怒りの大きさ④
愛されていて、当たり前だった。
皆が優しいのが、当たり前だった。
だから、考えもしなかった。
ナーサディアがどんな世界にいたのか。どんな扱いを受けていたのか。
…どんな思いでいたのか。
ティミスからの徹底的な拒絶に始まり、帝国の長たる皇帝やその妻からをも、全てを拒絶された。
つまり、もうこの国は大国との繋がりがこの時点でほぼ絶たれたようなもの。しかも、ファルルスは問われればどうしてこの国までわざわざ足を伸ばしたのかすら、答えるという。
「ナー、サ」
泣きすぎてボロボロになってしまった化粧。暴れたことにより崩れてしまったヘアセット。
いくらベアトリーチェが手を伸ばしても届くことはなく、縮まりもしない距離。
幼い頃は手を繋いで屋敷の庭を二人で駆け、咲いている花を摘んで花冠を作ってお互いにプレゼントし合ったりもした。
その頃の面影などお互い、ほとんど残っていない。それどころか、ナーサディアには優しい記憶が塔に閉じ込められたあの日からここ数日まで、一切無かった。
「どうして泣く必要があるのかは分かりません。…侯爵夫妻、最初に私を拒絶したのはあなた達でしょう…?」
心の底から分からないと、ナーサディアは問いかける。
「…あぁ、そうか。夫人はとても体面をお気になさいますものね」
限りなく冷たい眼差しと微笑みでナーサディアは言う。
これまでならば憎々しげに睨み返してきていたエディルは、まさかここまで徹底的に拒絶されるとは思っていなかったらしく、呆然と見つめていた。
「な、なーさ、でぃあ」
「何度も申し上げます。さようなら、と」
「ま、まって、お母様が!お母様が悪かったわ!そう、どうかしていたの!!」
「痣は消えましたものね、化物姫の」
「ちがう!ちがうわ!あなたも私の可愛い娘よ!」
「…………」
「もう一度やり直しましょう?!家族水入らずを。だから、ねっ?お願いだから帰ってきて!!」
お願いします!と土下座をされてもナーサディアの心は1ミリも動くわけがなかった。
はて、とナーサディアは首を傾げて告げた。
「言葉が抜けております。『宝石姫であることが分かって利用価値があるから』可愛い娘、なんでしょう?」
「………………………え?」
「いつも仰っていたではありませんか。私など、ベアトリーチェの『スペア』だと」
にこ、と微笑んで侯爵家にお辞儀をする。
そして、極上の微笑みを浮かべてこう続けた。
「もういい加減にご理解なさってください。あなた方など、私の家族ではありません。さようなら」
もう何度目のさようならだろう。
人には体罰を通り越した暴力で言い聞かせていたのにと、かつての日々を思い出してナーサディアは一歩下がる。それと同時にティミスが彼女を背に守るようにして前に出た。
「コレがこの国の妖精どもか。表面はまぁ…綺麗と言えなくもないけど、心根は腐りきった屑じゃないか。親が親なら子も子だ」
ティミスは吐き捨てるようにそう言って、ぐるりと周りの貴族を見渡して大きな声で続けた。
「この国も、貴族たちも、どうかしている!彼女に謝るのはただ、自分が許されたいがための自己満足だ!」
痛いところを突かれてしまい、全員が押し黙る。
「国王夫妻がそうだから、下もそうなったというだけだ。救いようのないクズどもめ」
さらに言い募ろうとしたティミスの頭をファルルスの扇がぺしん、と叩いた。
「あいて」
「言葉が悪いですよ、ティミス」
「母上…すみません」
「罵ることには慣れていても罵られることに慣れていないのだから、理解に時間がかかるのです。この国の王侯貴族、諸々の方々は」
ティミスを窘めていたのはほんの一瞬。
蔑みきった顔で、改めて周囲を見渡してファルルスは言うと、疲れたように大きな溜息を吐いた。
「陛下、早くこの国から出ていきましょう。ナーサディア嬢の荷物はこれくらい時間稼ぎをすればもう馬車に積み終わっておりますわ」
「そうだな。……あぁそうだ、ナーサディア嬢」
「は、はい」
不意に皇帝から名を呼ばれ、ナーサディアは背筋を伸ばして返事をした。
「去る前に、この国へ光の加護石を生み出せるかな?」
「……?」
「一般的には魔法石、と呼ばれているものだ。魔力消費を半分にする、奇跡の石だが……」
「え、と」
「本来ならば、自然と『在る』んだが……」
はてどうしたものか、と困りきってイシュグリアはうーん、と唸る。
そもそも、これまでの様々な感謝の意を詰め込んだ、旅立つ宝石姫からの故郷への最大にして最愛の贈り物が『加護石』。通称、魔法石。
ナーサディアはこの国に対して一切感謝はしていない。唯一感謝することといえば、ただひとつ。
「……あ」
はっと思い当たって、目を閉じてナーサディアは静かに祈る。
彼女の周りを光の粒がきらきらと舞い、ナーサディアの小さな手のひらにぽとり、と小指の先の大きさほどのダイヤモンドが落ちてきた。
「経緯はどうあれ、私を産んでくれたからティミス様にお会い出来ました。…それ、くらい…?」
「は……?」
エディルの口から気の抜けた声が漏れる。
産んでくれてありがとう、という感謝しかなかった。
もしも顔に痣が無ければ、恐らくナーサディアはたっぷりの愛を惜しむことなく両親や周りから注がれていただろう。
だが、結果として宝石姫であったけれど、その印ともいえるべき顔の痣のせいで、ここまで疎まれたがティミスに会えた。
差し引いて、頑張ってプラスへと考えた結果が『産んでくれてありがとう』だった。
「小さくとも、加護石であることには変わりない」
うん、とイシュグリアは頷いて国王へとその石を手渡した。呆然と、手のひらの中のそれを見つめている。凡そ予想はつく。『こんなにも小さいのか』と落胆しているのだろう。
「不満そうだが、その石の威力は凄まじいものであろうな。これほどまでに精霊に愛された宝石姫は、稀なことである。そして、その姫が生み出す宝石の純度と魔力の高さは歴代最高。だが、悲しきかな…祖国が彼女を愛さなかった故に、貴公らは姫に愛されなかった。それが、その大きさというわけだ」
「父上、そろそろ行きましょう。ナーサディアもきっと疲れていますよ」
「そうだな。さ、行こうか姫。…………姫?」
ふら、とナーサディアの体が揺れた。
いきなり、何の準備もなく使った魔法と爆発しかけた己の魔力。
そして、小さいとはいえ加護石を生み出したこと。
それら全てが、気を張りつめていたナーサディアに負担となって襲いかかり、気を失って倒れた。
「ナーサディア!」
崩れ落ちる寸前でティミスが彼女を支え、あまり負担にならないようにと姫抱きをする。
当たり前のようにティミスに触れられることに慣れたのか、特に嫌がる様子もなく、ナーサディアはそのまま抱き上げられた。
誰かが、何かを言おうと口を開きかけるも、ティミスもファルルスも、イシュグリアも、それを許さなかった。
ナーサディアが生み出した加護石の大きさを見て、ファルルスは呆れたような眼差しを向けつつ、こう続けた。
「普通に愛してさえいてあげたら、鳥の卵くらいの大きさの加護石になるのだけれど…。まぁ、自業自得ですわね」
双子なのに、育った環境と状況の違いで生まれる体格差。
片や、両親にたっぷりと愛されて何も疑うことなく、良くも悪くも純粋に、ただ愛されることが当たり前の少女。
片や、何もしていないのに愛されず、日陰へと追いやられた少女。
恐らく、この国は荒れ狂う。
王家と、王太子妃の生家がこれまで何をしてきたのか。その結果として何が起こってしまうのか。
自分達は関係ないと高を括っていた貴族たちにもそれは当てはまってしまう。
カレアム帝国と繋がりのない国を探す方が難しいほどの横の繋がりの複雑さに、頭の回転の早い一部の貴族は頭を抱えていた。
これからの仕事がどうなるのか、予想もつかないし、つけられない。だが、巡り巡って、自分たちがやってきたことがとてつもない反動で返ってきたという、ただ、それだけ。
ナーサディアを抱いたティミスが退室してから、皇帝夫妻が怒りを込めた眼差しをその場にいる全員へと向け直した。
「では、これを以て我ら帝国は帰国させていただく。そして、我が帝国民にはしかと、申し伝えよう」
「この国の貴族が、王族が、彼女の家族が、ただ一人の幼い令嬢に対してどういうことをしたのかを、全てわたくしも問われれば語りましょう」
よく通る声で二人は続ける。
「それらを知った上で、我が帝国民に対して通達を出す。…そのような程度の低すぎる民と付き合うことが、どれだけ己の格を下げてしまうのか、よく考えるように…とな」
帝国からの、一方的な離別の通達。
「それでは皆様方、よい夢を。……あぁ、王族やそこの侯爵家に対して怒りをぶつけてもどうしようもありませんわよ?だって、あなた方全員が、加害者なのですから」
『加害者』という言葉に反論したくとも、事実だから何も言えない。
少なくともその場にいた全員がたっぷりと絶望した顔を皇帝夫妻は確認し、退出していった。