第六話 自由なシティボーイ
連絡船が来る。青空と太陽が見守る中、船は調子よく海を行き、無事港に到着した。
「タツヒサ、おかえり」
「おかえり母さん」
タツヒサは生まれたこの地を離れ、今ではシティボーイとして都会で儲けを上げていた。そんなシティ色に染まった彼の心の中にも未だ輝きを失わずに残るものがある。それが故郷の地だった。人が生まれ故郷を忘れるなんてことはそうそうあるものではない。タツヒサは休暇を利用して生まれた島に帰ってきた。
「タツヒサ、大きくなって」
「何を言うんだよ母さん。僕の身長は高校三年の時から変わりはしないよ」
母はいつまで経っても母だ。息子の成長が楽しみ、帰還が楽しみ。無償の愛で実家に快く迎え入れるのだ。
「タツヒサ、今日は何食べたい?」
帰りの車の中で母は息子にリクエストを求めた。
「あぁ、里芋の煮っころがしと太刀魚かな」
「え?そんな田舎臭いもので良いの?ほらもっと寿司とかハンバーグとかあるでしょ?」
そんなものはシティに行けばたんと食える。タツヒサが求めていたものは、おふくろの味から得られる安堵感であった。都会の喧騒を離れた今、彼の食卓に派手な飯は必要なかった。
「母さん、それがいいんだよ。だって僕の足はほんの少し前までシティの上にあったんだよ。田舎に来たら母さんの田舎料理でいいんだ。それにね、シティ人の心は疲れているから、一周回って田舎料理が出る店が流行るようになったくらいなんだよ。郷土の味、おふくろの味ってのは誰にだって定期的に必要となるのさ」
「へぇ、じゃあタツヒサも程々に疲れてるってわけだね?」
「そりゃあもう、都会は田舎みたくリラックス出来ないよ。なにがリラックスできないかっていうと、普段からボタンのたくさんついている服を着るってことだね。こっちじゃただのTシャツで万年やり過ごしていただろ?都会じゃファッションから違うんだから。毎朝ボタンをとめ、夜になればはずす。こんなアクションも何ヶ月と続けばどれだけ時間を持っていかれ、そこからどれだけストレスが発生すると思う?」
「さぁ?太平洋の大きさくらいかね?」
「うんうん。まずまずいい線いってるね。さすが母さん。そんなわけで僕が抱えるいろいろなものは、占めて太平洋くらいってわけさ」
母はもちろん適当を言ったが、息子は意外にもそれを受け入れ淡々と話を進めて行った。
信号にかかった。母はハンドブレーキを引き上げた。
「そうそう、そう言えばお向かいのノリちゃんがお目出度でね。すごく可愛い赤ちゃんを授かったんだよ」
「ああ、ノリちゃんっていうとあのえらく出っ歯なヤツか。へえ、あの出っ歯男に似た赤ちゃんか、どんな顔だろう」
「嫌だねあんた、ノリちゃんは女だし、それに出っ歯じゃないよ。むしろ引っ込んでるくらいだよ」
「はぁ、そうだっけ?じゃあ、あの出っ歯男は誰なんだろう?」
「まったくあんたって子は人の顔も名前も覚えないんだから」
「ははっ、この島にいればそれで損はなかったが、仕事をする上では困っちゃうね。皆同じ顔に見えて、名前は全部覚えられないと来ているからやり辛いよ」
「あんたのそういう抜けたところは誰に似たんだろうね」
「まぁ、何かを受け継ぐなら両親からだろうから、二人のどちらかだろうね」
信号が青に変わり、母は緩やかにアクセルを踏んだ。
「で、どうだろうね?あんたもそろそろそこのところしっかりしてくれないかね?」
「え?僕にも出っ歯の赤ちゃんを産めって?」
「まぁそんなところ、歯のことはどうでもいいけどね」
「う~む、母さんそいつは無理な話だね。赤ちゃんは一人じゃ埋めない。コウノトリがどこかの畑に落とすのが赤ちゃんの始まりだとちょっと前まで思っていたが、今ではすっかり仕組みは解けた。女性の力添えがいる」
「だから先にお嫁さんをね」
「そこがネックだね。母さん、前から言ってるけど、それを行うなら僕には不利がありすぎる。まず僕はゲイだろ?それに二次元専門だし~」
「あんた前々からそれ言ってるけど、どこまがネタでどこまでが本気なの?」
「ははっ、まぁご想像にまかせるしかないさ。それにもっと根っこのことを言うと、この僕は独身主義なんだよ。明日から知らない女と同じ家で暮らせってのも無理だな~。一人でのびのびとマイペースがいいんだよね。まぁ体質、気質の問題もあるんだよね」
「いや知らない女って……その前にしっかり知ってもらう期間があるんだから」
「はっは。まぁなんでもいいさ。とにかく無理な相談だね。どうせ父さんが趣味とおせっかいと人様との付き合いで、息子の僕にお見合いさせようっていうんだろ?」
「まぁそんなところ」
「嫁の斡旋なんて頼んでいないし間に合ってるよ。むしろその嫁候補に別の家を斡旋してやんなよ」
タツヒサはお気楽に笑いながらはっきりと自分の考えを口にした。
確かにこれは難しい相談である。母はそう思いながらハンドルを切った。
「う~ん。でもお父さんはなんていうかねぇ。多分うるさくその手の話を勧めてくるかもよ」
「そうなのかい?父さんはどうしてまたそんなことを望むのだろう。若い子が家に来てほしいのか、赤ちゃんが欲しいのか……」
タツヒサは、普段の忙しいシティ生活の中でならまず考えることがなかった父の心を思ってみた。
「ふ~む、父さんが若い娘に来てほしいっていうなら、愛人の一人や二人が家に出入りすることだって黙認する器のデカさを母さんに求めないと行けない。赤ちゃんが欲しいっていうなら、僕に頼るよりも父さんと母さんがこれから僕の兄弟を産む準備に取り掛かった方が話が早いや。はっは~」
「あんた、ちょっと考えて思いついたそれ、すごく親不孝な内容じゃない?」
その通り、タツヒサの考えついた案は、親不孝とも取れるものであった。元々発想が自由だったタツヒサだが、価値観の多様を極めた開放的なシティの風にあたってからは、それにもっと磨きがかかった。
車の動きが止まった。タツヒサの目には懐かしの我が家が写っていた。
「よいしょっと!」言いながらタツヒサは重たい鞄を車から取り出した。
「タツヒサ、たまのお休みに帰ってくるにしては荷物多くない?」
「そうかい?これでもミニマリストだよ。家財道具一式がホラ、鞄一つにまとまるんだから」
「え?それ?家財道具一式?」
「ああそうだよ。家を空にしないといけなかったからね。たまのお休みのついでだから、たっぷりお暇ももらって帰って来たんだよ」
「え?は?」
息子と会話が噛み合わない。タツヒサの母は、よその家の母よりも多くこれを経験している。だってタツヒサは変なお子様だったから。しかし、それにしてもちょっと何かが違う。母は戸惑って色々考えた。
「ちょっと待って、あんた仕事は?たっぷりのお暇って?」
「ああ、だからお暇だよ。そうだな、もっと詳しく分かりやすくいうと自主退職ってやつだね」
母は固まった。
「う~ん、田舎の大地、そして大空、最高だね。山風、海風共に気持ちいいや」
タツヒサは両腕を広げ、風を受けることで自然と戯れている。感受性豊かとも言えるし、別の見方をすれば自由すぎてバカっぽいとも言える。
「なんで仕事辞めた?」
色々言いたいことがある母だったが、まず最初の問いは最短なものを選んだ。
「え?だから占めて太平洋のごとく膨らんだストレスが原因」
「毎日服のボタンをとめてはずすこと?」
「そう」
「……」母は言葉ではなく沈黙で返した。
タツヒサはお気楽に笑顔で母に語りかける。
「じゃあ母さん、家に入って僕のリクエスト料理の準備とかかろうよ。なに、この僕だって自炊シティボーイとしてやってきたんだ。共に厨房に入ってお手伝いするさ」
「里芋は裏の畑、太刀魚ならそこだよ」そう言って母は海を指差した。そしてそれ以上喋らずに家に入った。
「……これから畑で芋掘りして、魚は海に潜って捕まえてこいってこと?」
タツヒサ、正解である。