夜明け前
ティミスが宣言した通り、その日の夜。
傍目にも明らかに疲れきった様子の貴婦人と、その付き人たちが大量の荷物を抱え、ゲートをくぐりやってきた。
目の下にはクマができているが、目的の人物であるナーサディアを見つけた途端、一気に顔が輝いた。
「まぁ…っ!まぁまぁ、何とまぁ…予想以上に大変愛らしく神秘性のある姫様でしょう!」
「……っ、?!」
「お初にお目にかかります、新しき宝石姫様。わたくしの名は、エスメラルダ。皇族の皆様方の衣装制作を任されております。此度、ティミス皇子殿下より依頼を受け、超特急でドレスを仕上げ、こうして馳せ参じました。どうか以後お見知り置きを!」
跪き、土下座せんばかりに深々と頭を下げ泣きそうになりながらナーサディアに挨拶をするエスメラルダに対し、どうやって接して良いのか、返事を返して良いのか分からずにオロオロとしていたが、ティミスが駆け寄ってくる。
「エスメラルダ落ち着いて!ナーサディアが物凄い混乱してるから!」
「はっ……わたくしったらつい……!申し訳ございません、姫様。これから貴女の衣装をお作りすることが出来るのだと思うと嬉しくて…!」
「え、っと……あ、ありが、とう…?」
「まぁ…お声まで愛らしいだなんて…!」
「ティミスさま…!」
ものすごい勢いで助けを求められている。
さすがにそれは察してくれたらしいティミスは、エスメラルダの肩をぽんぽん、と叩いて我に返させる。
「はっ、つい」
「気持ちは分かるけどまぁその、うん。落ち着こう。ね?」
「重ね重ね申し訳ございません…!ささ、とりあえずドレスをご試着なさってくださいませ。細かなところはすぐさま!お直し致します故!」
「へ」
「ナーサディア、君のための明日の勝負服だよ」
ティミスが言っていた、ドレスや宝飾品だった。
ずらりと並べられたそれらは、どう見ても一級品だと分かるものばかり。
アクセサリーはさすがに研磨などが間に合わなかったために既製品らしいが、それでも一級品どころか特級品であるだろうと思われる品質の良さ。カレアム帝国の技術の高さが詰め込まれたそれらを、ナーサディアはじっと眺めていた。
だが、試着してみないと合うか合わないか分からないので、まずはドレスを手にする。
「すごい…」
シルクとレースが合わさっているものの、華美になりすぎないよう作られた、ナーサディアのためだけのドレス。
「着て、きます」
「ナーサディア様、お手伝いいたしますね」
「うん、よろしく」
寝室に向かい、身に付けていたワンピースを脱ぎ、ドレスを身に纏う。
ウエストが少し絞られたAライン。首元は細かなレースが誂られており、ハイネックとまではいかないが、首から鎖骨にかけて肌が露出しないよう配慮されている。
それは肩口から手首まで続き、露出を少なくしてくれているためにナーサディアも着ることに抵抗はなかった。
レース生地にはビーズが縫い付けられているのだろうか、と思いよく見れば、キラキラと光るそれは全て小さなダイヤモンド。
ウエスト部分の後ろ、腰の所にはリボンが付いており結んでも長さがあるため可愛らしすぎることはなかった。
ドレスを纏い、寝室から隣に続いた部屋に出向けば、エスメラルダは顔面を覆い感動するわ、ティミスは勢いよくナーサディアに駆け寄ろうとしたが護衛騎士が寸前で止めてくれたので事なきを得た。
髪を緩く三つ編みにすることを気に入っていたために、ドレスを試着した時もその髪型だったのだが、これがまた大変素晴らしい雰囲気を醸し出していた。
ティミスが落ち着きを取り戻して、ナーサディアに近寄るとこれまた小粒のダイヤモンドが散りばめられたヴェールとティアラを付けさせる。
ティアラの中央を飾るのは希少なブルーダイヤ。
ナーサディアの雰囲気と見事に合っており、ティミスは満足そうにうんうん、と頷いた。
「………………」
一方、当の本人のナーサディアは、表面では平静を保ちつつも内心気が気ではなかった。『傷付けてしまったらどうしよう…!』と慌て、ティアラを装着されている時やその他、なるべく動かないよう硬直してしまっていた。
「ナーサディア、ドレスのサイズはどう?」
「………」
「ナーサディア?」
「……っ、あ、はい!えと、だ、大丈夫、です!」
「姫様、緊張なさらずとも………と言っても難しいかもしれませんね。でも、ご安心ください。それは姫様のためだけの御衣装です。後々リメイクもできますし、もし汚してしまっても洗えば良いだけですわ」
エスメラルダは、おっとりとした優しく、ナーサディアが安心できるようとても柔らかな口調でそう言う。それを聞いたナーサディアは、安心したのかガチガチに硬直してしまっていた体から、少しだけ力を抜いた。
「姫様、腕を上げてくださいませ」
「こう…ですか?」
「肩の突っ張りなど、ございませんか?」
「大丈夫です…」
「ウエストは?苦しくありませんか?」
「は、はい!」
「それは良うございました。それではこちらを…」
「これ、何、ですか?」
「殿下、どうぞ」
「これはね、ナーサディアの手の甲にある宝石にこうして…」
中指に指輪をはめ、そこから繋がる白金の華奢な鎖のデザインブレスレット。ダイヤモンドを取り囲むようにしてくるりと巻き付ければ、それを含んで装飾品のように見せられる。
宝石姫という存在を疑う人もいれば、奇異の目で見る人もいる。全てを把握しているのはカレアムの人達、それから他国の高位貴族の一部のみなのだ。
諸外国に対しては『宝石の加護を受けた特別な存在』として認知されているため、こうしている。でなければ宝石姫の命を狙ったり、ナーサディアのように手の甲に宝石のついた姫については手首を落としにかかる狼藉者もいる。
守る為ならば全てをかけて。
それが、カレアム帝国が国全体として貫き通している、志。
「ほら、こうすれば手の甲に宝石がついている、と思われにくくなるだろう?」
「わぁ…!」
初めてそれを見た時は、どうにかして取ろうとしていた。
だって、まさか人の手の甲に宝石が密着するだなんて思っていなかったから。
でも、今はこれがあるのが当たり前で、これがあったおかげで守られている。
「綺麗だよ。…僕のナーサディア」
改めてその場にいる全員を見渡したら、皆、微笑んでいてくれていた。
背筋を伸ばし、届けられた品を身に纏ったナーサディアは、名前の通りまさしく『宝石姫』であった。
「あ、あの……」
「ん?」
「明日、改めて、着るから…」
「うん」
「脱ぎ、たい」
「うん?」
「や、やっぱり緊張、する…!」
「あはは、勿論。じゃあ、これは明日の朝食が終わってから着よう。エスメラルダ、ありがとう。国に戻って休んだらナーサディアへのドレスをたっぷり作っておくれ」
「かしこまりました。既に姉姫様や妹姫様よりも依頼を受けておりますので、我ら衣装制作部隊を総動員して作成いたしましょう!」
ガッツポーズをしつつゲートを開き、手を振りながらその先へと帰っていくエスメラルダに、ナーサディアはお辞儀をして見送った。
そして、着用していたドレスを脱ぐために再び寝室に移動したナーサディアの姿が見えなくなってから、ティミスはほくそ笑む。
あそこまで飾り立てた己の半身を見る『妖精姫』様は、どんな気持ちだろうか、と。
これまで己が浴びてきた賞賛、羨望の眼差し、それらをナーサディアが明日、受けることになる。
ナーサディアを嘲笑った貴族達も、彼女を守ることをしなかった王族達も、どんな顔をするのだろう。
彼女をまず忌み嫌った侯爵夫妻も、どんな顔をするのだろうと、そう考えるだけでティミスは笑いが止まらなかった。
「明日が本当に楽しみだよ…。お前達が忌み嫌い、嘲笑った子が、どれほどまでに尊くて高貴な存在に変化したのか…見せてあげるからね」
ふふふ、とティミスは笑う。
本来ならば普通に『はいさようなら』で帰ろうと思っていたけど、予想より遥かに酷い有様を見てしまえば考えも変わる。
誰か一人でも守ってやっていれば、彼女を大切にしてあげていたのならば。
いくら、「たられば」の話をしても、過去は変わることはなく、事実としてナーサディアがまともな育てられ方をしていなかったという事柄のみ。
今更後悔しても遅いし、どうにもならない。ナーサディア自身もこの国を捨てることになんの抵抗もないのだから。
そういえば、とティミスは装飾品にまぎれていた母から自身への手紙を見つけて開き、中に書かれていた内容に思わず目を見張った。
「わぁ、母上も父上も本気出したなー…これは…」
息の根を止め切る寸前まで、やり尽くすつもりなのだと分かる内容のそれを誰にも見られることのないように、ティミスは燃やして痕跡を無くした。
気疲れから、ナーサディアはドレスを脱いで夜着に着替えた途端、ベッドに倒れ込んで眠りについてしまった、と申し訳なさそうに報告してくれたメイドに、『良いよ、大丈夫だから』と笑って返事をしておいた。
明日の朝、運命は変わる。
語彙力の貧弱さ故、ドレスや宝飾品の表現が拙いこと、お詫びします(土下座)