後悔と崩壊の始まり
極秘に侯爵家を訪問した王妃は、心底呆れ返っていた。まさか自身がこのような子供じみた嘘に騙されてしまうなど。しかも王妃を騙し続けてきた相手は、王太子妃の母。
「…どのような責任を取ってくれるのかしら」
ぎくりと体を強張らせるエディルを見ても何も思わない。
双子の片割れを影姫に推薦してきたときは『そこまで権力を求めているのか』と、ある意味の貴族らしさに感心したものだが、あの時とは状況が一変している。影姫に推薦してきた娘、ナーサディアを貴族名鑑に登録していないと執政官は思わなかっただろう。王妃と国王は内密に話が通されていたので知ってはいたが、後々登録はするだろうと国王夫妻は思っていた。少なくとも、成人の儀には。
そうしていなかったのには、何となく理由は察せるが、あまりそうであってほしくないとも思った。仮に、万が一、ベアトリーチェに何かしらの危害が及びそうになってしまった場合、目の前のこの夫人は娘を迷うことなく代替品として差し出せる、とでもいうのだろうか。王子だけでなく王女も出産している王妃にとって、その考えは理解できないものだ。血を分けた娘を、同じく血を分けた娘の身代わりにするなど、余程でなければ思いつかない。
登録さえしていなければ、何かしらの病気で亡くなった、とでも何とでも言えてしまう。
「…『ハミル侯爵家の化け物姫』」
「それは…」
「貴女…まさかとは思うけれど、そういうことなの?」
先ほどの、一番嫌な予測が頭を過っていく。
かつて、社交界で嘲笑されていた幼い令嬢。顔の痣をからかわれ、蔑まれ、娯楽を探す貴族の槍玉にあがり、泣いて嫌がっても心無い者たちに徹底的に玩具にされていた。
王家の、そして一人の母として止めるべきだったと、今更後悔しても遅すぎる。ほんの少しして、その幼い令嬢は社交の場から姿を消していた。
まさか、このような形で再会することになろうとは予測もしていなかったが。
「かつての妖精姫が、くだらないことをしているだなんて、誰が想像できるというのかしら」
「……っ、王妃殿下には、分かるはずもございませんわ……。あれが…どれだけ王太子妃殿下の邪魔をしていたか、なんて」
「……」
ベアトリーチェのことを考えているようで、自身のことしか考えていないのが丸わかりである。
「あれがいなければ…ベアトリーチェは妖精姫の呼び名を持った、大層美しい王太子妃として、後世にまで残る稀代の王妃と成り得るではございませんか…!それを、あんな化け物が隣にいては、邪魔にしかならない!そうでございましょう!?」
「それが、本音ね」
「え…」
「影姫にするとか、彼女の体が弱いとか、そんなもの建前と虚言でしかなかったと、今、認めたわね。ハミル侯爵夫人。…なら、尚のこと。貴女も、わたくしも。…もちろん、ベアトリーチェも、…この家、はてはこの国全て」
淡々と告げる王妃の顔色は悪く、表情も強張っている、これまで隠し通してきた本音をあまりに呆気なく、王妃の前で曝け出してしまったことにようやく気付いても遅すぎる。何もかもエディルにとって悪い方へ悪い方へと進んでいき、止まってくれない。ただ、嫌な予感だけが頭を過っていく。
「覚悟していなさいね。かの帝国がどれほど宝石姫を大切に、尊んでいるのか」
「知らなかったのに、報復を受けねばならないのですか!?」
悲鳴のように叫んでも、王妃の表情は特に変わらなかった。
それどころか、呆れの色を濃くしてエディルをじっと見ていたのだ。
「宝石姫たり得る条件を知っているものは少ないわ。…そうでなくとも貴女の行為は母親として、侯爵家夫人として見逃せるものではないということが理解出来ていないようね。お前がやったことの重さ、軽はずみな行動、そして王家に対するある意味での裏切り行為について、登城の知らせがあるまで謹慎して、少しでも反省しなさい」
「…え…」
「ティミス殿下より、苦情がきているわ。『ナーサディアの実家らしき家から、王宮に来て間もないのに何通も手紙が来ている。今ナーサディアは寝込んでいるというのに、かの者は何を考えているのか』とね」
「わ、私はあの子の母ですよ!?会うことくらいどうして出来ないのですか!」
「彼女が宝石姫として覚醒して、カレアムに向かうことがもう確定している時点で、彼女においそれと連絡は取れず、会うこともままならない状況だということが分からないかしら」
そんな、と呆然と呟くエディルの顔色は酷く悪い。
現状、エディルとベアトリーチェからナーサディア宛に手紙が何度か送られている。
精神的なストレスから解放されたことや、環境の変化による発熱で寝込んでいる、と告げているにもかかわらず、だ。
『身内なのだから見舞いに行かせてほしい』と願っているそうだが、ティミスや、彼の護衛騎士、塔から連れてきた使用人達総出で拒否を続けている。それを聞いているから、国王夫妻ですらせめて彼女の体調が少しでも回復してからと思っているのに。
ナーサディアを虐げた貴族達も必死でどうにかせねば、とようやく行動を始めたようだが遅すぎる。
「後悔するくらいなら、最初からきちんとしていれば良かったのよ。王太子妃にも、…ナーサディア姫にも」
王妃は立ち上がり、従者と護衛騎士を引き連れて帰っていく。
何か言わねば、と手を伸ばそうとするが、エディルが我に返った時にはもう、自分以外は応接室には居なかった。
ナーサディアは引き続き熱で寝込んでいます。
なお、ティミスは嬉々として世話焼きしつつ、手紙を送ってくる貴族の名前をメモしてます(ナーサディアの実家含む)。
「こういう時に焦って連絡してくる奴は、大体やましいことがあるって言ってるようなものだからね!馬鹿で助かるよ」(ティミス談)