第二十九話 仲良く喧嘩する父と弟
暑い。こんなに暑い日の真昼。一番太陽が照る時間に、日光を浴び放題な庭に出て、父と弟は喧嘩していた。
庭木が伸びたのを処理する。無駄に広い庭を持った者の無駄な休日の仕事であるそれを行う中で、こいつら二人は喧しく言い合いをしていた。仕事に取り掛かるにあたっての手順か何かで、主義主張が異なり、それでこんなことになっているようだ。自分は最初から見ていたが、こいつらの毎度の喧嘩には本当にウンザリなので、途中から意識的に思考と聴力をオフにしていた。なので詳しいことが分からない。分かりたくもない。
互いに売り言葉が飛んでくれば安く買う。そうして不毛なセールスが続く。こいつらは商売人としては三流だ。売り方も買い方も雑で素人のそれに等しい。でもこの二人、揃って同じ会社で労働しているのだ。家庭も同じ、家業の会社も一緒。よくこんな二人がいつも一緒にいるよなって思う。
ただでさえ外が暑いのに、構造上内部が熱しやすい父の顔はもっと熱気を帯びてゆでダコ状態になっている。対してこの愚弟と来たら、涼しい顔でヘラヘラと薄ら笑いを浮かべ、チャラチャラ流れる水のごとく年寄りの神経を逆なでする言葉を吐きまくる。
父の眉はどんどん角度をつけて上がっていく。逆に極めて軽薄な態度を取りヘラヘラしている弟の眉は下がって行く。争う二人のテンションは随分違っている。
父は昭和の頑固な親父スタイルの型にハマった激し方、そして弟は怒ったり喧嘩をするスタイルが新人類タイプで、怒っていても口調は穏やか、そして薄ら笑いを浮かべいてる。穏やかに語るが、それでも弟の放つ言葉は実にシニカルで、それでいて確実に相手の痛いところをつく。こんな軽薄な男から出るとは思わない痛い言葉の槍がある。勉強はしないくせに、地頭が良いのか、その場でサッと相手を確実にムカつかせる一言を選んで言ってくる。感情に物を言わせて怒鳴るタイプの頑固親父には、この手の無駄に理屈をこねる物言いはマジでムカつくらしい。弟が口を開く度に父は取り乱す。
形勢を見るに、口喧嘩では弟の方が有利な状態にある。はっきり言って、ありふれた説教文句ではこの弟を打ち崩すのは難しい。精神においては自由人の極地にあるこいつには、社長である父こそが振り翳せる権威が全く通じない。権威主義や俗物根性では弟を黙らせることが出来ない。だから弟は、相手がずっと大人でも同級生でもガキでもこれといって出方を変えない。こいつのこういう点はある種異常だが、ある意味正直な人間性が見えるとも言えるので、兄の自分としては評価しなくもない。だが、この状況はまずい。
元気に喧嘩をしていた二人だが、その元気がいつまでも続くはずがない。
父はもう老人だ。顔を真っ赤にし、息を上げ、明らかに疲れが見える。弟は誰よりも若くて元気なのだが、暑さに弱く、普段はインドア趣味を楽しむこともあって体力があまりない。二人共疲れていた。下らない事で喧嘩して下らない奴らだ。
その日の庭仕事は望ましい完了を見ないまま終わった。二人が揉めては仕事にならない。というか、こんな管理の面倒な庭など潰してしまえって思う。
父は先に家に入った。
兄なので、弟に一言言うことにした。
「おい、相手はもう老人なんだから、少しは加減しろよ。お前レベルを相手に喧嘩すると、並の老人は倒れるんだよ」
「はっはっ、ああもヒスを起こすようじゃ頼りない。苟も我らの家長、そんで社長だぜ。頭の方をしっかりさせるために、あれくらい言ってやるのが頭に良い薬なんだよ」
こいつ、相変わらず口が減らない。がしかし、確かに最近の父には唐突に訪れるヒステリーという困った気質が見られるようになった。やりたい放題、言いたい放題に振る舞うようなことがあれば、父にもお灸を据えなければならない。自分がそれをするのは面倒、だが弟にやらせると効果が強くて父がやや気の毒。
「父さんは確かに頭が良くない。それでもお前の父さんだ。親をお前呼ばわりし、馬鹿者呼ばわりするのは、どうあって世間様的によろしくない。お前はいとも簡単にそこのボーダーを越えすぎる」
弟は飄々とした男で、普段から乱暴を働くような荒れた気性は持っていない。だが、あの父とやりあう時には、相手の怒りのテンションに合わせて言葉使いを変えてくる。普段は「父さん」と呼ぶが、言い合いになると極自然に、「お前」呼びが出る。そして「バカが!」を割と多めに使う。例え己に否があるとしても、若造から「お前」「バカが!」と言われて平静でいられる老人はそういない。弟が正しいことを言ったとしても、そういった事情から父は逆上するばかりなのだ。こいつらは喧嘩をする上での相性が良くない。
「仕方ないよね。あのお父さんがおバカをたくさん言うんだもの。聞いたかいさっきの?トンチンカンな物言いで喧嘩を仕掛けてくる。売り言葉に買い言葉って言うけど、あれじゃ売り方がまずい。商売人なんだからセールスはしっかりしてくれないと」
こんな感じでこいつはこれといって反省がない。反省するというシステムが組み込まれていない脳なのだから、兄が何を言っても仕方ない。そして父の言い分は確かにちょっとアレな感じで、見ていて残念になった。
こんな風に遠慮なくやりあう二人だが、怒っても気を回すことが一つある。母がいる前では極力揉め事は起こさないのだ。
旦那と息子が争う。それを見れば母は当然困惑し悲しむ。喧嘩する二人は母のことを大事に思っている。だから出来る限り母のいない場所を戦場の地に選ぶ。この家庭における母の存在は大きい。荒れた河川の決壊を防ぐ堤防のようなものだ。
家に入ると、階段の下に布団が投げ捨てられていた。二階で寝起きする弟の物だった。
「出ていけ!」
布団の次に投下されたのは父の言葉だった。
弟は父のように、見るからに荒れた態度は取らない。だが、内部では怒りの熱を焚べていた。見ていて分かった。
「これはあのジジイがやったのか?」
乱心の父の言動の一部始終を見ていたであろう妹に弟は問う。
「そうかそうか。わかった」
確認が取れた。
父は二階の瓦屋根に布団を干していた。弟はそれを掴むと、瓦の下に見える中庭に派手に投げ落とした。
これで第二戦が始まった。布団の投げ捨て合いからまた言葉の喧嘩も始まる。
布団を庭に捨てるという乱暴な反撃に出た弟の行動に全く迷いが見られない点がちょっと怖い。父も父だが、こいつも派手にやり返す。
街の片隅にある無人精米所に行き、我々が明日食う白米を用意して帰ってきた母の登場をもってしてこの騒ぎはやっと終焉を迎えた。妹も愉快で図太いヤツで、喧嘩を止めるどころか映画感覚で面白がって見ていた。
こんな感じでよく喧嘩する父と弟だが、よく二人でB級グルメを食いに行ったり、道の駅に行って野菜を選んだりして、謎に行動を共にしていることがある。仲が良いのか悪いのか、とにかくずっと二人でいる困った家族を持っているのが、自分の悩みの一つなのだ。