第三十三話 破戒僧と真の粘リストの誕生
目には見えぬが、地球創生の頃より、もっと言えばその前から本日までずっと存在するものがある。それが生と死という概念である。
生と死は、どんな命にも共通するものだ。すべての者は、生まれたからにはいつか死ぬ。
様々な命が、それぞれ異なる過程を踏んで一生を送る中、生と死を通過することはしっかり共通するのだ。不思議だが、これがまごうことなき命の真実だ。
飯を食うために仕事は大事だ。様々な業界、コンテンツがあるが、どうせ手を出すなら絶えず長く続くもの、普遍不朽を極めしものが良いだろう。リストラの不安が少ないからだ。
そこへ来ると、先程から僕があれこれ語っている生と死の概念は、いつだって消えることがないものだろう。どんな命にも関わるこの概念を極め、商売にすれば、一生食べていけるのではないだろうか。
そこで僕は、死せる魂を慰め、それを見送る親しき生者を癒やすお坊さんという職業に就くことにした。いつの世だって人は死に、そして死んだ物を送る生者がその段階で滅んでいるということはないだろう。人類がよっぽど滅亡に近づかない限り、この業界は枯れないと思ったのだ。まぁ徳の高いお坊さんを商売と結びつけるのも下品な話かもしれないが、それでもお金が入らなければお坊さんでも無職でも食いっぱぐれて死んでしまう。やはり生きる上でビジネス思考はいくらか持ち合わせておかなければならない。
多くの商売には始めるにあたって資格が必要となる場合がある。進路を決めるまで具体的には知らなかったが、お坊さんもそこは同じ。素人が今日から勝手に坊主を名乗って寺で仕事をしては駄目なのだ。然るべき手順を踏んで僕はお坊さんを目指す。
餅のことは餅屋に任せるのが良いとされるがごとく、坊主のこともまた坊主に聞くが良かろう。近所の寺のお坊さんに話を聞き、僕は修行寺を目指した。ここで修行を完成させて免許皆伝となった者だけが、山を降りてプロのお坊さんを名乗れると言う。
よし、やってるぞ!
そうして張り切って山寺に籠もってから幾日かが過ぎた。
どうせそうだろうとは思っていたが、やはり修行は厳しい。普通にきつい。体力、精神力、忍耐力、それぞれが必要となる。
この生活をしているとすごく腹が減る。外界の飯とは随分テイストが異なる地味で素朴ながらもなかなか味わいがあるここだけの料理、それが精進料理というものだ。最初は寂しい飯だと思ったが、これはこれで美味しい。僕は飯の時間が大好きだった。
お坊さんの世界は作法にうるさい。食事の際には如実にその都合が出る。
外界で喧しい仲間達と喧しく食卓を囲んだ日が懐かしくなるほど、ここでは食事中に音が消える。ベラベラと喋りながら飯を食おうものなら、霞を食って長らく生き抜いた仙人みたいな高齢の先輩坊主から叱責が飛ぶ。音を立てず、時間をかけない。さっさと済まして次の事に備える。そんな忙しい食事となるのだ。
今日は納豆が出た。
うひょ!こいつはやったぜ!
僕は納豆専用醤油をネットで取り寄せるくらい納豆への愛と拘りが強い粘リストなのだ。
まず納豆を白ごはんの上に乗せる。その後、付属のタレと辛子を入れる。カップの中で混ぜず、米の上で混ぜる。これが僕流。ネギと僕愛用の納豆専用醤油があれば良いのだが、それは外界での贅沢なのでこの寺では望めない。
ぐるぐるとかき混ぜて口の中に掻っ込む。
ああ、美味しい。これが大地の恵み、畑の肉、そして愛しき粘り気の極み。納豆は最高だなぁ。思わず笑みが溢れる。
そうして僕が幸福に浸っていたその時、前方から大きな声が飛んで来た。
「こらぁ!」
仙人だ。仙人が怒鳴っている。どうしたのだろう。
「お前の食べ方は何だ!納豆は混ぜるな!」
「な、ななな、なんですって!」
この仙人は納豆を混ぜて食べたことを怒っているのか?
「納豆を混ぜて食べてはいかん。ぐちゃぐちゃと音が立つ、そして時間がかかる」
「ちょっと待った!」
僕は納豆ご飯の入った茶碗を持ったまま立ち上がった。
「いくら仙に……もとい師匠の言うことでもそれは聞けない!譲れない!ぐちゃぐちゃ混ぜてネッバネバにして食ってこそ、納豆の美味い食い方の真髄でしょうが!そこにある一品を、最も美味しく食べてあげる。それもまた、食物への感謝を怠らない坊主の心得とは言えませんでしょうか」
混ぜずに食べる。そんなのあり得ない。落ち着かず、気持ち悪い。仙人の言い分は、僕にとって無理な相談だった。
「いいや、認められない!ここの寺だとそれは戒律に反する。戒律を守れない者は、皆等しく破戒僧だ」
「納豆を混ぜたくらいで戒律破りの破戒僧だと!なんだそれは!納得がいかん。師匠、どうしても僕を認めないと!」
「ああどうしてもだ!二言は無い」
「そうですか。それなら僕はもうここには居られない。納豆を混ぜて食うのを怒るようなヤツを師と仰ぎ、共に修行や仕事をするなんてまっぴらごめんだ。納豆を混ぜて食うのを禁じられる苦行の道を行くくらいなら、僕は甘んじて破戒僧の汚名を着てみせよう。いや、食への、特に粘り気のある食を好む粘リストとしては、これぞ戒律を貫いた勇姿といったところか」
僕は破戒僧の汚名を来てまでなお、高潔な粘リストであり続ける道を選んだ。
そうして僕が掴んだビジネスチャンスが納豆評論家だった。納豆への深き愛と高い見識が高じ、今では自分でブランドを立ち上げて納豆自体、そしてそれに最高にマッチした専用醤油も作って売るようになった。なかなかの儲けが出て、今では立派に故郷に錦を飾ることに成功した。人生ってのは何があるか分からないものだ。
いつまでもこの世に残り、ビジネスと結びつくものとして、僕は最初に生と死に目を向けた。その次に見つけたのが納豆だった。納豆は人類が滅亡するまで愛されるソウルフードにまで昇華したのだ。
ありがとう納豆。
世界よネバネバであれ。