表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

18/59

平穏と暗雲

「ナーサディア、明日には帝国から迎えが来るからね。その時はうんとおめかしして行こうね」


 にこにこと笑いながら言うティミスを思わずガン見するナーサディア。朝食の給仕をしてくれていた執事もつられてガン見し、動きを止める。

 ナーサディアと執事、二人がぎこちなく視線を合わせ、『はて?』と首を傾げているととんでもなく機嫌のいいティミスは流れるように言葉を続けた。


「だって、ナーサディアは宝石姫だよ?それ相応の装いをしないと。ね?」


 そしてナーサディアはハッとする。『まさか、それ相応の装いをしないとカレアムで顰蹙を買ってしまうのでは?!』と。思いもよらない方向へと思考を巡らせている彼女の様子をいち早く察知した執事は、そっと肩に手を置いてふるり、と首を横に振った。


「ナーサディア様、恐らく思っていることは違っておりますのでご安心を」


「あ」


「え?」


「ティミス殿下、ナーサディア様はどちらかといえばマイナス方向に思考回路が働く傾向にございますので、丁寧すぎるほどに申して差し上げるのが宜しいかと」


「そっか」


 バレていた、と顔を真っ赤にするナーサディアと、ニンマリと笑うティミス。傍から見ればどうにも予想のし難い仲の二人に見えてしまうが、どう見ても楽しんでいるティミスの様子に、執事は『悪いようにするわけはないな』と、安心して一歩下がる。

 何なのだろう、とナーサディアが首を傾げつつも綺麗に焼かれたオムレツを切り分けて一口食べた、まさにその時。


「ナーサディア用のドレスとヴェール、あとペンダントにティアラ、あとはー…イヤリングと、手の甲のダイヤモンドに装着させていい感じに見せるチェーンブレスレットと、それからヒール低めの靴と扇をね、発注したんだ。今日の夜に届くから、試着してみせてね!」


 ご機嫌で言われた内容に、ナーサディアが硬直した。

 こくん、とオムレツを辛うじて飲み込んで、『え』と、それだけ呟くとティミスは同じ内容を繰り返す。


 一体総額いくら掛けたのだろう。

 聞いたら卒倒しそうだったので、ナーサディアも執事も聞くことを光の速さで諦めた。


「ドレスにもヴェールにも、何もかもにも、ダイヤモンドを散りばめてもらったんだよねぇ。…魔除の意味もあるし、ナーサディアの力の増幅や調整がやりやすくなるから」


 後半は聞こえなかったらしいナーサディアが、いよいよ顔色を悪くする。そんなにも丁重に扱われたことのない彼女が、思わずフォークを取り落としてしまうが、何事も無かったかのように執事がフォローして新しいフォークをそっと置く。


「ティ、ティミス、さま。それ、いくら、かかった、んです、か」


「大丈夫大丈夫、僕の私財で余裕で賄えるものだから!」


 いや違う、そうじゃないとナーサディアは慌てる。そして思う。

 ナーサディアが思う『私財』の額と、ティミスが思う『私財』には桁が3つ4つ違うのではなかろうか、と。

 ありとあらゆるものにダイヤモンドを散りばめるなど、虐げ続けられたナーサディアからすれば正気の沙汰ではないのだが、それをいとも簡単に用意してしまうティミスの懐の(物理的な)大きさは、果たして何なのだろうと改めて思い、そんなにもしなくて良いのだと言いたかったが、言おうとして止めた。

 彼は本当に、ただ純粋にナーサディアの事が大切で仕方ないのだから。


「あ…ありが、とう…、ございます」


「負担に思うかもしれないけど、…幸せになるんだから、それを見せつけてやりたかったんだ」


「え…?」


「ナーサディア、もう一度だけ聞くね。拾い忘れた大切なものは、もうどこにも、ない?」


 問われ、それには迷うことなく頷く。

 一切の躊躇もなく頷いて、サラダに添えられていたプチトマトを一口で食べた。


「…うん。なら良い」


 少しだけおちゃらけた雰囲気が消え去り、ナーサディアを慈しむ優しさと温かさしかない眼差しが向けられる。

 この目に、ナーサディアはひと月も経過していないのに、弱くなっていた。

 どこまでも自分を優しく見つめてくれる眼差しが、擽ったいような、温かくなるような、むず痒くなるような、不思議な感覚。

 それをメイドに伝えると顔を覆って大泣きされたし、困り果てて執事に伝えても『ティミス殿下に感謝を』としか言わないしで、ナーサディアにとってよく分からないまま終わっていた。

 いつかきっと、この気持ちが分かるのだろうかと思いながら少なめの朝食を食べ終えた。


 食事が終われば、ティミスから帝国の話を聞いて、学ばなければならないマナーや作法、礼儀、しきたりを簡単に学ぶ。

 向こうに行ってからでいいのに、と言われたけれど、助けてもらう側で、世話になりすぎると申し訳ないからとナーサディア自身が頑なに学びたいと望んだのだ。

 元々王太子妃教育を受けさせられていたことや、学ぶことが嫌いではなかった性格が幸いして順調に吸収していった。一度でできなくとも、数回繰り返したらある程度の形にはなっていた。

 公式の場では淑女としての仮面を見事に被り、普段のようにつっかえることなく挨拶もするし、動きのひとつひとつがとても綺麗だった。


「ナーサディア、基本的な挨拶はもう覚えたし…簡単にしきたりも説明したから、ゆっくりしてなよー…。病み上がりなんだよ?」


「で、でも…」


「夜にはドレスの試着もあるんだから、もう終わり!おしまーい!」


「……うぅ」


 しょんぼりと肩を落とすナーサディアに、『もうちょっとだけね』と言ってあげたい気持ちもあるけれど、熱がようやく下がったのだ。ティミスからしたら、昼寝ばかりでも良いくらいなのにと思ってしまう。ゆっくりと、自分のために過ごす時間も持ってほしい。


「ナーサディア、カレアムに行って落ち着いてからにしよう?それからでも遅くないし」


 言われてみれば、そうかもしれないとようやくナーサディアがソファに腰を下ろしてくつろぎ始めてくれた。




 ─────────────



「父上、母上。お呼びですか?」


 ウォーレン国の王太子である、アルシャーク・フォン・ウォーレンは国王夫妻に呼び出されていた。

 謁見の間ではなく、国王夫妻が普段執務を執り行っている執務室だった。しかも、王太子である自分のみ呼ばれ、王太子妃であるベアトリーチェは呼ばれていない。


「あの…ベアトリーチェは…」


「必要ない」


 落ち着いた口調だがはっきり言い捨てられ、アルシャークはたじろいでしまう。


「そなた、何故体調の悪いナーサディア嬢の見舞いに何度も押しかけた」


 怒りを込めた口調で問われ、思わず『え』と声が零れた。


「王太子妃が希望したとはいえ、あなた…具合の悪い人のところに何度も押しかけて、人として何を考えているのか言いなさい」


 母からもそう問われ、アルシャークは困惑しかできない。


 今まで、人から拒否されたことなどなかった。

 だから、体調が悪いならお見舞いに行ってあげたら少しでも気が紛れるのではないかという、ただそれだけの想いしかなかった。今まではそれで皆から感謝されたのだから。


「今までは…誰も、何も、言わなかったではありませんか…。どうして具合の悪い人を見舞ってはならぬのです!」


 アルシャークの言うことも尤もなのかもしれないが、それをした相手が今回ばかりはまずかった。

『普通』なら、それで良い。

 だが、ティミスから『体調が悪いので静かにしておいてほしい』とやんわりとした拒絶があったにも関わらず、一度ではなく数度、見舞いに行っている。


 ナーサディアの身内であるベアトリーチェが、そう、望んだから。


「拒否されていたのは理解しているのよね?」


「え、と」


「ティミス殿下より、正式にカレアム帝国から、抗議文が届けられるそうよ。貴方と、王太子妃に対して」


「…………え?」


 アルシャークは、『宝石姫』の重大性をきちんと理解していなかった。魔法を使う時、彼女らが生み出してくれた宝石があれば魔力消費が少なく済む、というだけしかなかった。


 認識としては合っているのだが、彼女らが「どこに」守られているのかを理解していない。


「ナーサディア嬢は、ベアトリーチェの双子の姉妹ですよ?どうして家族の見舞いをしてはいけないのですか!それすらも拒絶するのですか?!」


「その家族から、ナーサディア嬢が何をされていたのか報告書が上がっているはずですが……そう。お前は目を通していないのね」


 読んだ。『読む』ことはした。

 けれどアルシャークは「とんでもない家族がいたんだなぁ」とだけしか思わず、軽く流してしまった。

 ここまでバカで、人の気持ちを推し量れない子に育ってしまったのかと、国王夫妻はようやく頭を抱えた。


 そして、ティミスから『貴国の王太子殿下は、どうやら宝石姫がどれほどの苦痛を味わったのか、ご理解されていないようだ。大層平和な国で、何の障害もなく、如何に平穏にお育ちになられたのか、伝わりました。密やかに帰るつもりだったが、そうなどしてやらない』という伝言を預かっている旨を伝えられ、ようやく今、薄ら理解し始めたようで真っ青になる。


「………っ」


「我が国は、もう遅いのです」


 国王夫妻は、静かな口調で続ける。


「カレアム帝国を、本気で怒らせてしまったのだから」


「これまでの平穏など、消え失せてしまうであろう」


 ベアトリーチェがいかに悪手を取ってしまったのか。

 王太子であるアルシャークは、それを理解した上で止めなければいけなかったのに。




 ───愛され続けたものたちの平穏は、終わる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ