのデザインを描き始めた。


「恐らく、食生活の改善に伴って栄養状態、精神状態共に格段に良い方向に改善されたことが要因かと。問題ないので、ご安心くださいませ」


「……は、はい」


 エスメラルダのペンが走る様子を、ナーサディアはじっと眺める。

 さらさらと描かれていくドレスのラフ画。正面、側面、そして背面。もう既にイメージはあるらしく、迷いなく描かれていく線を見つめ続けていると、笑い声が聞こえた。


「姫様、こういう作業を見ているのは楽しいですか?」


「…楽しいんだと、思う」


「色々なことに興味を示されるのはよろしいことかと。このエスメラルダでよろしければ、いつでも見学できるよう手配しておきますので、いらっしゃってくださいな。

 ひとまずは動きやすいワンピースを何着か仕立てるようにしておきます。あとは今仕立てているものも、サイズの確認をして必要があればお直し致しましょう」


「お願いします」


 ぺこりと頭を下げ、今着ているシンプルな形のドレスはそのまま着ていることにした。少し腕を上げづらいが、特には気にならない。

 ナーサディアが好んで着ているのは、あまり体を締め付けない、少し緩めのAラインが多い。もう少し体が出来上がってくるとコルセットを着用するのが慣習にはなっているが、締め付けすぎると内臓に影響が出て将来的に身体の成長にも影響するという発表がされたこともあり、カレアム帝国ではウエストを締めすぎている女性はほとんどいなかった。何事も程よく、が一番だ。

 塔に押し込められていたせいで、まず流行りがイマイチぴんと来ていなかったのだ。流行りとは、からエスメラルダに教えてもらうが、好きなものを着るのが一番では?と言うと感激してぎゅうぎゅうと抱き締められ感激されてしまった。なお、その際エスメラルダは割と容赦なくティミスによって引き剥がされたのだが。

 着たいものが着られる、好きなものを着られるというだけで幸せだった。ベアトリーチェが着ているからといって、可愛らしい色味のドレスやらワンピースやらを押し付けられても着る気が全くしなかったのは覚えている。

 そもそも塔から出ない、外にいる人には会わせてもらえない。影姫として生きろと口酸っぱく言われ続け、他人との接触、更には親戚との接触まで必要最低限どころかほぼ皆無。そんな状態でオシャレにどうやって興味を持てというのか。まして、ベアトリーチェが好んで着ているとはいってもナーサディアとは好みが違っているのに。

 拒否していたらドレスも何もかも取り上げられ(不要だったので助かったが)、残されたのはカレアムに持ってきていたあの数着のみとなった。

 それを見たエスメラルダやティミス、皇族全員の反応は推して知るべし。エスメラルダは嘆くわティミスは殺気を膨れ上がらせるわ、二人の宝石姫は皇族お抱え服飾職人を即座に呼びつけてナーサディアのその時の採寸をして、早々にドレスなどの依頼をしてしまった。単位は何十着。

 オロオロとするナーサディアだったが、そんな彼女に対して皇帝は一言、『それだけ君のいた環境はおかしかったのだよ』と静かに告げた。貴族の子女がそんな状態で放置され続けたことが異常、更にはネグレクト、虐待に至るまで劣悪すぎる環境のフルコースとしか言いようがない。


 今、それらが無くなったおかげでナーサディアの精神は落ち着きを取り戻しつつある最中なのだ。


 ナーサディア自身はこうやってドレスや服を仕立ててもらうことを申し訳なく思っているが、周りの人間はそうではない。

 可哀想、でもなく、色々な服を着て『楽しい』と感じてもらいたかったし、世界をもっと広げてほしかった。彼女の見る世界は、塔の小さい窓から見えるものだけではなくなったのだから。

 庭園を散歩して、見た事のない花を見つけると側仕えのメイド二人に聞いて目を輝かせているし、噴水が上がる時間になるといつも楽しそうに水の動きを見つめている。日当たりの良い場所で日光浴をすることも楽しくなってきたようだし、木陰でティティールと本を読んだりもしている。時間が合えば、家庭教師から教わる以外の勉強もファリミエに教わっている。

 ナーサディアの性格上、ワイワイするのは苦手になってしまっているが、気を許した人相手ならばお喋りもしたいし、なるべく一緒に過ごしたいと思っている。その代表格がティミスだ。

 なるべく食事は一緒にしているし、散歩も二人並んで歩くことが多い。帝国の第三皇子だから忙しいのは重々承知しているのだが、ティミス自身もナーサディアと過ごす時間をとても大切にしてくれている。

 お互いがお互いを思いやり、穏やかな時間を過ごす。

 常に喋り続けている訳では無いが、そこにいるだけで、落ち着く穏やかな空間が、ナーサディアは大好きだった。


 エスメラルダとの会話もそうだ。

 いつも明るく活発な彼女は、ナーサディアに会う度外の様々な話を聞かせてくれる。ドレスの採寸や仮縫い時点での試着、それがナーサディアの雰囲気にきちんと合っているのかどうか、等など。

 ついうっかり暴走してしまうこともあるが、エスメラルダの活発で明るく、裏表も基本的には無い温かな性格のおかげで、皇族や塔の使用人達に次いでナーサディアがよく懐いている貴重な女性の一人になった。


「姫様、明日はお披露目用のドレスの採寸を行いますね」


「はい」


「お時間はいつ頃にいたしましょう?」


「えと……明日は…、確か午前中にお披露目の式典の作法の仕上げを行って、帝国民の皆様への挨拶練習をするから…、午後なら大丈夫です」


「かしこまりました。では、お茶の時間の少し前からに致しましょう!」


「どうして?」


「お疲れになっても、休憩をしっかり挟めるでしょう?」


「いつも気にかけて、くれて…ありがとう、エスメラルダさん」


「どういたしまして。それではこれで失礼しますね」


「はい。ありがとう、ございました」


 ぺこ、と頭を下げて退出するのを見送った。

 メイドがやってきて、ナーサディアに紅茶を淹れてくれる。


「…ありがとう」


「お疲れのようなので、こちらの蜂蜜をどうぞ」


「うん」


 アトルシャンとファリミエが視察として出かけた際に買ってきてくれた蓮華の蜂蜜。疲れた時にこれを紅茶に溶かして飲むのがナーサディアのお気に入りだった。少しずつ、勿体ないからとちびちび使っている。


「…甘い」


 最近はようやく表情も緩むようになり、甘くて美味しいものを好んでいるようで、好きなものを食べたり飲んだりする時はふにゃりと表情を崩すようになった。

 紅茶を飲み、嬉しそうに破顔して冷ましながら少しずつ飲み進めていく。それを見つつ、メイドがクッキーも用意してくれる。


「わぁ…!」


「こちらはファリミエ様から預かっておりましたクッキーです。ナーサディア様がお好きだろう、との事で」


「お姉様が…。後でお礼を言わなくちゃ…」


 手を伸ばして可愛らしい動物の形のクッキーをひと口。さく、と良い音がして口の中で甘さが広がる。甘い紅茶を飲むことを知っているから、クッキーの甘さは控えめ。けれど、品のいい甘さが広がって、ナーサディアは嬉しそうにさくさくと食べ進める。


「ナーサディア様、お茶が終わりましたら社交ダンスのレッスンです」


「分かった。先生が来られるの?」



「僕だよ、ナーサディア」



 ノックは聞こえたが、応対してくれたのはナーサディア付きのメイド。ティミスはよくこうしてやって来るので、ナーサディアは彼が来た時は着替え以外入れてもらうように伝えている。


「ティミス様…!……むぐ」


「いいよ、ゆっくり食べて?」


「…はい」


 恥ずかしいところを見られてしまった、と思いつつもメイドが新しく淹れた紅茶を飲むティミスを見つめる。動作が洗練されている、というか全てが流れるようで綺麗だな、と改めて思う。

 皇族として幼い頃から様々な教育を受けてきた彼と比べても仕方ないのは分かっているが、隣に立って少しでも見劣りしないようになりたいと思ったのだ。

 少しして、お皿に載せられたクッキー三枚と、蜂蜜入り紅茶を飲み干してからティミスへと向き直る。

 それが合図であったようにティミスも紅茶を飲み干して立ち上がり、ナーサディアへと手を差し出す。


「さ、お手をどうぞ。ダンスルームに行こう、ナーサディア」


「はい、ティミス様」


 差し出された手を迷いなく取ってそのまま仲睦まじく手を繋ぎ、歩いていく二人の背中を見送るメイドは微笑ましく見つめていた。

 ナーサディアが出てから部屋の清掃やシーツの交換、夕方まで行われるダンスレッスンで疲労困憊で戻ってくるであろう主を予想して、足の疲れが取れやすくなるようマッサージ用の香油を用意したりと忙しく動き始めたのだった。




 ─────────────



 部屋を整えてくれている間、ナーサディアは基本的なダンスの動作の練習に始まり、ワルツのステップの練習に入る。音楽に合わせられるよう、まず講師の手拍子に合わせて女性の動きを丁寧にこなしていく。

 優雅に、流れるように。たとえステップを間違えてしまっても止まることがないよう、講師から指摘が入る。今まで踊った事がなかったためにステップを間違えることもあるが、必死に食らいつこうと続けていく。その間、表情は固くならないようなるべく微笑みを浮かべ、バランスが崩れないよう背筋も伸ばす。

 普段使わない筋肉をあちこち使うせいでとんでもなく疲れるが、それでも楽しさがあった。遠慮なく体を動かせることや、塔と違う広い空間をあちらこちら移動できること。そして、自分以外の他の人が居るという安心感も。


「ナーサディア様、最後のターンはゆるりと。はい、そうです!…終わったらふらつかない!」


「…っ、はい!」


 よろ、とバランスを崩しかけるが必死に堪える。

 ダンスが終わり、立ち止まって荒くなった息をゆっくりと整えながら、講師を見ると微笑んでくれていた。


「…少し休みましょう。お疲れ様です、いかがですか?」


「つ、疲れ、ますけど……でも、楽しい、です」


「ナーサディア、お水飲んで」


「ありがとうございます…」


 ティミスからグラスを受け取って、注がれた冷水を飲む。

 飲み干してひと息つくと、隣に座ってくれたティミスを見るが、同じようにレッスンを受けているがほとんど息切れしていない。体力も無いが、まだまだ踊りが下手くそなので無駄な力も入っているせいでナーサディアは踊りを合わせる前に疲れ切っていた。

 次に二人で合わせるのだが、さすがにナーサディアの体力を少しでも回復させないと練習が終わって倒れかねない。


「ナーサディア、大丈夫?」


「…だいじょぶ、です…」


「一回僕と合わせられる?」


「やります…」


「うん、えらい。もうちょっとだけ頑張ろうね」


「はい…」


 練習部屋に控えてくれていたメイドがナーサディアにレモンの蜂蜜漬けを差し出す。お礼を言って齧り、水を飲んでから改めてティミスへと向き直った。


「できます」


「よし、頑張ろう」


 先にティミスが立ち上がって、ナーサディアに手を差し出した。その手を取り、部屋の中央へと歩いていってお辞儀をして向かい合わせになる。


「大丈夫だよ、僕がしっかりリードするから」


「はい。ティミス様だから、大丈夫です」


「うん!」


 自分より年上の彼が破顔すると少し幼く見えるんだな、と思っていると本番用の曲が流れ始めた。息を合わせ、ゆっくりとステップを踏んでいく。

 ナーサディアがつっかえていた部分も止まることなく、ナーサディアが振り切られないように動きを合わせて流れるようにステップをする。

 あまりの踊りやすさにナーサディアが驚いていると、ティミスはいたずらっ子のようにウインクをして微笑みかけてくれる。


「君と踊るんだから、まずは僕が完璧にしなきゃな、って思ったんだ」


「ありがとうございます…!」


 止まらず、優雅に流れるように、くるりとターンもするが吸い寄せられるようにまたティミスと手を繋いでステップに戻る。

 本当にすごい、と感心していると慌てた様子で一人の騎士が練習部屋に入ってきた。


「何ですか、今は姫様と殿下のダンスが…」


「あ、あの…!ナーサディア様のご実家から…」


 騎士のただならない様子に、何だろう、とナーサディアとティミスの動きも止まる。


「ウォーレン国王を通じて、ナーサディア様への手紙が…っ!」


「え…?」


 ティミスの握られている手に縋るように、自然とナーサディアに力がこもる。そして、やられた、とティミスは苦い表情を浮かべた。

 奴らの家から来た手紙は簡単に処分出来るが、如何せん国を通じてならばそう簡単に処分もできるわけが無い。

 忌々しげに舌打ちをしてしまうが、ナーサディアが怯えないようにと、そっと自分の方に抱き寄せる。


「大丈夫だよ、ナーサディア」


「…………一体、何の用があるんでしょうか………あの人たち…」


 不安そうにしながらも、ナーサディアの声から感情が消えたのを、ティミスが見逃すわけはなかった。

 どうしてもナーサディアに連絡を取って、帝国に対して取次でもしてほしいことがあるのだろうか、と呆れた顔になる。

 こんな顔をすることは無かったのに、不快そうな顔をするナーサディアを安心させるようにぽん、と肩を叩く。それにつられて力を少しだけ抜いたようで、ティミスを始めとした周りの人達もほっと息を吐く。


 ナーサディアに対してあの国が、あの家族どもが何をしてきたのか、今や皇族のみならず皇族に仕える者たちは皆知っている。だからこそ、今回の事はどうにかしてナーサディアに取り入ろうとしているようにしか見えないし、怒りだけが込み上げてくる。国を通じて、となれば表向き簡単に拒否できないと知っているからこそ連絡してきたのだろうと予想したが、何ともまぁずる賢いことだ。


「……ナーサディア、手紙は読んでみる?」


「はい…。…ティミス様、教えてください」


「…ん?」


「今までも、来ていたんですね。…手紙」


「…ごめん、見せてなかった」


「いいえ。見る必要はありません。だって…」


 俯いていたナーサディアが顔を上げ、ティミスを真っ直ぐ見据えた。


「私の家族は、皆様です。不要な物をわざわざ見る必要なんて、ないじゃないですか。…配慮してくれて、ありがとうございます」


 凍りついたような微笑みから一転、ティミスへのお礼は柔らかく微笑んで述べてくれたことに安心した。


「…皇帝陛下や皆様の居る前で、見ます。ごめんなさい、私の家族だった人が…皆様に迷惑をかけました」


「い、いいえ!!すぐ皇族の皆様方に連絡してまいります!」


 直立不動の礼を執り、駆け出した騎士を見送ってから全員が溜息を吐いた。

 ナーサディアはそんな中で、ぽつりと呟いた。




「本当のさようならを、改めて言わなくちゃ」

余計なことしてくれやがってあのクソ共め(Byティミス)

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