第六十八話 長谷部高校の熱血避難訓練
午前10時過ぎ。長谷部高校に喧しくサイレンが鳴り響いた。
「なんだ!どうした!なんでこんなにうるさいんだ!誰か説明しろ!」
社会科の授業中にすやすや居眠りしていた藤堂弾次は、サイレンを聞いて椅子から立ち上がった。
「どうしたんだぁ!終末期か!終末期が来たのかぁ?」
弾次、ご乱心である。
「おい!お前のがうるさいわ」
そうツッコんで来たのは、彼の後ろの席でしっかり授業を聞いていた田口だった。
「田口ぃ!こいつはなんだ!まるでSF映画でいうところの宇宙船がやばくなって墜落するみたいな、そんな流れじゃないのか?俺達の青春の船とも言えようこの学校が沈むのかぁ!」
ずっとうるさいのである。
「おいおい、この寝ぼけ野郎が。説明くらい聞いたことあんだろ?こいつは避難訓練の合図だってば」
田口の説明のすぐ後に校内放送が流れる。
「校長室から出火です。生徒の皆さんは慌てず校庭に避難して下さい」
「おい田口、この女は何を言ってんだ?」
弾次は教室にある放送スピーカーを指さして尋ねる。
放送担当は長谷部のうぐいす嬢と呼ばれる駒田先生だった。国語の先生である。
「どうもこうもねえよ。言ったことが全部だ。校長室が火事だとさ。だから焼け死ぬ前にさっさと逃げるの。ほら廊下に整列だ。これはそういう訓練ね。お前、先生の話とか何にも聞いてねえのな?」
「なにぃ!こいつは避難訓練だったのか!じゃあ避難最優先の時にお前となんてくっちゃべってる場合じゃないぜ。いつ焼け死んでもおかしくない事態を想定してのシミュレーションだろこいつは」
弾次はやっと状況を理解した。理解したら教室を去るため走り出す。
「おい、どこ行くんだよ。こっちに来て整列だっての」
「バカか田口ぃ、お前ほどの男が何を寝ぼけたこと言ってる?ホントに火がついたって時に、呑気に整列して行進するアホがいるか。俺はやることをやるんだよ!」
分かりやすく特定の状態にトリップしやすい弾次の脳には「今は火事」の理解しかなかった。彼の目には燃え盛る炎が見えていた。
弾次は皆が歩いていく方向とは逆の通路を爆走する。
階段を駆け降りてある部屋を目指すのだ。
「校長!無事か!」
弾次は疾風の如く駆け抜け、一階の校長室に辿り着いた。
校長はそろそろ校庭に出ようかという段にあった。
「君、ここで何をしてるんだ?早く避難を」
「バカ野郎!頭を残していそいそ逃げるヤツがあるか。あんたはここのボスだろうが。それを残して俺がさっさと逃げれるかってんだ」
弾次は校長に駆け寄ると、米俵を担ぐように小さな校長のおっさんを肩に担ぎ上げた。実家でもこうして米を倉庫に運ぶ手伝いをしていたので慣れっこだ。
「ちょっと君、何を!下ろしなさい!」
「カバっ、いやっバカ野郎!そんな老いた足腰で俊足の引火から逃れられるものか」
状況にもよるが、一般的に炎が燃え広がる足は決してゆっくりではない。それこそ俊足で辺りを焼き払うこともありえる。
弾次は校長を肩に担いだまま駆け出した。
「こら君、何をする!ふざけるんじゃない!」
「バカ野郎!ぶざけてんのはどっちだ!いいか、学校なんてのは俺達子供だけいてもどうにもなんないんだよ。子供が組織を回せるものか。俺達が何人焼け死んだとしても校長、組織の頭のあんたさえ生き残っていれば、焼け失った胴体でも足でもまたなんとかなる。じゃあ最優先であんたを逃がすのが、組織の未来に繋がる最善の一手だ。そうだろがぁ!」
校長は、この言葉を受けて胸がキュンしたのだった。
こんなに老いて丸くなって背も縮んだ自分のことを、学校の未来に繋がる最大の柱として扱ってくれる若き生徒がいる。それは組織の頭を務める校長冥利に尽きる最大限のフューチャーと捉えることが出来るのだった。
結果、弾次は田口ら同級生よりも早く校庭に避難出来た。
「ありがとう。君の名は?」
「俺は藤堂弾次。この学校を引っ張っていく避難訓練のプロ、に今なったところだ。本当の避難の時にはどうなるか分かんないけどな」
その日、弾次は校長に大変褒められた。
そしてこの事が、彼のその後の進路に大きく関わることになる。
あれから数年が経過した今、「バカ野郎の藤堂弾次」の名は、レスキュー界のレジェンドとして人々の心に刻まれているのであった。
伝説とは何をきっかけにどのように爆発的に広まるのかまるで分からない。