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変な人白書  作者: 紅頭マムシ
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第八話 ビーチの唇泥棒

 俺は正義のライフセーバー。この広い海のごくわずかな範囲を守護する者。

 溺れる者は藁をも掴むと言うが、溺れたのなら藁すら掴めないのがこのだだっ広い海という場所だ。ここでの場合、藁に変わるものとすればそこらに浮いたクラゲの死体がそうだろう。あんなブヨッとしたものでは藁よりもっと役立たないだろう。だから俺がいるのだ。俺はこの広い海の上で、俺の目の届く範囲で溺れた人にとってだけは藁になってあげたいと思う。掴んでも沈むことがない、水の中でもしっかり根を張った屈強な藁に……。


「お~い!人が溺れてるよ。助けてよ~」

 

 むむっ、仕事の呼び出しだ。白い海パンの間抜け面中年が俺に救助を依頼する。白い海パンが指差す方向には確かに溺れる者の姿があった。距離は15メートルってところか。これなら、世界的に見れば本当にちっぽけな俺が守護する領域に入っている。


 俺は海に飛び込んですぐに救助に向かった。そして助けた人間を連れてまた浜辺に帰ってきた。

 見た感じは50代、男性、中肉中背をやや越え……これはデブ判定だな。

 意識がない。すぐに心臓マッサージを始めねば。

 助けたおっさんの肌はなんというか油っこくヌメっている。チビの頃には川でよくドジョウやナマズをとっ捕まえて帰ったものだが、あれらの感触に似ているような気がする。

 俺とおっさんの周りに野次馬共が集まってくる。おっさんの知り合いはいないのかと聞くが、誰も何も答えない。こんな海水浴場に一人で来たというのか、こんなおっさんが一人で。まぁおっさんが何人で海に来ようが全く個人の自由なので悪く言うとか変だとか言うことはしないが、珍しくはある。


 心臓マッサージを続けるが意識が戻ってこない。時間から言ってたくさん水を飲んだとは思えないが、まぁ時間ごとに飲む量というのも人それぞれだろう。このおっさんは短時間でがぶ飲みしたのかもしれない。

 仕方ない。個人の趣味の上でこれはやりたくなかったが、仕事において趣味のことは封印だからやる。マウストゥマウスの出番だな。俺の肺からこみ上げる空気を口移しで受けたことで、これまで何人が死の淵から戻ってきたか知れない。いや、知ってるし覚えているけど、そういうことにしておく。


 気道確保。仕事だからこいつはキッスにはノーカウントだ。おっさんと唇を重ねるのも給料の内だぜ。

 俺の唇がおっさんの唇と重なる寸前のことだった。


「うわぁ!はぁっはぁっはぁっ……」


 おっさんが復活して、息をはぁはぁと漏らした。

 おっさんの復活を受けて、周りの人間達は良かったと騒ぎ出す。


「いやはや、命を救われた本当に」言いながらおっさんははペコペコと頭を下げ、体の方も一歩二歩と下がっていく。すぐに動いて大丈夫かと思ったがおっさんはこの場から早くおさらばしたいみたいだ。


「はぁ、いや大丈夫ですから。それよりほら、あれ~この後すぐに会議だから、マジで!」

 おじさんは浜辺においてあった自分の鞄を持つと足早に去っていく。


「お~い!ちょっと待って!行かせちゃだめだ!」遠くから先輩ライフセーバーの声がする。

 先輩はこちらに走ってくる。そして先輩が指差す先を見れば、おっさんの姿があった。おっさんはもう道路に出ていて、海パン一丁のままタクシーをとっ捕まえて乗り込むところだった。


「あいつ、やっぱりそうだ!待て!」

 先輩は道路に向かって走る。おっさんの乗るタクシーを引き止めるつもりだ。しかし、向こうだって乗せたおっさんをさっさと運ぶのが仕事だ。先輩の声虚しくタクシーは行ってしまった。


「くそ!逃げられた!」

 先輩はおっさんに何の用があったのだろう。俺は詳しいことを聞いてみた。


「そうか、お前たちにはまだ連絡が行く前だったか。奴はな、ここ最近ここいらのビーチに出没する溺れ屋だよ」


 溺れ屋?なんだそれは。昨今では職業サービスも多様化を極め、たまにマジで訳の分からない商売も出てくるが、溺れ屋というものは聞いたことがない。一体どういった内容なのだろう。先輩に聞いてみた。


「まったく迷惑な話だよ。さっきみたいにまずは溺れるだろ?そしたらさっきみたくライフセーバーがやってくるだろ?」


 俺はうんうんと頷いて先輩の説明に耳を傾けていた。


「で、ここからがおかしいんだよ。ライフセーバーは溺れた者に人工呼吸をする。これはいわゆるキッスと同じ過程を踏むだろう」

 

 そりゃそうだ。キッスの形から入った先の行為が心肺蘇生なのだから。


「そこなんだよそこ!ヤツの溺れはフリに過ぎん。目的はそのキッスを頂くことなんだよ!俺たちの職場では、言い方がアレだけど、合法的に他人からキッスが頂ける都合の良い状況が敷かれているだろう」


 なんと!あれは溺れたフリ?そしておっさんは俺のキッスが欲しかったと!


「あ、違う違う。ヤツが狙ったのは恐らくあっち」そう言って先輩が指差した先には勤務中のライフセーバー南の姿があった。南は俺の後輩の女性ライフセーバーだ。


「南が助けにはいって人工呼吸してくれること、それがヤツの狙いだったんだよ。ヤツは女性ライフセーバーを対象にした連続人工呼吸もらい魔なんだよ。でも男のお前が先に助けた。だから人工呼吸の前になって逃げたんだ」


 なんてこった。ヤツの真の狙いは南のトゥルントゥルンのリップだったのか。それなら俺だって狙っているところだ。危ない危ない。俺の唇と共に二重の意味で危なかった。


「そういうわけだ。ホイ、こいつが手配写真だ。次に見つけたらとっ捕まえろ。それか本当に溺れさせちゃえ。俺達の魂の仕事を何だと思ってんだまったく……」

 

 プンプンしながら先輩は自分の持ち場に帰っていった。


 俺は南におっさんの写真を見せた。おっさんが巻き起こす騒動を不思議がりながら南は写真を見ていた。その時俺は、あのおっさんよりも先に奪いたいと思って南のリップを見つめていた。

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