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第1章

お葬式があった。僕の母方のおばあちゃんのお葬式。天寿を全うしたといえると思うくらい生きた。その年齢96.死ぬ数週間前まで元気でやれ誰が嫌いだの最近の機械は分かりづらいだの言っていた。僕はそれを聞いて笑う。けどある時、急に死んでしまった。人ってあっけないものなんだね。あんまり見たことない親戚の人とかがきてお葬式に参加した。たわいない話をして食事をとって、終わってしまった。みんな平気そうな顔をして日常へと戻っていく。どうしてそんなに平気なんだろう。僕が弱いだけなのかもしれない。大人になったのにすぐ泣いてしまうし、勇気だってない。

 現に今もこうして、おばあちゃんの家にある縁側で庭を眺めている。遺産の整理はまだ続いてるし、片付けるものとかがあるから来てるんだけども。

「なにしけた顔をしてるの、あんたは」

 ふいに聞こえた声の方へと顔を向ける。そこには女の子が立っていた。真っ黒なセーラー服に腰くらいまで伸びたツーテール。気の強そうな感じがするけどどこか優しそうな顔。

「誰、君」

「見て分からないのか」

 ぐるりと一回転してみせる。

「分からないから聞いてんだよ」

「流石に難しいか。うん」

 一人でぶつぶつ喋ってる。

「私の名前は宮代芙美」

「芙美、っておばあちゃん?」

 信じられない。だっておばあちゃんはこの前死んで今は遺品を整理しているところなのに。それがどういうわけか女子高生みたいな外見になって帰ってきたとか。

「信じられないなら、リビングにある写真を見て見なさい」

 言われた通り、今に向かう。広いし移動するだけで精いっぱいだ。途中親戚の人が色々整理しているのを、横目に目的の物がある場所を目指すことにした。というか見えてないのかなおばあちゃんのこと。しかもなんか少し浮いてるし。

「楽でいいなあ」

「なにがさ」

「だっておばあちゃん浮いてるじゃん」

「肉体から解放されたんだよ」

 本当に死んでしまったのだなって思う。こういう若干人間離れした動きとかを見ているとなおさら感じてくる。そもそも九十歳を超えたあたりから、なんか人間離れしているような気がしてきて、死なないんじゃないかって勝手に思ってた。けれどありえない、そんなことは。形あるものはいつか滅びる運命にあるというのに。幻想をいつか真実だと思い込み始めやがて、それすら疑わなくなってしまう。当たり前などないのにそれが裏返った時に人はひどく困惑して暴れ回る。

「ここだここ」

 リビングにやってきた。今は人がいないから昔より広く感じる。明かりもついてないからどこか薄暗い。本来ここも片付けるべきなんだろうけど。

「ゆいくん片付けてほしいな」

「物が多いよ」

「いいからお金が出てきたらあげるよ

うーん、少しだけ気持ちが揺らいでしまう。でもやるべきことの本来を見失ってはいけない。ここに来たのはおばあちゃんの若い頃の姿が今の姿なのかどうかをはっきりさせることだった。記憶を頼りにできるだけ、今の姿に近い時代のアルバムを手に取った。卒業記念とかで取ったものというのでたぶんちょうどいい。この時代のご多分に漏れず白黒写真だった。というか長年見ていなかったから少しばかりホコリを被っている。そもそもおばあちゃんが生きている頃にもこのアルバムだけは開けたことがなかった気がした。色々昔の写真を見せてはくれていたけれども学校生活の写真だけは見せてくれることがなかった。見てたとしても僕が忘れているだけなんだろうけど。

「最初のページのほうを見てね」

「ん」

 パラパラと分厚い感触の紙をめくる。集合写真だ。さっき見たおばあちゃんの顔を探すわけで右上から探していくと、見たことのある顔がある。本当だった。

「どうやら本当だったね」

「最初からそう言ってるのに」

 さてどうするべきか。別に忙しいわけじゃない。取り合えずおばあちゃんに言われた通りにこの部屋の片づけでもしようかな。やる気はなかったしお金が欲しいわけでもない。

「あらゆいくん、やってくれるんだね」

 窓枠に腰かけたおばあちゃんが僕のほうを見て微笑む。こうすると笑った時の顔ってあんまり変わってないんだな。いつの間にかこっちのほうが年上になってしまったけど。小さいときはおばあちゃんが大きく見えたというのに。

「ほしいものがあったら持って行っていいからね。早いところ工事進めるらしいよ」

「スケジュール決まってるんだね」

 とても大きい家だけどなんか税金とかの関係で相続はできなかった。当然土地は分割して相続するから家は解体される。あんまり触れることでもないんだろうけど、遺産相続は多分うまく行ってない。僕は関係ないからほとんど参加しなかったんだけど。そりゃ高校生の頃は遺産で暮らせればいいなとは思った。けどそれは僕の理念に反するし、回避するような方法だって一応取ってはいた。荒唐無稽とは思ったけど、何もしないままというのはもう嫌だったから。後悔したくない。

「おばあちゃんは寂しくないの? 悲しいはずだよ」

 止めようと思えば止められた。けど口から出る言葉はとどまることを知らない。

「何が?」

「その、家がなくなっちゃうことだよ」

「ああ、そのことね。仕方ないんじゃないかな。だって相続税高かったんだもん」

「仕方ないって」

 どうしてそんなに平気なんだ。やっぱり僕のほうがおかしいんだ。けどそれでも引き下がることはできない。ここで引き下がってはお、そらく誰も口にしない。たかが理想論、されど理想論。口にして自分の中で一番大切なことにして何が悪いというんだ。

「オレは嫌だよ。だって思い出の場所なんだよ」

 誰にも話したことのなかった本心。きっと勇気がなかったから言えなかった。理想論が許されるのは子供まで。曲がりなりにも二十歳を超えた大人が、口にするべき内容ではないの重々承知の上だ。

「遺産相続とか誰がついだってどうでもいいよ。いらないよ別に。けどこの家がなくなるのだけは嫌なんだよ」

 喋っているうちに泣いているのが自分でもわかる。頬を伝うが拭う気もしない。

「オレは何もしてあげられなかった。どうにかしてお金貯めようと思ったよ」

「ゆいくん。そりゃ無茶だよ。ここの相続税高いんだから。だってアンタまだ25歳でしょ?働き始めたばかりなんだからそんな貯蓄ないでしょ。それにおばあちゃんはね、満足だよ」

「なにもしてあげられなかったのに」

「してくれたって」

「え?」

 僕には何の心当たりもない。

「ゆいくん。小さい時のこと覚えてるかな。泣き虫で体が弱くて熱ばっかり出してた」

「それがどうしたの」

 確かにおばあちゃんの言う通りだった。

「うん、だからねおばあちゃんは、ゆいくんが大きくなれるか心配だったの。泣いてばっかりでちゃんと大人になれるかなって」

「そんなことくらいで」

「一番幸せなのはね、自分の子供や孫が元気に成長してくれることなんだよ」

「分からないよそんなの」

 そんなもののどこがいいのか分からない。第一、求めてくれるならもっと物体的なもののほうがいい。だって意味がないじゃないか。そうじゃないと僕には何の価値がないのだから。人間の価値は何かを為したときにこそ発揮される。その点で行くなら僕はまだ何も成し遂げられていない。成し遂げたいと動いたのに叶わなかった。

「今は分からなくてもゆいくんにだって分かるときが来るから」

「……」

 返答が出来ないので僕は黙る。こうなったら僕の意見なんか通らない、無理をするところではないのだ。言うことはいうだけ言ったし。確認も終わったし、やりたいことは大体できた。いつまでもこんなところにいる必要はない。片付けるだけ片付けて僕は家に帰ることにした。

 片付けをしている親戚たちに一言だけ帰る旨を伝えて、家を後にした。外に出てからこの家を目に焼き付けるために立ち尽くす。そのうちこれさえ見られなくなる。結局僕が得られたものはなんだったのだろう。失うばかりで、手に入るものが何もない。

 ああ悲しき、忘却の日々。


 次の日、平日だから普通に出勤する。ちなみにおばあちゃんはあの後もついてきた。ばれたら面倒なことになりそうだとか思ったけど杞憂に終わる。なんか詳しい原理はよくわからないけど、自在に姿を消したりすることができるらしい。あとは見せたくない人の前では姿を消せるとかとにかく色々と融通が利く能力が使えるのだ。

「じゃあゆいくんの仕事についていこうと思うけどいいかな」

「えー……」

 正直困る。ただ絶対来ないでくれというほどの状況でもない。前の仕事だったら是が非でも断っていたが今の職場なら平気かもしれない。人とそこまで接するような仕事でもないし。仕事量だって少ないから。

「返答しないってことは是だと思われるから何か言ったほうがいいよ」

 冷蔵庫の中に入っているものを、適当に取り出しながら話し続ける。別にいいか、帰りに買い足してくればいいし。

「いいよ、好きにすれば」

「邪魔はしないから安心してね」

「それ絶対条件だから」

 悪意のない人間であることはわかる。というかそういう人間だったら絶対に家に寄り付かなくなってるさ。それがない時点である程度おばあちゃんの人柄は伝わる。

「母さんたちはもう出たのかな」

「三十分くらい前に出て行ったよ」

 おばあちゃんは僕よりも先に起きていた。というか幽霊になってから睡眠が必要ないみたい。肉体の失ったことによる影響だとか。何してるのかと思ってたら一晩中本棚にある本を読んでたんだって。疲れるってこととかそういうのもないんだからある意味では便利かもしれない。

「朝ごはんは食べるの?」

「時間に余裕があるから食べる」

 今だから食べられるわけで。これが少し前だったら一口も食べる気はしなかった。それだけ調子が悪かったのだから。今は稼がなくなったから少しばかり楽だ。適当にパンでも焼いて食べようかと思っていると。

「作ってあげようか」

「いいの?」

「何時からだっけ仕事」

「十時からだから九時には家を出たいけど」

「それだけ余裕があるなら大丈夫。食べたらすぐ出られるように準備済ませておいで」

 といっても髪をセットするとか特にやる必要もない。持ちモノだけ調べておけばそれでことはたりる。

「できたよ」

ベーコンと目玉焼きの組み合わせ。シンプルなんだけど食べるにはこういうのが一番いい。お祖母ちゃんが作ってくれるご飯はどれもおいしいからまた食べられるなんて。もうにどとかわないとおもってたからゆめみたいだ。

「おいしいかい」

「うん」

 ゆっくり食べている時間はあってもかみしめていてはいくら時間があっても足りなくなってしまう。体験できなくなる前からありがたみは分かっていたけど実感としてはなかった。

 食事を食べて職場へと向かう。電車を乗り継いで30分。市内の南へとやってきた。この辺りは研究都市として大学が誘致されているので学生や研究員のかずがあっとうてきにおおい。あとは研究施設で働くスタッフの家族とか。生活するのに必要な施設は大体そろっている。遊園地とかの娯楽施設はないからまた別のところへ行かないといけないけど。僕の新しい職場はここにある。

元々やりたかった仕事をつかみ取った。

「おはようございます」

 挨拶をしながらガラス戸を開ける。すでに施設が開いている時間なので中にはちらほら人影見える。ここは南部図書館。市内でも屈指の面積を誇る。

「やあ西崎さん。おはよう」

「おはようございます、早いですね」

 初老の人が手を挙げる。おばあちゃんの様子に気づいていないから見えてないらしい。そして楽な移動方法に味を占めたのか、また空中に浮いてる。身分証を提示するゲートもそのせいですいすいと通過してしまった。機械が認識できるのかどうか機になったけどおばあちゃんに言って実験してみようと思ったけど変な目で見られそうだからやめておくことにした。

 ※

 準備はそこまで多くない。エプロンをして朝礼を受けて今日の作業を確認するだけ。ボクに任された仕事は書架の整理。返却されてきた本を奥の棚に置いていく。なれなくてもそこまで難しい仕事とじゃない。前の仕事に比べればはるかにましだ。元々好きだったことに関わる仕事だっていうのもあるんだけど。何より時間通りに帰れるのがいい。

「懐かしいな、この本子供のころ読んだよ」

 台車の上に座って作業を眺めていたおばあちゃんが本の背表紙を見て感想を述べる。物に触れることは料理に関することで実証済みだけど、見えない人間が大部分のところでそういうことをすると、不自然に見えるから控えてみるみたい。誰が入ってくるか予想も想像もつかないし、たぶん超常現象に遭遇したような顔になるんだろうね。

「これそんな昔からあるの?」

「ゆいくんにも小さい時読んであげたんだよ。覚えてないかな」

「覚えてるよ」

 幼稚園くらいだったと思う。昼寝するくらいの頃におばあちゃんが読んでくれた。一回目は途中までしか覚えてなかった。多分三回くらい読んでもらってから内容を理解した気がする。

「ここら辺の本は読んであげたかなあ。あ、これも学生の頃に読んだよ」

 思い出をから理始める。おばあちゃんは読書家だった。いつ行っても本を読んでいた。何冊読んだかは本人曰く定かではないらしいけど五千冊くらいまでは覚えてるって言ってた。それだけ読む時間があるのも体力があるのも羨ましいことだ。本を読むのが好きでも絶対疲れはするのだから。おばあちゃんはそんな人だった。だから知識も知恵も生きる能力もあるってわけ。

「んー、ゆいくんが片付けていた本は大体読んだことあるかな」

「嘘でしょ。さすがにそれは」

 にわかには信じがたい。そもそもジャンル一つだけじゃない。科学やら歴史やら古典やら多種多様。

「ほんとだよ。ならそこの本の中身だけど」

 つらつらと本の中身を話してみせる。どうや本当におばあちゃんは覚えているようだ。超人越えした記憶力というかなんというか。

「どうだいゆいくん」

「やっぱすごいねおばあちゃんは」

「伊達に九十年は生きてないってことだよ」

 得意げに言い張るわけでもない。そんなおばあちゃんでも読んだことのなかった本があるのか興味深そうに文庫本の棚を眺めている。

「ふーこれもお願いね」

 棚を整理し黙々と作業をしている僕の後ろの扉が開くと同時に喋りながら誰かが入ってきた。高崎さんだった。僕よりも三年年次が上になる人。

「誰かと喋っていなかった?」

「さっきからずっと一人ですよ」

 おばあちゃんのほうを見る。何食わぬ顔でその場に居座っている。多分高崎さんにおばあちゃんは見えていない。何か物を手に取ったりとかするとその限りじゃない。だけどそんなことをして騒動を起こすような人じゃないってことは知ってる。

「おかしいなあ。誰かいるような気がしたんだけどなあ」

 幽霊が見えるような類の人種じゃないな。見えてたらもっと騒ぎになってる。別に幽霊の存在を証明しようとかしても特にいいことはない。金儲けにもならないだろうし、見えないものをみえると言い張って連れていかれる先は精神科だ。精神系の疾病を多少は患ってるにしろこれ以上悪化をさせるとまずい。

「まあいいや。とりあえず返却されてきた本の戻しだけちゃんとやっておいてね」

「わかりましたよ」

 作業量が増えた。しかし同じことの繰り返しなのだから楽なことこの上ない。そもそも複雑なことでも繰り返しの作業は絶対に理解できなかった。覚えるとしたら信じられないくらい時間がかかる。それが恐らく、僕がおばあちゃんに対してなにもできなかったと話した感情の源泉になってる。いわば劣等感が自身のなさを形成する。その劣等感が何から生まれるか、人が当たり前にできることがこなせないという失望感、あるいは絶望感。

「ここで受体化すれば、正体が一発で見抜かれてしまうんだけどね。やらないけど」

「やったら変な混乱を招くよ」

 それを最後に整理の作業に専念した。一人で喋っていて誰か入ってくるとまた同じことの繰り返しになってしまう。次にきたら本当にアウトだ。

 本の整理をしていたら、そのままお昼休みの時間になってしまった。シフト制で昼休みをとるので今はもう一人僕と一緒に休み時間を過ごしている、別に一緒にご飯を食べに行ったりなんてことはないんだけど。ていうかそっちの方が楽だと思う。誰かと喋ったりするのが段々嫌いになってきてるし。一人でいる方が合わせたりってことを考えなくて済む。

「お昼は何を食べるつもりなの」

「カキフライ定食かなあ」

「ゆいくんカキフライ好きだもんね」

 別に悪の強い食材だと感じたことはないものの、苦手意識があるのかうちの家族で牡蠣を食べられる人間はほかにいない。だから個人的に食べるのでもない限りは食卓に上がることはなかった。それでもおばあちゃんの家に行くと時々ではあるけれど用意してくれたのだ。

 施設の四階に食堂はある。普通の図書館は食堂なんか持ってないけど流石、公共の揺曳ともいうべき施設だ。食堂も会議室も建築したときから用意されているのだから。図書館以外にも市役所の分署、警察署も入っていることから食堂はいつも混んでいる。今だって例外ではない。手早く食事をとって、残りの休みは控室で過ごす。これが日課になっていた。なれないことはしないことだ。

 食券を買って店内に入ろうとすると、おばあちゃんが食品サンプルを眺めたままそこに立ち止まっていた。人がちらほら歩いている野で話しかけに行くと怪しまれるのでそのままにしてたけど一向に来ない。僕が見つめていると視線に気づいてこっちに向かってきた。そんなにめずらしいめにゅーはなかったはずだけど、どうしたのだろう。

「おばあちゃんさっきなんで食品サンプル見てたの」

「おじいちゃんのこと思い出してたんだよ」

 おじいちゃんは僕が生まれるずっと前に病気で死んでいた。詳しい死因は分からないけどタバコとか結構吸ってたから肺がんか何かだと思う。そこに過労も加わってきているから体にずいぶんと無茶をかけていたはずだ。

「おじいちゃんとね、初めてデートで食べた料理がカツレツだったなって」

「デートってどこに行ったの」

「銀座だよ。その後美術館に行ったんだ」

 あんまり聞いたことない話だった。新婚旅行は四国の高松に行ったっていうはなしは写真を見せてもらいながら聞いたことはある。その写真もあの邸宅にまだ残っているのだろうか。最後に見たのはいつだったか。もうずいぶん前な気がする。

「当時はね、かっこよかったんだよ、おじいちゃん。お見合いも五人目だったからきめちゃおうかなーって思ったくらいには」

 第一印象はよかったみたい。でも結婚とかして長続きさせるには第一印象はよくないほうがいいとかいうけど多分これは人によりけりなんだろうね。

「それであそこにあった定食がその時に食べたものにそっくりで思い出したんだよ」

「運命だね」

食品サンプル一つだけでもおばあちゃん相手なら話は広がる。話にも限度というものがあるから何でもは無理なんだろうけども。

「あ、西崎君。戻ってきたね。宇野さんが昼休みに入るからカウンターをお願いしていいかな。寺田さんと一緒にお願いするよ」

 館長から次の仕事の支持が言い渡された。宇野さんは中年の男性スタッフ。実はドイツ語が話せるらしい。外人の来館者が来てる時も滞りなく応対していた。あとは調べ物をしている高校生に対しても課題に適切な資料を差し出す。その動作には一切無駄がない。まさしく図書館のスタッフが転職ともいうべきような人だ。

「じゃあ西崎君お願いするよ」

「はい」

 カウンター側に入る。隣には寺田さんが座っていた。メガネをかけた女性。無口な人であまり話したことはない。別に僕も話すのは好きでもなかったから別に興味はない。世の中には話さないと死ぬような人間がいるようだが、難儀なことだ。

 三時過ぎくらいになってから徐々に込み始めた。昼間は平日ということもあって、大して人も来ない。たまに子連れのお母さんたちが来るくらい。

何の変哲もなく過ぎていくと思っていた矢先のこと。寺田さんが僕のことをじっと見ていた。視線を感じて横を向く。

「な、何かありますか」

 正直怖い。何か気に障ることをしてしまっただろうか。普段喋らない人なだけに恐怖感が走る。背中を変な汗が伝い始めた。気温も徐々に下がっているような気がする。ものの数秒が永遠に感じられるような時間。

「いや、君のそばを誰かが通ったような気がしたんだけど」

 おばあちゃんが寺田さんのほうを見たまま動きを止める。なんか僕にしか見えない状態でいるのをいいことにこの辺りをふらふらしているのが裏目に出たらしい。霊感を持っているであろう人間なんか早々いるものじゃないし、仕切りの上を飛び越えるたりしてた。ずっと僕のそばにいて無言でいるのが退屈だからなんだ。

「誰も通ってないですよ」

 嘘をついてない。だって肉体を持った人間は本当に通ってないんだから。

「そうですね。気のせいだったみたい」

 おばあちゃんはさすがに厄介ごとを巻き起こすということが分かったのか僕の後ろでずっと立っているだけになった。

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