「たからもの」
話し合いの後、ティミスは通信具を使って帝国にいる父母に連絡を取っていた。
カレアム帝国皇帝、イシュグリア。そして皇妃ファルルス。
この帝国は、ほかの国々から見て少し特殊に見えていた。
というのも、正妃と側妃、互いの立場を理解した上での輿入れが行われているため、諍いが起こることが限りなく少ない、理想的な関係性を保てていたからだ。
側妃はどうして己が正妃となり得なかったのか、理由をきちんと聞いた上で納得し、側妃として皇帝に嫁ぎ、仕え、そして皇女や皇子を出産した。
カレアムの皇位継承権は、生まれた順であるとは限らない。優秀であれば、側妃の子であろうが皇太子となり得る。勿論、己の子に継承権を、と望む母もいるのだろうが、全てを同じように扱う皇帝のお陰か、争いらしい争いが生まれていない。
実際、現皇太子が『そう』なのだ。
第一皇子であり、現皇太子であるウィリアムは、第一側妃の第一子でもある。
第二皇子はひとつ下の正妃の子。
差別も区別もすることなく、生まれた子には皆平等に、同じ教育を施した。帝王学、剣術、乗馬、政治学…そして、本人がやりたいと言った学問全て。
ウィリアムは側妃の子であることを気にせず、思う存分に勉学や運動、そして政治学を教師から学び、周りが思っていた以上の成果を挙げた。
それ故に、彼は成人の儀を迎えると同時に皇太子となったのだ。
第三皇子であるティミスも無論優秀ではあったが、自分を可愛がってくれている長兄が皇太子となってくれたおかげで、今こうしてある程度自由に出来ている部分が大きい。
第二皇子は学者を目指し、現在高等学院を飛び級で卒業して、国の研究機関で勤めている。
更に今代は皇太子と第二皇子、そして第三皇子であるティミスに宝石姫が現れた。
皇太子には婚約者がいるにも関わらず、だ。
婚約者は少しだけ恐ろしかった、と後に話しているが、まず皇太子の婚約者はその気持ちがすぐに薄れたという。何せ皇太子の宝石姫は当時三歳の幼い、愛らしい姫であったのだ。
魂同士惹かれあう、とはいえ、皇太子が己の宝石姫に抱いた感情は、「愛するもの」というよりも「愛しい我が子」であったという。なお、彼の婚約者の令嬢も同じような温かな気持ちを抱いた、とか。
それならば安心だと国の重鎮も皇帝夫妻も安堵したと、帝国の記録にはそう、記されていた。
また、第二皇子の宝石姫は、彼と同い年の侯爵家令嬢であった。
これ幸いと国をあげて盛大に祝い、婚約の儀を執り行ったという。なお、本人同士が出会ったのは研究機関に所属されてから。
第二皇子の宝石姫は、宝石の場所が服を着れば見えない位置にあったこともあり、そうであることが知られず今まで過ごしてきたという。
何故分かったのかと言うと、出会った瞬間に第二皇子が号泣したから。
遠慮なく涙を流す彼を宥めようと近付き、ハンカチを渡したその瞬間、令嬢の宝石が眩く光り輝いたのだ。
何故か鎖骨あたりにある宝石が、もしや、と思っていたそうだが、惹かれ合うということがそれまで理解できなかった令嬢も第二皇子も、これを以て双方自覚した。
そして、第三皇子であるティミスの宝石姫の出現。
帝国全体が歓喜に沸いたのは言うまでもないのだが、更に喜んだのは既に宝石姫として覚醒している二人の姫達だった。「妹姫(姉姫)ができる!」と笑いあい、ティミスから連絡を貰ってから、彼女がやってきた時のためにナーサディアのためだけの客間を急いで用意させた。それと同時に、ナーサディアが滞在するための宮の建設をも始めさせたのだ。
なお、それ程までに大切に慈しまれると想像もしていないナーサディアは、湯浴みを終え、メイドから温風で温めてもらい髪を乾かし、ゆるい三つ編みで纏め、シンプルなクリーム色の長袖のワンピースを着用し、冷えないようにとチェック柄のストールを羽織り、すっきりとした顔立ちで戻ってきた。
「ナーサディア、気持ち良かった?」
「う…………っ、あ、はい」
思わず『うん』と返事をしそうになって、慌てて言い直すが、ティミスにはやはりというかバレていたようで、微笑まれてしまう。
「………うん」
この人たちの前では取り繕わなくて良い、大丈夫なんだと自分に言い聞かせてから、恥ずかしそうに言い直す。
少しずつナーサディアの心が解れていく様子が目に見えることが嬉しく、執事はこっそりと影で涙を拭った。
「とりあえず、胃に優しいものを用意させたから、少し食べるといい。…で、食べながら聞かせてほしいことがあるんだ」
「…私で、良ければ」
「ありがとう。あ、それから…今日の食事はいつもの料理人のじゃないんだけど…少しだけ我慢してね。明後日くらいにはカレアムに移動するから、思う存分彼のご飯が食べられるように手配してるよ」
「……!」
嬉しそうに何度も頷くナーサディアの様子に、使用人達も嬉しそうにつられて微笑んだ。
愛される、ということを諦めきった主に対して、それ以上の愛を以てして尽くす。
そうすることで、少しでも慣れてくれれば。ティミスを始めとした、周囲の温かな人たちの愛情に包まれて、あの塔で起こったことがまるで寝ている間の夢であったのだと思えるくらい、これから幸せにたっぷりと包まれてほしい。
その為には、何よりもまず、この国を出ること。
普通に過ごしてきた人ならば、家族と離れることを何よりも嫌がるのだが、ナーサディアは家族や祖国と離れることを何とも思えなかった。
むしろ、離れられるのであれば幸いだった。
だって、最初にナーサディアを疎んで忌み嫌ったのは国なのだから。
何も、守ってくれなかった。
誰も、助けてくれなかった。
使用人たちが手を出すにはあまりに大きな壁である、『身分』。けれど、それをいとも簡単に飛び越えてくれる人が現れた。
「ナーサディアは、彼の料理が好き?」
「はい…!あったかい、味が、するから…!」
「そっかそっか。なら、ナーサディアの食事担当は彼のままにしようね。他に希望はある?」
「………えと」
「うん」
「お世話、してくれるひと、…彼女たちが、いい」
ナーサディアの視線の先にいるのは、世話係のメイドと掃除係のメイド。
「うん、そうしよう。ナーサディアが大切に思っている人たちだもんね」
うんうん、と何度も頷いて微笑むティミスに安心して、ほ、と息を吐く。
そして。
「あ…」
ゆっくりと背後にいる執事へと視線をやった。
「彼も、一緒が、いい」
「当たり前だ。皆、一緒に行くよ」
「良かった…」
「他の人は?いいの?」
「他…?」
「そう」
ナーサディアには分からないように、瞳の遥か奥深くに剣呑な光を宿して、ティミスは問いかけた。
「屋敷にもいたでしょう?使用人たち」
「えーと…」
問われた内容に、ナーサディアは途端に表情が消え去った。
「そんな人たち、いた?」
執事を振り返り、笑顔で問いかけてくる幼い主の瞳の冷たさにゾッとしながらも、そうか、と納得した。
彼女を大切にして、慈しんで、寄り添いながら来た彼らは、ナーサディアの所謂『内側』の、本当に大切な人なんだと。
そうしなかった『他』は、ナーサディアにとってはもう、心の底からどうでも良く、生きていようが死んでいようが、関係のない存在。
心底不思議そうに、ナーサディアは問いかけた。
「私のことを、見守ってくれていたのは、ここにいる人たちだけだよ?」
普段ならばつっかえつっかえになってしまう言葉が、この時ばかりはするりと零れた。
『ここにいる人たち』の中に、家族が含まれていないことを察知していたのは、今はティミスと、言葉を発したナーサディアのみだった…。