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閑話:叶うはずのない願いと想い

 さて、時間は少しだけ遡る。




 ナーサディアがウォーレンに別れを告げた、あの日。

 塔の使用人たちは、ティミスから『ハミル侯爵家の本邸にあるであろう、ナーサディアの部屋にある荷物を纏めておいてほしい』と、頼まれた。

 忍び込む必要などどこにもないが、ナーサディアのかつての部屋に入れば何をしているのかと怪しまれることは間違いない。

 普段からティミスに付き従っている騎士とは別の護衛騎士が彼らに同行し、本邸へと向かうことになったのだ。


「ナーサディア様のお部屋…何か残ってますっけ…?」


「塔に入れられたのがおいくつの頃だった…?」


 うんうんと唸りながら本邸へ入る。勿論正面の扉から、堂々と。

 本邸にいて、普段通りの勤務をしていた使用人達がどよめく。どうして、こいつらがここに来たのかと囁き合うが、彼らの傍にいる護衛騎士を見て表情を強ばらせた。


「…まさか」


 護衛騎士が身にまとっているのはカレアム帝国の騎士服。目にしたことのない人の方が少ないのではないか、というくらいには有名で、最近勤め始めた年若いメイド達はきゃあきゃあとはしゃいでいるが、勤務年数が長い人達ほど顔色を悪くしている。


 彼らには目もくれず、まっすぐ使用人達が向かう先にあるのは、元々ナーサディアに与えられていた部屋。

 行き先を見てようやく我に返った人からバタバタと走っていくが、問い詰めようにも護衛騎士が迷うことなく剣を抜いたので足を止めるしかなかった。


「な、何をなさるのですか!」


「事情はよくお分かりでしょう。あなた方に邪魔をされてしまっては、困るんです」


「はぁ?!大体、その部屋は化け物の部屋で……………っ」


「もう一度、言えるものなら言ってみろ」


『化け物』という単語に騎士の殺気がぶわりと膨れ上がり、構えていた剣を先頭に立つ使用人の首元に突きつける。皮膚が切れ、血がたらりと流れても動じることなく、ただ、己の主の唯一に対して吐かれた暴言を許す訳にはいかなかった。


「お前たちは知らないから、そうやって暴言を迷うことなく吐ける。何とも羨ましい脳天気な頭をお持ちだ」


 完全にバカにされた口調なのは分かるが、口調に反比例した雰囲気の温度の低さ。

 だが、本邸の使用人達にとって、ナーサディアは軽く扱っても何の問題もないという認識なのだ。どうして大切にされているのか分からないから、今首に剣を押し当てられている意味も分からないが、これだけは分かる。


『迂闊なことを言ってしまえば、躊躇うことなく殺される』


 ハミル家の本邸で仕事をしていると、まず聞くのはナーサディアがいかに醜いかということに始まり、侯爵夫妻がどれだけ彼女を軽く扱っているのかということ。


「な、んで…わざわざ、荷物、なんか」


「ナーサディア様が、この国を出て行くからだ」


 問に対しての答えはとても簡潔。

 きっぱりと言われた内容に、その場にいる使用人はどよめいた。


「出て行く…?」

「何で…?」

「あの人、塔にいるんでしょう?」


 ひそひそと囁かれる内容を注意深く聞きながら、背後でナーサディアの部屋の私物を取りに来た使用人たちの様子も窺う。

 邪魔をされては困るのだ。

 皇帝夫妻がナーサディアを迎えに来たということは、徹底的に叩きのめすということと同じこと。それだけのことを此処の使用人達もしてきたのだから、今遠慮などしてやる必要などなかった。


「け、剣を、しまってください!大体、貴方がどうしてこんな真似を出来るというのですか!」


 未だ剣を突き付けられている使用人が大きな声で叫ぶ。


 あぁ、うるさいな、と護衛騎士はぼんやりと考える。説明をわざわざしてやらないといけないのか、と思いながら言葉を続けた。


「ナーサディア様が『宝石姫』として覚醒されたからだ。この屋敷では大層な虐待を受けていたようなので、我らが保護させていただいた」


『虐待』という言葉に全員の顔色が更に悪くなる。


「ぎゃ、虐待、だなんて」


「侯爵夫人は事ある毎に折檻していたと聞くし、そもそも親としての役目すら夫妻揃って果たしていない。それに加えてお前達からもナーサディア様は色々とされていたようではないか」


 色々と、というところを強調して言えば、心当たりのあるメイド数人が、明らかに「ヤバい」という顔になる。入ったばかりのメイド達は意味が分からず、古参の使用人達の様子がおかしいことを訝しんでいた。


「…え…何があったの?」

「そういえば、『塔』には近づくな、とか言われてなかった…?」


 こそこそと聞こえてくる内容に古参の使用人らは、いよいよまずいことになってしまった、と少しずつ焦り始める。

 本当のことを知っている人間は少ないのだが、それ以前のこととしてこの侯爵家は由緒正しき歴史のある、云わば『名家』に含まれる。その当主夫妻が己の娘を虐待していた、さらに育児放棄もしているだなんて、バラされては己たちの未来までもが危うくなる。


「その塔に幽閉されていた、この家のもう一人のご令嬢が、宝石姫として覚醒された。だから、彼女はこの国から出て我がカレアム帝国へと参られる」


『宝石姫』という単語を改めて聞いて、新参の使用人達は沸き立つ。あぁ、そのような素晴らしい存在が輩出された家に仕えているのか!と。


 古参の使用人達は顔色を無くす。

 どうしよう、とんでもない人を虐待していた、と。


 歓喜の声と悲壮溢れる声が入り交じる。

 そうこうしている間にも、ナーサディア付の使用人達が荷物を纏めてきた、のだが。


「それだけ、ですか?」


「クローゼットにドレスはありましたが…あれはもう着れないので持っていっても…。幼い頃は装飾品も身に着けておられませんでしたので…考えうる限りのお荷物といえば、この程度です」


 恐らくナーサディアが気に入っていたであろう、少し大きなクマのぬいぐるみと、シンプルながらも見事な彫り細工が施された宝石箱。それから日記帳に、塔で使っているものと同じようなデザインの筆記用具。恐らく塔へと連れ出された時、何もほとんど持たずに連れて行かれたから、日常的に使っていたものばかりが部屋にはあったようだ。


 けれど、それだけなのだ。


 母親が与えたであろうアクセサリーなどは、一切ない。

 そして、この部屋で普通に育っていればあるはずのドレスやその他衣類が一切見当たらなかったのは、つまり。


「塔から運び出した、たったあれだけが…宝石姫様の荷物、だと」


 騎士は愕然とする。


 ナーサディアの荷物はほんの数枚のワンピースに、数足の靴。それから、寒い時に羽織っていたであろう厚手の上着と、ひざ掛け兼ショール。

 日傘も、雨傘も、何も無い。


 絞り出すような騎士の声に、本邸の古参の使用人達は必死に言い訳を考えるが、思いつくはずもなくただ、顔色だけを悪くしている。


「何故……あのように優しい御方が、このような辱めを受けねばならないんだ…!」


 ティミスの護衛としてやってきた彼は、ナーサディアに少なからず接する機会があった。

 人の姿に怯えながらも、慣れてくると態度がふわりとした柔らかいものになる。騎士だから護衛のためにずっと立っていたら『辛くないですか?』と、つっかえながらも問うてくれる、優しい女の子。

 塔の使用人達が真っ直ぐな愛を、温かな感情を注ぎ続けてくれていたから、捻くれることもなく育っていた彼女が、受け続けていい扱いではないと、そう確信した。


「……あぁ、そうか。お前達全員が狂っていたのか。でなければ、十にも満たない少女に対して鬼畜の所業が出来るわけもない。普通の人間は彼らのみだったか」


「な、っ」


 反論しようと口を開こうとした彼らに対して、騎士はこう続けた。


「お前達の方が、よっぽど化け物ではないか」


 嫌そうに顔を歪めて吐き捨てられた言葉に、全員が頭から氷水を思いきりかけられたような感覚に襲われた。

 何も言えず立ち尽くす彼らには、もう一切の興味を示さずに騎士は使用人達に告げた。


「さぁ、表の馬車に乗り込みましょう。姫様達は後からカレアムに来られます。あなた方の新しい制服の手配をせねば」


「は、はい!」


 促されるまま歩き出す彼らの背を守りながら、騎士も歩く。


「あ、あの!!!!」


 大きな声で彼らを呼び止めたのは、恐らく新参者のメイドやフットマン。それに料理人の制服を身にまとった者達。


「わ、私たちにもその栄誉をくださいませ!ナーサディア様と面識はございませんが、お役に立ちたいのです!」


 目を輝かせ、チャンスを待っているらしい彼ら。

 だが、騎士は何一つ容赦も、情けも、かけることはしたくなかった。


「お前たちも、どうせ姫様のことを嘲笑っていたのだろう。誰が信じられるものか」


 ただそれだけ告げて、本邸の扉は閉ざされた。




 やったかやってないか、そんなことはどうでもいい。

 本当にナーサディアのことを想うのなら、本邸でまず話を聞いた時に、己の意思で塔に向かえばいいだけの話だったのだから。それすらせず、今こうしてナーサディアの状況やこれからの展望を予想し、利の大きな方に行こうとするのは人として当たり前の思いなのかもしれないが、何故それを許可してやらねばならないのか。


 それに、何よりもティミスが許さない。


 彼の中で、本邸の使用人も、ナーサディアの両親もベアトリーチェも、果てはこの国の貴族全員に王族まで。


 許されるわけのない、罪人たちなのだから。


 閉ざされた扉の向こうで泣き喚こうが、縋りつこうと手を伸ばそうが、もう馬車は駆けていた。

 カレアム帝国で、彼らは己の優しい主を出迎えなければいけないのだから。

甘い汁を吸おうったって、そうはいかない

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