第五十九話 曲がり角の向こうに待つのは10÷2の不思議な言葉
やばい!やばい!
やばいぞ!どこなんだここは?
やばいと思う時、それは何がなんだか分からない時だ。分からないというのは、やばさを誘発しまくる恐怖なのだ。
かつてどこぞの民族同士が争いあった原因は極シンプルなものだった。それは無知ゆえにお互いの事をまるで知らなかったから。
知らなければ理解しあえば良いだけだ。でも、それには大きな壁を越えて行かなければならない。それが恐怖だ。分からない=恐怖。これぞ人が魂に刻んだ方程式だ。
知らないことにワクワクすることだって確かにある。でも先が分からないことには、とにかく恐怖がつきまとって来る。2つの概念はいつも共存しているのだ。
だから、恐怖を越えてその先を知ろうと最初の一歩を踏み出した者は、勇気ある偉大な人物だと言えよう。
皆が毒と信じていたトマトを最初に食したヤツ、初めて訳の分からない月世界に足形を刻んだヤツ、初見だと絶対に虫に見えたであろう海老を初めて美味しく調理して食ったヤツ、彼ら皆がそれを行うにあたって最初は恐怖したことだろう。それを越えて次を目指したからこそ、後の世には偉大な知識が残ることとなったのだ。
だからよかった。海老は食えると証明したヤツがいてよかった。トマトにそこまで執着はないが、俺は海老が大好きだからな。21世紀に入った今日になってもまだ海老は虫であるという理解だったら、地球人まるごとがグルメ的損をしていた。
という規模が広いのか狭いのか謎の理論が頭を巡るだけに、この俺は困った状態に陥っていた。説明すれば皆が分かることだと思う。
俺、絶賛迷子中。
事の経緯は難しいことではない。
今日は太陽が超ご機嫌。哺乳類なら冬眠している場合ではない。皆が外に出たくなるはず。太陽が激しく手招きする行楽日和だから、トップオブ霊長類の俺だって思わずお外に出ちまう。でもね、特にどこを目指すという用事はなかったのだ。
用事なくただ歩く、歩く。いつも歩く道。会社に行く道、学校に行く道、いつも歩く道ってのは人それぞれが持っている愛しきルートのはず。
いつも歩いていつも見るあの角。でも見ているだけで一生その先に曲がることはない。そうして人は多くの入り口を目にし、その気になれば全てに入っていけるのに、多くに入っていかない。なんかそれって勿体なくない?
いつも通る道の1つ向こうの筋には、一体どんな世界が広がっているのだろう。予想はいくらでも出来るが、真実は1つ。その真実はたったの数歩向こうにある。すぐに見れるのだ。
天気が良くてとにかく外に出たいけど、やることも特にない。だったら、日常のすぐ傍にあってこれまでスルーしていた未知の世界に入っていけば、きっと充実した休日が完成するはず。
この心理、道行く全ての人間に理解してもらえるはず。してもらえると嬉しい。
そうして俺は、いつもは歩かない未知なる角を曲がったのだ。当然知らない世界が見える。
お~!知らないを知った時ってとても楽しいものなのだな。
無知の状態の子供になら、何を与えても興味を持って楽しんでくれる。子供を通って大きくなって来た地球の大人たちよ、魂の記憶に問いかけることでお前達皆が俺の意見に共感出来るだろう。
俺は今まで見てこなかったあの角、この角の奥の世界をどんどん見て行く。楽しい。なんて楽しいのだ。
知らなかった。ここにはこんなに綺麗な松が生えた大きな家があったのか。ここにはイケてる甘味処が。大通りからはまるえで見えないけどラーメン屋、お好み焼き屋もある。今度入って食ってみよう。
このように、数分の間に次々と新情報が頭にぶち込まれる。脳細胞が喜んで活性化を迎えている。
楽しい間、人は目の前の楽しいに夢中で後ろの事を気にしない。そうだろう?
だから俺はしばらくの間後ろを振り返らなかった。で、久しぶりに後ろの世界を見て思う。ヤバいと。
ここで話は最初に戻る。知らない道を散策している内に、どこから来たのか、どこへ行くのか、何も分からなくなった。
俺はもう28になる良い年をした大人だ。それでもやはり知らない世界には恐怖するばかりだった。急に心細い。
最初にいた大きな通りから1つ向こうの筋に入るだけで、意外にも道は一気に狭くなる。家や店が狭い割には密集していて、見通しが悪い。方向感覚も鈍ってくる。元から優れたレーダーも内蔵されていないものだから、ただでさえ人より迷子になりやすい。よかったぜ、カーナビとして産まれていたら早々に廃棄だった。
分からない。でも人には分からないを越えて知る力がある。情報を集めよう。この場合には地球の仲間に頼ればいいのだ。
ここにはたくさんの人間が住んでいる。道に出ている暇人もちらほら。最低限人気があって良かった。人っ子一人いないなら泣いていたかもしれない。
次の角を曲がると、少し向こうにじいさんの姿が見えた。昔からいる主っぽい。道を聞いてみよう。
あれ?近づけば近づくほどに違和感が来る。じいさんはなんともチャイナめいた服を着ている。そして妙ちくりんな動きをしている。これはテレビとかで見たことがある。太極拳とかなんとかいうヤツか。
武道の心得があるのか。近づきすぎに注意しよう。ベストな間合いまで入ると、戦士の本能で技をぶちこまれるかもしれない。
「あの~おじいさん」
ちょっと離れた所から声をかける。
「ふぉ?」
片足を上げたそれっぽいポーズで静止し、じいさんはこちらを見る。
良かった。耳は聞こえて話が通じるぞ。
「あの~すみません。どうも道に迷ってしまって。この街の心臓とも呼べる〇〇にはどうやって行けばよいでしょうか?」
〇〇とは、まさに街の心臓にあたる組織であり建造物であり歴史的地球のシンボルでもある。この場所はここら一体の中心地だ。その場所が分かれば、後は自分の庭の中の話だ。おれは心臓部から来た人間だった。
「ほっほ!では1つ条件がある」
なにぃ!無償の親切というのは世界から死んだのか!まさか飯とか金をくれとかじゃないだろうな。
「先に約束しておこう。こちらの問いに答えてくれれば、私が知っている情報を最大限お主に与えると」
仙人ぽい物言いだ。で、問いとは何だ?
「ではお主よ、シャンデリアと10回……いや多いな。5回で良いや。5回言うのじゃ」
素直に育って来た俺はその言葉を5回唱えた。
「シャンデリア×5……」
言い終わったぞ。
「では、毒リンゴを食って眠ってしまったお姫様は?」
「えっと……オーロラ……姫?」
オーロラ姫だったかな?
「はぁああ!」
じいさんはびっくりしていた。
「普通そこはシャンデリアに引っ張られてシンデレラと答えてしまう。でも正解は白雪姫で、シンデレラはリンゴを食っていない。それを見て引っかかったな~と笑い飛ばすのが出題者の持つ意図なのじゃ」
へぇ、そうなのか。結構考えられたナイスなロジックなようで、全部聞いたら下らねぇとも思える。
「それをなんじゃ。オーロラ?誰それ?」
「えっと、ずっと寝ている姫さんなんだよ」
「リンゴは?」
「ずっと寝ているから、多分食う前からも寝ていたんじゃないかな」
じいさんはオーロラ姫を知らなかった。俺だって名前は言えばども一体何者だったのかよく覚えていない。
というか白雪姫も良く知らないな。そういえばシンデレラも何者だったか思い出せない。もっと言えば、そもそもシャンデリアってのも何だっけ?犬の品種だっけ?
色々な事をじいさんに尋ねると、オーロラ姫以外の事は全部話してくれた。でも肝心な道の話となると別。
「ああ、ワシは流れの旅人でここには住んでいないし、家も持っていない。ここには最近流れてきたから肝臓とか腎臓とか言ってもなんのことだか?とにかく臓器は健康じゃよ」
心臓だっての。
じいさんはそこらの道で寝るというワイルドなライフスタイルを極めた猛者であり、よそ者だった。
その後俺は、オーロラ姫ってなんだっけ?と考えながら歩を進め、角と見れば曲がりまくって出口を目指した。
やがて元来た大通りに帰って来れた。
実に不思議なようでそうでもない、でも振り返ればとにかく充実した面白き休日を過ごす事が出来た。
こうして人は、恐怖とその先にあるワクワクに適度に触れて人生を楽しんでいくのだな。それがベストな生き方なのだなと気づく事が出来た